表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集  作者: 雨音ルネ
1/7

01. 双子/青空/船

短編として掲載したものを短編集(連載)として再掲載することにしました。

 国王陛下と王弟殿下は、半刻違いでお生まれになった。

 威厳に満ちた厳格な兄。軽妙洒脱で陽気な弟。

 うりふたつのお二人は気質や性格は正反対だったが、それはそれは仲のよい双子のご兄弟だった。


「おはよう」

 肩越しに振り向き、王弟殿下が私におっしゃった。

 彼に朝のご挨拶をいただけば、私たち宮廷に仕える侍女たちはみなその日一日じゅう夢心地だった。王弟殿下に愛され彼の恋人になれたらどれほど素敵で幸せだろう。私たち年若い侍女たちは、そんな身の程知らずだが罪のない夢物語をよく語り合ったものだ。無邪気な日々だった。


 ほんの数週間前の日常は、すでに何年も昔の記憶のように色褪せ、遠い。


「いい天気だ。晴れてよかった」

 彼は頭上の小窓を見上げて言った。

 王弟殿下はとびきりハンサムで、勇敢で騎士道精神にあふれ、みなに優しく、いつも快活で、温かなユーモアがたまらなく魅力的な憧れの王子様プリンス・チャーミングだ。兄である国王陛下は彼を双子の弟としてだけではなく、親友として、戦友として、盟友として、誰よりも愛し全幅の信頼を寄せていた。彼らはつねに行動を共にし、一心同体、完璧な兄弟だった。


 今、彼らは遠く離れた別々の場所にいる。

 兄は国王として宮殿に。

 弟は逆賊として牢獄に。


 小鳥がようやく通れるほどの小さな窓を、私も鉄格子の外から見上げた。

 雲ひとつなく晴れ渡る青空が見えた。

「数日の間だったが君には世話になった。礼を言う」

 体ごと振り返り、王弟殿下は私に微笑みかけた。優しく甘くとろけるような笑顔だった。愚かにも、ここが薄暗い牢獄ではなく宮殿の美しい庭園だったらよかったのに、と私は夢見ずにいられなかった。

「私の世話係はさぞやつらかっただろう。よくぞ務めてくれた。陛下は必ずや君の勇気と忠義に報いるはずだ」

 返事の代わりに、私は無言で頭を垂れ、冷たく硬い石の床に両膝をついた。王弟殿下と言葉を交わすことは一切禁じられていた。しかし、臣民として王族に畏敬と敬愛を示すことは禁じられていなかった。見張りの兵士二人の視線が、裏切り者を貫く剣のように私の背中に突き刺さった。

「時間です」

 兵士の一人が私に言った。

 私は顔を伏せたまま立ち上がり、王弟殿下に辞去のお辞儀をした。国王に対するように深々と。彼の姿を最後までこの目に焼き付けたかったが、涙に濡れた顔を彼に見せたくなかった。彼が最後に見た私の姿は、せめて見苦しくないものでありたかった。私は彼が最期に会った女になるのだから。

「さぁ、行きなさい」

 王弟殿下の穏やかで優しい声が、私の頭をそっとなでるように落ちてきた。

 頭を垂れて扉まで後じさり、兵士二人に伴われ部屋を出た。こらえられず、私は顔をあげた。目の前で扉が閉められた。


 王弟殿下が仰ったとおり、その日はよい天気だった。

 美しい春の朝だった。


 私は処刑場に集まった見物人の中にいた。玉座には国王陛下が、その背後には彼の側近たちが控え、みなそろって厳しい顔をしている。

 うなるような太鼓の音が聞こえた。塔の中から王弟殿下が現れ、司祭に付き添われてゆっくりと芝生を横切るのが見えた。木製の壇の中央に断頭台が据えられ、黒い頭巾をかぶった処刑人が待ちかまえている。

 処刑台に進み出た王弟殿下は、広場にかけつけた市民の歓声に宮殿のバルコニーから応えるときのように、処刑場に押し寄せ息を呑み沈黙する市民を見渡した。彼の表情はこの日の青空のように一点の曇りもなかった。恐怖も不安も迷いも未練も後悔も、なにひとつ見当たらなかった。彼の全身から、本懐を遂げ、勝利し、心から満足した者しか持ちえないはずの清々しさが放たれていた。

 しかし、王弟殿下はしくじった。彼は王位簒奪を失敗した。彼は敗れた。だから彼は国王陛下の慈悲を受けられる。


 私は玉座に座る国王陛下を見た。普段どおりのご様子に見えた。威厳に満ち、冷静で、落ち着き払っている。あのご様子なら王弟殿下に恩赦をお与えになるに違いない。実の弟君を本当に処刑するおつもりなら、あれほど平然と落ち着いていられるはずがない。濁流の中で藁のかけらにすがりつくように、私は自分に言い聞かせた。

 王弟殿下は処刑台の上でみずから上着を脱いだ。それから前に進み出て、辞世の句を述べた。彼の声は私のところまで聞こえなかったが、構わない。どうせ恩赦が与えられるのだ。私の視線は国王陛下に釘付けだった。彼が進み出て、王弟殿下に恩赦を授けるのを今か今かと待っていた。


 朝日を浴びて処刑台に立つあの御方は、この国の王子で、王の実の弟だ。

 馬上槍試合では好敵手で、先の戦争では共に戦った戦友で、共に酒を酌み交わし賭け事に興じる悪友で、生まれたときから共に生きてきた親友で、血を分けあった唯一無二の兄弟だ。

 国王陛下は王弟殿下を衆人の面前で懲らしめ、それから赦しをお与えになるのだ。国王陛下は大変厳格な御方だけれど、同じくらい慈悲深くお優しい。あれほど仲の良いご兄弟なのだもの。必ず恩赦をお与えになるはずよ。


 そうに決まっている。

 そうでしょう?


 処刑台に立つ王弟殿下が贖罪司祭のほうを向いた。頭を垂れ、最期の祝福を受け、数珠飾りに口付けた。私は長い袖に手を隠し、苛立たしく指を鳴らした。


 陛下、早く。

 殿下に恩赦を。早く。陛下!


 年若い従僕の一人が進み出て、王弟殿下に目隠しをし、藁の上にひざまずくのに手を貸した。殿下はなめらかな動作で両膝をつき、両手で断頭台をそっとつかんだ。従僕が下がり、殿下はひとりになった。しおれ垂れるトウモロコシの穂のように、処刑台を取り囲む群衆が一斉にひざまずいた。私は立ったまま、彼らの頭越しに王弟殿下を見つめた。

 私は国王陛下を見た。処刑台に立つ謀反人と同じ(かんばせ)を。

 いま中断しなければ間に合わない。しかし、彼は椅子にじっと座ったまま、大聖堂の大理石の彫像のように微動だにしなかった。陛下の顔に怒りも憎しみも喜びも安堵もなく、石膏で固めた死相のように静かに凪いでいた。再び断頭台に目をやると、王弟殿下は蝋引きされた木に額を押しあて、顔を伏せて両腕を大きく開いた。


 了解の合図だ。

 剣を振り下ろしてもいいという合図。


 執行人が剣を振り上げた。磨き抜かれた刃に太陽の光がきらめいた。

 もう一度太鼓が打ち鳴らされ、不意にやんだ。稲光のように剣が振り下ろされた。薪を割るようなごく当たり前の音が、ただ一度だけ処刑場に響いた。

 王弟殿下の頭が藁の上に転がった。切り株のような首から血が噴き出した。黒い頭巾をかぶった処刑人は血が滴る剣を脇に置き、豊かな巻き毛をつかんで首を高々と掲げた。額から鼻まで黒い眼隠しに覆われ、端整な口元に最期の満ち足りた笑みを浮かべた首を。


 それに一瞥を与えると、国王陛下は退屈な芝居から退席するようにゆっくり立ち上がった。

 驚愕と失望と喪失の短い沈黙ののち、処刑場は茫然となった群衆の亡霊のようなさざめきに包まれた。私はひとりで門を抜け、塔のまわりで騒然とする群衆をやみくもに掻き分け船着き場にたどりついた。顔見知りの侍女たちが何人かいた。彼女たちは私を認めると、溺死しかけた者を陸に引き上げるように引き寄せ、力なく抱き締めた。私たちは川をさかのぼり宮殿に戻るため屋形船に乗り込んだ。むせび泣く女たちの中で、私の頬はすでに冷たく乾いていた。


 川の水面は春の青空を映し、陽射しを浴びてきらきらと輝いていた。

 あれはたしか数年前の春だっただろうか。宮殿の川辺で国王陛下と王弟殿下がお二人で散歩をされていた。あのとき、お二人は楽しそうに笑っていらしたのだ。誰も入り込めない、何人(なんびと)たりとも傷つけることを許されない、お二人だけの信頼と安らぎと愛情の微笑みだった。


 あぁ、そうか。だからだ。私は不意に悟った。

 王弟殿下は、すべての臣民の目の前で死ななければならなかったのだ。

 国王陛下は、私たちの目の前で彼を処刑しなければならなかったのだ。

 誰よりも愛し、信じ、裏切り、傷つけた者の、たった一人の船出を知らしめるために。

診断メーカー「3つの単語お題ったー」でピックアップされたキーワードで書きました。

初掲載:https://twitter.com/RainyRhythm27/status/1279084229029027841

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ