世相・その4
2094年1月1日
ネットを見ていると、労働時間の変遷について書かれたサイトがあった。
それによると、前世紀の高度成長時代のころは、土曜の午後と日曜日が休みという会社が多かったらしい。その後、月一回土曜も休みとか、隔週二日休みとか、月三回土曜も休みといった会社が増えていき、やがて、一日八時間労働で週休二日というのが一般的になった。法律上も、所定労働時間は週四十時間と定められていた。
で、今は……。正社員の所定労働時間は、一般的には週四十時間のところが多いようだけど、法律上は週四十六時間。残業代込みのみなし残業制に至っては、週六十時間以内となっている。つまり、法律上、正社員の所定労働時間は増えていることになる。
ただし、給与所得のある人のうち、正社員は四人に一人。女性に限定すれば十人に一人以下。新卒だと男女の差はほとんどないのだけど、三十代以上だとそれぐらいになる。
で、二十年ほど前に登場した「準社員」という制度。「正規雇用」か「非正規雇用」かというと「正規雇用」に分類されるが、労働時間も給料も正社員より少ない。法律上は週三十六時間の所定労働時間で、給料は正社員の七割以上と決められている。一般的には、労働時間も給料も正社員の七割という企業が多い。
で、海外との比較などで賃金比較をするときには、正社員の平均賃金を持ち出す。平均賃金というのは、高額の人も安い給料の人も合計してから人数割りするから、中央値よりかなり高い金額になる。労働者全体でいえば、「平均賃金」かそれより多い給料を得ている人は、二割ぐらいしかいない。女性に限定すれば三パーセントぐらいだという。
で、労働時間を海外と比較するときは、準社員も含めて計算する。準社員のほうが正社員より人数が多いから、「正規雇用で働いている人の平均労働時間は、残業などをのぞいて、三十三時間」という計算になるのだという。
なんだかなあ。こういう数値の欺瞞を指摘しているサイトは、別件で、ほかにもあった。
税金とか社会保険料って、収入による保険料の額を示すとき、公的機関では金額ベースで表示する。すると、高額所得者ほどたくさん払っているように見える。でも、収入に対する税金や保険料の割合で見ると、高額所得者ほど割合が少ないんだ。所得税、住民税、健康保険税、年金保険税、介護保険税のどれもがそう。もちろん、非課税世帯は別だけど。
たとえば、二十歳から六十歳までの介護保険税の場合だと、年間所得がわたしの百倍の人は、来年の徴収額がわたしの十倍。年間所得がわたしの千倍の人でも、一万倍の人でも、そこは同じ。徴収額に上限が定められているからだ。
それなのにね。「高額所得者だからといって、年金が多いわけではない」と、年金額と所得との関係を強調しているサイトがあったりする。徴収額に上限が定められていることを隠しているわけではなく、いちおう触れてはいるんだけど、それはさらっと書いて、もらえる年金の額に上限があるということを強調して書いている。
なんだか腹が立った。けど、よく考えてみれば、これ書いた人、ほんとうは、徴収額に上限があるということを書きたかったのかもね。でも、それをメインに書いたら上のほうの人に睨まれちゃうから、もらえる年金の額に上限があるということを強調したような書き方をしたのかもね。読んだ人が、徴収額に上限があるということに気づくのを期待しながら。
だって、わたしは気がついたもんね。社会人歴の長い人たちは、わたしよりもっと世慣れているだろうから、わたしが気づいたことぐらい、気がつくよね。そう思うことにしよう。
2094年1月2日
今日も、ネットを見ていて、いろいろ考えることが多かった。その一つが、不況と暗い世相との関係だ。不況など、経済的な不安が多い時代には、やはり人心が殺伐とするのか、八つ当たりしたくなるのか、いじめによる自殺や事件が多くなるというのである。
そういえば、九月から十月まで仮配属されていたN営業所、めちゃくちゃ人間関係が悪かったけど、ずっとそんなふうだったというわけではないと聞いたな。
あそこにいたとき、古参の人たちが話しているのをちらっと耳に挟んだのだけど、N営業所ができてあまり経ってない頃、つまり十年ぐらい前、準社員やパートの人たちも安心して働ける職場を目指している人が所長をしていて、みんな助け合って仕事をしているという雰囲気だったんだそうだ。でも、三年ほど前に人事異動で今の所長になってから、雰囲気が険悪になったらしい。
トップに立つ人がえこひいきをするタイプで、気に入らない部下をどんどん辞めさせていこうとする態度をとれば、保身術として、同僚の評価を下げることによって相対的に自分の評価を高めようとする人が多くなる。そういう保身術に長けた人が残り、そういうのが苦手な人が退職していけば、人間関係の険悪な職場になっていくだろう。
これはN営業所だけではない。この会社全体、いや社会全体にそういう傾向がある。ただ、雇用が不安定な非正規従業員の多い職場では、その傾向が強くなるようだ。
社会全体で見れば、従業員同士のライバル意識とか蹴落とし合いは昔からあったのだろうけど、不景気で、雇用が不安定で、再就職に苦労する時代には、そういう傾向が強くなる。そういうことなんだろうな。
2094年1月3日
「そういえば、忘年会の二次会のとき職場でいやなこと言ってるやつがいてさ」
朝食食べながら、兄貴が気になることを言い出した。
「だいぶん前だけど、散歩中のお年寄りが少年三人に殴り殺されるという事件があっただろ? なんかの話のはずみでその事件のこと持ち出してさ、『そういうんで年寄りが減ったら、そのぶん、俺らの年金保険料やら介護保険料やらの負担が減るから、まあいいんじゃない』って言ったんだ」
「なに、それ?」
わたしも驚いたけど、母がそれ以上に怒り出した。
「あんたの会社って、そういう人多いの?」
「まさか。同調しているやつがひとりいたけど、ほかはみんな引いてたよ。とくに女性陣はね。まあ、そいつも、まさか、しらふでならそんなこと言わないだろ。かなり酔ってたし」
「つまり、しらふでなら言わない本音を酔って口に出したってことよね?」
母に追及されて、兄貴はたじろいだ。
「どうだろね。ブラックジョークのつもりだか、隠された本音かはよくわからないな。まあ、そいつ、日頃から弱者切り捨てみたいなところがあるやつだったから、本音かもね」
「だとしたらいやな人ね。ブラックジョークだとしても、趣味が悪すぎるわ」
「まあね。俺もちょっと苦手。いくら酔っていたにしても、そういう、人の命を何だと思ってるんだというようなこと言ってるのを聞くと、いやな気分がする。最近、そういうのが多い気がするんだよな」
「年齢とか、立場が弱いとか、そういうので人の命を軽んじる風潮だな」と、ずっと黙っていた父が口を開いた。
「そういう風潮は確かにあるな。しばらく前に市営住宅の担当者から聞いた話だがね。隣人がうるさいと文句を言ってくる人がいたというんだ。その人は、他人の生活音などでよく苦情を言ってくる人なので、初めは聞き流していたのだが、聞いてると、どすんと大きな音がして叫び声が聞こえてうるさいと言うんだな。で、その担当者がもしやと思って行ってみると、隣室のおばあさんが転んで骨折して助けを求めていたというんだ。驚いて救急車を呼ぶあいだにも、うるさいと何度もどなっていたらしい」
うーん。その種の話はわたしもときどき耳にするなあ。自転車事故で相手をケガさせたという人が、「身寄りのない失業者でよかったよ」などと言っている会話を耳にはさんだこともあったし。
まあ、高額所得者を負傷させると莫大な休業補償を請求されるとか、クレーマー体質の身内のいる人をケガさせると高額の慰謝料を請求されるとか、そういう心配があって出たセリフだろうとは思うけどね。
でも、なんだかなあ。いやな気分がした。立場の弱い人の命は軽いと思ってる感じがする。まあ、歴史上、身分制度のある社会ではいつの時代もそういう風潮があったようだというのは知っているけど。民主主義や基本的人権という考え方が定着した現代で、何でよと思う。やっぱり、不況で暗い時代だから、人の心がすさんでいるのかな。