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暗い近未来人の日記  作者: 立川みどり
営業所
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営業所・その6

二〇九三年九月十五日


 今日から一週間は、店舗部門の中でも飲食エリア。とはいっても、調理とかは素人には無理だから、一日ほとんど皿洗い。中腰作業になるから、腰が痛い。学生のとき何度かやった単発のバイトを思い出すなあ。

 ていねいに洗っていると「遅い」と叱られるのも、学生バイトのときに経験している。ベテランは洗うのが早いけど、きれいに洗えているかというと、必ずしもそういうことはない。ここでも、洗った食器に食べかすとかついていても洗いなおさず、布巾で拭いて片づけ、その布巾で別の食器を拭いたりしている。

 そういう不衛生なことをしているのに、洗い物をしている最中の流し台付近が雑然としていて汚いと文句を言われたりもした。洗い物が終わった後じゃなくて、洗い物をしている最中に。これから洗う食器がたくさんあるのだから、雑然としているのはあたりまえなのに。

 不衛生なのは気にならなくても、見た目が雑然としているのは気になるんだ。なんか、そういうの、理解しがたい。

 いや、べつに悪い人じゃないんだけど。親切なところもある人なんだけど。でも、こういうのは理解しがたい。



二〇九三年九月十七日


 今日から三日間、「お預かりルーム」の仕事を手伝うように言われた。

 「お預かりルーム」というのは、お客さんが買い物や食事に専念できるように、ペットや乳幼児やお年寄りを預かる部屋だ。そういうサービスがあるなんて、今まで知らなかった。

 ペットというのはわかるけど。乳幼児というのも、まあ、わからなくはないけど。お年寄り? いっしょに食事や買い物をしないの?

 けげんに思いながら受けたレクチャーによると、当初は、「買い物や食事にペットを連れていきたい」というお客さんと、「飲食するところに動物がいるなんて不衛生で不愉快」というお客さんの両方の要望に応えるため、会議などに使っていた小部屋で、予約制で有料のペット預かりサービスを始めたのだという。

 すると、そのうち、「小さな子供も、泣いたり騒いだりすると周囲の人に白い目で見られるから、預かってほしい」というお客さんの声があり、乳幼児も預かるようになったとか。

 さらにしばらくすると、「子供を預かるのなら、要介護のお年寄りも」という声が上がり、お年寄りも預かることになったのだという。

 利用対象がお年寄りにまで拡大した背景には、介護保険を利用しようにも、自己負担の金額が高すぎて、利用しにくいという理由があるらしい。定期的にヘルパーさんや施設を利用するのは厳しいが、突発的に短時間利用するのなら、庶民にも利用しやすいということらしい。

 たしかに介護保険、保険料は低収入の人からでも容赦なく取り立てるけど、いざそれを利用するという段になると、あるていど余裕のある階層でないと厳しいというのは、社会問題になっている。

 たとえば、八十代以上で要介護状態の人が利用している介護保険の公的負担予想額と、その人が退職するまでに払った介護保険料を比べると、生涯賃金一億円未満の人では介護保険料のほうが高く、生涯賃金二億円の人ではその逆になるんだそうだ。

 生涯賃金二億円というのは、政府がこういう試算をするときのモデルケース。実際には、現代の日本の人口の八割以上が二億円未満で、五割近くが一億円未満なのだそうだ。まあ、そのなかには、配偶者が高給取りという人も多少は含まれるみたいだけど。

 話はそれたが、まあ、そんなわけで、介護保険のサービスを定期的に利用するのは、一般庶民にはちょっとつらい。でも、うちの会社みたいな臨時のサービスなら、公的扶助がないぶん単価が高くなっても、気軽に利用できるということらしい。

 なんだか、わかったような、わからないような……。保険のきかない民間のサービスのほうが利用しやすいのに、保険料はきっちり徴収されるなんて、介護保険って何なのよ? 

 まあ、それはともかく、気になるのは……。

「あのう、そういうのって、資格のある人でないとだめなのでは?」

「ああ、大丈夫よ。資格のある人がひとりでもいれば、いっしょに働く人は、資格がなくても、未経験でもいいの。あなたでも充分お手伝いできるわ」

 そう言われて、ものすごく不安になってきた。こういうサービスを安く提供できるのは、ひょっとして、いいかげんなことをしているから?

 びくびくしながら、言われた部屋に行くと、カーペットを敷いた四メートル四方ほどの部屋に、車椅子のおばあさんがひとりと、這い這いをしている赤ちゃんと、走り回っている二歳児ぐらいの子供と、ケージに入った犬が一匹いた。

 スタッフは、わたしのほかに女性がふたり。わりとのどかそう……と思っていたら、お年寄りも、子供も、ペットも増えていく。そうなると狭いうえ、なかには、口汚く文句を言うお年寄り、駄々をこねる子供、吠える犬などもいて、耳を塞ぎたくなりそうなほど騒々しくなった。

 しかも、家族が食事をするあいだの利用となれば、当然ながら、人間も動物も食事をする。たいていは提供するだけでいいのだけど、赤ん坊だとミルクを飲ませなければいけないし、なかには、食事介助の必要なお年寄りもいる。さらには、うんちをする赤ちゃんとか、「トイレ」という子供やお年寄りも。

 スタッフも利用者も、増えたり、減ったり、入れ替わったりする。そのなかで、正社員は時々ようすを見に出入りする男性ひとりと聞いて驚いた。準社員さえおらず、あとは、免許を持っている人も持っていない人も、パートタイマーと有償ボランティアなのだという。

 有償ボランティア?

 そんなの初めて聞く……と思っていたら、その有償ボランティアのひとり、高坂さんという人が内情を教えてくれた。

 育児や介護を伴う職場ではボランティアを募ることが認められているが、無償でボランティアをする余裕のある人はめったにいないし、いても、気が向いたときに来てもらうという形になってしまう。パートタイマーと同じようにシフトに従って働くボランティア……というので、有償ボランティアという制度ができたらしい。

 パートタイマーと違って、労働基準法や最低賃金法の枠外なので、給料は安い。なんと、いまどき時給七百円なのだという。

 最低賃金の六割ぐらいで、社会保険もないけど、いちおう「ボランティア」なので、法律には触れないらしい。けれでも、拘束はパートタイマーと同じで、急病でもないのに急に休んだりしては困ると言われたらしい。

「ほんとはパートの面接に来たんだけどね。パートは不採用で、有償ボランティアなら受け入れると言われて、不採用つづきのあとだったから不安になって、やむなくね」

 このお預かりルームでは、週二日の人から週五日の人まで、五人の女性が働いているのだけど、その全員が有償ボランティアなのだという。

 なんだかひどくない?



二〇九三年九月十九日


 仕事が終わって帰ろうとしたとき、有償ボランティアの高坂さんと矢野さんが深刻な表情で話し込んでいるのが目に入った。

 どうしたのかな? 何があったのか聞いてもいいのかな?

 迷っていると、ふたりが気づいて声をかけてきた。

「きょう、それぞれ室長に呼ばれてね」

「もう、げっそり」

 室長というのは、このお預かりルーム唯一の正社員の人だ。短時間しか顔を出さないので、あまり記憶に残っていない。

「体重の重い人のトイレ介助とかできないというので、いろいろ言われた」

「できるようにならなければ、介助スタッフじゃなくて補助スタッフになるので、給料下げるぞ、って」

 驚いた。

「給料下げるって? 時給七百円よりも、まだ?」

「そう。補助スタッフは本来なら無償のボランティアだけど、お情けで時給五百円だって。それがいやなら、全員のトイレ介助をひとりでできるようになれって」

「全員って……。けっこう体重ありそうな人いましたよね」

「うん。まあ、重くても、自分で立てる人はいいんだけどね。自分で立てる人のほうが多いんだけどね。それはいつもやってるし。自分で立てない人のうち、あるていど体重の重い人は、鮫川さんや杉田さんがやってるんだけど」

 鮫川さんと杉田さんというのは、男性のパートタイマーだ。鮫川さんは週五日、杉田さんは週四日勤務なので、朝のスタート時や交替でとる休憩時間を別にすると、たいていどちらかはいる。

「今のままだとふたりの負担が大きいからダメだというの」

「負担が大きい? ふたりとも、座って何かしていること多いじゃないですか。女性たちはほとんど立ちっぱなしで働いているのに」

「でしょ? わかってくれる?」

「そもそも、室長が言い出したのって、あのふたりの差し金なのよ」

 高坂さんと矢野さんが口々に言い募った。

「わたしらの給料を下げて、自分たちの給料を引き上げたいわけ」

「で、自分たちは仕事をせず、指図だけしたいわけ」

 鮫川さんと杉田さんにはあまりいい印象を持っていなかったんだけど、そんなひどい人たちだったとは。

「まあ、立てない人を移乗させたりするのには、いちおうコツとかあるんだけどね。でも、そういうテクニックを使っても、やっぱり腕力とか筋力とかの限界があるわけよ」

「前の室長は、それは仕方がないからいいって言ってたんだけどね。力のある人にやってもらえばいいって。今の室長も、はじめはそんな感じだったんだけど、半年ほど前に鮫川さんと杉田さんが入ってから、ふたりの影響受けて、きつい人になってきて……」

 そう言ってから、矢野さんが声をひそめた。

「ここだけの話で、憶測なんだけどね。鮫川さんって、『押す人』じゃないかと思うんだけど」

 え? ここにも『押す人』がいるの?

 驚いていると、高坂さんがあっさり否定した。

「また、またあ。それって、かなり昔の都市伝説じゃないですかあ。人の心を操って、世界を征服しようとするとか……」

「いや、世界征服の陰謀がどうとかいうのは、そりゃあ、都市伝説だと思うよ。鮫川さんがそんなすごい超能力者なら、こういうとこで最低賃金よりはちょっと高いという程度の時給で働いてたりしないと思うよ」

 そりゃ、まあ、そうだ。

「でもね、自分が得するように人の心をちょっと操るという程度の『押す人』は、現実にいると思うの。口がうまいとか、そういう論理的な説明だけでは推し量れないような人をいままで何人か見てきてね。鮫川さんはそういう感じがするのよ。杉田さんは、鮫川さんに乗っかっているだけで、室長を操ったりはしていないようだけど」

「うーん。たしかに、室長、なんであんなに鮫川さんの言いなりなんだろうとは思いますけど」

「でしょう? まあ、以前に一年ほど働いていたデイサービスでも、腕力のある男ふたりがつるんで威張っていて、思いやりがなくても、雑用とか人に押し付けてやらなくても、腕力のいる仕事ができれば『仕事ができる人』ということになるという風潮はあったけどね。ベテランの人たちは、人手不足だからそれを許容しているという感じで、操られているわけではなさそうだった。鮫川さんは、そういうのともちょっと違うと思うんだけど」

 うーん、『押されない人』の田口さんやテレパスの一ノ瀬さんに、鮫川さんが『押す人』かどうか、見てもらいたいなあ。でも高坂さんや矢野さんに、田口さんや一ノ瀬さんのことを教えるわけにはいかないし。もし鮫川さんが『押す人』で、田口さんや一ノ瀬さんがそれを見抜いたとしても、ふたりにも、どうしようもないだろうし。

 まあ、鮫川さんが『押す人』だったとしても、安い給料で働きながら、自分の給料アップのために人を陥れようとせこい悪巧みをめぐらす程度の小者。深くは考えないようにしよう。わたしにもどうしようもないし。




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