タイムカプセル課・その1
超不況の21世紀末に生きる女性が日記を書いているという形式の「暗い近未来人の日記」。主人公が次に配属されたのはタイムカプセル課。やや長めの話なので2回に分けます。「その1」はタイムカプセル課の紹介みたいな感じで、「その2」でちょっとした事件が起こります。
二〇九三年五月二十六日
六月から配属される部署が決まった。クリエイティブ部のタイムカブセル課だ。
もともとクリエイティブ部の仕事をやりたくて入った会社だし、タイムカブセル課の仕事にも興味があった。
クリエイティブ部といえば、ついこのあいだフリーランスで下請けの仕事をしていた人が過労で倒れたばかりだ。下請けを安くこき使っているみたいで、問題はありそうだけど、でもやっぱり興味のある仕事のほうがいい。
それにタイムカブセル課は、下請けに依頼する仕事ってあまりなさそうだから、下請けいじめはないんじゃないかな。たぶん。
タイムカブセルといっても、カプセルに物を入れて地下に埋めるってわけじゃない。ネット上のタイムカブセルだ。
一定期間ののちに公表するという前提で文章や画像などのデータを預かり、その期間が経過したあと公表する。もしも請け負った会社が閉鎖や合併となる場合には、『カプセル』と呼ばれるデータファイルごと、別会社に事業が引き渡される。
最初に登場したのはたしか七十年ほど前だけど、しばらくはプロバイダー一社による小規模で知名度の低い事業だったらしい。
それが、口コミでじわじわ契約者が増えるにつれ、参入する企業数も増えていき、半世紀ほど前のブーム時には数十社にのぼったという。
そのころできた同業組合には、現在十二社が加盟している。オロファド社の規模は、たぶん、そのうちで下から三番目か四番目ぐらいだったと思う。
下から数えたほうが早い弱小会社だけど、それでも、盛んになった二一五〇年代頃のものから十年前のものまで、十万件以上の『カプセル』が公開されている。公開待ちのカプセル数は知らないけど、たぶん、その何倍かになるんじゃないかな。
公開されているのが十年前より古い『カプセル』ばかりなのは、オロファド社の場合、待機期間が十年以上百年以下と決められているからだ。待機期間は会社によってさまざまだけど、おおむねこのぐらいの期間のところが多いようだ。
待機期間を終えた『カプセル』は、半年間無条件に公開されたのち、残すものと消去されるものが定期的に選別されるようになる。
『カプセル』の申込者が支払うのは、公開待ち期間の保管料金と半年間の公開料金だ。それ以降の費用は、閲覧者が支払う料金と広告料で賄われる。
そのため、カプセルを閲覧する料金は、半年間の無条件公開期間のものは無料だが、それを過ぎたものは有料となる。有料カプセルの閲覧料は、オロファド社では、一年契約、一ヶ月契約、閲覧ごとという三種類の支払い方法を選べるようになっている。
じつはわたしも、オロファド社のではないけれど、有料カプセルの利用をしたことが何度かある。学生時代、レポートや卒論の資料として使えるものがないか、のぞいてみたのだ。
その目的にかなうものはあまり見つからなかったけど、けっこうおもしろかった。
だから、今度の配属は楽しみだ。榊さんと離れられるのはもちろんうれしいけど、それだけじゃなくて、仕事そのものにわくわくしているんだ。
二〇九三年五月二十九日
けさ、会社に着いたとたん、榊さんが言った。
「天野さん、次の配属、タイムカプセル課だって?」
彼女の情報網にはいつも感心する。どこからこういう情報を仕入れるんだろう?
「よかったじゃない、あなたにぴったりのところに配属されて」
こちらの返事も待たずに榊さんが言葉を続けた。
「知ってるぅ? タイムカプセル課って、歴史の好きな人を希望してるんだって。やっぱり学のある人は違うねえ。そういう課に望まれるなんてねぇ」
榊さんがいやみっぽい言い方をしたけど、わたしはかえってタイムカプセル課に好感を持った。たぶん、それは、学歴とか知識というよりも、興味と適性の問題じゃないかと思ったからだ。
オロファド社でもほかの会社でも、タイムカプセル事業をアピールするポイントの一つとして、サイトで公開される『カプセル』が現代史の貴重な史料だという点を挙げている。
それはわたしも同感だ。閲覧者にとって、現在公開されている『カプセル』は貴重な史料だし、書き手にとっては、自分の残す『カプセル』がいつか貴重な史料になるだろうという魅力がある。
もちろんマスメディアが残す大量の記録に比べれば、個人が残す『カプセル』の記録なんて微々たるものかもしれないが、それでも、マスメディアを通さない一般人の生の声というのは、貴重な証言だと思う。
タイムカプセルサイトというのは、貴重な記録を未来に残すという意義を持っている。歴史に興味のある人なら、たぶんそう思っている人が多いんじゃないかな。
歴史に興味のある人を採りたいというのは、そういうことじゃないかと思う。
それと、タイムカプセルサイトの自サイト紹介ページには、よく「さまざまな角度からの証言を残したい」というような抱負が書かれている。オロファド社のサイトにもそういう主旨の一文があった。
たぶん、それも、歴史に興味のある人を採りたい理由の一つじゃないかな。
歴史をやっていれば、ものごとをさまざまな方向から捉えようとするようになると、わたしは思う。大学時代の友人たちを思い出してみても、歴史の好きな人には、自分の価値観や自分の属する集団の価値観を絶対的に正しいと決めつけるような、榊さんタイプの人は少なかったように思うんだ。たぶんね。
そういう意図もあって歴史系出身の人間を望んでくれているんだったらうれしいな。
註 主人公は四年制大学の史学科を卒業。榊さんは主人公と同期入社で、庶務課に配属された同僚。主人公の苦手なタイプの女性。
二〇一三年六月二日
今日からタイムカプセル課の仕事だ。
スタッフは、わたしを除いて四人。課長と田口さんと宇野さんと水口さん。田口さんは定年後も契約社員として仕事を続けている六十代の男性で、水口さんはその後継者として半年ほど前に配属された若い男性。課長は男性で、たぶん四十代か五十代前後。宇野さんは女性で、年齢はよくわからない。わたしよりだいぶん年上だけど、おばさんというほどじゃない。三十歳ぐらいかなと思うけど、もっと年上かも。
歴史に興味のある人を欲しいという希望を出したのは宇野さんだった。
今までに新人の研修で配属された人のなかには、自分の価値観を絶対的に正しいと思っていて、自分と異質な価値観で書かれた『カプセル』を受けつけない人が何人かいて困ったので、そういう条件を出したのだという。
「たとえば、集団いじめにあったという話の書かれた『カプセル』を読んで、「被害者意識が強い人の書いたものだから残す価値はない」と決めつけたり。そういう人がいたんだけど、タイムカプセル課のスタッフとしては困ると思ったのよね」
思わず頷いた。この会社に入ってはじめて、気の合う先輩に出会ったと思った。
「かといって、そういう人が独善的だとは思っていない管理職も多いから、『多面的なものの見方ができる人』なんて条件をつけても、たぶんわかってもらえないのよ。で、ああいう条件をつけてみたの」
「おれはあまり賛成じゃなかったんだがね」と、田口さんが口をはさんだ。
「それはそれで一種の固定観念だしな。思い込みの激しい歴史マニアなんて、いくらでもいるぞ」
それはまあ、そうかも。
宇野さんも頷いた。
「それはまあ、そうですけど、ほかにいいアイデアが思いつかなくて」
「まあ、宇野ちゃんは柳川くんに苦労していたからな」
宇野さんは大きく頷き、説明してくれた。
「柳川さんというのは、去年の九月と十月に配属された人でね。一般的には企業で受けのいい人だと思うけどね。社交的で積極的、要領がよくて、人付き合いが得意ってタイプだし。課長には気に入られてたんだけどね」
なんとなく榊さんを連想した。彼女は確かにそういうタイプだ。
「でも、自分と違う価値観とか、自分の価値観に反する事実とか、認めようとしない人でね。有料カプセルに残すのと残さないのを選り分けるときに、『こういう人、嫌い』と言ったり、『うそだ、こんな話、聞いたことない』と言ったり。で、そういう人を『信用できない』と決めつけて、有料カプセルとして残さないようにと主張するの」
ますます榊さんタイプのようだ。たぶん。
宇野さんの説明に田口さんが相槌を打った。
「それに宇野ちゃん、いじめられてたしなあ」
宇野さんは苦笑した。
「いじめられてたって言うのは変だけど。まあ、攻撃目標みたいにはされましたね。彼女にしてみれば、目の上のたんこぶみたいなものだったでしょうし。でも、まあ、それは私情だし。私情は仕事に持ち込みたくないですから」
「少しぐらいは持ち込んでもいいと思うよ。そりゃあ、嫌いな人間をリストラに追い込もうとするような輩は論外だがね。自分に意地悪ばかりする人といっしょに働きたくないというのは、それとは違うだろ?」
「まあね。そう言ってくれるのはうれしいですけど。それは課長にいうわけにはいきませんから」
そう言って、宇野さんはこちらを見た。
「ごめんね。あなたに関係ない話だよね」
「あ、いえ」
「誤解のないように言っておくけど、課長はいい人よ。ただ、わたしの考えをどうしてもわかってもらえなかったというか、要領がよくて根回し上手な人に甘いというか……」
「なんとなくわかります」
庶務課にも、課長をはじめ、そういう人が何人かいた。
「まあ、ともかく、今日と明日はうちの有料カプセルをいろいろ見ていて。その合間に何か仕事をお願いすることがあるかもしれないけど」
そう言われて、有料カプセルを堪能することができた。
確かに宇野さんが言ってたように、できるだけいろいろな角度からの証言を残そうとしているなと感じた。
たとえばひとつの政策についての意見なら、賛成派と反対派の両方を公平に取り上げているとか。
正社員と非正規社員の格差について書かれた『カプセル』なら、正社員との格差に憤慨している非正規社員が書いたものも、正社員や管理職の立場から書いたものもあれば、非正規社員のままで働きたいという感想のものもある。
それに、格差の内容も、会社によってずいぶん違うようだということもわかった。どう考えても正社員のほうが得という明確な階級差があるところも、正社員の負担が重いため、給与や安定性というメリットがあっても、どちらがいいかは一長一短という会社もあるみたいだ。
うちの会社はその中間じゃないかな。
給料などの待遇と負担を秤にかければ、完全に比例はしないと思う。やっぱり、管理職より平社員、正社員より準社員、準社員よりパートやバイトのほうが割に合わないと思うし、出来高性で働くフリーランサーはもっと悲惨だ。
でも、給料の高い人も低い人も負担がまったく同じとか、収入が少ない人のほうが負担が重いということは、さすがにないんじゃないかな。というか、ないと思いたい。
註 「準社員」は、この時代、法的に認められた制度。契約期間の定めはないが、勤務時間と初任給は正社員の七割(以上)。パートとの違いは、本人の選択ではなく、会社によって正社員と準社員に分けられる。主人公は準社員。
二〇一三年六月三日
今日も一日ほとんど有料カプセルを見ていた。
今日は時代の変遷をテーマにするつもりで閲覧した。
『タイムカプセル』が誕生したのは今世紀半ばだから、取り上げられている時代はそれ以降だと思っていたんだけど、違った。
長年サイトやブログに載せていた記事から抜粋して『カプセル』にまとめている人もいれば、過去を追想して書いている人もいる。
なかには、親や祖父母の記録を『カプセル』に収録していた人もいた。
タイムカプセル事業が誕生する以前から、個人的にネット上などで記録のタイムカプセルをつくろうとした人がいたようだ。
だから、今世紀前半からの記録が残されている『カプセル』はいくつもあったし、百年以上前の記録が収録されたカプセルさえあった。二十年以上前に当時六十代だった人が契約したカプセルで、その人のおばあさんや両親が若かったころ日記に書いたできごとやブログに載せていた記事が収録されていた。時代の変遷を彷彿とさせる記事を選んだというだけあって、わたしの今日のテーマにぴったり。とても興味深かった。
その人のおばあさんは、男女雇用機会均等法のなかった時代に就職し、結婚したとき、退職せざるを得ない雰囲気に押されるようにして退職した。それから子どもができるまでの一年ほどと、末っ子が小学校に入学してから十年あまりパートで働いたが、いずれも夫の扶養の範囲。五十歳近くなってリストラされたあと、次の仕事は見つからなかったという。
彼女が不本意ながらリタイアしたころには、正社員と非正規社員の区別が強くなり、正社員として採用された若者たちのなかに、自分は非正規社員より立場が上なのだという意識の強い者がよく見られるようになっていた。リストラされたのも、そういうタイプの青年ふたりが、彼女の勤めていた店で店長に気に入られてパートの人事権を握り、疎ましく思った中高年女性のパート何人かを若い女性と取り換えたいと画策したのが一因だった。
そのうちのひとりは、「おばさんを辞めさせて若い女性を入れたら、おれにも彼女ができるかもしれん」などと豪語していたという。
「若いころは『若いから』『女性だから』という理由で差別され、四十代では『年齢が高いから』『非正規社員だから』という理由で差別された」
正確な文章は忘れたが、おおむねそういう意味の一文をその女性は書き残した。
彼女の末っ子が『カプセル』の契約者のおかあさんで、母親がやむなく専業主婦になったのと同じころに就職した。正社員として就職できたものの、弱肉強食のムードが濃厚で、男女とも、気が強くて口の達者な人やそれに追従する人が派閥のようなグループを形成し、グループ同士が対立したかと思うと、団結して毛色の違う人間を排除しようとすることもあった。それに、同じグループ内の人どうしでも陰で悪口を言っていることもあれば、それにうかつに相槌を打った人が蔭口の張本人のように脚色されて当人に告げ口されていることもあった。
だれかの噂が出たときよく耳にするのは、「××は使えねえよ」「あいつ、辞めればいいのに」といった言葉だった。
その人たちの攻撃目標にされないよう、適当に調子を合わせながら働いていたが、子どもができたとわかったとき、迷ったすえに退職を決意した。いちど家庭に入ると再就職が難しくなるのはわかっていたが、職場の雰囲気に引きずられて自分も他人に攻撃的な気分になってしまいがちだという自覚があったので、それは子どものためによくないと考えたのだ。
彼女もまた、ひとり娘が小学校に入学したのを契機にパートで働こうとしたが、母親以上に苦労をしている。弱肉強食の風潮は母親の時代よりいちだんと強くなっていたのだ。
その人の姉、つまり『カプセル』契約者の伯母にあたる人は、ずっと独身で働き、三度転職しているが、ずいぶんひどいいじめを経験したそうだ。
とくに三度目の会社では、年齢による転職の難しさを考え、繰り返されるいじめに堪えていたら、いじめがどんどんエスカレートしていったあげく、五十九歳でリストラされてしまった。そのあとはパートの仕事しか見つからず、三十数年働いて貯めた貯金は年金受給年齢の七十歳までにほとんど使い果たし、年金額も少なかったので、晩年はかなり困窮していたという。
『カプセル』契約者本人は比較的仕事運がよく、若いころは職場いじめもリストラも経験したが、三十代半ばで就職した法律事務所では、パートで採用された数年後に正社員に昇格できた。だが、それと前後して夫がリストラされ、一年あまり夫を扶養していたということだ。
この人の『カプセル』には、彼女たち四人それぞれの仕事事情のほか、見聞したことや事件なども書かれていた。
全体として受けた印象では、働く人の待遇や職場環境は、悪化したり多少ましになったりを繰り返しながら、百年前より今のほうが悪くなっているという感じがした。年功序列や性差別が減っていったかわりに、弱肉強食の風潮が強まり、他人を蹴落とすのがうまい者が高い地位を得るという傾向が強くなっていったようにみえる。
彼女や、そのほか何人かの『カプセル』のなかには、いまでは死語となった言葉なんかも出ていて、そのなかには気になる単語もあった。
でも、もう眠いから、それは明日か、また別の機会に書くことにする。
二〇一三年六月四日
今日やった仕事は、ネットで送られてきた『カプセル』に目を通し、契約書と照合し、リストをつくり、確認の連絡を入れ……といった作業だった。
わたしの仕事はまだ少なくて、ひまな時間がときどきあり、そういうときにはタイムカプセル事業についての説明サイトを見たり、有料カプセルを見ることができた。
そうそう。昨日から気になっていた死語となっている言葉。『押す人』とか『プッシャー』っていうんだけど、使われている脈絡からすると、テレパスと反対の超能力者らしい。
テレパスというのは他人の感情や思考が読める人だけど、『押す人』というのは、自分の感情や思考を他人に送って、影響を与えることのできる人のこと。つまり、人の心を操れる人ということだ。
なんだか榊さんを連想した。
庶務課にいたとき、周囲の人たちがいつのまにか榊さんの信奉者という感じになっているのが不気味だった。
一種のマインドコントロールだな。宗教テロとか詐欺といった事件が起こったときにも、よく、マインドコントロールに長けた人が信奉者に犯罪を起こさせたって報道される。
そういうマインドコントロールって、口のうまい人が言葉を使ってやるものだと思っていたけど、そういう種類の超能力者がいると思われていた時期があったんだ。仮説だけど。
それが通称『押す人』、または『プッシャー』。ついに正式名称がつけられないまま、消えてしまった語だ。
この『押す人』『プッシャー』という言葉が使われていたころ、他人の心が読めるテレパスのことを『読む人』『リーダー』という言い方もあった。
『読む人』のほうは存在がはっきり事実として広まり、以前からSF小説などでよく使われていた『テレパス』の語で定着したのに、『押す人』のほうだけうやむやに消えてしまったのはなんだか不思議だ。
テレパスが実在するのだから、『押す人』だって実際にいそうな気がするけど。
もしもそういう超能力が存在しなかったとしても、存在しないという証明があるわけじゃないのだから、噂や呼び名は残ると思うんだけど。
なぜ、どういう経過で使われなくなったんだろう?
二〇九三年六月五日
昨日の続きみたいになるけど、いつのまにか死語になった気になる言葉がもうひとつある。『押す人』とちょっと関係ありそうな語で、『ハダカの王様症候群』。どうも、『押す人』がすたれかけたころによく使われるようになり、『押す人』よりあとまで使われていたけれど、いつのまにか消えてしまったようだ。
こちらは『押す人』とは逆に、マインドコントロールされる人間の心理。アンデルセン童話の「ハダカの王様」で、詐欺師の仕立屋に騙されて、実際には存在しない服を愚か者には見えない服だと思いこみ、見えているふりをする人たちの心理だ。
たしかに、それに似た心理はあると思う。
庶務課にいたときとか、中学校で雰囲気の悪いクラスにいたときを振り返ると、そう思う。
周囲の目を気にしてマインドコントロールされてしまう者の心理というのは、たしかにあると思うんだけど……。『押す人』という言葉が消えていく時期と、『ハダカの王様症候群』という言葉が流行った時期が重なったというところが、ちょっとひっかかる。
想像だけど、『押す人』という超能力者の噂に『ハダカの王様症候群』という説明がつけられ、『ハダカの王様症候群』が流行語になるにつれて、「超能力かと思えたのは、じつはマインドコントロールされる側の心理だったのさ」というので、『押す人』という語が消えていったんじゃないかな。
もしもそうなら、『押す人』の噂を消すために『ハダカの王様症候群』という語が意図的に流されたという可能性はないか?
もしも『押す人』が実在していて、自分たちの存在を隠したいと思ったら、そういう手段を採るんじゃないか? 『押す人』ならそれは可能だ。
まさかとは思うけど。
実際には、都市伝説の一種みたいな噂が合理的な説明で否定されたというだけの話なのかもしれないけど。
でも、なんだか気になる。
二〇九三年六月十日
今日、宇野さんと外でランチしていたとき、ちょっとショックな会話を耳にはさんだ。
隣のテーブルで、どこか近くの会社の人たちらしいグループが食事していて、そのなかに、なんだか榊さんを彷彿とさせるテンションの高い女性がいたんだけど……。
だれそれは使えないだの、だれそれの給料を減らして自分の給料アップしてほしいだの、だれそれは自分に反論したから頭がおかしいだの、聞いているだけで気分が悪くなってくるような熱弁をふるったあと、自分の自慢話になったところで、こう言ったんだ。
「わたし、高校卒業したあと、就職に有利なように二年制のビジネス・スクールに進んだけど、ずっと学問に打ち込んでいても平気なくらい親が金持ちだったら、大学に行ったな。歴史が好きで、西洋史の勉強したかったんだ」
ショックだった。
もちろん、歴史の好きな人はみんないい人だなんて、思っていたわけじゃない。でも、一つの価値観しか認めないというタイプの人はあまりいないと思ってた。なのに、自分と違う考えの人は頭がおかしいなんて自信たっぷりに言い切った人が、歴史好きだなんて……。
就職できなくても平気なら、という条件付きのところが、わたしや大学時代の友だちとは違うけど。わたしも含めて、そんなに親が金持ちの人なんていなかったし。四回生のときには、みんな就職活動に必死だったし。
そういうことを考えると、あの人が特殊だっただけかもしれないけど。
でも、歴史をやっていれば多角的な考え方をするようになると思っていたのがわたしの思い込みで、こういう人もたくさんいるのかも……。
よく考えてみれば、歴史の研究家には、自分の仮説が絶対正しいと信じていて、ほかの説は受け付けない人だってけっこういるみたいだしね。学閥によって説が分かれるとか聞いたことあるし、卒論のとき読んだトトカッパ文明についての本にも、そういうの何冊かあったし……。
歴史好きだから偏見が少ないだろうという理由でタイムカプセル課に迎えられた身としては、なんか複雑だ。
そう思ってたら、宇野さんも同じようなことを感じたらしい。店を出た後でぼそっと言った。
「こういう人にはうちに来てほしくないって典型みたいな人が歴史好きなんてねえ。あの条件、運が悪ければ裏目に出たかもね。来てくれたのが天野さんでよかったよ。ああいう人じゃなくて、ほんとによかった」
そう言われて、へこんでいた気分がちょっと浮上した。そう思ってもらえるのは、やっぱりうれしいな。