新入社員
超不況の21世紀末に生きる女性が日記を書いているという形式の「暗い近未来人の日記」。今回は、主人公が新入社員としてスタートする話です。近未来なので、現代とは異なる雇用システムがあったりします。
二〇九六年四月一日
今日から本格的に社会人だ。このあいだのはまだアルバイトだったもんね。
ちょっと不愉快な体験もしたけど、気を取り直してがんばることにしよう。
とはいっても、今日から三日間は新人研修だ。
で、今日やっていたのは、おじぎのしかたとか、あいさつのしかたとか。おじぎの角度がどうだの、声が小さいだの、敬語の使い方がどうだの、いろいろ注意された。
正直いって、おもしろくなかった。同期には、「こういうのってだいじだから」と言っている人もいたけど、わたしにはどうしてもこれがだいじだとは思えない。もちろん、そんなこと、口に出して言ったりしなかったけどね。
こういうのはだいじって世界でこれから働かなくちゃいけないのかと思うと、ちょっと憂鬱だ。
二〇九六年四月三日
きょうの研修のひとつは、新人教育を専門の仕事にしている女の人の講義だった。
ひどく「オンナ」というムードをぷんぷんさせているのに、本人は、「わたしは、男の人に、よく『男性的だね』とか『男性のような考え方をするね』と言われます」と言っていた。
それでいて、男女平等という考えはないようで、「女性はやはり、女性ならではの気遣いで男性を支えるという気持ちがなければいけません」などと言う。
ひどく矛盾しているようだけど、この人のなかでは矛盾していないのかもしれない。考えてみれば、この人、性差別意識を持っているという点では、たしかに男性の考えに近いわけだし。ただ、自分を、性差別によって差別される立場としてではなく、男性といっしょに自分以外の女性を差別していい立場と認識しているだけで。
たぶん、「わたしは男の人の気持ちがよくわかるの」を売りにして男性におもねり、性差別意識の強い男性たちといっしょに大多数の同性を見下したり批判したりして、そういう男性たちに引き立てられて出世してきたのだろう。
で、思わず連想したのが、就職活動をしていたときに就職情報サイトなどで読んだ、高い地位について活躍している女性たちのエッセイだ。
そういうエッセイのいくつかで、同性に対する強烈なエリート意識を感じたことが何度かあった。ひょっとすると、同性に対してというより、無職の人や低収入の個人事業者、非正規社員や準社員など、自分より社会的に弱い立場にいる人々に対する優越感なのかもしれないけど。
もちろん、社会で活躍中の女性全部がそんなエリート意識をぷんぷん漂わせているってわけじゃない。そうじゃない人の書いたエッセイだっていくつもあった。男性だって性差別意識のほとんどない人はいくらもいるし、社会的に成功していて傲慢じゃない人だってたくさんいるだろうし。
ただ、自分の社会的地位が高くなったとき、相対的にみて自分より弱い人を見下すようになる人ってのは、いるもんだなあと思った。もちろん、それは女性に限らないだろう。社会的地位の高い人が多いぶん、どちらかというと男性のほうがそういう人は多いかもしれない。
きょうの講師も、そういうタイプの人なんだろう。
ま、それはともかく。
きょうの講師、自分のことを「女性ならではの気遣いができる女性」と認識しているようだけど、その気遣いの内容ってのがねえ。
「たとえば、わたしはタバコを吸います。でも、喫煙自由の喫茶店などでタバコの苦手な人と同席したときには、灰皿をその人から離して置きます。たとえば、十日ほど前にも、取引先の男性と喫茶店に入ってカウンター席に座ったとき、わたしは、その人の隣ではなく、ひとつ空けた席に座り、彼と反対側に灰皿を置きました。あなたがたも、社会人となったからには、そういう配慮ができるようにならなければなりません」
それを聞いて、思わず「あっ」と声を上げそうになった。叫ばなかったけど。
この講師、十日ほど前、りいちゃんと喫茶店に入ってカウンター席に座ったとき、わたしの右隣に座った人だ。
髪型とか声とか、あの不愉快な女と似ているなとは思っていたけど、同一人物だというのはそのとき初めて気がついた。わたし、人の顔を覚えるのって苦手だし。
その女、初めはわたしの隣じゃなく、さらにその隣に座ってたんだけど、連れの若い男性に「あなたはタバコが苦手だったわね」と言って、わざわざわたしの隣に移り、タバコを吸いはじめたのだ。しかも、自分とわたしの間に灰皿を置き、そこに煙の出ているタバコを置いて、連れに「灰皿がこれだけ離れていれば平気よね」なんてほざいたのだ。
連れにそういう配慮をするなら、行きずりの見知らぬ人間にも、「タバコ吸っていいですか」ぐらい聞いてしかるべきでしょ?
なのに、彼女、わたしの隣に移るときにも、タバコを吸いはじめるときにも、わたしのすぐ斜め前に灰皿を置くときにも、わたしにはひとことも断らなかった。
それなのに、自分のことを「配慮ができる」と自慢する神経は理解に苦しむ。
要するに、仕事関係の男性には配慮しても、利害関係のない見知らぬ人間に配慮する必要を感じてはいないのだろう。もっとも、見ず知らずの相手でも、高そうなスーツを着た年配の紳士というふうな、社会的地位の高そうな人間に対してなら、まったく違う態度をとったんじゃないかと思うけどね。
こういう人って虫唾が走る。これなら、気が利かなくて「配慮の足りない人」のほうがずっとましだよ。
二〇九三年四月四日
今日から本格的に仕事に入るんだけど、配属とか、正社員か準社員かとか、全然聞かされていなかった。
で、けさ、会議室に集められて初めて説明された。
この会社、いくつかの業種を多角経営していることもあって、新人は、二ヶ月交替でいろんな部門をまわるんだそうだ。
で、その途中で正式な配属先が決まる人もいれば、一年ぐらい転々としつづける人もいる。
正式な配属が決まるまでは、試用期間みたいなものだと思ってほしいってことだった。もちろん、試用期間は三ヶ月以内って法律で決められているから、社員規定……っていうか、対外的には本採用なんだけどね。でも、事実上は試用期間で、転々としているうちにふるい落とされる人もいるようだ。
説明した人事課長は、
「どこの部署とも相性が悪くて辞めていく人も毎年ひとりかふたりはいるんですけどね」と、本人の意思で辞めたかのような言い方をしていたけど、本人の意思じゃないと思う。たぶんね。
ま、そういう身分だから、正社員として遇されるはずもなく、全員が準社員だ。
法律では、準社員の労働時間と基本給は同等のキャリアをもつ正社員の七割以上でなければならないとされている。
オロファド社の場合、準社員の所定労働時間は一日実働六時間で、初任給は十五万円。正社員は一日八時間労働で初任給が二十万円だから、労働時間も給料も、正社員の七割よりほんの少し多い計算になる。
ただし、労働時間六時間ってのは建前っぽい。法律では、正社員の所定労働時間は週四十五時間以内、準社員は週三十五時間以内って決められているから、残業手当が就くのは、残業と休日出勤とを合わせてそれ以上になったときなんだって。
しかも、残業手当の計算は一時間単位だという。つまり、一時間未満は切り捨てってわけだ。
そうすると、たとえば、週に三十五時間五十九分働いたとしても、五時間五十九分はサービス残業になってしまうわけだ。
なんだか釈然としないなあ。法律の労働時間の規定って、「ここまでサービス残業にしていい」という意味じゃないと思うんだけど。そもそも、みなし残業という名目のサービス残業が増えたから、「みなし残業の場合でも週四十五時間まで」という意味合いで週四十五時間制ができたって、本で読んだよ。それまでは、週四十時間が所定労働時間の上限で、それを超えたら残業手当を支払わなければならなかったって。週四十五時間労働ってのは、時代に逆行してるって。
まあ、でも、残業や休日出勤は全部サービスって会社もあるそうだから、オルファド社はそれに比べればましかなあ。
ま、それはともかくとして、わたしが五月末まで配属されることになったのは庶務課だ。庶務課には、わたしのほかにももうひとり新人が配属された。榊マリカさんって人だ。
榊さんは二月のバイトのときにもいたけど、配属された課が違っていたので、いっしょに仕事をしたことはない。何回かランチをいっしょに食べただけだ。
でも、陽気でよくしゃべる人だったので、印象に残っている。
「わたしって、末っ子で、甘やかされて育ったから、わがままで、目上の人に甘えるのが得意なのォ」
堂々とそう公言したので驚いたのも覚えている。
わたしも末っ子だけど、べつに甘やかされて育たなかったなあ。
いままで親しくしていた友だちにはいなかったタイプだ。わがままなのはともかく、目上の人に甘えるのが得意な人ってのは、ちょっと苦手かも……と思わないでもないけど、そういう色眼鏡でみるのはよそう。
自分でそう公言してるってことは、自分を客観視できるってことなんだろうし。
二〇九三年四月一〇日
わたし、榊さんって苦手かも。
以前に「わたしってわがまま」って言ってたのは、自分の性格を客観視しているのかと解釈していたけど、そうじゃなかった。「わたしはわがままでもいいのよ。あんたたちはそれに合わせなさいよ」という意味だったみたいだ。
同じ職場で働く人と険悪になるのは避けたいから、「ちょっとなあ」と思うことやムカッとすることがあっても、いいほうに解釈しようと努力してきたけど、それにも疲れてきちゃった。
たしかにまあ、最初の日は、明るくて愛想のいい人だと思ったよ。
上司や先輩のいないときに「疲れた~」と連発したり、やたらに話しかけてきたりするのはちょっと迷惑だったけど、それも「甘えっ子タイプの人はこういうものかも」と、いいほうにとった。
それに、「天野さんって天然~。わたしの好きなタイプかも~」と言われたときにも、いやだとは思ったけど、彼女なりに好意の表現なのだろうと、いいほうに受け止めた。
でもね、おとつい、「天野さんって天然~。わたしのほうがしっかりしてると思うわ。わたし、自分でもしっかりしてるって思うもの」と宣言してから、彼女の態度がひどくなった。
まるで、自分が上司でわたしが部下だとでも思っているかのような態度をとるんだ。
上司に「ふたりで協力してやっておくように」と言われて渡された仕事を、当然のように自分の好みで分けて、「わたしはこっちをやるから、天野さんはそっちをやってちょうだい」と指図したりとか。
少しやって飽きた根気仕事は、「わたし、こういうの苦手~。天野さんのほうが向いていると思うわ。はい」と、わたしに渡す。
逆に、おもしろそうだと思った仕事は、「こういうの、わたし、得意。わたしのほうが向いていると思うわっ!」。
まるで子どもみたいにわがままなんだけど、じゃあ子どもみたいに無邪気なのかというと、そうでもない。
たまりかねて言い返すと、「天野さんってきつい」とそこらじゅうで言いふらしたり、先輩に「わたし天野さんに嫌われちゃってるみたいですう」と聞こえよがしに相談したり。しかも、やりたくない仕事をわたしに押しつけたことはひと言も口に出さず、わたしの仕事に手出ししたことについてだけ「天野さんが遅いから手伝ってあげた」と言いふらしたり。
上司や先輩がそばにいるときといないときとで態度が豹変するし、なんだかわたしを陥れようと根回ししているようにも見える。
ずる賢くて、人として信用できない感じだ。
上司や先輩の目には、たぶん、明るくて社交的でかわいい性格と映っていそうだけど。
こんな人といっしょにやってかなくちゃいけないのか。憂鬱だなあ。
まあ、二ヶ月で配置換えになるとわかっているのが、せめてもの救いだけど。
二〇九三年四月一七日
きょう気がついたんだけど、この会社、会議室のひとつに奇妙な人たちがいる。何の仕事をするでもなし、ただ、携帯をいじっていたり、本を読んでいたり、雑談したりしているだけ。ま、それは、この会議室にいるあいだだけのことだけど。
好きなときに会社に来て、好きなときに帰っていくみたいで、部屋の入り口に置いたノートに出社と退社の時刻を書いている。
それに気がついたのは、たまたま第三会議室の前を通りかかったとき、呼び止められたからだ。
見たところ五十代か六十歳前後ぐらいの女性に手招きされ、部屋に入ると、みんないっせいにこちらを注目した。
「あの、わたし、朝からずっといるのに呼ばれないんだけど。今日、だれも呼ばれていないんだけど。何もないの?」
そう尋ねられたけど、話が見えなかった。
「は? あのう、だれかをお待ちなのでしょうか?」
今度は、相手が「は?」と言う番だった。
「あなた、わたしたちのことを聞かされていないの? ひょっとして新人さん?」
「はい」
「じゃあ、知らないかもね。わたしたちはフリーランサーよ」
「というと、ライターさんとか、イラストレーターさんとかですか?」
そういったクリエーター系の職種などでは、会社に雇われずにフリーランスとして仕事を請け負っている人がたくさんいるのは知っている。それにしては年齢の高い人が多いという気はしたけど。
はたして、その女性の答えは違った。
「そういう人はこういうところでずっと待機していたりしないわよ。自宅で待機するんじゃない? わたしたちは、事務のフリーランサーよ」
事務にフリーランサーがいるなんてはじめて聞くので、驚いた。
「入力でも、雑用でも、仕事が入るのをずっと待っているのよ」
「ずっと?」
思わず聞き返した。
「何時からとか、決まっていないんですか?」
「決まってないの」と、その人が苦笑した。
「いつ仕事が入ってもいいように待機していないと仕事がもらえないから、待機しているの。保証は何もない。それはわかってるの。わかってるんだけど……。待機していないと仕事がもらえないから。で、何か仕事がないか、聞いて来てほしいのよ」
「わかりました」
気の毒になって、急いで課長のところにいき、彼女の言葉を伝えた。
「フリーの人に頼む仕事? うちはないね」
「じゃ、ほかの部署に聞いてきます」
「行かなくていい!」
課長に叱られた。
「どこかの部署で仕事が発生すれば頼む。そういう約束で来ているんだから。そんなもの相手する必要はない。それより自分の仕事をやりなさい」
そう言われるとどうしようもなく、席に着いて中断していた仕事に取りかかった。
隣の席で、榊さんが含み笑いをしながら、「いままで知らなかったの?」と聞いた。
「天野さんって、この会社のこと、何にも知らないのね」
どうやら榊さんは、あの人たちのことを知っていたらしい。
「そんなに仕事がしたければ、パートでもバイトでもすればいいのよ。なのに、仕事もせずに会議室ひとつ占領しちゃって。ああいう人たちって、わたし、大きらい。場所代を払えって言いたいわ」
そう言って、榊さんは課長を振り向いてにっこりした。
「ねえ、課長。そう思いますよねえ」
「ははは、たしかにそうだねえ」
強者の論理だと思った。
パートでもバイトでも、ふつうに働いて給料をもらえる仕事さえあれば、あの人たちもそうするだろう。
ずっと待機していても仕事がなければ収入にならない。運よく仕事があっても、働いた時間だけパートと同じ時給。つまり、五時間待機して一時間の仕事しかなければ、六時間会社にいても千円ほどの収入にしかならない。そんなことを好きこのんでやる人がいるとは思えない。
一方、会社にとっては都合のいい話だ。榊さんは会社の負担になっているかのような言い方をしたが、仕事がないときには給料をまったく払う必要はなく、急に人出が必要になったとき便利に使える人間がそこにいるのだから、究極の買い手市場だと思う。
それなのに、パートでもバイトでも派遣社員でもなく、フリーランサーとしてそこにいるのは、ほかに仕事が見つからないからだ。年齢が高くなってから失業すれば、パートやバイトも見つけるのが難しい時代なのだ。とくに働ける時間が限られている人の場合は。
そう思うと、あのまま放っておいたことに気が咎めた。あの人たち、あのあと仕事があったのかなあ。
二〇九三年四月二五日
榊さんはすごい演技派だと思う。
彼女、基本的に自分の非を認めようとはしない人だけど、謝ったほうが得なときと損なときをうまく使いわけたうえで、目上の人に自分が悪く思われないよう、よく思われるように熱演するのだ。
たとえば、きのう、榊さんがわたしに渡さなくてはならない書類を渡していなかったってことがあった。
「えーっ、わたしは絶対にそういうことを忘れたりしないよ。天野さんのところにあるはずよっ! 見せてっ!」
そう叫ぶなり、わたしの処理し終わった書類をぐちゃぐちゃにしてひっかきまわした。
で、しぶしぶ自分の書類入れを見てその書類を見つけると、「これ、わたしの控えじゃないかな」と首をかしげながらわたしの机に投げ出した。
でも、それが控えじゃないってのはすぐにわかった。控えばかり束ねたファイルにそれのコピーが入っていたからだ。
すると、榊さんは、謝るどころか、自分が投げ出した書類を指差して叫んだのだ。
「ここにあるじゃないのっ! 天野さんって、すぐに物をなくすんだからっ!」
「何言ってんの? あなたがいま置いたんでしょ?」
言い返したけど、わたしの声は榊さんの声にかき消された。なんといっても音量が違うのだ。
「天野さんの机にあったって、みんな聞いていて、知ってんだからね!」
みんなが聞いているのは榊さんの声であって、客観的事実ではないのだが、榊さんは気にするようすもない。
たぶん、彼女、都合の悪いことがあると、いつもこういうふうにして大きな声を張り上げ、相手の言い分が周囲の人の耳に届かないようにして、自分の言い分だけを事実であるかのように思いこませるというテクニックを使って世渡りしてきたのだろう。
で、わたしに対してはそういう態度だが、目上の人が相手だところっと変わる。
今日、彼女、何か失敗したみたいで課長に叱られてたんだけど、ひとしきり「すみません」だの「どうしよう」だの叫んでたんだ。
でも、本気で自分が悪いと思っていたわけではないと思う。
いいかげん迷惑なほどの大声で叫んだあと、いきなりわたしに向かって、「天野さん、なんで笑うの?」と言いだしたから。
笑ってもいないのにいきなりそう言われて、どういうつもりかと思ったら、榊さんの意図はすぐにわかった。
「わたしはすっごく深刻に考えてるのに、天野さんにとっては笑うようなことなのねえ」
まるで、わたしが本当に嘲笑したかのように、憤慨してみせたのだ。
「笑ってないでしょ」と言い返した声は、いつものように、榊さんの大声にかき消された。
「笑ったじゃないの! 天野さんって、わたしが失敗するとうれしそうにするのよねえ」
他人の失敗をいつも喜ぶのは榊さん自身の話だ。わたしのミスに気づいたり、わたしが先輩や上司に叱られたりすると、いつもここぞとばかりに食らいついてくる。
そんな自分を棚に上げて、笑ったといいがかりをつけてくるのだから、呆気にとられたし、腹が立ったし、嫌悪感がこみ上げてきた。だけど、感心もしちゃったよ。
ミスをしたとき言い訳をすれば責任感がないと思われるけど、この言い方だと、むしろ責任感が強いように見せかけられる。
自分が悪かったと思っているわけではないのに、ひとことも弁解せず、無関係のわたしを悪者にすることによって、自分がマイナス評価されないように仕向けちゃったよ。
これは一種の才能だろう。
たいしたもんだとは思うけど、こんな人といっしょに仕事をしていくのはしんどいよ。
二〇九三年五月九日
今日のランチは「どんぶり屋」に行った。
この店は、どんぶりご飯とトッピングの組み合わせで注文するシステムで、組み合わせによってはかなり安く食べることができる。
たとえば、三百円の並盛りご飯に百円の目玉焼きを乗せ、サービスのタレをたっぷりつけて四百円とか、百円のおかかを乗せて四百円なんて食事をしている人もいる。
消費税が四十パーセントだから、本体価格は三百円以下だ。
わたしは、あまり頻繁にそういうのはいやだな。節約したいとき、たまにならいいけど。
そう言ったら、ぜいたく者のような言われ方をした。
そうかな? ランチにちゃんと栄養を考えたいって、ぜいたくかなあ。何にお金をかけるかの違いにすぎないと思うけど。
だって、そう言った人たちって、おしゃれにお金をかけてるんだもの。ランチ代を節約してもおしゃれにお金をかけたいわけだ。わたしは、衣服代や化粧品代は節約しても、食事はちゃんと摂りたいけどな。
べつに、そうじゃないのが悪いとは思わないけどね。人それぞれだし、「身だしなみにかけるお金は、仕事や婚活を有利にするための元手」と言っている人もいるし。
それはそれで一つの考え方だから。マネする気はないけど。
それはともかくとして、どんぶり屋にいくときには、だいたい五百円から八百円の範囲で食べている。トッピングに野菜類を何も乗せないときには、なるべく百円の浅漬けかミニサラダをセットするようにしている。
ほかの安上がり店でも、だいたいそれぐらいの予算だな。消費税が四十パーセントもしなければ、もっと安上がりにランチができるんだけど。
会社の近くには、このどんぶり屋をはじめ、安上がりメニューの店がいくつもある。というより、世間一般で、そういう店の割合が増えているらしい。
それだけ、家計に余裕のない人が増えているってことなのだろう。
二〇九三年五月一〇日
いま、なんだか疲れている。いちばんの原因は榊さんだ。
彼女は要領がいい。わたしにものすごい勢いでまくし立てていたとき、ちょっと言い返すと、さっと部長のところにいき、「天野さんがいじめるんですう」なんて言いつけていたりする。
そういったことはしょっちゅうだけど、だれも本気にしないと思っていた。だって、彼女がわたしに向かって居丈高な物言いをしているところを聞いた人は何人もいるはずだし。榊さんは、管理職などがそばにいるときといないときとで態度ががらっと変わるけど、いつも社内にいる人は、彼女の両面を見ているはず。まともな知性があれば、彼女の態度がずいぶんだと感じるだろう。
そう思ってたんだけど、そうでもなさそうなんだ。
いくらなんでも、榊さんが吹き込むわたしの悪口をみんなが真に受けてるってことはないと思う。でも、けっこう榊さんに同調する人がいるんだな。
たとえば、このあいだ、わたしが忙しくて榊さんが暇ってとき、すごい音量のキンキン声で、「天野さんって、いつもカリカリしてるのよう。わたし、いつもいじめられてるのお」などと周囲にふれまわったあげく、「そうよねえ、天野さん」と、わたしにからんできた。
無視して仕事を続けていると、芝居がかったおどけた口調で、「無視? 無視されちゃった! ねえ、天野さんって、意地悪でしょう?」と、まわりの人たちに言う。
「意地悪なのはそっちでしょ? いま忙しいってわからないの?」
たまりかねて言い返すと、榊さんは、まわりにいる何人かにわざとらしい目配せを送った。
「意地悪って言われちゃった。ねえ、わたし、意地悪? 意地悪?」
榊さんの言葉に、バイトだけど半年先輩の森田さんがすかさず同調する。
「そんなことないって。気にすることないよ。わたしはマリカちゃんのこと、よくわかってるから」
「うん、うん、ありがとう」
なんだかへたな芝居のセリフを聞いているみたいだった。この人たちの頭の中って、どうなっているんだろう?
でも、まあ、森田さんだけなら気にしない。森田さんは榊さんの高校時代の同級生で、そのころからグループ付き合いがあったらしくて、榊さんになんでも同調する。友だちと子分の中間みたいな感じ。榊さんのいないところで話すときには、とくにわたしに悪意があるようには見えなくて、ふつうの態度なんだけどね。
まあ、森田さんはそういう人だから、榊さんが理不尽なことを言っているときに彼女の味方をしたって、いまさら驚かない。腹は立つけど。
ショックだったのは、関さんや遠野さんの態度だ。
榊さんは目上の人や男性にはやさしくて甘え上手だから、関さんや遠野さんに対しては、わたしに対するのとは別人のような態度をとっている。
それでも、日ごろの榊さんの言動を見ていれば、彼女がわたしにどんなひどい態度をとっているかわかるはず。
たとえば、このあいだ、遠野さんと軽口を交わしていたとき、いきなり榊さんが口をはさんできた。
「天野さんには話しかけないほうがいいわよう。天野さんって、すっごーくきつい言い方するんだからぁ」
無視して会話を続けようとしたら、なおも言いつのる榊さんの大声にかき消されてしまった。
そんなことがあったら、ふつう、榊さんが変な人だと思うよね。
それなのに、今日、わたしと榊さんの応酬を耳にはさんで、遠野さんがだれにともなくこう言ったのだ。
「あー、天野さんは機嫌が悪いようだね」
しかも、関さんがそれに同調して言ったんだ。
「まあ、女の人にはそういう日もあるみたいだから」
何、それ?
榊さんが意地悪でわたしにからんでいるって、なぜわからないの? 「きつい言い方」だの「意地悪」だの「いじめ」だの、いつも榊さんがわたしに対してとっている態度そのものじゃないの。なのに、なぜ気づかないんだ?
なんだか変だよ、ふたりとも。
腹が立つより、不気味でゾッとしちゃった。
二〇九三年五月一三日
今日、寮で事件があった。わたしが会社にいるあいだに、寮の一室に住んでいたフリー契約の女性が自室で倒れているところを発見され、救急病院に運ばれたっていうんだ。
彼女は、ウェブ制作にあたっていたクリエイターで、会社ではなく、寮の自室でいつも仕事をしていたそうだ。
会社の寮とはいっても、全員がオロファド社の社員ってわけじゃない。関連会社の人が数人と、フリー契約の人がふたり住んでいる。
その人たちが住むのは、洗濯室のある最上階の五階で、わたしが住んでいるのは三階。だから、同じ寮とはいっても、ほとんど面識はない。
発見したのは通いの管理人のひとりだそうだ。寮の管理人は、常住してチーフを勤める社長令嬢のほか、通いのパートタイマーがシフトを組んで掃除などの雑務や警備に当たっている。社長令嬢は、その人たちに指図したり、お金を出し入れするような仕事はしているが、雑用のような仕事はほとんどしていないらしい。
クリエイターの女性が倒れたのは平日の昼間だから、寮にいたのは社長令嬢とパートの管理人のふたりだけ。入寮者は全員、仕事に出ていた。
だから、大事に至る前に発見できたのは幸運な偶然といえるかもしれない。
オンラインで会社に送られてくるはずの彼女の仕事が時間を過ぎても届かないので、担当者が連絡を取ろうとしたのに連絡がとれず、パートの管理人に頼んで部屋に行ってもらったところ、倒れていたのが見つかったという。
倒れた原因は、過労と栄養失調らしい。つまり、かなり過酷な条件で働いていたってことなのだろう。
「仕事の遅い人だったらしいよ」と、どこかから噂を聞き込んできた榊さんが言っていた。
「だって、フリーのクリエイターって、お金になるもんじゃないの? わたしの友だちですごく稼いでいる子がいるよ」とも。
もちろん、それは榊さんの物の見方だ。恵まれた人のケースを全体に当てはめて捉えることはできない。フリーのクリエイターの収入は、ごく一部の恵まれた人とその他大勢の差が激しいって聞いたことがあるもの。
この会社で、出来高制で働いている人たちがどういう扱いを受けているか、見たことがあるしね。
それは、「仕事が遅い」とか「才能がない」というのとは別次元の問題だと思う。フリーランサーには最低賃金制が適用されないから、会社側はいくらでも安く使えるのだ。
たしかにクリエイティブ系だろうが、そのほかの分野だろうが、収入の多い人は、能力の高い人なのだろう。たぶん。
だけど、底辺で踏みつけにされるように働いている人たちが、能力の低い人だとはかぎらない。だってね、恵まれている人のほうがはるかに少数派なんだよ。大多数の人が「仕事が遅い」「能力が低い」というなら、その基準はなんなの?
それも、フリーランスとか非正規社員とか、立場の弱くて収入の低い人ほど高い基準値を要求されるってのは、よけい変だよ。
倒れた人って、顔も名前も知らないんだけど、なんだか義憤を感じてしまった。
いや、義憤というのともちょっと違うか。自分だって不安定な立場でこの先どうなるかわからないんだし、なんだか他人事とは思えないんだよなあ。
二〇九三年五月一五日
今日、今後の配属希望を書く用紙を渡された。
もちろん、希望どおりのところに配属されるとはかぎらないんだけど、いちおう本人の希望として考慮はされるらしい。
わたしがやりたいのは、ウェブ制作や出版みたいなクリエイティブ系の仕事だ。就職活動のときも、事業内容のなかにクリエイティブ系の仕事がある会社を選んで受けた。
ほんとうはそういうのが専門の会社のほうがよかったんだけど、大きな会社は難関すぎ、小さな会社は条件が悪いうえに先行き不安な感じだったから、結局、受けたのは、いくつかのジャンルに手を出していて、クリエイティブ系の事業もやっているって会社が多かった。
まあ、将来の安定性ってのに心が揺れて、教員試験だの公務員試験だのも受けたけど。で、そちらは両方とも落ちたけど。
どちらも、試験に落ちたとき、がっかりしなかったといえば嘘になるけど、それほど落ちこまなかった。「やっぱり好きな仕事をしたほうがいい」「これでよかったんだ」という気持ちが強かったからね。
で、この会社に入ったいまは、ほんとうに好きな仕事をできる会社に入ったのかどうか、すごく疑問がある。まあ、最初に配属されたのがあまり興味のなかった庶務課だったとか、人間関係がきついってのもあるけど。でも、それだけなら、クリエイティブ部のどこかに配属されれば全然違うだろうと期待できた。
だけど、このあいだのフリーランスの人が倒れた一件で心が揺らいでいる。
クリエイティブ系の仕事って、こういう面があったんだ。働いている人の「好き」って気持ちにつけこんで、人を安く使って使い捨てにしていくようなところが。
そういう風潮は好きになれない。抵抗があるし、不安なんだけど……。
でも、希望を書くとなると、やっぱりクリエイティブ部なんだよなあ。