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暗い近未来人の日記  作者: 立川みどり
教育実習
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教育実習

超不況の暗い世相の21世紀末を生きる女性が日記を書いている……という形式の連作小説です。

自サークルのサイト「アザー・ワールドの別荘(http://otherword22.g2.xrea.com/)で連載中の作品で、コミケでも頒布しています。

二〇九二年五月二十日


 そろそろ就職のことを考えなくては。四年制女子大生の正社員就職率は十パーセント切ってるものね。準社員を入れても六十パーセント切ってるし。フリーターで仕事を選ばなければ、まず何か見つかるみたいだけど、それではとても自活できない。

 準社員だって苦しいよ。二〇九〇年改訂の労働基準法では、正社員の基準内労働時間は四十八時間以内で、準社員は三十六時間以内。時間的には準社員のほうがラクだけど、保険料の負担は会社が四割で、賃金は七割だもんね。規定じゃ「七割以上」となってるけど、求人情報を見たところでは、どこの会社でも、端数を切り上げるていどで、ほとんどきっちり七割になってる。

 ってことは、正社員の初任給が十七万円の会社でも十二万円。そこから天引きされて、住居光熱費はらったら、うまく安いアパートを見つけられたって、三万か四万円ぐらいしか残らないんじゃないのかなあ。いま、消費税が四十パーセントなんだから、実質的に使えるのは二万円台でしょ。生活費にはとても足りないよ。準社員はアルバイトを認められているけど、今度はアルバイトを探すのがたいへんじゃないのさ。



二〇九二年六月七日


 教育実習のために実家に帰った。ちょうど兄貴も帰ってきてた。って、兄貴の職場は実家から電車で二時間ちょっとだから、わりとしょっちゅう帰ってきてるけどさ。

 兄貴に就職のことでぼやいたら、「男でも正社員の就職率は四十パーセントを切ってるんだから、しょうがないだろ」だって。「男でも」とは何よ。「男でも」とは。

 腹を立てたら、兄貴はきょとんとしてた。どうしてわたしが怒ったのか、理解できないみたい。それがよけい腹が立つ。女のほうが冷遇されてあたりまえという感覚が身にしみついて、差別という意識さえないんだ。それがよけいむかつく。

 兄貴も学生のころはこういうんじゃなかった。この種のむかつく発言がまったくなかったってわけじゃないけど、あんまりなかった。就職してからだよな、差別意識がひどくなったのは。ってことは、たぶん、会社というのがそういうところなんだ。たぶん、兄貴の勤め先だけじゃなくて、どこでもそうなんだろうな。そう思うと、就職って気が重い。

 とはいっても、就職できればマシなんだけどさ。いまの問題は、就職できるかどうかだもんね。



二〇九二年六月九日


 きょうの授業は、イギリスのマグナ・カルタだった。

「王様が勝手に税金を上げたので、領主たちから猛反対が起こりました。それで、王様が勝手に税金を上げることができないように決めたのです。民主主義はここからはじまったのですね」

 そう教えたら、生徒のひとりが手を上げて言った。

「じゃあ、当時は今より民主主義が進んでいたんですね。今は、政府が勝手に税金を上げるもの」

「うーん。マグナ・カルタは、まだ、貴族などの上層階級のためのものだったから、現代より民主主義が進んでいたとはいえないけど……。でも、今もそんなに民主主義が進んでいるとはいえないかもしれませんね。政府は勝手に消費税とか上げていきますもんね。困ったもんですね。いちおう形式だけは、議会で討議したという形をとってるんですけどね」

 そう答えたら、あとで担任に叱られた。

「政府を批判するようなことを言ってはいけない。消費税などの値上げは、民主主義にもとづいて、国会で討議して決めたのだから、政府が勝手に決めたのではないと教えないと」

 そんなこと言ったって、それってタテマエじゃないの。生徒がああいう疑問をもつのはあたりまえだと思う。あの担任の説明で納得したとしたら、そのほうが恐いんじゃないのかな。

 いっしょに実習受けていた人たちにそう言ったら、わたしと同感だと言った人もいたけど、ひとりにこう言われた。

「じゃあ、あなたは、生徒が政府や社会に批判的な考え方をもつようになって、それが原因で就職できなかったら責任もてるの?」

 驚いたことに、彼女に賛成した人が何人もいた。その場にいた人の半分ぐらいは彼女に賛成していた。彼女に反論した人がいたけど、ちょっとわたしとは視点がちがう。

「だけどさ、なんでも上のいいなりの人より、自分の考えのはっきりした人を企業は求めるとか、求人雑誌によく書いてあるよ」

「それは、自分で判断してクレームを処理できるとか、企画を立てられるとか、そういう能力のことでしょ? 政府や社会を批判するってのは、それとはちがうと思うよ。だって、そういう人は会社も批判しそうじゃない。そういう人を採らないよ」

 なんだかなあ。企業の求める人間に生徒を教育しなければいけないわけ? これって、一種のマインド・コントロールじゃないの。そりゃあ、生徒の将来の就職まで、こっちは責任もてないけどさ。でも……。なんだかおかしい。

 不況だと、就職するために心まで殺さなければいけなくなるんだろうか?



二〇九二年六月十一日


 きょうの授業は十四世紀イギリスのワット・タイラーの反乱についてだった。リチャード三世の時代、国民に一律に人頭税が課された。人頭税は、収入にかかわらず同額だから、金持ちや貴族にははした金でも、庶民には重税だった。だから反乱が起こったんだ。そう教えたら、このあいだと同じ生徒が言った。

「現代の国民年金みたいなものですね」

 たしかにそうだ。国民年金は全員が強制加入で、同額を強制的に徴収される。毎月二万五千円。公務員や会社の正社員や準社員などだと、会社が四割負担してくれるけど。それでも、基礎年金分だけで一万五千円。社会年金分をプラスすれば、安月給の人でも二万円近くになるだろう。フリーターや自由業などだと、低収入でも二万五千円払わなければならないのだから、もっときつい。一方、月収何百万とか何千万というような人にとって、二万五千円ははした金だろう。

「そうですね。たしかに国民年金に似ていますね」

 そう言って、はっと気がつくと、教室の後ろで担任がにらんでいる。やばいと思って、言い添えた。

「でも、国民年金は、いちおう、老後の保障のために使われますからね。十四世紀イギリスの人頭税は、社会保障のためには使われなかったので、現代の国民年金よりひどかったのですね」

 生徒が納得できないようすでいると、担任が片手をちょっと上げて立ち上がり、こちらに歩いてきて、わたしを無視して生徒に説明しはじめた。国民年金というのは重要な制度で、納税には積極的に協力しなければならない……というような、役所のポスターを受け売りしたみたいな説明だ。理屈としてはもっともらしいが、現状を考えれば、ひどくしらじらしい。生徒たちもそう思っているのがありありとわかる。

 担任が説明し終わって「わかったか?」とたずねたが、生徒たちはうつむいたまま、反応しない。すると、担任は、三人ほどの生徒を指名して、「わかったか?」という。

 生徒たちは「わかりました」と答えたけど、納得していないのはなんとなくわかる。そうしたら、担任は、三人目の生徒に「年金について言ってみろ」とたずねた。その生徒は、しかたなく、担任の説明を受け売りしていた。ひどくゾッとした。



二〇九二年六月十二日


 きょう、学校からの帰りに、近所の呉服屋に話しかけられた。次の日曜、電車で一時間ほどのN市で着物の展示会をするので、来いという。

「いま、教育実習で忙しくて、そんな時間の余裕はありません。べつに着物に興味もありませんから」

 そう答えたら、呉服屋はびっくりするようなことを言った。

「あんた、そんなこと言って、成人式のときにも買ってくれなかったじゃないか。近所なのに」

 近所だと、欲しくもないものを買う義務があるとでもいうのだろうか?

「成人式には出ませんでしたから」

「だから、今度買ってくれと言ってるんじゃないか。近所づきあいをもっとだいじにしたらどうだ?」

「そちらこそ、近所づきあいをだいじにしたいのなら、押し売りはやめたらどうですか?」

 思わず言い返したら、母がすっ飛んできて、妙に低姿勢に応対する。

「すみません。この子、いま、教育実習で忙しいとかでイライラしてまして……」

「いや、まあ、奥さんがそう言うんなら……。忙しければ、徹夜とかして、展示会にくる時間ぐらいあければいいのに。最近の若いコはしんぼうがないねえ」

 なんで、行きたくもない着物の展示会に行くために徹夜をしなくちゃいけないのよ? 

 むかっとしたので言い返そうとすると、母に横目でにらまれた。あとでこっぴどく叱られた。

「あんた、ちゃんと就職したいんでしょ。近所の人を怒らせて、聞き込みとかきたとき、妙なことを吹き込まれたらどうするのよ?」

「ちょっと考えすぎじゃないのか。この不況にそこまでやる会社は少ないぞ。身上調査ってのは金がかかるからな」

 父がそう言ったけど、母は譲らない。

「どこに就職するかわからないんだから、それぐらい用心したほうがいいのよ。それに、就職のあとには結婚が控えているんですからね。不況で、女はたいてい三十にならないうちにリストラされているのよ。だから、その前にちゃんと定収入があって、リストラの心配がなさそうな男性をつかまえないと。そのためには、着物の一枚ぐらいの投資はしかたないのよ」

 悪口を言われないために、押し売りを受け入れなくてはいけないっていうの? 不況だから?

「悪口を言われたくないのはお互いさまでしょ?」

「違うわよ。あそこのひとり息子はもう就職しているもの。公務員だから、リストラの心配はまずないし、縁談もたくさんあるだろうし。うちは、息子は中小企業のサラリーマンで、娘はまだ学生。立場が全然ちがうのよ」

 何よ、それ。だいたい、ものを買うのって、立場によって買うもの? 欲しいものを買って、欲しくないものは買わないのがあたりまえでしょ。あ、そうか、それなら着物なんて、この不況であんまり売れないよね。それで、弱みのありそうな顔見知りに押し売りするのか。ひどい話だ。



二〇九二年六月二十一日


 教育実習が終わった。騒々しかったり、不真面目だったり、教えるのにけっこう苦労した生徒たちだけど、最後となると、名残りを惜しんでくれた。わたしもなんだか名残り惜しい。

「担任に言わないでくれよな」

 生徒たちがそう前置きして言った。

「あしたからまた、あの担任の授業を受けるんだぜ」

「しらじらしいこと言うのを、ごもっともですって顔して聞かなきゃいけないんだ」

「なんか、先生の授業を受けて、先生でもわたしらと同じようなこと考える人もいるんだなあってわかった。……あ、そうか。まだ、先生じゃないからか」

「先生、本物の先生になっても、担任みたいにならないでくれよな」

 担任も社会科の教師なのだが、あの説教グセはやっぱり生徒たちにいやがられていたようだ。それにしても、「担任みたいにならないでくれ」なんて、おとなびたこと言うんだな。これじゃ、どっちが先生かわからないぞ。

 本物の教師になったら、洗脳されて担任みたいになるって、生徒たちは思っているのかな?



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