神様の言う通り
岡山駅から特急やくもに乗る。
倉敷までは代わり映えのない地方の都会の景色が流れる。倉敷を出て少しすると左の窓にはキラキラと水面の輝く河が見えてくる。「総社市」と言う標識が線路沿いの道に立っているのを確認して、どんどんと民家より山が目立つ景色に変わっていく。
あぁ、トンネルも増えてきた。
冬と春の隙間の季節。枯れ草と新緑が混ざった川辺にはチラホラと菜の花も見える。あの山に木が見えないのは、いつかの台風で崩れたのか、それとも何かを掘り出したのか。
田んぼの中に一本、鮮やかなピンクの木が見える。早咲きの桜だろうか。遠いが若そうな木だと思う。ふと、桜の木の隣に立つ人と目が合った気がする。一度視線を外して見ると人影なんか見えなかった。きっと気のせいでしょう。
少し川の流れが早くなった様に見える。電車の中では気づかないが勾配が強くなったのだろうか。
駆り立てられるように、今朝唐突に旅立って来た。何故か今行かなければいけない焦燥を感じたから。何年か前に行ってから時々こうして無性に行きたくなる場所。これで何度目の訪問だろうか。何度か友人を誘って行ったことも有ったが、あの場所の、あの地域の価値は何故か理解されない。
トンネルを一つくぐる毎に見える山は高くなり、民家の屋根は赤茶色の石州瓦が増えていく。今では「山陰に来たな」という情景も初めて見たときは、山盛りの疑問に埋もれた景色。土地の気候風土が文化や産業に反映されていて美しい景色だと思える。
特急の通る線路なのに、単線の為、いくつかの駅ですれ違い待ち合わせ停車をして、いくつかのトンネルを越えると、川の流れの向きが変わっていた。線路脇の道路を走る自動車も鳥取ナンバーに変わっていて、山陰地方に入った事を認識できた。大山についてのガイド的なアナウンスを聞いて、感心する。移動手段としての特急列車であり、少しだけ観光列車の要素もある。
米子駅は広い敷地に車庫も備えているらしい。有名なアニメのラッピング電車や、神話のイラストが描かれた電車が、古ぼけた赤や黄色の電車と一緒に停まっている。東京や大阪では見かけない様な四角い、昭和っぽいスタイルの電車。どうして電車の形まで都会と地方ではこんなに差があるのだろう。あの車両には扇風機がぶら下がっていそうだ。
少しすると線路と交差する様な方向の川が見えてきた。まただ。土手に立つ人と目が合った気がする。今度は目線を外して見てもまだじっと見られている。誰だろう?
今回は、松江迄の切符しか買ってない。出雲にしようか太田にしようか悩んだのに駅の窓口で松江と言ってしまった。松江はお城の近くしか観光したことないから、松江でゆっくり過ごすのも良いかもしれない。だけど、自分にとっての島根県の魅力は、石見銀山や三瓶山などの西部の山岳地域だ。悩ましい。
松江駅で降りると、市内の観光地を巡るバスが停まっている。時は夕方だし、バスの車窓から観光地を眺めながら宍道湖に行って有名な夕日を見てみよう。
バスは宍道湖の端に架かる橋を渡って松江城の城下町を廻っていく。ああ、このバスは正解だ。明治時代のバスガイドさんの教本を元に観光地を紹介するアナウンスが流れる。バス内のモニターには明治時代のその場所の写真が映っている。なるほど島根県は明治の頃から観光を産業にしていたのか。城下町が上手に残され現代の町も上手く融合された、上手な観光地が造られている。現代の観光誘致戦略だって、ターゲットを若い女性に絞って美肌と縁結びとの謳い文句で本来なら若い女性にウケナイ様な城や神社や温泉を上手くPRしている。
モニターの写真とバスから見える景色を見比べていたら城下町を巡る堀川遊覧船の船の上の人と目が合った気がした。でも、もう一度見直すと船頭さんは背中を向けているし、船にお客さんは居ない。
城下町を過ぎるとお寺や神社の近くのバス停を通過し宍道湖に着いた。湖に近付くと不思議な音が聞こえる。琵琶湖で聴いた音とも、諏訪湖で聴いた音とも違う。波の音が高い。アルミ缶を潰す時のような、少し高い音がする。暫くそこで波を聴いて、夕日に染まる湖面を眺めて過ごす。また視線を感じる。しかも人が居ても見えないはずの対岸から。なんだろう?
立ち上がって湖畔を歩くと物産館らしき建物がある。寄ってみると石州和紙が売っていた。隅っこに。真ん中は言わずもがなのシジミだった。シジミに見向きもせず和紙の一筆箋と折り紙を買った。良い折り紙だ。
宍道湖のすぐに一畑電鉄の駅がある。この電車は宍道湖の北岸を線路が走っている。乗ったらどんな景色が見えるだろうか。前に来たときは車だったから、車窓の景色なんて堪能できなかったしせっかくなので車窓を楽しみながら出雲に向かう事にしよう。出雲に着いたらそれ以上の移動は今日はできないだろうから、出雲市駅の近くの宿を確保する。
あぁこの電車も素晴らしい。すっかり日は落ちてて夕焼けではなくなってしまったけれど、全てが青に包まれた景色。建物とか何かの形ははっきり見えない。電線や看板の文字もはっきり見えない。それが現実離れした雰囲気を作った景色を作り出していて美しい。湖の対岸の町灯りの煌めきが落ちた星の様で美しい。煌めきの隙間にも何か視線を感じる。
一畑口駅で進行方向を変える頃にはすっかり暗くなってさっきまでの現実離れした雰囲気もなくなって、色々な店のネオンが現実を形造り始めた。それと同時に視線も感じなくなった。唐突に思い立って旅に出てるくらいだし少し疲れているせいかもしれない。
二日目はレンタカーを借りる事にした。やっぱり好きな場所に行きたい。しかしあそこは電車ではなかなか不便だと思う。
世界遺産の石見銀山には公共交通機関でも、辿り着けるのだけれど、私にはそこまで行ったら寄りたくなる場所がある。そちらは素敵な観光地なのにほとんど公共交通機関では行けない。恐ろしくて挑戦したことすらない。
朝日を背に受けて、右手に日本海を流しながら、何度も訪れているが初めて見るだろう景色に心をときめかせる。人混みを避けるため、梅雨時や寒い時期を狙っていつも来ていたこら、若葉と花に彩られるあの山はどんなに美しいだろう。
世界遺産センターに車を停める。第4駐車場まで有るけれど実は埋まっているのを見たことがない。他の世界遺産、京都のお寺や、広島の神社を思うと全然人が居ない。
石見銀山ほ、遺跡としてまだ調査が続けられているので何年かに1回とかのペースで来ると新しい発掘物の展示が増えていたりする。前回は1年半前。気になる新しい展示は無いようだ。
「大久保間部の見学いきませんか?」センターの職員さんに声をかけられた。いつもタイミングが悪くて参加できない限定公開の坑道のツアー。特に予定も目的もなく来ている私にこの勧誘は渡りに船。即答で行くことにした。
出発の時間まで一時間もあるので、歴史的景観地区に移動して軽く食事を摂る事にした。まさか朝の七時台に開いてる飲食店が一つもないなんて想定外も良いところ。富山県以来の朝ごはん見つからない旅になっていた。そう言えば昨日あんなに気になっていた視線は今日は全く感じない。なんだったのだろう。
歴史的景観地区の景色はすごい。電線がなく建物の外観もなんなら自動販売機も徹底的に木目調だ。自動販売機を置かないのでなく見た目で調整するのがここらしいと思う。便利に進化する事を躊躇ったり諦めたりしない。
古民家カフェでハヤシライスを食べると集合に丁度良い時間になった。集合場所にパラパラと集まった参加者は11人。穏やかそうな中年のご夫婦と、両親と小学生の子供二人の家族連れ、若い男の子3人のグループと、一人で参加の同年代くらいの男の人、そして一人で参加の私。ガイドさんはおじいさんで70代だと言ってるけど、背筋もシャッキリ伸びて滑舌もよく息継ぎを心配になるほどよく喋っている。
バスに乗せられて5分程移動した所から山登りが始まる。地質や植生に詳しいわけではないが、あちこちで軽いトレッキングを楽しむ自分にはここは不思議な山。
平野に生えるような雑草と呼ばれる植物と、ジメジメした所を好むシダ植物が隣り合わせに生えていたりする。初めて立ち入るエリアに興奮が抑えられない。花粉症でマスクをしてて良かった。怪しいニヤニヤ顔は他人には見せられない。
ガイドさんは銀山の歴史を中心に、遺跡の石垣や落盤などで立ち入り禁止になっている坑道の役割の説明をしてくれる。時々山の植物の事も説明されたりする。山歩きを楽しみつつ説明を興味深く聞く。他の人は退屈そうにしている人もいるし説明されるより気になる物を見つけた様子の人も居る。
不意に後ろから視線を感じて振り返るけどだれも居ない。あれ?私以外にも振り返って不思議そうな顔をしてる人が居る。でも見ず知らずの他人に急に不思議な視線の話なんて不審者みたいな事はしない。気になるけど。
山を40分程登ると小さな小屋があり、長靴に履き替えて、ヘルメットを被る。いよいよ限定公開の坑道に入る。入り口で最後の注意を聞く。そうか、山に生える植物も坑道に住まうコウモリも含めての世界遺産なのか。コウモリの冬眠確保のため冬季はこの坑道が非公開になってるなんて、理由が意外すぎて驚く。
掘削を明治時代に止めて随分経つけれど掘削中に堀り当てた水脈の湧水は止まらないみたいだ。入り口から水浸しになっている。長靴を履いてるから気にせず、子供のように思い切って水の中に足を入れていく。他の人は長靴を履いていても一応水を避けるみたい。
銀鉱脈の成り立ちを説明しながら、洞窟のどの部分が銀を掘り出した後なのか、人や運搬のトロッコが通るために掘られた部分がどこなのかを懐中電灯で指し示して教えてくれる。なるほど、江戸時代と明治以降には掘り跡の違いが有るのか。炭鉱の坑道と鉱山の坑道は掘り方が違うのか。そんなこんなで大人の社会見学を終えた。
本当は常時公開されている方の坑道とか歴史的景観地区も見たかったんだけど、ヘタレな私の脚が「山歩きはダメ」と訴えてくる。諦めて移動しよう。
30分程、高原という言葉の似合うきちんと整備された山道をドライブして、さひめ湖に着いた。某アニメ映画のラストシーンのモデルはこの景色だと信じて止まない。青い湖面に薄緑の山が映っている。山奥の湖は割と山の色を強く映した緑掛かった青が多い様な印象がある。そんなに大きくもなく対岸の様子も見えそうな大きさの湖。昨日の宍道湖とは違って波もなく静かで穏やかな湖。深呼吸をして景色と山の空気を満喫していると、また視線を感じる。しかも何だか昨日より強いというか多いというか。でも昨日と違って見えない。目が合うのではなく視線を感じるに変わった。まだ日は高い。少し寄り道しよう。
久しぶりに来たので、周辺の景色をすっかり忘れている。ナビに従ってドライブするけれど、あと40mの表示が出ても「間もなく目的地です」と言われても、首をひねってしまう。少し建物が改築中で様子は違うけど、確かに埋没林公園に着いた。
5年ぶりくらいかな。相変わらず人が少ない。価値の分かりにくいけれど素晴らしい遺跡の一つだと思う。公園はパッと見ると芝生と小さな入り口。建物は見当たらないのに入り口があるという不思議空間。
入り口を開けるとヒンヤリとした空気と土と森の香りが迎えてくれる。螺旋状の階段を下りながら、地中に埋まっていた森を見学する施設。展示説明を読まないと、背の高い切り株と斬り倒された木が転がっているだけにしか見えない。ただよく見れば切り株は大人四~五人で腕を広げて囲めるくらいの巨木だし、転がってる木もそこらの森に生えてる樹木より遥かに太い。大昔、この三瓶山が噴火をしたときに土石流と火山灰に埋まった林の遺跡。なんて、太古のロマンが詰まっているのだろう。
螺旋回廊を一番下まで降りたとき、普段は人が入れない巨木の根本に人影を見つけた。また変な視線の仲間かと思えば「今から特別解説の時間なんです。降りてきますか?」と職員さんに声をかけられた。そして、せっかくの特別解説なのに、今現在の入館者は私を含めてたった二人。通常は立ち入り禁止のエリアで解説つきの見学ができるなんて貴重な機会を逃す訳にいかない。喜んで回廊の更に下に降りていった。
「この杉は樹齢636歳で、火山の噴火に巻き込まれて死んでしまったんですよ。」
そんな衝撃的な説明から始まった解説は実に楽しかった。もう一人居たお客さんは初めて来たそうだけれど、本当に興味が有って来たらしくて、次々に解説員さんに質問をしている。私も気になることは聞いてみる触っても良いと言われて触ったり、普段見れない角度からの写真を撮ったり。そうして近付けばまた新しい疑問も生まれて質問したり。だんだん解説員さんもテンションが上がってきたみたいで「素晴らしい!実はですね、、、」とどんどん展示に書かれていない解説をしてくれる。気がつけば予定時間を10分程オーバーしていた。
遂にはもう一人のお客さんとも、この遺跡の価値をもっと沢山の人に知ってほしいと熱く語り合っていた。初対面なのに。と思ったら、午前中も一緒に居たと言われた。銀山のツアーにも一緒に参加してたそうだ。
解説員さんが最後に教えてくれた話がまた面白かった。
「出雲大社の本殿の近くに赤い丸印があるんですよ。それは、本来の社殿の柱の印だと言われているのてすが、あまりにも印が大きすぎて、有るときまでは『こんな柱建てられる訳がない。こんなに太い木材がどこに、有ってどこからもってくるのだ』と言われていたんです。ですがこの遺跡が見つかった時に、木材自体の存在は十分に証明それたんですよ。どうやって運んだかはロマンの膨らむところですね」
こんな話を聞いたら見たくなるのが自分という人間。思わず心の声を漏らしてしまった。
「今から行って確認してみようかな。」
そして、夕方のある程度人が減っているであろう時間にこうして出雲大社に来たのだけど、何故か物凄く見られている。知らない人に。 そして後をつけられている。一人ではないえっと、四人?何故だろう。昨日からの視線はこの人たちだろうか。でも4対1じゃあ怖すぎて害がないうちはスルーする以外の対策が思い付かない。よし、とりあえずスルーしとこ。
本殿に向かってお参りをして、噂の印を探す。本殿の周りをウロウロと。あの四人に負けず劣らず自分も不審者だと思う。でも気になるからね。ひたすら地面を見ながらウロウロしてたら、人にぶつかった。うわぁごめんなさいっ。
と思ったら埋没林で会った人が笑ってて、気がついたら二人で四人に囲まれてる。
「ごめんなさい。っていうか、この人達のお知り合いですか?」
「えっ?だれの事?誰もいないですよ?」
と会話した途端に突風が吹いた。風の吹く前と同じに見えるけど、何かが違う。無音になってる。他の人が境内の砂利を踏む音すらしない。そして、囲んでいた四人のうちの恰幅の良いおじさんに肩を叩かれた。
「僕のこともしかして分からない?ここに来たのに?」
口は笑ってるけど眉毛は下がっていて困った様な表情をしている。だけど知らないのでこちらも困る。
「君たち10番同士だし丁度良いと思うんだ。」
埋没林で会った人と私を交互に見てニコニコしながらそんな事を言い出した。10番てなに?何が丁度良いんだろう?
「結んで良いよね?」
とどこからか赤い糸を出してきた。赤い糸を見たら分かりました。どこかで見たような顔だと思ったらさっき通った石像と同じ顔じゃないですか。髪型が現代風だから、気付くの遅れた。でもいくらなんでも神様が目の前に居るなんておかしい。でもこれは聞くしかない。
「大国主さまですか?」
「そう。そして君たちは10番目。他人から『良い縁に巡りあえますように』と願われる数が去年1年間で日本で10番目に多かったんだよ。毎年、10番までの人間には良い縁を結ぶ事にしてて、ほとんどは節分までに終わるんだけど、何でか君たちだけいろんな人と結ぼうとしても上手く結べなくてね。仕方ないから呼んだんだよ。」
まさか、 昨日のあの「行かなきゃ」っていう焦りが神様のお呼びだしとは。と思ったら気になる。何年かに1回ここに来たくなるのはもしかして毎度、大国主様からのお呼びだしなのだろうか?
「もしかして、以前にも何度か呼ばれましたか?」
「まあ、何回かは呼んだ。ずっと結べなくて困ってたんだよ。」
埋没林の人も気になる事があるみたいで大国主様に声をかけた。その途端、砂利を踏みしめる音や人の話し声が聞こえる様になった。その代わり神様と埋没林の人の会話は聞こえない。神様もプライバシーには配慮してくれるらしい。
そうして、大国主様に結んで頂いた縁はあっという間に結婚に到達した。勿論、ちゃんとお礼参りにも行った。お礼を言っても大国主様には二度とお目にかかれなかったけれど。
あのとき大国主様と一緒に居たのは、奥さまと親友様だそうだ。結婚してから神棚を作りあの場に居られた神様は我が家でもお祀りしている。
旅行をしながら書きました。景色は見えたまま、読んでくださる方が「行ってみたい」と少しでも私の好きな場所に興味を持って頂けたら嬉しいです。
拙い文章、くどい部分も有ったかと思いますが最後までお目通し下さりありがとうございました。