Happy Valentine
拙作「Unhappy Valentine」(https://ncode.syosetu.com/n6310fy/)のエピソードを、登場する自称サンタクロースの青年目線から描いた話です。
前作からお読みいただくことをおすすめします。
行きつけのジムの道中、小高い丘の上に東屋が設置された小さな公園がある。
季節外れの土砂降りの中、その下で泣いている少女を見かけたとき、胸がどくんと高鳴った。
僕は、あの子を知っている。
いつも、職場のスーパーに買い物に来る子だ。
僕は、スーパーの一角にテナントを構えるケーキ屋で働いていた。
彼女を初めて見かけたのは、四年前の夏ごろだろうか。生活科の授業で見学にやってきた一団の中で、先生の説明には一切耳を傾けずにショーケースに並ぶケーキをじっと眺めていたのだ。
その数日後、彼女は母親に手を引かれて店にやってきて、生クリームのホールケーキにマジパンをつけて買っていった。
それからその女の子は何度かやって来たのだが、ケーキを買うと必ず季節のマジパンを乗せるのがお決まりだった。それが印象的で、次第に僕も「マジパンの子」として認識するようになった。
一度顔を覚えてしまえば、店に寄らなくとも来店したことに気づけるようになる。彼女は月に二度ほど、母親と一緒に買い物に来ている常連客だった。
そして、その姿は見かけるたびに大きくなっていった。
母親の隣を歩くだけだったのが、ある日重いかごを持ってレジに並んでいた。一人で来たときには売り場の場所がわからずうろうろしていたのに、いつの間にかスーパーの中を我が物顔で歩き回っていた。
子どもの成長の早さに、時の流れを実感する。そんな、遠い親戚のような存在。
だがそれも店内という限定された場所だけでの関係で、まさか外で会うことになるとは思いもしなかった。
しかも、こんな状況で。
彼女はベンチに座り、手にしたハンカチで乱暴に体を拭いている。しかしそれも既にぐしょぐしょで、余計に水を広げるばかりだ。
小さな背中を丸め、独り肩を震わせるその姿が、あまりに痛ましい。
僕の足は、自然と東屋へ向かっていった。
「そんなに濡れては風邪をひいてしまいますよ」
声をかけ、鞄に入れていた大きいタオルで体を包んだ。頭をわしわしと拭けば、乾いたタオルも触ったところからじっとり湿る。どれだけ濡れていたのだろう。タオルの隙間から覗く真っ赤な顔も、涙と雨粒でしわくちゃだ。
「まあ、急に降ってきましたからね。あーあ、可愛い顔も台無しだ」
「……おじさん、誰?」
おじさん。その一言と、何回も顔を合わせたことがあるのに認識されていなかったことに少しショックを受けたが、そういえば普段は白衣姿に帽子とマスクだったことを思い出す。
さてどう答えよう、と考えたとき、愛用している真っ赤なコートが視界の隅ではためいた。
「おじさんは、サンタクロース。今はクリスマスも終わってお休み中ですけれど」
クリスマスにはサンタ帽を被って売り場に立つから、間違いではない。
だが、冗談にしてもさすがに返しが胡散臭すぎた。
「……小太りのおじいさんでもないし、ひげも生えていないのに?」
「サンタクロースにも色々いるんですよ」
けげんそうな顔を、タオルで覆ってごまかす。涙もぬぐえたから、ひとまずどうにかなったか。
「しかし、また随分とひどい顔ですね」
女の子の傍らに置かれた、ランドセルと手提げ袋。その中から、丁寧にラッピングされた箱が転がり出る。そういえば、今日は二月十四日だ。
「今日はバレンタインでしょう? プレゼントも用意して、幸せな日になるはずだったのでは」
軽口のつもりでするっと出た言葉に、彼女が体を固くする。しまった、と臍を噛んだときにはもう遅い。唇がぎゅっと引き結ばれ、その瞳が再び雫をたたえる。
情けないことに、その段になって僕はようやく全てを理解した。彼女が目いっぱいの愛と勇気を込めてチョコレートを作ったこと、しかしその思いが届くことは無かったこと。
「……バレンタインなんて、なかったのっ。チョコだって知らない」
「でも、折角きれいにできているのに……」
フォローしながら、失恋した子にかけるにはなんて的外れな言葉だともう一人の自分が呆れている。もちろん彼女の気が収まるわけもなく、きっと睨まれたかと思うと胸にチョコの箱が押し付けられた。
「じゃあ、おじさんにあげる!」
こんな大事なものを、自分なんかが貰ってしまっていいのか。一瞬ためらったが、これはやり場のない思い、あげる相手のいない贈り物だ。ここで受け取らなければ、本当に行き場をなくしてしまうだろう。
「……じゃあ、遠慮なく」
受けとるとその場で食べる許可を取り、包みを開けた。出てきたのは、シンプルなハート形にかわいいデコレーションがほどこされたチョコレート。半分だけ口に入れると、テンパリングも上手にできているようで口当たりもなめらかだ。
「うん、おいしい。上手に作りましたね」
そこでようやく、彼女は顔を上げた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている。
味見を勧めたがぶんぶんと首を横に振られたので、それならと全部食べてしまった。
もう、彼女の瞳に涙はない。しかし表情はまだ硬く、このままではせっかくのバレンタインも悲しい思い出しか残らないだろう。
何か彼女の気持ちをほぐせるものはないか。その時、うるさく響いていた雨音が止み、強い太陽の光が一筋刺しこんでいることに気づいた。
それならば。
「……さて、ごちそうになってしまいましたし、何かお礼をしなければなりませんね。とはいえ、プレゼントはクリスマスで配り切ってしまったんです。なので、気持ちばかりですが」
わざとらしい台詞を並べ、なるべく芝居がかった足取りで東屋を出る。ちらりと空を見れば、思った通りの景色が広がっていた。
恥を捨てろ。この子を笑わせることだけを考えて。
「涙にぬれた女の子を笑顔に戻す魔法しか、今のおじさんにはあげられなくて」
そして腕をいっぱいに伸ばし、足元から大きな半円を宙に描いた。
「ご覧。空に大きな魔法がかかりましたよ」
上空を指さすと、彼女は恐る恐る首を伸ばす。その表情が、ぱあっと明るく輝いた。
「わぁっ、虹……!」
東に流れた雨雲を背景に、くっきりと虹が橋をかけている。ここは遮るものが少ないため、通り雨が降ると比較的見えやすいのだ。
とはいえ、こんなにはっきり現れたのは久しぶりだ。女の子も山のような大きさの虹に、目を丸くして喜んでいる。
「ささやかなおくりもので、すみません」
「そんなことないよ! とっても嬉しい!」
彼女の顔に、幸せそうな笑みがはじける。それはまるで、初めて僕の前でケーキを買ったときのように。
ああ、よかった。
この子の泣き顔は、見慣れなくて嫌だから。
ケーキを選んでいるときの、いつもの笑顔でいてほしい。
「あなたは、笑っている方が似合いますよ」
彼女はフェンスに張り付き、夢中で虹を眺めている。僕は気づかれないように、そっと踵を返した。
自分が偽物のサンタとばれないうちに、そろそろ暇を乞わねばなるまい。
パティシエとして修業を積むために店を辞めた今となっては、もうあの子と会うこともないだろう。
本物のサンタがいるのならば、どうか僕の願いを聞いてほしい。
彼女の笑顔がいつまでも輝き続けられるよう、僕の代わりに見守ってください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「Unhappy Valentine」を書きながら、裏設定として考えていたお話です。遊びで書いてからも、元の話の雰囲気を壊すのでは、と思い日の目に出すか迷ったのですが、せっかくなので投稿させていただきました。
ですのでクオリティが今一つですがどうぞご勘弁ください。お付き合いいただき、感謝いたします。
今後も精進いたしますので、またお目にかかる機会がありましたらどうぞよろしくお願いします。