7 内政官
ハミルトン男爵となって一週間が経ち、俺は今、執務実の机について資料と睨み合っている。
まず俺は全ての借金を支払い終えることから始めた。
前男爵が無能すぎて領民からの信頼が無く、人が集まらなかつたこともあり、とにかく今は優秀な人材に餓えており、その改善策として全ての村や街に二年間の人頭税の免税と作物税の減税を知らせた。
魔物の襲撃という災害に見回れた村々では、人死にもそうだが田畑が荒らされているケースも少なくなく、例年通りの税を払うことは困難であるだろうし、普通ならあり得ない待遇をすることで新領主は裕福であり、仕官しても給金を貰えるということを知らせる意味も持つ。また、少ない税を求める他領からの移民も望める。
ついでに優秀な人材を募集している旨も書いておいたから、あとは祈る他ないだろう。
「ククク。しけた顔をしておるの」
執務室に入ってくるなり、ティナはゲラゲラと笑いながらドカッとソファーに腰かけた。
俺は乱雑に置かれた資料を整理しつつ、彼女に愚痴をこぼす。流石の俺も、税金や領地改革のことなどさっぱり分からないのだ。それなのに全てが俺に任されている状況は非常に宜しくない。
「人が足りん。軍は後回しにできても、内政官を雇わないとどうにもならん」
「そうじゃな。妾もお主も、万の敵は屠れども机仕事の知識は皆無じゃからの。笑いたいところじゃが、実際は笑えたところではあるまい」
俺もティナも護衛を必要としないため、軍は今のところ必要ない。勿論、領内の治安維持や他領主への牽制等から、完全に必要ないわけではないのだが、今はそれよりも内政官がどうしても必要なのだ。
「あの男は生かしておいた方が良かったのだろうか。領地が大きくなってから突然しゃしゃり出てこられても面倒だから、今のうちに殺しておいたのだが‥‥‥」
「それはどうでもよいじゃろう。お主が殺さずとも、妾も殺したと思うぞ」
殺してしまっても良かったのかと一抹の不安が拭えないが、いまさら何を言っても仕方がないため話を変える。
「で、お前も俺の顔を見るためにわざわざ来たわけではないのだろう?」
「まあな。一つは領地についてじゃ。ハミルトン領はその殆どが山や森。平地など殆どありはせんかった。じゃが、生える木々は良質な巨木ばかりじゃった」
「理解できないな。それなら何故木々を切らない? 木材を売れば金になるだろうに。まさか森の所有権がないとは言わないよな」
「いや、森も山も領地の境まではハミルトン領じゃ。これを見てみろ」
ティナが資料を投げ、机の上に置いてあった林檎を齧る。俺はその資料を捲って全てに目を通し、大きく唸った。
そこに書いてあったのは領地の境について。
ハミルトン領に近接する山地や森林は全てハミルトン領のものであり、それを含めれば男爵領には相応しくない大領地があることになる。
ハミルトン男爵ザクスフォード家は、かつての大戦時の武勲により騎士爵を賜り、男爵へと至った伝統貴族である。
初代のエリバル=ド=ザクスフォード=ハミルトンは叙爵前より仕えていたバルドング伯爵を寄り親として家を繁栄に導き、たった一代で准男爵を経て男爵位を得る。
エリバルが息子のローゼルに爵位を譲り、年月と共に代が変わっていくも、ザクスフォード家は武の名門として各地に名を馳せ、その勇猛無比な軍は、旗の紋章を見た敵が白旗を上げたという逸話まで残す。
しかし、それも二百年ほど前までの話。領地の経営難により寄り親のバルドング伯爵が没落した事と、当代の当主が凡才であったことが重なり、ザクスフォード家もまた落ち目を迎える。
数百年の武門の栄光を捨てることはできず、その後も大規模の軍を持ち続けたが故にその借金は次々に膨らみ、その栄光も地に堕ちた。
バルドング伯爵が断絶し、その領地を寄り子で分配することとなった時、ザクスフォード家はせめてもの救いとして平野の領地を得ようとしたが、与えられたのは国境に面した広大な未開発の山地のみ。そう、この山地こそ、今もハミルトン領西部に広大に広がる大森林である。
「この契約書は正式なものか?」
「ああ。王家の紋もあるようじゃし、効力はあるじゃろうな。一通り目を通したが、不備もなさそうじゃ」
「鉱山ではないとしても広大な森林の広がる山だ。木材を売るなり、開墾して畑を作るなり、何かしらの使い道はあっただろう。それなのにザクスフォード家はさらに没落している」
「まあ、山に何かあると見て間違いじゃろうな」
「だが、これを克服できれば儲かることに間違いはない。平野がなくとも開墾すればどうにかなるだろう。土地が痩せてるなら家畜を育てればいいし、森があるのだから木材も売れる。特産品の目処は立ちそうだな」
「山については調べておこう」
正式にハミルトン領であるならば、森林で大きな収入を得たとしても、森林に領地を接する他領主からの介入を防げる。それでも何かしらの迷惑を働くようなら、満を持してティナを投入すればいいのだ。
「で、二つ目の話は? 言い方からしていくつかあるんだろう?」
「ああ。あるぞ。お主が言うておった男の居場所が判明した。領地の片隅で妻と暮らしておったわ」
ティナが本日五個目の林檎を完食した。彼女が言う『あの男』こそ、今後のハミルトン領経営を大きく左右することとなる。
「そうか。では行こうか」
「妾が行くと領主邸が留守になるぞ」
「それに何か問題でも?」
「ククク。ないな」
自慢じゃないが、この領主邸には何もない。金貨は俺の亜空間に収納しているため財と言えるものは何一つ無く、あるのは最低限の家具のみ。
いや、俺の発注した、体が沈む柔らかさの最高級ベッドが財と言えるかもしれないか。
あと、問題があるとすれば来客くらいだが、泊まり掛けではないのだから問題はないだろう。
俺は立ち上がり、デスクワークにより軋む関節を伸ばすべく大きく背伸びをし、ティナを引き連れて部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆
そこは、領主邸のあるマレンディの街の近郊にある、人口五百人ほどの小さな街ルペルタ。
その片隅にある石造りの小さな家。庭には小さな畑があり、軒先には洗濯物が干された生活感の漂う庶民の家だ。
木で作られた扉をノックすると、女性の返事がした。待つこと無く扉が開かれ、割烹着のような服を着た婦人が顔を覗かせ、身なりの良い俺達を見て、訝しげな表情へと変わる。
「どちら様でしょうか」
「バレムント=パーレはいるか?」
「ですから、どちら様でしょうか」
警戒の籠った声音で俺に問いかける婦人。これほど敵意を剥き出しにされると思っていなかったこともあり少し面食らっていたところで、再び声がする。
それは婦人の背後━━━つまり家の中から聞こえてきた男の声だった。
「私がバレムント=パーレですが、どちら様ですかな?」
婦人を自分の背に隠すように現れたのは、五十歳手前の壮年の【人間種】の男。白髪混じりの髪を短く切り揃え細身の体は引き締まっている、清潔感のある男だ。
この男こそ、俺が会いたかった男━━━前領主のお目付け役にして、領地経営の顧問を務めていた男、バレムント=パーレだ。
「新領主、アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトンだ。少々話がしたい」
その瞬間、男の瞳に確かな覇気が宿った気がした。
「畏まりました。汚い家で申し訳ございませんが」
「構わない。邪魔するぞ」
家の内部は狭いものの整理整頓され、小綺麗な空間になっていた。妻の仕事か本人の仕事かはわからないが、綺麗好きであることが伺える。
俺の組時代の持論だが、家を掃除できる奴は事務で使える奴が多い。
「此方にお座り下さい。お付きの方もよろしけれは」
二人掛けのソファーに座り、指をチョイチョイと動かしてティナも座らせる。人前ではティナは従者であるため、彼女は俺の許可無しに座ることなどできない。
「さて、改めて自己紹介させてもらう。ハミルトン領新領主、アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトンだ」
「お噂は聞いております領主様。借金も返済なさり、領地改革に着手なさったと。して、この私めに如何なるご用件でしょうか」
「聡明なお前が分からぬ筈もなかろう。お前を雇いに来たのだ」
驚いた様子はないため、俺が名乗った辺りから予想していたのだろう。それは誰にでも想像可能なことであり、もし分かっていなかったのであれば俺はこいつに用はない。
「御戯れを。私は既に隠居した身です」
「すまないが、俺は譲るつもりはないぞ。お前を絶対に仕官させるつもりだ。お前が嫌がるなら領主命令を行使してもいいのだが」
「その時は妻を連れて領地から逃げましょう」
上手くはぐらかそうとしているのだろうが、ここで引き下がるわけにはいかない。素性の知れない馬の骨よりも、何代にも渡ってザクスフォード家に仕えていたこの男の方がよほど信頼が置ける。
内政官のトップはこの男に任せたいと思っているのだ。
「面白いことを言うな。できると思っているのか?」
「軍は解散されたままの筈です」
「分からないぞ。いるかもしれない」
「あり得ません。先代様のお噂は西部なら誰でも知るところ。その噂があってもなお、ザクスフォード家に仕えるものがいるとは考えられません」
バレムントは俺が領主と分かっているにも関わらず、媚びへつらうどころか打ち首にされてもおかしくないほどの無礼を言っているのだ。
この男には悪いが、ますます欲しくなった。
「確かにお前の言うとおりだ。ザクスフォード家にはまだ軍はない。だが、俺もこいつも一軍に匹敵する力を持っているぞ」
「なるほど。【真祖】と【白銀族】を相手に逃げ切れるかは愚問ということですか‥‥‥」
「気づいていたのか?」
「領地経営には必要なことでありますゆえ」
さも当然とばかりに頷くバレムントの瞳には、言葉の通り自慢などは浮かばない。それほどまでに自分の能力に誇りを持っている証拠だろう。
やはりこの男は有能であるのだから、何としても欲しい。しかし、この男は頑なに仕官を拒否するため、思わずムムと唸ってしまう。
「ますます欲しいな。俺もこいつも内政には明るくない。どういう政策が利を得て且つ民にも益があるか等がわからんのだ」
一瞬、俺の言葉にバレムントの瞳が反応したのを俺は見逃さなかった。直ちに先ほどの言葉を一言一句違わずに脳内に呼び起こし、何が彼の興味を引いたのかを判別していく。
「どうすれば仕える気になるのだ? 金なら毎月金貨五枚を払おう。お前が望むならここで頭を下げてもいい」
言葉に嘘はない。バレムントは土下座するに値する駒だ。
「俺の暮らしていた国には『三顧の礼』という言葉があってな。ある君主が優れた軍師を得るために、その男の元へ三度通って頭を下げたという話だ」
「私が頷かなければ何度もお越しになられるということですか」
バレムントの苦笑混じりの言葉に、俺は同じように笑いつつも真剣な顔で頷く。
「俺は前領主のように民を貧窮させてもなお金を集めようとは思わない。何故なら既に借金を返済するだけの財力を持っているからだ。バレムント。俺はお前が欲しい。他所から集まってきた百の内政官よりも、譜代の家臣であるお前が欲しい。俺はお前を重用するぞ。お前の言葉に耳を傾け、決して蔑ろにすることはないと神の名に誓おう」
バレムントは自分の能力への誇りと、民を裕福にするという理想を持っている。彼の能力が万全に発揮されれば、その理想は実現しただろう。俺もそう思うし、何よりも彼はそうなると確信していた。
しかし、仕えた主が悪かった。借金を返すことにしか目を向けず民のことなど視界に入っていなかった。いや、バレムントですらあの男の目には写っていなかったのだ。
自分の力を信じているだけに、あの男の態度に我慢できなくなったのだろう。バレムントはたとえ給金が少なくとも、自分の能力を最大限に発揮させてくれる主を求めていたのだ。
だから、譜代の家臣であったとしても、彼は前領主の元から去った。
無能の元には無能が、有能の元には有能が自然と集まっていくのは自明の理。バレムントのことを責めることができる者はいない。
「俺は長命種であるし、暗殺の心配もいらない。俺ならお前が死ぬまでこき使ってやる。なんなら、お前の子も、孫も、曾孫も、玄孫も、その次の子も、子孫が絶えるまで雇ってやる。まあ、それはお前の子孫の能力にもよるがな」
「ハハハ。流石に何代も先の子孫のことは私にも分かりませんな」
今度は苦笑ではない。心底面白そうに笑っている。
「まずはお試し期間ということで一年でいい。その間に、俺が仕えるに値する主か見定めればいい。俺もお前のことを見極める」
試しに一年というのは互いに楽でいい。バレムントが態度だけの無能なら、俺もこいつの首を切れる。
「今お申し込みいただいたお客様にはタオルまでお付けしよう。さあ、バレムント。お前はどうする?」
「そうですな‥‥‥。できれば石鹸までつけていただけると嬉しいものです」
バレムントはそう言ってニヒルに笑い、片膝を地面について頭を垂れた。