6 ハミルトン領
扉を開くとカランカランとベルの音が鳴った。途端に喧騒が耳に入り、この酒場が賑わっていることを教えてくれる。
「空いた席に座ってね。今そっちに行くから」
指示に従い、空いていた席に座って待っていると、若い娘がやって来た。
「うちの酒場へようこそ。ご注文は?」
「葡萄酒を貰おうか」
「はーい。ちょっと待っててね。今持ってくるよ」
おそらく彼女は看板娘なのだろう。酔った野郎の客から汚い野次が飛んでいる。まあ、彼女も慣れたものなのか笑顔で返しているから逞しいものだと感心させられる。
「よぉ、兄ちゃん。見ない顔だな。ここは初めてか?」
運ばれてきた葡萄酒を飲みながら周囲の話に耳を傾けていると、隣のテーブルに座っていた壮年の男が話しかけてきた。見た目としては胡散臭くはなく、屈強な肉体と使い込まれた鎧は長年の戦いの証━━━悪くはないな。
「ああ。辺境の故郷から国中を旅していてな。今日やっと王都に着いたのさ。そう言うあんたは傭兵か?」
「ああ。【鷲獅子の翼】っていう傭兵団に所属してるマルコスってもんだ宜しく頼むぜ」
「俺はルイスだ」
良い偽名が思い付かなかったため、ルイス=キャロルから名前を取った。
「ルイスは【吸血族】だろ? 同じ【魔人種】同士仲良くしようぜ」
マルコスの顔は人ではなく狼であり、二足歩行の狼と言った姿であるため【魔狼族】で間違いない。【獣人種】の一派である【狼人族】と似ているが、彼らは人の体に狼の耳の尾を生やした姿をしている。
この世界には種族が多過ぎて、微妙な区別を付けるのは未だに難しい。ティナの話だけではどうにもならないかもしれないため、関連書物を読んで研究する必要がありそうだ。
マルコスと固い握手を交わした俺は、葡萄酒の入ったジョッキを持ってマルコスの座っていたテーブルに場所を移した。
俺が狙ったのは傭兵が屯する酒場だ。依頼をこなしながら各地を旅する傭兵団であれば色んな情報を聞き出せそうだ。
「俺も各地を旅したが、マルコスの傭兵団も色んな場所を旅してるのか?」
「そうだな。今は休憩も兼ねて王都にいるが、ついこのあいだまでは西部でダリレオースの群れを討伐してたぜ」
ダリレオースとは紫色の巨大カメレオンだ。擬態もするためやりにくい相手なのだが、その群れの討伐依頼を受けるということは実力のある傭兵団である可能性が高い。
「これから西部に行こうかと考えてたところだったんだが、西部はそんなに魔物が湧くのか?」
「そんなことはねえよ。魔物が少ない地域だからこそ、慌てた領主が高い金を払うほどの大騒ぎになったってわけよ」
適当に西部に行くかもしれないと話すと興味深い話が出たな。ここから上手く話を誘導していくとするか。
「それは西部のどこら辺の話だ?」
「ブルガリオからネーロビにかけての平野だ。近くの森で湧いたのが突然溢れだしたらしくて、俺達が到着したときには既にかなりの被害が出てた。西部は魔物が少ないから傭兵も少ない。西部の依頼なんて商隊の護衛くらいしかないから、実力のある奴等は魔物の多い東部や北部に行くのさ」
「じゃあ、お前らはその騒動で一儲けしたってわけか」
「応ともよ。俺は副団長だからな。ダリレオース共を千切っては投げ千切っては投げと無双の活躍をしたから報酬の配分も多かったのさ」
「それは凄いな。でも、そんな大金があったらもっと高い酒場に行けたんじゃないのか?」
「いや、稼いだ金は全部娼婦につぎ込んじまったからもう銀貨一枚もねえな。【森精種】の娼婦は見た目は良いが値段も一桁違う。いつもは、【森精種】を抱くくらいなら同じ値段で他の種族の娼婦を並べた方が良いじゃねえかと思ってたんだがよぉ。いざ抱けるだけの金が手元にあったら誘惑に負けちまったぜ。まあ、気持ちよかったから良いんだけどよ。ガハハハハ」
「【森精種】か‥‥‥。一度は相手していただきたいものだな」
「ま、頑張んな。あ、でもな。俺がこうして稼いでいる一方で、中には運のねえ奴等もいるんだぜ」
「運がない?」
「ああ。俺達の依頼主はブルガリオ辺境伯ペンデル様で、国境の守りを任されてるってだけあって傭兵にも理解があったから良かった。運がなかったのはネーロビ伯とハミルトン男爵の依頼を受けた奴等さ。ネーロビ伯アイゼナッハは貴族至上主義者で平民を蔑んでやがるから依頼金を全額払わなかった。ハミルトン男爵は借金まみれで依頼金を払えなかった。それを見兼ねたペンデル様が幾らか払ったらしいが、合計しても依頼金より少ないらしいな」
「穏やかじゃねえな」
「まったくだ」
西部のハミルトン男爵は候補に入れていいだろうな。
その後も様々な話を聞いていったが、ハミルトン男爵以上の有望株は出なかった。あとはマルコスに浴びるように酒を飲ませて酔わせ、今日のことが記憶に残りにくいようにすれば終了だ。
まあ、既にでかい鼾をかいているから問題は無さそうだが。
◇◆◇◆◇◆
「で、酒場で情報を集めてきたというわけか」
「何か悪かったか?」
「まあ、良いがの。ただ、一言くらい言って欲しかったと思っただけじゃ」
翌朝、何やら頬を膨らませて不機嫌さを隠さないティナの機嫌を直すのに一苦労し、昨日のように吸血して腹ごしらえした俺は、腰を抜かしたティナにハミルトン男爵の情報を集めるように命じてから昨晩集めた資金を数えている。
その額、金貨にして約十万枚。ダンジョンで得た魔物の素材を売り払うことで得た金とティナが蓄えていた古い金貨を換金して得た金の合計額だ。勿論足がつかないように様々な手配は済ませている。
これだけあれば領地改革も思いのままだろう。
太陽が上れば次第に眠気を覚えてくる。太陽の光が届かないダンジョンでは忘れていたが、やはり外にいると、太陽によるサイクルが出来るものらしい。しかも、夜行性のサイクルが。
体は完全に【吸血族】か‥‥‥。そう思いながら大きなあくびを一つすると、俺はベッドに潜り込んで意識を闇へと手放した。
◇◆◇◆◇◆
夕方になり、俺はティナが得た情報を整理していた。ティナの分身なるものがどんなものかは知らないが、かなり優秀であることは間違いないだろう。
「ハミルトン男爵ザクスフォード以外の物件は見つけられんかった。故に徹底的に其奴を洗ってみたのじゃが、間違いなく適任であろうな。伝統貴族のようじゃが、数代前より借金まみれ。その額は利息を含めて金貨三万枚じゃ。周辺貴族は関わろうとせぬし、妻子を流行り病で失って跡継ぎもおらぬから断絶寸前のようじゃ」
「領地は?」
「ハミルトンは小規模の街が三つあるだけの小領じゃ。代表する産業もなく、領都のマレンディも商人すらなかなか寄り付かない寂れた街であるようじゃ」
「そいつが消えて困る者は?」
「おらぬ。婚姻関係もないようじゃし、唯一おった忠臣にも逃げられ配下もおらぬ」
「それは良いな。最高だ」
俺は葡萄酒を飲みながら不敵に笑う。
「あと、この国についても調べてみた。ここライヒ王国は大陸でも三本の指に入る大国で領土も広大。四公と呼ばれる四方角それぞれにある公爵家が権力を巡って争っておるようじゃ。王権が弱いゆえ、諸侯は好き勝手にしておるようで、玉座も取り易すそうじゃの」
「現王の代替わりはありそうか?」
「玉座に座ったばかりの若造のようじゃ。単純に考えれば暫くはないだろうな」
「賢王か? それとも愚王か?」
「まだ分からぬ。じゃが、南部のトリレゴラ公ヒルバと結託して王権の回復を図っておるという話もある」
なるほど。王権が弱いのであれば御し易かったが、新王が賢王だったら話は別だな。暗殺も可能だが、もし殺したとして次の国王が更に傑物だったとしたら面倒なことになる。
状況を見つつ、下手に藪を付くことはしない方が良さそうか。
◇◆◇◆◇◆
その男、ネルソ=ド=ザクスフォード=ハミルトンは執務室で頭を抱えていた。ストレスによって髪は抜け落ち白髪となり、目の下には大きな隈を作っている。
男の呪詛にも似たぼやき声が聞こえてきて、獲物だというのに同情させられる。
そんな不幸に彩られた静かな部屋の中、俺は小さな蝿となって壁に止まっていた。部屋に忍び込む前に領主邸を見て回ったが、小さいうえに警備兵の一人もいない。
積み重なった借金で給料も払えずに逃げ出されてしまったのだろう。
変身を解いて男の背後に立った。男は借金の帳簿を眺めるのに忙しいらしく、俺の存在には全く気づいていない。
「失礼」
「う、うわぁ!? だ、誰だ貴様は!!」
俺が声をかけたことで、やっと俺の存在に気づいた男が、腰を抜かしながら慌てふためく。痩せ細った腕でしきりに俺を指差してくる。
「お前に機会をやろう」
「き、機会? どういうことだ」
「お前は妻子を失い、部下に逃げられ、借金まみれの没落貴族。このままでは家は途絶えて他家に土地を奪われる」
「そんなことは私にだってわかっている。何だと言うんだ」
「だから機会をやろうと言っている」
俺は金貨が大量に入った袋を男に投げつける。その中身の黄金の輝きを見た男の顔が変わった。
「何をすればいい」
「いや、何もしなくていい。正式な書類で俺を養子にして家督を寄越せ。あとは隠居するだけで良い。そうすれば借金も全額返済してやるし、家名と爵位も残してやる。先祖代々伝わる、このハミルトンの土地もな」
「ほ、本当か?」
「ああ、本当だ」
「分かった。お前の契約を飲もう」
タイムリミットがあるわけでもないのに急いで書類をしたためていく男。直筆でサインさせ、花押まで完成させた男が、嬉々として俺に書類を見せてきた。
「できたぞ。これで、これで私は━━━」
「ああ。ご苦労様」
男の細首を掴んで骨をへし折り、その肩に食らいついた。ティナの血を吸うときとは違い、相手の生存など考えない。
男の肌は次第に生気を失っていき、やがて男は最後の一滴まで血を吸いとられ、灰となって消えた。
俺は机を蹴飛ばして椅子に座り足を組む。
「様になっておるぞ」
「そうかい」
いつの間にか部屋に入ってきていたティナが口角を上げた。俺はそんなティナに書類を掲げながら、高らかに宣言する。
「今日この日より、俺はアリス=ド=ザクスフォード=ハミルトン男爵となる。これから始まるのは王道ではなく覇道だ。改めて聞く。それでも貴様は俺についてくるか?」
ティナは片膝を付いて頭を垂れる。
「当然にございます。このティゼルレオナ。我が主の御望みとあらば、牙にでも翼にでもなりましょう」
この日より、俺の覇道が幕を上げた。これより始まるは、血で血を洗う血泥の道。
俺はその道をひたすら突き進む。王になるために。