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19 ケーバチェ要塞②

 


 やはり異世界というものは面白いものだと千年経った今でも常々思う。最初の千年は引きこもりだったのだから実際は一年ほどなのかもしれないが、世界の全てが非現実的に思えてきて笑える。


 このケーバチェ要塞もそうだ。まるでハリウッドの映画の撮影に紛れ込んだかのような光景が現実として広がっている。

 だが、ここは戦争状態の国家との国境線である。肌をピリつかせる緊張感、兵士達の汗や鉄の匂い、扇情的な娼婦の性病まみれの血の香り、そしてそんな一人一人のリアルな表情が俺の気分を高揚させるのだ。


 剣の打ち合いをする兵士達の喧騒に包まれていた外とは対称的に、城の廊下は水を打ったように静かであった。俺と先導するデヴィエルの靴の音だけがコツコツと閉鎖的な廊下の石造りの壁に木霊している。


 長い廊下を抜け、螺旋階段を上り、上階の一室━━━騎士二人の警備のある扉の前でデヴィエルが止まった。アイコンタクトで確認を取ると、デヴィエルは頷いて肯定の意を伝えてくる。

 デヴィエルを俺の背後に下がらせ、騎士の一人の前に立つと、それを待っていたのかタイミング良く騎士が口を開いた。


「どちら様ですかな」

「ハミルトン男爵アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトンである。先程このケーバチェ要塞に到着した故、まずはこの要塞の主であるブルガリオ辺境伯にご挨拶に参った。閣下にお目通り願いたい」

「失礼しましたハミルトン男爵。暫しお待ちを」


 外套を脱いだ俺の貴族服を見た騎士は、精錬された所作で美しく敬礼すると扉の向こうへと消えていく。


「もっと横柄な態度を取られると思ったが‥‥‥」

「先の戦の我が軍の戦いぶりにブルガリオ辺境伯軍の兵士は感銘を受けたらしく、一兵卒にまでやたらと厚待遇をしてくださるのです」

「そうか。良くやっ━━━」


 デヴィエルに小声で話しかけていたが、扉が開いたため慌てて姿勢を正す。


「お部屋の中へどうぞ。宜しければ外套はお預かり致しましょうか」

「ありがとう」


 家柄の良さそうな騎士だったが外套まで持っていてくれるとは、デヴィエルの言うとおりよほど我が軍の勇姿に感動したらしい。俺もその姿を見てみたかったものだと思うが、それを愚痴る前にまずは一仕事待っている。


「お初にお目にかかります閣下。ハミルトン男爵アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトン。たった今、ケーバチェ要塞に参上致しました。まずは、我が領の民をお救い頂いたことに感謝を」


 貴族式の礼を取って頭を上げる。


 そこにいたのは一人の()()。一際豪華な鎧とマントを着こなし、燃えるような紅毛と生気を感じさせない真っ白な肌に、右目を眼帯で覆った美女だ。

 その容姿や所作一つ一つが艶やかだが、それは薔薇のように美しいが棘のある花だ。実際に、彼女の額には一尺もあろうかというほどの長さの角が二本、天井に向かって伸びている。


 彼女こそ、『紅雪鬼』と吟われる東部の女傑━━━ヴェルガリンデ=ド=ペンデル=ブルガリオその人なのだ。


「【吸血族(ヴァンパイア)】だとは聞いていたけどな。まさか【真祖(スペリオル)】なんてバケモンが出てくるたぁ、驚いたな」


 ヴェルガリンデはおおよそ貴族の女性とは思えない、山賊の頭のような口調で軽く口角を上げた。


「私はバケモノ‥‥‥。そうですか、では閣下はバケモノ以上のナニカですか。例えるならば、差し詰ゲテモノですかな?」


 俺の勘がへりくだる必要はないと告げていた。おそらくだが、下手な貴族言葉よりも、面と向かってストレートに言葉をぶつけた方がこの女は好きな気がしたのだ。


「貴様、このお方を何方と心得る。男爵風情が無礼であるぞ!」


 俺の無礼極まりない態度にヴェルガリンデの背後に控えていた鎧姿の初老男が剣の柄に手をかけて吼え、それに呼応してデヴィエルと騎士も剣を抜いて色めき立つ。

 どちらか一人でも身動きを取れば殺し合いが始まることが間違いない一触即発の空間━━━━それを破ったのはヴェルガリンデの笑い声であった。


「お前ら、剣を下ろしな。じい、貴様もだ」

「デヴィエル、剣を下ろせ」


 それぞれの主の一喝で両者共剣を戻して一歩下がる。一人、ヴェルガリンデにじいと呼ばれた爺さんだけは未だに俺のことを睨み付けていたが。


「悪かったな。俺の部下が迷惑をかけたようだ。それでだが、どうして私がゲテモノなんだ?」


 その話を蒸し返すのか。


 まあ、どうでもいい言葉で着飾った下手な腹の探り合いや化かし合いよりも余程楽で良いし、尚且つ得意分野だからむしろ好都合だ。

 それに、俺の勘の確かさが再確認できた良かったということでもある。


「それは閣下のお心にお聞きなさればよいでしょう。もしそれでもお分かり頂けないというのであれば、額の長いソレはアクセサリー的な何かなのでしょうな」


 額に生えた角は【鬼人族(デモニ)】の特徴である。【鬼人族(デモニ)】は魔力量が非常に高い種族で、彼らの角は魔力の精製器官であり、その強さによって角の大きさが比例する。


 そして一尺という驚異の長さの角を持つ種族はたった一つのみ━━━ヴェルガリンデは俺と同じで各種族のピラミッドの頂点に君臨する者、【鬼人族(デモニ)】の最高種族たる【鬼神族(シャイターン)】なのだ。


「ククク。で、私は何だと思う?」

「【鬼神族(シャイターン)】かと」

「正解だ、ハミルトン卿」

「ところで、質問をされたついでに一つ、私も疑問に思ったことがあるのですが」

「言ってみろ」


 ヴェルガリンデは興味と歓喜に輝いた瞳で俺を見てくる。それはさながら、新しい玩具を見つけた子供のようだ。


「そこの鎧の老人を『じい』と呼ばれたことについてです」

「また聞き直そうか。どうしてそれが疑問なんだ?」

「私の能力が少しばかり粗相をやらかしたのですが、閣下はそこのご老人よりもお年に見えたのです。ですから、どちらかと言えば、閣下の方が『ばあ』なのでは?」


 俺の<鑑定>には、老人、将軍ゾイサスは六十八歳で、ヴェルガリンデは一二八歳と映っている。容姿で言えばゾイサスが爺さんなのだが、実年齢はヴェルガリンデが婆さんだ。


「そうだな。私は今年で一二八になるから私の方が倍近く年上だ。じゃあ私も聞くが、目上の者にはもっと礼を尽くすべきなんじゃないか、坊主?」

「私は千歳を超えております。年齢に興味がありませんのでそれ以上は数えておりませんが、()()()一二八歳程度でご自慢なさらないで頂きたい。おっと、この場合は閣下のお言葉をそっくりそのまま返すべきなのでは? 小娘」


 ゾイサスの顔が怒りに歪みすぎてむしろ滑稽にすら思えるようになっているが、当のヴェルガリンデはさも面白そうに腹を抱えて笑っている。


「これは一本取られた。小娘なんて言われたのは数十年ぶりだぜ」

「お望みとあらばこれからいくらでも呼んで差し上げますが」

「それは勘弁して欲しいな。私はこれでも『紅雪鬼』なんて名で通っていてな。威厳がないと女である私はなめられるのさ」

「『紅雪鬼』‥‥‥。敵の返り血に濡れた肌がまるで雪の上に垂れた血のように見えることから付いた異名だったと記憶していますが」

「その通りだ。紅雪なんて処女臭え名前で呼ばれるのは少しばかり不本意だがな」

「‥‥‥そうですか」

「何がおかしい」


 思わず笑ってしまった俺をヴェルガリンデが訝しげな表情を浮かべ、直後何かに気がついたようにハッと目を見開く。

 そして、顔を真っ赤にして俺を睨み付けてきた。


「‥‥‥ハミルトン卿。私は<鑑定>を持ち合わせないからよく分からないのだが、そんなことまで分かるものなのか?」

「いえ閣下。私が【吸血族(ヴァンパイア)】であるが故にヒトの血の匂いに敏感なだけです。そして、閣下からは、私の好物の初物の甘美な香りが致しました」

「そんなことまで分かるものなのか」

「ええ。高位の【吸血族(ヴァンパイア)】は血の匂いから様々なことを読み取ります。それは性交渉の有無だけではございません。種族、年齢等は勿論のこと、病気があるか、その日運動をしたか‥‥‥果ては嘘を付いているかどうかまで」


 ヴェルガリンデの瞳が怪しげに光った。並大抵の者では臆して尻餅をつくかもしれないが、俺はただジッとその紅の瞳を見つめ返す。


「‥‥‥変態だな」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 まあ、今のところかなり役に立っている能力であることに間違いない。

 あっけらかんとした態度の俺に腹を立てることが馬鹿らしくなったのか、ヴェルガリンデは肩をすくめながら朱を差した頬を隠すように俺から目を反らした。


「私は長命種だ。それも【森精種(エルフ)】を初めとしたよく知られる長命種とは違って寿命は永遠に等しい。お前にも分かるだろう?」

「ええ、閣下と同じかそれ以上には」


 長命種は他の種族に比べて、文字通り寿命が長い。【森精種(エルフ)】は二百年ほど生きるし、俺より低位の【吸血族(ヴァンパイア)】だって三百年は生きられる。

 他者よりも寿命が長いということは他者よりも人生を長く楽しめるということであるが、その一方で長命種でない知人との別れを経験することは必須だ。実際、長命種であることを嫌になる時は、妻や親友と死に別れた時だと聞いている。


 俺は幸いにも千年間共にいたのはティナだけで、彼女もまた永遠に等しい時を生きる種族だ。そのため千年間で誰か近しい人を亡くすことはなかった━━━━が、ヴェルガリンデは違う。彼女が辛い経験をしてきたことは間違いないだろう。そして、これからは俺も‥‥‥。


「私は数十年間という時はかかったがたった一代で西部の大貴族にのしあがった。リュナードのドラ猫共と()り合うことになったとしても勝てる自信があるくらいにはな」


 リュナードとは西公と呼ばれる西部の大公爵、モネ公爵リュナード家のことだ。ドラ猫とは、リュナード家の紋章である獅子のことを揶揄してのことだろう。


「そんな西部の大貴族様は女だ。金や権力目当てにすり寄ってくる野郎共はいくらでもいたさ。だが私にだって誇りってもんもあるし、伴侶の理想がある。無駄に媚びてくる奴はもっての他だ。自分よりも弱い男も嫌だ。そして━━━自分よりも先に死ぬ奴も嫌だ」

「それはまた少々無理がある条件すぎやしませんか」

「その結果がこれだ。百を過ぎても生娘だ。一周回って笑えるだろ?」


 ヴェルガリンデは両手を広げて自分を示し自嘲する。


「悪いことではないと思いますがね。女としての喜びは得られずとも、閣下は権力者としての喜びは得られておいでだ。閣下が頭を下げなければならない者は王国広しと言えどもそう多くはなく、閣下の号令で万の兵が動く。これほど誇れることはありますまい」

「お前、面白いな」

「閣下ほどでは」


 そんなことを呟きながら俺を見つめてニヤニヤと不敵な笑みを浮かべてくるヴェルガリンデを不審に思いつつも、俺は喉を潤すべく、出されたティーカップ口許に運んで傾ける。

 

「よし、決めた━━━お前、私と結婚しろ」


 俺はその日、生まれて初めて飲み物を口から噴水のように吹き出したのだった。








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