17 バルキス王国侵攻
行きは半月かけた道のりも、ティナの背中に乗れば半日へと変わる。体裁を気にしなくてもいいなら何ともまあ便利な移動手段である。
「のお、アリス」
「ん?」
「その、なんじゃ‥‥‥頬は大事ないかの?」
「んああ、気にするな」
背中からティナの顔は見えないが、実にバツが悪そうにティナが尋ねてくる。平手打ちをしたら頬から煙が上がったのだから少なからず心配もしてくれているようだ。
実際のところ、頬の傷は戦争云々の話で俺自身も完全に忘れていたくらいなのだから、それほど大した傷ではない。思い出したから良いタイミングだと思って頬に回復魔法をかけながら、俺はティナの背中の鱗を爪でガリガリと削っていた。
「まあ、俺も無敵じゃねえってことだ。特に昼間であるなら、俺はお前に瞬殺されるだろうよ。良かったら気を付けてくれ‥‥‥俺が弱いと分かって残念に思うか? なんなら見かぎってくれても構わないんだぞ」
「ふんッ、馬鹿を言うでないわ。妾は永遠にお主と共にあると申したであろう。お主をよりいっそう守ってやらねばと思いこそすれ、見かぎろうなどと思う筈がなかろう。【龍種】に二言はないからの」
「そうか‥‥‥ありがとな」
「れ、礼を言われることではないのじゃ‥‥‥むず痒い」
「そうかい。まったく、本当にいい女だな」
「んなっ!? おぬ、ちょっ、いいいいいったい今日はどうしたというのじゃ。悪いものでも食ったのか? らしくないぞ」
「何でもねえよ。忘れろ」
もう一度言えとティナが暴れだし、危うく空から落下する事故が発生したりしたが、ティナ航空は着実に運行されており、気づけば空の旅も終わりとなっていた。
◇◆◇◆◇◆
ティナが高度を下げ雲のトンネルを抜けるとマレンディが見えた。俺には自覚がないものの半年という月日が経ったマレンディはまた更に大きな街に変わっているらしい。
門の前に降りるのではなくティナに乗ったまま領主邸に降り立ち、人化したティナを引き連れて屋敷の戸をくぐる。
「バレムント。バレムントはいるか」
玄関で待っていたメイドに外套を押し付けるように手渡し、筆頭内政官の名を呼びながら内政官執務室へと駆け込んだ。
全員が鬼の形相で駆け回る慌ただしい室内に入ると、俺が帰って来たことに気づいた内政官達がその場で頭を下げる。
顔を上げるように命令し、俺は目当ての人物を捕まえて自分の執務室へと向かった。
「留守にしてすまん。時間の流れが違うという手違いがあってな。まあ、俺が悪かったら謝るんだが、その前にいろいろと説明をしてくれ。時間がないんだろう?」
「殿、わかりました。わかりましたからお離しください。痛いです」
「あ、あぁ、すまん」
バレムントの肩を掴んだままだったことに気付き、パッと手を離して解放してやると、バレムントは恨めしそうに肩を擦りながら服のシワを伸ばし始める。
そして、無言で睨み付け抗議をしてくる。仕方がないので俺もバレムントを睨み、互いに無言で見つめ合うこと数分。
根気負けしたバレムントがため息をついて無礼を詫び、資料を片手に壁に掛けられた地図の前に立った。
「何処からお話すれば?」
「バルキス王国が攻めてきて、これから反攻作戦に出ることは聞いた。あと、俺がヴェルディの使徒であることを公開したこともだ」
「召集の際に殿が代理を立てたことに対してラーデルハルト伯爵が擁護なされた時点で、貴族達には当家が教会派閥に与したと思われたことでしょう。ですから、それを全面に押し出すことにしました。教会には多額の寄付をし、数年以内にマレンディに大聖堂が建てられることでしょう」
「お前の独断でか?」
「ティゼルレ━━━━」
「ご主人様ァァァァ!!」
バレムントの言葉を遮る叫び声が鼓膜を揺らし、扉が勢い良く開かれると同時に頭に強い衝撃を受けた。
椅子から転げ落ちそうになったが気合いで踏ん張り、グワングワンと揺れる頭と痛む首を擦りながら、東部を包む柔らかい感触と温もりの主の方に視線をやった。
「ご主人様ぁ。私は心配で‥‥‥教会に捕まったのではないかと夜も眠れず、あと少しで王都を襲撃するところでしたよ」
「ドーラ離れろ。てかお前、なんでドルベルデルクから離れてきてんだよ。今こそ離れたらいけない時だろう」
「影法師に警戒させていますからご心配なく。でも、でも私にとって、今はドルベルデルクのことよりもご主人様の方が大事なんです。拷問などはされませんでしたか? 何かお怪我は御座いませんか?」
「はいはい、大丈夫だ。心配してくれてありがとな」
俺の頭に抱きつき、オイオイと涙を流すドーラの頭を撫でる俺は、先ほどから柔らかい二つの双丘の感触が伝わってきて感無量だ。見た目からは想像がつかないほどの爆弾を抱えているらしい。
いや、今は着痩せ云々の話ではない。頭を占拠しようと暴れだした煩悩達を駆逐し、凄い形相でドーラを睨み付け今にも飛びかかってきそうなティナを制止してから改めてバレムントの方に頭を向ける。
「宜しいので?」
それは頭にドーラを引っ付けたままでも良いのかという確認からだろうか。
ドーラは俺の頭を両手両足で完全にホールドしてるから、ティナが引っ張っても剥がれないと思うぞ。
「問題ない。続けてくれ」
「そうですか。では続けます‥‥‥」
ドーラに張り合うかのように、いつの間にかなに食わぬ顔で膝の上に座り俺の胸の中に収まっていたティナ。
頭にドーラを、胸にティナをしがみつかせている俺は、第三者が見ればそれはもう滑稽に見えることだろう。バレムントも暫く咎める視線を向けていたが、心の平穏のためには無視した方がいいと悟り、無言で地図に視線を戻した。
俺も男なのだから超絶美少女二人に抱きつかれたら色々と反応したくなる。
両者とも男好きする体をしているのだから尚更だ。
だが、今は全ての煩悩を圧し殺し、顔に絶対に出ないように真剣な表情を全力で作り上げ、バレムントに体を向けた。
「さて、お前の独断についてだったか?」
「はい、ティゼルレオナ殿と相談しましたが、私の独断ととっていただいて構いません。処分は如何様にも」
「処分などされる気もなかろうに。もっと演技の練習をしておくんだな。あとで望みの褒美を用意してやる。今は半年分の報告を続けてくれ」
「かしこまりました」
バレムントがパラパラと手持ちの資料の束を捲る。
「上半期の納税が完了しております。鉱山税が特に凄まじく、支出を計算しても大きな黒字ですな。机の上に詳細は置いてありますのでまた後日ご覧下さい。今はバルキス王国のことの方が先決でしょうから」
税金関連の資料を机に置き、それの倍ほどもありそうな太さの戦争関連の資料を取り出したバレムントが、次々に地図に書き込みをしていく。
俺は下半身の筋肉に力を込めて二人を装備したまま立ち上がり、地図の前に置いてあった椅子に腰かける。
「少なからず説明を受けているようですが、最初からご説明致します。二月ほど前、バルキス王国軍がレンガノン峡谷より越境しました。その数は五万」
バルキス王国軍の侵攻を表す矢印が書き込まれていく。レンガノン峡谷はハミルトン領の真上。本当に危なかったようだ。
「なにぶん突然のことでしたので、国境を守るペンデル家は異変に気づくのが遅れましたが、レンガノン峡谷に五万の兵が入った時点で、ドライグリーラ殿の影法師により当家は異変を察知しました。よって、即座にデヴィエル殿の率いる三千の軍を領境に向かわせました」
「三千? 千じゃなくか?」
「殿がデヴィエル殿に課せられた期限の三月を越えた時点で私の独断で増設致しました」
特に問題もなさそうにサラッと口にしたが、領主不在とはいえ無断で兵の数を増やすなど完全に越権行為だ。下手したらこの場で斬られても文句は言えないだろう‥‥‥それが幸を奏したという結果がなければな。
確かに所詮は結果論だが、俺は結果論は嫌いじゃない。俺不在という状況下であるならば尚更で、結果として上手くいけば褒美を与え、失敗すれば斬るだけだ。そして、バレムントは紛れもなく前者だ。
「バルキス王国は破竹の勢いでブルガリオ辺境伯領を横断しました。おそらく彼らの狙いは━━━━」
「西部街道か」
「あくまでも予想ですが。しかしながら、たとえ砦があるとはいえども奇襲であることを考えると越境は容易いであろうレコン高原ではなく、わざわざ越境の難しいレンガノン峡谷を越えたことを考えるば、もはやそれしか思い付きません。彼らはレンガノン峡谷を越え、先にあるハミルトン領から西部街道に出る予定だったのでしょう。五万の兵を動かすには道が必要でしょうからな。ブルガリオ辺境伯領へ流れる木材のために整備した山道を利用するつもりだったのでしょう」
「なるほどな。しかし勝算はあったのかね。誰がどう見ても馬鹿げた攻勢計画だが」
仮にハミルトン領を越えて西部街道に出たとして、彼らはそこからどこを目指すつもりだったのだろうか。
ハミルトン領は西部の中で最西端。そこから王都を目指すのでは、必ず何処かで王国軍なり諸侯軍なりに追い付かれることは想像するに容易く、王都を目指すどころか西部。越えられるとも思えないのだが‥‥‥。
「まあいい。続けてくれ」
「殿の御指摘はごもっともです。まずデヴィエル殿率いる我が軍が奇襲に成功して敵軍は混乱します。ですが五万という数に対して我が軍は僅か三千。奇襲であったからこその勝利で正面からぶつかれば敵う筈がありませんので、遊撃戦を仕掛けて遅延行動に出ました。地の利は我が軍にあり時間稼ぎは上手くいき、ブルガリオ辺境伯軍二万が到着。それから数日後には王国軍三万が合流し、敵軍は二月も経たぬうちに全滅しました」
バレムントはそう言ってバルキス王国軍を表していた矢印にバツ印を書き込んだ。
「我が軍の損耗は低いうえに圧倒的兵力差からの勝利ともあって士気も高く、今はここケーバチェ要塞に入っているようです」
ケーバチェ要塞とは、バルキス王国との国境でもあった、レコン高原という大草原にあるペンデル家の管理する要塞だ。バルキス王国とは長年友好関係を結んでおり戦火に飲まれたことは少ないものの、非常に大きな要塞であったと記憶している。
ペンデル家の有事の際の籠城先にも指定されていることから十年おきに改修されているため、ただ大きなだけの張りぼて要塞ということでもなさそうだ。
「バレムント。お前、戦争もできたんだな」
「戦略を練ることはできても戦争はできませんな。私はあくまでも政務畑の人間ですので、荒事はデヴィエル殿頼みということです」
「そうか。それならすぐにでも行ってやらないといけないな」
「殿が来られたとあらば兵達も喜びましょう。それに、ケーバチェ要塞にいるというブルガリオ辺境伯にも挨拶をしておかねば話になりますまい。殿がお留守の間の庭園会のお誘いも断っておりますしな」
「まじか。それは尚更挨拶が必要じゃないか。ほら、二人とも降りろ」
依然として俺に抱きついたままの二人を退かせようと尻を叩いても動かない。力ずくというのは難しいため霧に変身すると、しがみつく対象を失った二人が床に転がり落ちる。
「ティナ。お前はこのまま領主邸に残ってマレンディを守れ」
「ご主人様ッ。私は何をすればよいのですか?」
「【龍種】が一人と二人では対応も大きく違うから、お前の存在は暫く隠しておきたい。お前はドルベルデルクに戻り、何としても死守しろ。ティナもだ。マレンディもドルベルデルクも、失えば俺の計画が全て破綻する要地中の要地であることを努々忘れるな」
「御意に」
「畏まりました。どうぞお気をつけて」
二人が跪き頭を垂れる。
あ、一人で戦地に行くなら、暫くの間二人の血を吸うことができないのでは?
「暫く味わえないし、とりあえず腹ごしらえっと」
「んん!?‥‥ひあっ、んぁッッ」
「ごしゅっ、ごしゅじっ、んんんッッ!」
ティナとドーラの肩に交互に食らいついて血を啜る。二人の血は今日も美味だった。
内股をこ擦り合わせるようにペタッと床に崩れ落ちた二人を一瞥し、俺はバレムントを引き連れて執務室を出た。
「命令はしてなかったが、俺専用のアレは用意できてるか?」
「勿論にございます。こちらへどうぞ」