14 枢機卿
数か月ぶりとなる王都の大門をくぐり、ザクスフォード家の屋敷へと向かう。王都に来たのはティナのダンジョンから出た直後のみだが、夜に忍び込んだあの時とは違い今回は門から入った。
王都には一般用と貴族用の二つの門があり、俺は当然ながら貴族用から入ることが可能だ。そのため、一般用の前にできていた入都待ちの長い行列に並ばずにすんだというわけだ。
大陸屈指の大国であるフェルメノス王国の王都カリスティオは、当然と言うべきか非常に大きく堅牢で、そして美しい。街はよく整備が行き届いておりスラムも無い。
構造としては、中心にある王城を囲むように巨大な城壁が四つ聳え立ち、俺の屋敷がある貴族街は第一城壁と第二城壁の間に位置している。
王都の屋敷に関してはもともとあった物を事前に改修させており、慎ましいながらも立派な屋敷になっていた(ここで言う慎ましいとは、貴族の常識としての慎ましいであり、『庶民には手に入らない大きさの屋敷と生活に申し分ないほどの使用人がいる』ものである)。
屋敷に入って一息ついた俺は、男好きする肢体のメイドの血を吸って腹ごしらえをし、その日はそのままベッドに入った。
ラーデルハルト伯爵との面会は三日後の予定だ。今日から数日はゆっくりと疲れを癒せる。
この世界の馬車は揺れがひどく、車や列車で旅をするのとはわけが違った。もう、尻やら腰やらが痛くて痛くて仕方がないわけで、精魂尽き果てた俺が夢の世界に誘われるのは必然で━━━━
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フェルメノス王国における聖教会の本部、デル・サリオ・スクォラッチェ大聖堂は、王都の中心街の大広場に堂々たる姿で鎮座していた。
例えるならばドゥオーモだろうか。壮麗な大聖堂はゴシック建築に酷似しており、見上げる白磁の壁の上には無数の尖塔アーチが施され、美しい壁を更に美しく映えさせている。
大聖堂の中に入れば高い天井と美しいステンドグラス、そして神々を象った精巧な彫刻に彩られた空間が一面に広がる。この世界において透明のガラスは非常に貴重なものだ。ましてや色鮮やかに染色したとあれば、この空間だけで教会の財力が伺えるというものだ。
その美しさに目を奪われ、立ち止まって周囲を見渡していると、右側から修道服に身を包んだ女性がソッと現れて一礼する。
「デル・サリオ・スクォラッチェ大聖堂へようこそお越し下さいました。本日はどのようなご用件でしょうか」
彼女の瞳からは警戒が読み取れた。ど真ん中に立ち止まっていたから怪しまれたのかと不思議に思ったが、自分が陽光避けの外套を頭から被ったままだということに気付き、慌てて外套を脱ぐ。
「すまない。日の光が苦手なものでね」
謝罪をしつつシスターを視界に写すと、胸元には聖教会のシンボルである鉄十字のような十字架が光っている。息を吸い込めば甘美な初物の血の香り。
彼女もまた、俺の容姿を見て外套の意味を理解したのか、すぐに警戒を解く。
沸き起こる吸血欲を堪え、俺は貴族服の裾を整えると懐から手紙を取り出してシスターに手渡した。
「ラーデルハルト伯爵からだ。お取り次ぎ願いたい」
「‥‥‥少々お待ち下さい」
シスターは手紙の口に押された教会の紋と、その横の伯爵家の紋を一瞥し、深く一礼して礼拝堂の奥へと続く扉の向こうに消えていった。
そのまま待つこと数分の後、先ほどとは違い見るからに叙階の高そうな男が現れ、俺の前に立った。鑑定してみるとこの男は司祭であった。
「大変お待たせして申し訳ございません。倪下と確認が取れましたので、ご案内させていただきます」
「こちらこそ、司祭殿も忙しいだろうにすまないな」
「いえ、これも仕事ですので」
俺を呼び出したブリューン=ド=ラーデルハルトは伯爵位で聖教会の枢機卿。たかが地方の男爵風情の俺とは比べ物にならないほど高位の存在だ。
しかし、俺に対して尊大な対応を取っても不思議ではないにも関わらず、わざわざ高位の神官に案内させるということは、枢機卿にとって俺という存在がそれなりの敬意を払うべき相手と認知されたことに間違いはなさそうだ。
まあ、主神が直々に俺の名を口にしたのだからそれも当たり前な気もするが‥‥‥。
「こちらにございます‥‥‥。倪下。ザクスフォード卿をお連れ致しました」
教会の奥のこれまた荘厳な廊下を進むこと数分、いかにも枢機卿がいますとでも言いたげなオーラの漂う部屋の前に案内させ、司祭が扉をノックする。
すぐに奥から入れという声がして、俺はその室内へと案内される。
部屋の中は予想よりもこじんまりとしていたが、それでも枢機卿の執務室とあって非常に綺麗な部屋だ。権威に笠を着てキラキラと宝石の輝く部屋にしないのは、枢機卿の性格ゆえか‥‥‥これから始まるであろう腹の探り合いに心の中で溜め息をつきつつ、それが顔に出ないように留意して、待っていた白髪の【人間種】の老人の前に立つ。
「お初にお目にかかりますラーデルハルト倪下。王国西部ハミルトン男爵、アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトンに御座います。倪下にお声をかけていただいたこと、感謝の耐えぬ次第にございます」
「いやいやとんでもない。ザクスフォード卿は他でもない主神ヴェルディ様の使徒であらせられるのですから、それ相応の敬意を払うのは当然のことです」
「はて、使徒‥‥‥ですか」
「我ら聖教会では加護を持つ者を使徒と呼ぶのです。ザクスフォード卿もお持ちでは?」
「はい。ありがたくも、創造神ヴェルディ様より加護を賜っております」
「おお、やはり‥‥‥」
ラーデルハルト伯爵は感嘆の声を上げながら俺の手を握る。彼からは確かに俺に対する敬意が読み取れ、嘘でないことは匂いから大体把握できる。
思い返せばヴェルディが聖職者に対して強気に出られると言っていた気がするが、予想を遥かに越える効力だ。
座るように促されたソファーに座りながら、どうやって対応しようかと俺も頭を抱えさせられる。
「早速ですが、ザクスフォード卿。先日、ヴェルディ様より御神託が御座いました。曰く、『ハミルトン領の領主であるアリスさんをお呼びなさい』とのことで、私から急いで文を送ったのです」
「なるほど。ヴェルディ様が」
あのクソ女神め。本当に余計なことをする。完全に教会のお偉いさんに名前と顔を覚えられてしまった。
神託とあれば全枢機卿に話が伝わっても不思議ではない。これでは俺の計画に支障が出る可能性もあるだろう。
「かのムーア大森林の道を拓いたザクスフォード卿が敬愛な神の使徒であられたのも、これもまた神の御導きということでしょうな」
そして教会の狙いは俺。使徒であるからということに託つけて国王派ではなく教会派に引き込むのが本命だ。
ムーア大森林の開発権とそこで獲れる魔鉱石の採掘権から生まれる利益は未だ図り知れず、どの勢力にとっても俺は垂涎の的であることは俺自身が一番良く理解している。
ここで教会派に入ることを認めてはいけない。日本人のように謙遜や社交辞令を含んで思わせ振りな態度を取ろうものなら一瞬で食らいつかれるのが貴族の世界だ。
どこの派閥に入るのが最も己の利益になるかを見極めている途中である俺は、失礼にならないように答えつつ、拒否の姿勢を取ることを忘れてはならないのだ。
「聞いておりますぞ。ムーア大森林の魔物を駆逐した英雄譚を」
「お恥ずかしながら武にしか取り柄の無い無法者でありまして‥‥‥」
「ご謙遜を。ハミルトン領は大層賑わっているそうではないですか」
「優秀な部下に恵まれましたので仕事は全て部下に任せているのですよ。私は【吸血族】で昼間は起きていられませんから、夜にできる事務仕事のみが私の役目なのです」
適当に誤魔化しながら逃げ道を模索する。貴族と腹を探り合っても、たとえ俺の方が年上であったとしても、俺よりも貴族世界の年期が入っている伯爵の方が勝つに決まっている。
伯爵と談笑をしながら機会を伺い、神の話となったところで俺は即座に話を切り出した。
「失礼ながら伯爵。ヴェルディ様をお待たせしては申し訳が立ちませんので━━━」
「おっと、これは申し訳ない。卿との話が面白くてつい本題を忘れてしまっておりました。早速礼拝堂に参りましょうか」
ホッと息を吐いたことを責めないで欲しい。数行で書いてはいるが、俺は何だかんだ言って小一時間は戦っていたのだ。
実際の戦闘には自信があっても、昔から舌戦は苦手なのだ。しかも、相手はプロ中のプロ。
なんとか言質は取られないように逃げきったが、伯爵の様子を見るにまだ俺を逃がす気はなさそうだ。
さて、本当にどうしたものか‥‥‥と考えているうちに最初の礼拝堂へと辿り着いた。
伯爵の案内のもと、中央の道を進み、壇上に並ぶいくつかの彫刻のうちの一つの前に案内される。
「此方が創造神像になります。心の中で祈れば神と心を通わせることができるはずです」
美しい女神像の前に膝をつき祈るように拳を握る。
すると、その時不思議なことがおこった。
「ふふ。『その時不思議なことがおこった』とはまた、少々適当すぎやしませんか?」
「いや、本当に不思議なことだったから、つい‥‥‥」
鈴の音のような声が聞こえ、目を開けるとそこは懐かしいあの真っ白な空間だった。俺はあの日のようにいつの間にか椅子に座らされており、俺の前には相変わらず真っ白な女神が、美しい微笑を張り付かせて座っている。
俺は久しぶりに会ったヴェルディに笑顔を浮かべ、
「取り敢えず死ねよ」
「辛辣!?」