13 王都からの手紙
「殿。緊急事態にございます」
「んんっ!?」
執務室にて、有事の時のために血税を飲んでストックを貯めていた俺。その平穏な一時を邪魔したのはバレムントの悲鳴に近い声。
常時冷静なバレムントが悲鳴を上げるのだからただ事ではないと慌てて振り返ると、流れ作業のように手紙を手渡される。
「王都の、王都の聖教会の枢機卿、ラーデルハルト伯爵の手紙です。伯爵家のではなく教会の印が押されておりますので間違いなく教会から殿に送られてきた手紙です。一体何をなされたのですか!?」
「はて、何か目をつけられるようなことをした覚えはないが‥‥‥」
手紙の開封用のナイフでサッと口を切り、綺麗に折り畳まれた紙を開いて文面に目をやる‥‥‥読んで数秒で何事か把握させられてたわ。
「何と書いてあったのですか?」
「教会に来いだとさ。神の神託が下されたらしい‥‥‥あのクソアマめ。面倒なことをしやがる」
聖教会とはヴェルディを始めとした神々を信仰する宗教だ。このフェルメノス王国の国教であるため、ハミルトン領にも各街に教会がある。
当然マレンディにもそれなりの教会があるのだが、そこに神託を下さなかったのは俺が面倒くさがって断ってくるのを防ぐために違いない。
聖教会はフェルメノス王国において大きな影響力を持っており、その枢機卿であるブリューン=ド=ラーデルハルト伯爵もまた法衣着族の中でも有数の権力者だ。彼のお呼びを断るのは、まだ都の大貴族に目をつけられたくない俺にとっては絶対にできないことだ。
いや、既に名指しの神託が下された時点でアウトな気もするが、今さら何を言おうとも後の祭りであるため、あとはヴェルディに文句を言うしか俺にできることはない。
「ちょっと待ってください。神託とはどういうことですか!? 聖教会ということは神々の中の一柱が直々に殿のお名前をということですか!?」
「十中八九ヴェルディだろうなぁ‥‥‥」
「ヴェ、ヴェルディ様。あの創造神ヴェルディ様ですか」
「そうなるな~」
聖教会の神はヴェルディだけではない。八百万とまではいかないが、ギリシャ神話のようにそれぞれに司る神がいる。
ヴェルディはその神々の統括を任されているらしいが、まさかバレムントがここまで驚くとは‥‥‥。
「まあ、とにかく落ち着け。まずは対応を考える」
俺が真剣な表情を作ると、何やら落ち着かなさ気ではあるがバレムントも真剣な表情へと変える。彼の心の切り変えの速さは好きだ。
「対応とは言いますが、行かないという選択肢はないでしょう。ヴェルディ様の御神託ですし、手紙を寄越したのはラーデルハルト伯爵なのですから」
「それはそうだろうな。まったく、都の貴族には目をつけられたくなかったんだが」
「ムーア大森林の開発は噂になっておりますし、それは今更ですな。問題は名指しの御神託ということです。もしや、殿は加護をお持ちになっておられるのでは?」
「内密な話だがその通りだ。詳しくは知らないんだが、加護ってのは珍しいのか?」
「そうですな。上級神の加護持ちはそういません。ましてや創造神の加護となると‥‥‥」
どうやら俺はイレギュラーな存在であるらしい。加護自体には何の価値もないというのに、特大の貧乏くじを引かされた気分になる。
何とかしてこいつを金の鶏にできないものか‥‥‥。
「枢機卿と懇意にしておくか? どうせバレたなら加護を最大限利用していきたいんだが」
「今生陛下になり王権も回復の兆しを見せておりますし、教会はそれに対抗したいはず。枢機卿も殿を無下にはしないでしょうな」
「王権の回復か‥‥‥」
俺は天井を仰ぎ見る。
「それほどまでか」
「ええ。中央部は完全に手中。南部のトリバゴラ公爵ヒルバ家を味方につけたことにより広大な南部地域もほぼ勢力下。東部のザークリッチ公爵ビク家の反応も良いようです。北部と西部にもいずれ手が伸びてくるでしょう。いや、もしかすると既に‥‥‥」
このフェルメノス王国は十字架のような不思議な形をしており、黄河長江のように南北に流れる二つの大河と、東西に聳える二つの山脈によって、東部、西部、南部、北部、中央部の五つの地域に分けられる。
そのうち、北部は隣国との争いの絶えない地域であり王家に取り込まれるのも早いかもしれない。
ハミルトン領のある西部は王国建国時からの領土であるため、その貴族の殆どが伝統貴族だ。伝統貴族という名の魑魅魍魎の魔窟を手中に収めるのに、領土が広がっていく他の地域に比べて時間がかかることを祈るしかない。
「どうやら希に見る賢王だったようで‥‥‥。いずれ権力誇示のために全貴族に召集をかけるでしょうな。男爵の礼服を用意しておきます」
流石のバレムントと誉めたいところだが、何れにしても目下の問題の方が先である。
「話を戻すが、枢機卿と懇意にしておくという方針で問題ないか?」
「ええ。ですがあまり肩入れはしないよう。東部の何れかの派閥に入るという手もございますし、あくまでも伝を作った程度に思っていただければと」
「まあ、派閥に潜り込んで内部から食い殺すのも乙だな‥‥‥」
下卑た笑みを浮かべ、執務室の壁に掛けられた地図を見る。アフリカ大陸西部の出っ張りを切り取ったような形の地図に歩んでいき、西部の最東に位置する大領地━━━ブルガリオ公爵領に短剣を突き刺す。
フェルメノス四公の一角にして、西部を牛耳る首魁の長。
「‥‥‥殿は」
「ん?」
短剣を刺したままバレムントを振り向くと、いつにもなく神妙な表情を浮かべたバレムントが俺のことをジッと見つめていた。
その顔は彼と初めて会ったときのような、俺の内心を図るような顔。
「‥‥‥いえ、何でもございません」
「そうか。現状、ティナとドーラを連れ出すのはまずいよな。たまには一人旅もいいか」
街道を開発中とはいえ、ハミルトン領から馬車で半月以上かかる王都カリスティオへも、【龍種】の翼を使えば二時間もしないうちに辿り着く。時間の効率という意味ではティナかドーラに乗っていくのが早いのだろう。
だが、二人はこのハミルトン領における守護の要だ。ドーラは鉱夫の街ドルデルベルク、ティナは領都マレンディの守護をそれぞれ守っており、未だ軍備の行き届いていない現状況下で二人を留守にさせることはできない。
貴族の体裁的にもティナに乗っていくのはまずいだろう。他人の評価などどうでもいいと言いたいところだが、王宮雀達に野蛮だ何だと馬鹿にされることは避けたい。
今はハミルトン領を豊かにすることが先決で、時に頭を下げて他者の懐に入ることもある。
その時に良からぬ噂に迷惑しないためにも、効率を捨ててでも『護衛隊の守護のもと、馬車に乗って王都へ入る』という貴族の慣習ことが重要なのだ。
「さて、行くなら早い方が良いだろうな。枢機卿に手紙を出して、諸々の準備をしておいてくれ。数日中に出発したい」
「畏まりました」
バレムントの仕事は文句の付け所がないほど完璧だ。俺が要求したことは、よほど理不尽なものでない限りは多少無理をしてでも忠実にこなしてくれる。
彼がいたから今の発展があると言っても過言ではないかもしれない。それほど俺はバレムントという男に感謝をしている。
思い返せば、俺はバレムントに己の野望を話していない。隠す気があったわけではなく、機会に恵まれなかっただけだ。
もし俺が王になりたいと言って、彼は俺に何と言うのだろうか。大陸を探せば彼の他にも優秀な者は多くいるだろう。もしバレムントが裏切るなら斬って捨てる。
野望に綺麗事はいらない。心の内を圧し殺してでも、俺は為すべきことを為すだろう。
まあ、今はどうでも良い話か‥‥‥。
三日後。俺は数人の護衛隊と共にマレンディを発って王都を目指す。