12 鷲獅子の翼
「ハミルトン男爵様のご入室です」
先ほど血を吸ったメイドとは別のメイド二人が大きな扉を開け、俺はゆっくりと室内に入る。
ティナ達も含めて全員が床に片膝を付いて跪く中を進み、俺のために用意された豪華な椅子に座る。
俺が座ったことを合図に面接官達が顔を上げて席につく。俺の目の前には三人の男。
この三人が雇う可能性のある男達なのだろう。
「面を上げよ」
三人が顔を上げる。リーダー格と思われる【闇精種】の男、参謀と思われる【蜥蜴人種】の男。そして━━━━
「おいちょっと待てよ。お前ルイスじゃねえか!?」
「「‥‥‥!?」」
驚きに目を見開き勢いよく立ち上がったのは体格の良い【魔狼族】の男。無数の古傷が刻まれた鉄製の鎧は歴戦の証。鍛え上げられた腕には逞しい筋肉が隆起し、狼頭の黒い毛並みを剃るように額から頬にかけて大きな刀傷がある。
俺は彼の容姿に見覚えがあった。王都の酒場で会った傭兵団【鷲獅子の翼】のマルコスだ。
彼が放ったルイスという名前は俺が使った偽名であるし間違いなく彼に間違いなさそうだが、俺が彼に声をかける前に場面が動く。
「も、申し訳ございません。ご無礼をお許しください!!」
【闇精種】の男が椅子を蹴るように立ち上がり、流れるようにマルコスの頭を押さえつけ、【蜥蜴人種】の男と共に平伏した。
彼は俺の入室時に見せた片膝をつくものではなく、土下座で頭を床に擦り付け必死に許しを乞う。
時間差でティナが立ち上がり殺気を放ち始め、バレムント達も色めき立つ。ティナ達がルイスという偽名を知っているかは知らないが、マルコスが俺の名を呼び捨てにしたのが不味かったのだ。彼がまだルイス様と呼んでいれば、まだ注意の一つで済んだかもしれない。
ティナが俺に視線をよこす。俺の命令一つで彼女は秒とかからず三人の首を跳ねるだろう。
このまま黙っていると命令を待たずに行動を起こしそうな雰囲気を感じた俺は、手で制してティナを座らせる。
「不問にする。知り合いだ」
「‥‥‥」
物言いたげな表情で渋々椅子に座るティナを一瞥し、俺は改めて三人を見据える。
「席につけ。試験をやり直す」
【闇精種】の男が顔を上げた。
「で、ですが」
「くどい。俺は不問にすると言っている。早く座れ」
「「「ははっ」」」
三人が椅子に座るのを確認し、俺は青ざめるマルコスを見る。
「久しいなマルコス。数か月前に王都で会った時ぶりか」
「は、ははぁ」
「くくく。良いからそんなに平伏するな。俺の立場もあるから敬語は使ってもらうが、お前に怯えられるのも困る」
「は、はい。ハミルトン男爵様」
マルコスがこのハミルトン領の存在を教えたくれたのだから、俺の野望はマルコスによって道が開けたとも言える。
その礼にと言うわけではないが、彼らを雇うのに吝かではない。
「アリスでも良いが‥‥‥まあ良いか。さて、改めて仕切り直そう。俺はアリス。アリス=ド=ザクスフォード=ハミルトンだ。ルイスは忍ぶ時の偽名だから間違っても使わないようにな」
俺は爽やかに笑い、場の空気を切り替えるためにパンッと手を叩いた。
「さて、早速名前を聞いていこうか」
「ははっ。私は【鷲獅子の翼】の団長で【闇精種】のデヴィエルと申します。左の【蜥蜴人種】は団の参謀のゾイット。そして右が副団長のマルコスになります」
デヴィエルが口を閉じて一礼する。【闇精種】とは簡単に言えばダークエルフだ。褐色の肌に長い銀髪を一つに纏めたデヴィエルは武官としての実力に期待できそうだ。
ゾイットは全身を蒼い鱗に覆われ、蜥蜴頭の眼鏡からは彼の智謀が伺える。
マルコスは置いておこう。
「我々【鷲獅子の翼】は全員が壮年の時に入り、長命種は兎も角、【人間種】を始めとした短命種にとっては流れの傭兵団として活動していくには些か老いすぎました。我ら九十七人をお雇い頂ければ幸いです」
中北宋代の蘇軾は『勇将の下に弱卒なし』とし、フランスのナポレオンは『一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた羊の群れに敗れる』とした。
どれだけ兵卒を集めようとも、纏める者がいなければ彼らはただの烏合の衆である━━━━俺は、千の兵よりも有能な将軍が欲しい。
戦場に慣れた歴戦の兵が九十七人となれば、多少給金を多めに支払ったとしても、市政から集めた新兵よりも価値がある。
他がどう思うかは知らないが、数千の部下を頭として導いてきた俺はそう思っている。
「デヴィエル。お前は何人の兵を指揮できる?」
「一番慣れているのは百ですが、十年前の戦争時に、機会に恵まれ千を経験しましたので、千であれば即座に対応が可能です」
「なるほどな‥‥‥バレムント。あれはどうなってる?」
「選別は済んであります。殿がお望みとあらばいつでも」
「流石だな」
「畏れ入ります」
見栄を張らず、できないことはできないと言えることは好評価だ。現時点で万の兵を揃えることはしないし、そもそも不可能だ。傭兵を雇うとしても金銭が足りないし、畑から採るようなことはしたくない。
それに軍備を拡張しすぎて周辺領主に睨まれるのも面倒だ━━━━今はまだその時ではない。
「よし、デヴィエル」
「ははっ」
三人が椅子から下りて跪く。
「先日、民衆から私軍を集めた。その数は九百。それを全てお前に預ける。なお、その九百人はガチガチの新兵だ。もしかすると、移民からも集めているから他所での従軍経験がある奴がいるのかもしれないが、まずいないと思って構わないだろう」
デヴィエルの肩に手を置く。
「三月やろう。それまでにお前ら九十七人でその九百人を『兵士』ではなく『軍人』にしろ。多少手荒に扱っても構わない。言っている意味はわかるか?」
「ははっ。心得ております」
「移民も含めた志願兵だが、選別に抜かりはない。そこは安心して練兵に励んでもらって構わない」
バレムントが直々に行った仕事だ。他所の間者が紛れ込んでいる可能性はほぼ無いと信じられる。
「多少手荒、と言うことは死なない程度に好きにして良いという認識で間違いないでしょうか」
「ああ。その代わり三月という期日は延ばせない。場合によっては期日を早める可能性も十分にありえる」
デヴィエルの瞳が光る。『三月』を強調した意味が分かったか‥‥‥。
「俺は千年以上の時を生きてきたが、その生涯の全てをダンジョンの中で過ごした。故に、個としての力であれば誰にも負ける気はない。だが、軍略を練ることはできても、兵を率いることは専門外だ」
俺は陽光を浴びても生きられる耐性持ちの【吸血族】だが、それでも死なないというだけで昼間に万全の力が出せるかと言えば嘘になる。
陽光下では<血液魔法>も馬鹿馬鹿しいほど燃費が悪くなるし、筋力の低下に行動制限もかかる。
昼間であればティナと互角に渡り合うどころか、ドーラにすら勝てるか怪しいだろう。
あの馬鹿の詐欺に引っ掛かった気分である。
本来であれば俺が軍の先頭を駆けて軍の士気を上げ、武功を上げることが最も誉められるべきことなのだろうが、俺がその役割を十分にこなせない以上、俺の代わりに前線を駆け抜ける『軍の精神的支柱となる将』が絶対に必要だ。
デヴィエルにその役割が務まるかは今のところは未定で予想の範疇を越えることはないが、俺はその可能性を見いだした。
人を見る目はあるつもりだし、己を信じずして誰を信じると言うのだ。それに、俺がここにいるということは、ティナたバレムントも少なからず思うところがあったからである。
今はデヴィエルを信じる。いずは万の軍を幾つも持つことになった時、彼にその一つを任せられることに期待する。
「戦場は幾らでも用意してやる。百では『長』だが千人からは『将』だ。まずは千人で将としての力を磨け。いずれ万の軍を任せるかもしれないんだからな」
自分の力を認め信じてくれる主に出会ったことと、奮闘次第では万の兵を率いることができる可能性があること。
それは戦士なら誰しもが憧れるだろう。そして、彼の目の前にはその可能性の道が拓かれようとしているのだ。今、俺の目の前にいるデヴィエルが瞳を輝かせているのも無理はない。
返事を聞く必要はないだろうな。
「ゾイット、マルコス。お前らにも期待しているぞ」
「「「ははぁっ」」」
俺は二人の肩も二、三度ポンポンと叩き、ティナとバレムントに後のことは任せると目配せして部屋を出た。
市政から集めた私兵についてはバレムントが担当しているため、俺がやることなど大事な書類のサインくらいしかないだろう。
他所からの移民が思ったよりも増え、このマレンディも大きく発展した。今では人口も五千を優に越え、今もなお増加中だ。
そして、その移民全員が何かしらの技術を持っているとは限らない。職人は優遇政策により仕事場は選び放題だが、それ以外の移民は違う。
元々あった街壁を取り囲むように建設中の第二街壁との間にできた新住宅を格安で販売しているものの、仕事にありつけないという者は多い。
今でこそ第二街壁の建設や住宅の建設作業などで職はあるが、そうでなく定職に就きたいという者は多かった。そんな彼らを集めたのが此度新設する軍なのである。
いずれ必要になることが決まっているのだ。治安維持の面も含めて、練兵は早いことに越したことはない。
◇◆◇◆◇◆
「御館様。ハミルトン領のことですが‥‥‥」
夜闇の中にランプを灯し、机で何か作業している一つの人影。そこに、背後の扉から初老の男が現れ、ある資料を手渡した。
その人物は資料を乱雑に受け取ると、パラパラと捲って初老の男の方を振り返る。
「随分と発展してるみたいじゃねえか。ムーア大森林が開けたのが大きいな」
「はい。魔鉱石と木材で大きく儲けているようです」
魔鉱石は鉄よりも貴重な鉱石だ。鉄よりも硬い且つ軽量で、対魔法防御能力が高い。高価な鎧の殆どがこの魔鉱石でできており、美術的価値のある鉱石は宝石と並べて飾られるほど美しい。
そのため値が張るのだが、買うものは後を絶たない。つまり、売れば売るだけ儲かるのだ。
「おそらく全てを売ってはいないでしょう。養子として領主に就いてすぐに金貨三万枚を支払ったことを考えると、大森林以外の財源を持っている、もしくは持っていたということです」
「で、お前に出させた使者に対してにザクスフォード家は何だって?」
「当家が主張した大森林の所有権に対してですが‥‥‥完全に否定されました。バルドング伯爵領分配の際に王家の采配のもと正式に賜った開発権であると、ご丁寧にも古びた契約書と共に」
「本物か?」
「間違いなく」
初老の男は、自分の主が吐いた大きな溜め息が収まるのを待った。
「嘗ての最大不良債権は今は金の卵を生む鶏ということか。元バルドング伯爵家の寄り子連中にとっては皮肉も良いとこだな」
「笑い事ではございませんぞ」
「まあ、そうだな‥‥‥。武力を背景に脅してみるか? 所詮は男爵だ。どうにかなるかもしれないぜ?」
「無駄でしょう。領主自身が大森林の魔物を駆逐できるほどの傑物であることに加え、その側近には【龍種】がいます。【龍種】を殺すことは不可能ではございませんが、こちらも大きな被害を被ることになります」
「そう言えば貴様、この前ムーア大森林産の木材は良質で素晴らしいと誉めてたな」
「はい。当家の領内にも大量に流入し、高値で取引されております」
ムムムと考え込む声が薄暗い室内に響く。主の思案を初老の男が邪魔することはなく、そのまま数分の時が過ぎていく。
「間者は?」
「送り込む度に潰されます。今のところ一人だけ無事ですが、時間の問題でしょう」
「そうか‥‥‥ザクスフォード家を敵に回すのは得策ではないということ、か」
「親睦を深めた方が良いでしょう。寄り子として当家の派閥に組み込むのも良いかもしれません」
そう言って初老の男は嘆息を堪えて目を伏せた━━━己の主が口を三日月型に歪めているのを見て、また御館様の無茶が始まるのだ、と。