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過去の歴史

 近頃の劉禅は、以前の様な、完全な受け身の態勢ではなくなってきたように思う。

 言いたいことは言う。曲げない所も持っている。

 特に内政に関してはその意志が強かった。


 劉禅の目が蒙昧であれば、非常に良くない傾向であるのだが、そんなことは無かった。

 むしろ、的確ですらある。

 費褘の目に映らない様な、効率だけではなく民の心にまで目を向けて政策を考慮するのだ。

 今までひたすらに、民の暮らしに心を傾け続けてきた、そんな劉禅だからこそ持ちえた視野であった。


 軍事に関しては費褘や張嶷、漢中の諸将の意見を重んじた。

 それでも自らの意に反する戦略には、難色を示す。

 これは、諸葛亮や蒋琬が宰相を務めていた時代には無かったことであった。


「陛下、お呼びでしょうか?」

「あぁ、特に急な用があったわけではない。ただ、一日政務を見なかっただけで、落ち着かないのだ。今日は何もなかったのかと気になってな」


 少し恥ずかしそうに、劉禅は笑った。

 どこまでも民に、臣下に愛される、君主の姿がそこにあった。


「董厥や張嶷将軍からは特に、これといった報告は受けておりません。まぁ、この様な日もあって良いでしょう。私も久しぶりに、ゆっくりとした一日を送らせていただきました」

「そなたも、落ち着かぬ様子だな」

「ふふっ……陛下の目は、よく臣下を見ておられますね」


 互いに笑った。

 陳祇もまた、何もしない、という一日に落ち着きを感じられなかったのだ。

 平穏な日々を、喜ぶべきなのだろう。だからこそ、笑いが込み上げた。


「皇太子殿下は、ご健勝でありましたか?」

「あぁ、母の気質をよく継いだ、落ち着きのある良い子だ。父帝の様な激しさも持っていないから、君主の座に耐えられるか、些か心配ではあるな」

「先帝の気性は、李詔義様との間にお生まれになった『劉シン』様が良く継いでおられると聞いております」

「手の付けられん悪ガキなだけだ、あれは。黄皓の気苦労ばかりが増えておる」


 子供の事を語る劉禅の顔は、呆れたように見せていながらも、溢れんばかりの喜びが感じられた。

 これを見ていると、確かに、費褘の理想が理解できるような気がした。


 漢中を堅守し、益州を守り、国と成す。

 蜀という国の存続のみを考えれば、それで良い。この穏やかな平和も続いていく。


 あくまでも、理想では。


 しかしそれを許せば、この国が成り立っている意味が無いのだ。

 劉禅の座る玉座は、何の意味も持たないものとなる。

 益州は豊かだが、人が住める土地はあまり多くない。

 果たして、この限られた人口で、守り抜くことは可能だろうか。


 かつて後漢を打ち立てた名君「光武帝」に最後まで抗い続けたのは、この益州の土地であった。

 果たして結果はどうなったか。

 呉漢将軍率いる官軍によって、宮殿は焼かれ、民は略奪や虐殺の憂き目に遭い、この土地に深い傷跡を残した。


 勝たなければ、道はない。

 守る為には、攻めねばならない。

 それは過去の歴史が、痛い程に、教えてくれているのだ。


「陛下、されど漢中は今、戦の真っただ中です。いつまでも平穏に浸っているわけにはいきません」

「勿論、それを片時も忘れたことは無い。兵は命を落とし、将は苦しんでいるのだ。朕ばかりが、安穏とはしていられない」

「御賢明であらせられます」


 現状の国境沿いの戦況を、陳祇は細かく報告した。

 地図を眺め、劉禅は唸る。


「姜維でも打開策は出ないのか」

「あの男自身が戦線へ出れば、可能性はあります。されど、そうなれば本格的な戦になってしまいましょう。主力を率いるは、まだ時期では非ず、かといって放置すれば、防備は完全なものとなってしまいます」

「姜維の他に、鄧艾の目を掻い潜れる者は」

「蒋斌、傅僉の両将軍は、若く有能ではありますが、鄧艾に抗し得るは姜維のみかと」

「隴西への侵略は、もはや避けた方が良いのだろうか。丞相の用いた長安への侵攻に変えるべきだと、朕には見える」


 確かに、隴西を強化したことで、長安方面の防備は以前よりもずっと手薄になっていた。

 だが、諸葛亮の繰り返した北伐や、興成の役での防衛、さらに馬忠や張嶷の抑えが無くなったことによって南蛮統治に多くの守備兵が必要なこと。


 これらを総合で考慮すると、北伐に動かせる兵はさほど多く無い。精々、多くても七万が限度だ。

 手薄といえど、この兵力で長安を落とすのは、難しい。せめて、十万は欲しい。

 現状で魏を攻略するなら、涼州からの反乱による兵力があった方が、まだ安全な策なのである。


「陛下、恐れながら」

「何か策があるのか」

「外から崩せぬのなら、内から崩すのです」

「……どういうことだ」


「夏侯覇殿が魏軍から去り、雍州軍は完全に郭淮が掌握したかのように見えますが、果たしてそうでしょうか。曹派の者は、夏侯覇殿だけでは無かったはずです。心密かに夏侯覇殿を慕っていた将も居た事でしょう。今は息を潜め、やりきれない思いでいる者に、揺さぶりをかけるのです。さすれば門は、内側から開きます」


 暗く、妖しく揺らぐ瞳である。

 整った顔立ちなだけに、むしろ綺麗にも思える程であった。

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