不老
同盟国である呉の孫権が崩御し、末子である孫亮が即位した。
まだその年齢は十に届くかどうかである。
今、呉の国政のほとんどは、諸葛亮の兄の諸葛瑾、その嫡子である諸葛恪が取り仕切っていた。
そして時を同じくして、東方の軍事を司っていた鄧芝も、役目を終えたとばかりに亡くなった。
病死でも、何でもない。
孫権の危篤の時期と同じくして体力が衰え、眠る様に逝ってしまったとのことだった。
豪放磊落。性格は尊大で散財も激しかったが、その身辺は清廉潔白。
決して着服などせず、人の為に良く金を使ったせいで、家族には僅かな財しか残っていなかったという。
兵を率いて諸葛亮北伐で功を立て、外交では呉との仲を取り持ち、東方の土地を平穏によく治めた。
全てにおいて傑出した指揮官であった。
これで諸葛亮死後、北方、南方、東方の軍事を司り、国を守った将軍達は皆、蜀軍に居なくなってしまった。
鄧芝の後任は、長き間彼の副官を務めた「宋預」となった。
「お疲れ様です」
「あぁ……鄧芝将軍の穴は、どうにも埋めがたいな。それ程の逸材だった、ということでもあるが。あれほど豪快な人が居なくなれば、この心の寂しさもとりわけ強く感じてしまう」
黄皓よりぬるめの茶を渡され、劉禅はそれでのどを潤した。
人は老い、死んでいく。それは誰しもに等しく訪れる必然の理であり、勿論、自分も例外ではない。
そうだというのに、この黄皓を見ていると、それを疑いたくなってしまう。
「黄皓よ」
「はい、陛下」
「お前は、仙人なのか? 老人の様に見せながら、それでいてこれ以上老いない。本当にお前が死ぬ事などあるのか?」
「まぁ、宦官は人では無いと言いますので、無きにしも非ず、かもしれませんな」
そう言って、このお調子者の小柄な爺さんは、いつも笑ってはぐらかす。
出自も年齢も全く分からない。一つだけ明らかであるとすれば、それは劉禅に対する忠誠心のみであった。
「今日は疲れた、後宮へ戻る」
「御意。すぐ、お伝えして参ります」
黄皓は恭しく頭を下げ、部屋を後にした。
入れ替わる様にして他の宦官が数人訪れ、劉禅の身辺を整える。
「何かあれば、朕に伝えよ。特に、費褘、張嶷、陳祇、この三人の言葉であれば、すぐにだ」
「かしこまりました。外へ、馬車の用意は出来ております」
「分かった」
馬車へ乗り込み一人になると、体がどうしようもなく熱を持った。
孫権が死に、三国で最も君主の歴が長いのは、自分になったのだ。
この熱が、喜びや期待なのか、不安や重圧なのか、それとも、自分の不甲斐なさに対する怒りなのか、それは分からない。
とにかく冷静になりたかった。
情勢は緊迫しているのだ。勢いだけで、動いていい時期ではない。
「劉禅様!」
馬車を降りるとすぐに、一人の女性が首元へ抱き着いて来た。
流石に劉禅もあっと驚き、流れるままに彼女をかかえてしまう。
「李伊ではないか。わざわざ外にまで来たのか」
「ずっと、心待ちにしていましたもの」
歳は、劉禅より一回りも若いが、それでも三十に届こうとしている。
それなのに彼女の外見はまるで少女の様に若々しく、劉禅にだけ見せるその笑顔はあまりに可愛らしい。
以前までは本当に少女そのものであったが、子を産んでからは、可愛らしさの中にも艶やかな色が滲むようになった。
李詔義。彼女は後宮で、そう呼ばれている。
劉禅の寵愛を最も受ける、側室の一人であった。




