真意
「王経将軍、何か蜀で変わったことはあったか? 特に、人事面でだ」
「そうですな……夏侯覇が車騎将軍に就任し、漢中へ駐屯。現在、漢中では姜維と夏侯覇が軍を統制し、張翼と廖化が軍政を見ております。間違いなく、北伐を意識しているからこそ、蜀軍で最も実力のある諸将でこの配置を行っているのでしょう」
「ふむ、そういえば武官の長も、馬忠から変わったと聞いている」
「同じく南蛮地方を治めた、馬忠の副官の張嶷だと。順当に言えば鄧芝のはずですが、彼は呉との外交上外せないのでしょう」
「……いや、何故、張嶷なのであろうか」
「え?」
ふと、沸き出た疑問である。
王経のみならず、陳泰や鄧艾も、そんな郭淮の呟きに首を傾げた。
そうだ。よく考えてみれば、何故、張嶷なのであろうか。
蜀漢の国策は「北伐」にある。これこそが、建国の理由だからだ。
ならば、漢中の諸将の内から、武官の頂点を選ぶべきである。
そうすれば軍部も、その頂点より影響を受け、北伐に一層の力を入れるようになる。
廖化は確かにまだ、実戦でも大いに活躍できる将軍だ。
しかしそれは、張嶷も同じだろう。むしろ戦運びの手腕に関して言えば、張嶷の方が秀でている。
更に、将軍らの名声で言えば、戦歴の長さから考えて、張嶷よりも廖化の方が高いだろう。
それなのに何故、馬忠に続き、張嶷を。
「本当に劉禅の意志は、北伐にあるとおもうか?」
「と、いいますと」
「明らかにこの人事は、北伐よりも、南蛮統治に重きを置いた決定だ。確かに蜀軍は漢中で戦時の準備を整え、車騎将軍に任命した夏侯覇を最前線へ派遣した。しかし本当に劉禅は、いや、あの国の場合は費褘だ。費褘は本気で、北伐を成そうと考えているのか?」
「費褘が北伐の反対派なのは、彼の掲げた国策を見ても分かります。されど、魏の状勢を鑑みて、漢中で北伐の意志を明らかにした準備も整えてます」
「それがあくまで、名目上のものだとしたら」
「それは、どういう」
「仮定の話だ」
北伐の意志を見せながら、それがあくまで費褘の建前であったなら。
本気で北伐を目指すなら、廖化を、いや、姜維こそを頂点に持ってくるべきだ。
やはり、費褘は北伐を望んではいない。
夏侯覇の移動も、漢中へ準備を整えさせているのも、あくまで名目。
次世代の軍部を担う中堅の将軍達も南蛮や中央に多く、漢中にいるのは歴戦の老人か、将軍に上がったばかりの者達ばかり。
姜維一人が、孤立している様に、見えなくもない。
「こちらが防衛線に割ける人員が少ない、されど姜維もまた、軍を掌握しきれていない。費褘と意見が真っ向に対立しているからだ。そう考えれば、対処はまだ可能かもしれない」
郭淮は地図を見た。
少ない精鋭で突破するしかない姜維は、どこを狙うか。
「鄧艾、お前はどこを固めるべきだと思う。姜維は、どこを狙う」
「間違いなく、隴西を、抜け、涼州を狙う、かと」
「あぁ、だろうな。少数では長安までの防備を抜くのは難しい。最も求めるのは、やはり兵数だ。であれば、涼州から離反する豪族や異民族の手を借りるのが姜維の主戦略となる」
諸将の顔が、一気に晴れやかなものとなった。
今までの姜維の戦も、確かに涼州の異民族と呼応したものが多い。
その考えはまさに正鵠を射ていた。
「陳泰、王経」
郭淮が名を呼ぶ。
二人はすぐさまその場で片膝をつき、命令を待った。
「陳泰を主将に、王経を副官に、雍州軍を取り仕切り、全軍を統括せよ」
「はっ」
「鄧艾」
「ここに」
「お前に隴西の防備の構築を任せる。守兵が足りなければ申し出よ。長安周囲の守兵をそちらに割く」
「御意」
「涼州の統治は、直接私が行う。諸将の配置に関しては、再度行う軍議で決定する。以上だ」
隴西方面の防備を厚くし、姜維の神がかり的な速度の急襲にも対応できるようにしなければならない。
きっと、これでいいはずだ。
夏侯覇の騒動以来、不安定だった軍部も、徐々にまとまりつつある。
二度と、姜維の良い様にはさせない。この雍・涼州の地でも、民が平穏で暮らせるような、平和を作る。
自分はその守城として生きよう。
信念は、熱く燃えていた。




