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天に向かい

 姜維が静かに指を下ろした地域は「涼州」である。


 古来より自立心が高い人間が多く、また、異民族も多く住む西方の領土だ。魏の領土となってはいるものの、未だ不安定な地域であった。蜀漢とも接しており、長安とは目と鼻の先ほどの距離しかない。そして、姜維の故郷でもある。

 精強な馬が育ちやすく、また、騎馬民族が多く暮らしている為、涼州の騎馬兵を手にしなければ天下の統一は難しいとまで言われていた。

 それだけの力を住民の一人一人が持っているからこそ、どこかの国に組み込まれるという事に反発するのだろう。


「この戦略は、北伐を直接成し遂げる事が可能な策ではございません。ただ、この涼州さえ、ここさえ支配できれば、状況は一気に変わります」

「涼州……さほど、重要な土地ではない気もするが」


 民の自立心が高く治めにくい。騎馬民族が多く、常に人が移動し続ける為に、人口の把握も難しい。そして何より、西へ西へと細く伸びている領土を治めようとするのは面倒である。農耕があまり盛んな地域でもない為に、内政面でも旨味は少ない。

 それに、涼州と漢中を結ぶ、その間に位置する「雍州」を取ることを優先した方が良いように思った。これは、諸葛亮の描いていた戦略でもある。


 涼州は、雍州を奪われれば孤立してしまう為に、攻めずとも自然にこちらに帰順せざるを得なくなるのだ。雍州の長安。そこさえ取れれば、雍と涼の二州は熟れた実の如く自然に落ちる。これが諸葛亮の描いていた戦略であり、理にもかなっていると思える。


「長安は、今の蜀漢では取れません。先に話した軍政を徹底して初めて、奪える可能性が出てくるのです。今やそれほどまでに、長安の防備は厳重になっております」

 五度に渡り魏を脅かした、諸葛亮の北伐。

 しかしこれは、北伐を重ねるごとに防御が強化される結果を招いた。今の蜀には、この防備を打ち破るほどの武力は無い。


「だから涼州か?それは、いたずらに魏を刺激するのだけではないだろうか。長安を落とせず、維持できるとも思えない」

「涼州を手にするという事は、最強の騎馬兵を徴兵できる地盤を手に入れるという事です。これは、中原へ進出するために不可欠な要素でもあり、この騎馬兵を用いれば維持もそれほど難しい事ではありません。それに、蜀漢は南蛮の異民族の自立を認めながらも帰順させることに成功しており、その実績が涼州の民への信頼に繋がります。極力、干渉をしなければ涼州の民は力を貸す事を厭いますまい。元は私も涼州の民なので、そのあたりは心得ております」


 そう言うと姜維は地図を畳み始める。

 何を。劉禅はそう言いかけるが、その時にはすでに地図は丸い筒となっていた。


「どうも陛下は、地図に目を取られ過ぎておられます。地図とはあくまで国境線を描いているだけであり、絶壁の孤島の地形が描かれているわけではありません」


「それは承知の上だ、あたりまえではないか」

「涼州の更に西側にも、大陸は、続いております。それも、際限なく」

「あ……」


 ようやく、姜維の言わんとしている戦略の、その端が何となく目に見えて来た。

 魏とどのように戦っていくか。どうすれば呉との連携を深められるか。誰もが、そればかりを考えていた。しかし、姜維の目は更に高く、広く、この中華を見渡していた。

 蜀漢という、四方を山脈に囲まれた自然の要害に守られた地。誰もが、外に目を向ける事を、知らずの内に止めていたのではないのか。


 涼州の更に西には、羌族や鮮卑族といった騎馬による遊牧民族が、広く暮らしていた。そしてその、更に西。聞くところによると、この中華にも劣らない、高い文明を持った国もあるとか。

 姜維。この蜀漢において、非凡な人材であることは疑いようも無い。この瞬間、それがはっきりと分かった。



「我が戦略の全てをお話しします。まず、涼州を支配し、要害を固めて魏の侵攻を拒みます。侵攻を拒み続ければ自ずと雍州の西側までの支配権はこちらに移りましょう。戦線が膠着した後は、内政を行い、異民族への貿易や外交に着手。幸い、この蜀漢の地は資源が豊富です。貿易が成功すれば魏の経済力すら上回りましょう。今や蜀漢は文治の国です。国土ではなく、豊かさにおいて呉と魏を凌ぐことも決して難しい話ではございません。そして、涼州の騎馬兵。時が来た時にこれを用いて、一気に中原を手中に収める。時は掛かりますが、確実に、北伐は成ります」



「涼州は、本当に奪えるか?」

「現在、対蜀に当たっている魏の将軍『郭淮』は、戦に優れているというよりは、不安定な地域を治める統治者としての才に優れていると言えましょう。いざ戦となれば、難しい相手だとは思いません。そして、魏の実権は今や司馬懿の一族の手に移り、皇族である曹氏との対立は深まるばかり。時が経てば経つほど、その対立は深くなり、魏も揺らぎましょう。確実に勝機は、こちらへ流れてきていると申せます」


 さらに、姜維によれば、諸葛亮の北伐は全て長安を落とすことが主戦略であり、その為に魏も長安周辺の守備を厚くしたが、逆方向の涼州方面はそれほど防備を固めている訳ではないらしい。

 つまり今の蜀軍でも、この防衛線を抜く事が出来ると、そう断言した。


「話だけ聞けば、決して夢物語ではない、そう感じる。しかし、相父の北伐の戦略を聞いた時も、朕は今と同じ気持であった。決して、決して油断はするべきではない。姜将軍、今は互いに、そう思っておくことにしよう」

「御賢明であらせられます。私も、詰めるべきところを詰め、戦略をはっきりとした形にしていきたいと思います」


 姜維が下がり、誰も居なくなった部屋で一人、劉禅はしばらく無言で地図を見ていた。

 まだ、体が熱い。姜維が居て、蒋琬もいる。今まで諸葛亮という存在しか見えていなかった、それを深く後悔した。

 全てはこれからなのだ。


 かつての父の様に、自分も男の夢というものを、天下に向かって叫べるであろうか。

 戦乱の無い国を。二度と、誰も苦しむことの無い平和を。四百年続いた漢の命脈の下、その平穏を中華全土に敷くことが、劉禅の秘めたる志であった。

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