後任
「北伐は、成さねばならん。しかし、兵を無暗に損なう事だけは許さん」
「ならばやはり、魏の国内の乱れに乗じて兵を挙げなければなりますまい。魏の太祖である曹操が、かつて袁紹を破り、袁家を滅ぼした戦略を習うのです。無暗に外からの圧力をかけずに内乱を誘い、乱の求めに応じて出征。そうやって勢力を削り取っていく方法です。その戦機を見極めるのは、漢中を守るあの三将に委ねましょう」
「良いだろう、方法は大将軍に任せる。密かに軍備を漢中へ送り、準備を整えよ。戦機が訪れるのは、明日やもしれぬし、数年後かもしれんが、常に気をつけよう」
「御意」
このところ、劉禅には皇帝としての威厳が備わり、自発的な言葉も増した。
董允は確かに有能でありはしたが、その分押さえつけも強かった。
それでも劉禅は腐る事無く真摯に向き合い、陳祇という手足を得て、ようやく歩き始めたのだ。
まずは古びた軍の内部を、一新するところから始めよう。
費褘の思考は既に数年後へ向かっていた。
自らの高齢を理由に、武官の頭首を務めていた馬忠が、軍権を返上した。
残りの余生を南蛮の地方にて過ごしたいと願い出ており、劉禅はそれを許した。
人生の大半を南蛮地方の鎮圧に割き、蜀の国力を倍近いものにした功績は、この馬忠によるところが大きい。
決して苛烈な戦をする武将ではなかったが、民の一人一人と根気強く向き合う精神力など、他のどの武将にも無い強さを持っていた。
これを機に、費褘は軍の内部を再構築しようと動きはじめた。
まず、軍の最大の実権を握るのは、やはり姜維しか居ないのが現状である。
北伐に対する志が強く、思考が偏ってしまう危うさを孕んでいるが、軍人としては文句のつけようがない天才的な手腕を持っている。
その実力と熱量からして、姜維以外に適任はいなかった。
そして今、その後任を定めておく必要があると、費褘は思案した。
費褘はもしも自分に何かあったときは、全てを陳祇が引き継げるように根回しはしている。
ただ、陳祇は数個、費褘よりも年が上であった。寿命を考えれば、陳祇の方が先に没する可能性は高い。
その為、別の若い後継者として、諸葛亮の実子である「諸葛瞻」を候補に考えていた。
才智はあり、人の上に立つ風格を備えていたが、偉大過ぎる父の影響もあってか、早熟であった。
それでも、諸葛亮の遺功の大きさもあって、若いながら大きな影響力を持っている文官でもある。
能力というよりは、その政治的勢力の大きさを見て決めた人事であった。
そして、姜維の後任には「董厥」「樊建」「閻宇」といった文官、武将らを候補に据えた。
董厥は現在、董允の後任という形で近衛兵を率いる立場にある武官であり、文官としても陳祇の補佐を良く行っている。
武官や文官として非常に有能ではあるが、小賢しい一面を持っており、強き者に良い顔を見せるような性格なのが欠点であった。
樊建はそんな董厥の下に付いている文官であり、董厥とはその性質が逆と言って良いだろう。
非凡な才こそ持っていないが、真っすぐな性格と、誠実な人柄を持っており、董厥の欠点をよく補っていた。
そして閻宇は、馬忠や張嶷の後任として南蛮の統治を任されている将軍である。
熱意ある人柄であり、懸命に職務を取り仕切る優秀な武官であった。
ただ、どうしても馬忠や張嶷といった前任が極めて優秀過ぎた為、その功績は見劣りする。
それでも、今の若い将軍達の中では、一つ頭の抜けた存在であると費褘は見ていた。
姜維としては恐らく、傅僉や蒋斌といった子飼いの武将に後任を託したいと考えているだろうが、どうしても若すぎるし、功績も無い。
人事は、才能や実力ではなく、多人数に認められる「実績」が必要なのだ。




