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国主の務め

 王平の死後、漢中はそのまま、駐屯していた姜維、廖化、張翼の三人が守る事となった。

 それに先の北伐は、国内では北伐軍の「勝利」として盛り上がっていた。

 姜維は官爵と土地が与えられ、それぞれの将兵らにも恩賞が配られた。


 ただ、陳祇の目から見れば、この程度で大いに喜んでいては到底北伐など成し得ない。

 勝利どころか、むしろ敗北であろう。

 敢えてそれを口には出さないが、戦況を分析すれば、郭淮の思う通りに防衛されたと見るのが妥当だった。


「陛下」

「あぁ、陳祇。用は済んだのか?」

「はい。陛下にもそのご報告をと思いまして」


 劉禅は張彩の影響もあってか、自分の心に区切りを付けられるようになってきたように思う。

 昔の様に、臣下が死んでいくたびに深く絶望するのは、君主としては美徳であるが、一人の人間として心が壊れかねないものであった。

 この国の全ての悲しみさえ、その身に受けようとする。劉禅はそういう気質を持っていたのだ。


 蒋琬や董允が亡くなったと聞いた時も、その悲しみの深さは誰よりも深かった。

 そんな劉禅に、常に寄り添っていたのが、張彩である。

 この二人の間に、どのような信頼が通っているのか、それは陳祇には分からない。

 ただ、間違いなく言える事は、張彩の存在は間違いなく劉禅の大きな柱となっているという事だ。


「それにしても、流石、奥方様ですね。間違いなく、御父上の血脈を色濃く継いでおられる」

「ふふっ、陳祇様も、ひとつお相手になられますか?」

「勘弁してください。私に武の才能は欠片たりともありません」


 張彩は軽装で、太い木刀を手に、気持ちよく汗を流していた。

 その傍で、劉禅と黄皓が地面に腰を下ろしている状態であった。

 なおも涼し気な張彩に比べ、二人は汗を滝の如く流し、肩で息をしている有様である。


「間違いなく、彩の武は天性のものだ。黄皓はこう見えて相当な手練れというのに、私と二人を相手にしても、この有様だ」

 劉禅は笑い、黄皓は面目なさげに恥じている。


「陳祇様をお待たせしては申し訳ないですね。今日の稽古はこのくらいにしましょう」

「そうだな。黄皓、湯を張っていてくれ、話が終わったらすぐに汗を流したい」

「直ちに、準備いたしましょう。ただ、この老体に、しばしの休息を……」

「分かった分かった。陳祇よ、話は奥で聞こう」

「しからば」


 先日、王平の訃報が入ってきた。

 こういう風に体を動かしているのも、その悲しみに浸らない為だろう。

 劉禅のそういった心の機微を感じ取ったのか、張彩も稽古を最近は激しいものにしていた。

 奥の部屋に、劉禅と陳祇が二人。

 劉禅は布で汗を拭い、従者に運ばせた水を一気に飲み干した。


「それで、話とは」

「魏において政変が御座いました。曹爽とその側近、彼らの一族に至るまでの全てが、司馬懿によって監禁状態にあります。処刑される日もそう遠くはないかと」

「司馬懿だと? 彼はもう老齢だぞ。隠遁していたはずであろう」


「表向きは司馬懿が機を窺っていたような偽装に見えますが、恐らく、長子の司馬師が工作を進めていたものと思われます。司馬懿が立ったのも、情勢に沿ったものではないかと」

「ふむ……つまり、政争に決着がついたのか。夏侯玄も、同じか?」

「彼には才もあり、人望もあります。大きな罪も無いので処刑まではされないと思いますが、あえて生かされているような、軟禁状態にあります」


 今、この三国において、もっとも成熟した君主はこの劉禅であった。

 魏の曹芳はまだ子供であり、呉の孫権はかつての鋭気を失い耄碌としている。

 情勢は確実に、この蜀へ傾いていた。喜ぶべきことである。


「陳祇よ、朕は如何にすべきか」


 痛みを背負いながらも、劉禅は、それでも前に進もうとしていた。

 それを全力で支える事が、今の陳祇に成すべきことである。


「陛下が気負う事はありません。今まで通り、重臣らの意見を広く聞き、用いるべきものを用いる、そして進むべき道を定めるのです。完璧である必要はありません」

「されど、この政変の持つ意味は大きい。動くべき時は、動かねばならないのではないか」

「そういうのは、我々臣下の役目です。敢えて申せば、姜将軍は気が逸りすぎ、費褘殿は慎重が過ぎます。それを念頭に入れていただければ十分でしょう」


「何というか、そなたと居ると、肩透かしを食らった気分になる。董先生は、こういう時にこそ気を引き締めろと、常々口煩い程であったぞ」

「陛下は先帝より位を御継になられて二十数年。国の頂点に立つ者として成してきた経験は、臣下の誰にも分かり得ません。御身を大事になされませ、己を信じることもまた大切です。それこそが、この国の全てを抱える陛下の務めで御座います」


 劉禅は、溢れそうになる涙を堪え、息を吐いた。


「朕は、この国の皇帝として、父帝や相父にもいつか、胸を張って会う事が出来るだろうか」

「これからも、この国の在り方を示し続けていただければ、間違いなく」

「そうか。そうだな」

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