表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/107

高平陵の変

 漢中へ帰還すると、王平が病に倒れていた。


 長年、漢中に在って、蜀漢の最前線にて魏軍を阻み続けた将軍である。

 その名声は蜀軍随一であり、将兵だけでなく多くの民にまで慕われていた。


「よくきたな、姜維」


 以前の様に、筋肉に覆われた体付きでは無かった。

 頬はこけ、髪も薄い。

 彫り深な目の周りは、より一層暗くなっている。

 それでも傍らには長剣を置いていた。その用心深さは、残り短い命を悟っても色あせてはいなかった。


「御機嫌は如何ですか」

「数々の戦を思い返せば、これしきの事」


 むしろ穏やかな日々を送り過ぎていて、不安になるほどだ。王平は真顔でそう言った。

 病床にあってもなお、その心は戦場にある様だ。


「惜しかったな」


 今回の北伐の事を言っている様だった。

 王平は横になっていた体を、無理やり起こして息を吐く。


「安静にしていて下さい」

「この王子均にも、汚せぬ誇りがある」

「……分かりました」


 汗が滲んでいる。

 傍にあった剣を杖の様にして、姿勢をやっと保っていた。


「姜維よ、廖化をどう思う」

「優れた将軍であると、思います。あれほど将兵の統率に優れ、戦場にあっても心に波風一つ立てない者は、天下に二人と居りますまい」

「……されど、此度の北伐の撤退に責任を求めるとすれば、それは廖化であろう。違うか?」


 姜維は口を噤む。

 それでも王平は言葉を続けた。


「廖化は誰よりも死地を潜り抜けて来ており、恐らく戦場で生きた時間の方が長い。ただ、その豊富すぎる経験が、北伐にあっては必ず仇となる」

「此度の撤退には、誰の責を求めることは出来ません。敢えて申せば、決戦を急いだ私です」

「北伐はっ……!」


 かっと目が開かれた。

 息も荒いが、姜維はその王平の言葉を聞き漏らすまいと、黙ってその体を支えた。

 細く、冷たい体であった。しかしその内に、燃えるような熱さを感じる。


「北伐は、攻めなければならん。敗北を恐れてはならんっ……丞相があれほどの才を持ちながら、北伐を成せなかったのは、負ける事を恐れた故だ」

「蜀は、小さき国です」

「だからこそだ。本気で北伐を成すのなら、国の全てを賭ける覚悟が必要なのだ。覚えておけ、姜維。戦は、人間が人間を殺すという事だ。単純な兵力や国力では、決して魏には敵うまい。しかし、相手も人間なのだ。それだけは、忘れるでないぞ」


 口の端から、鮮やかなまでに赤く染まった血が、ぽたぽたと流れ出ていた。




 二四九年、王平が病に没して、間もない時の出来事である。

 高平陵の変

 歴史上の観点から見ても、極めて重要な意味を持つ変事だ。

 政治の表舞台から完全に隠遁したと思われていた司馬懿による、軍事クーデターである。


 曹爽と夏侯玄は、先帝である曹叡の墓参りに行く為に、文武百官と皇帝「曹芳」を伴い、墓のある高平陵の地へと赴いた。

 この時、都に在った司馬懿と、その長子である司馬師が兵を挙げたのだ。

 かねてより綿密に計画がされていたのか、洛陽は一瞬にして完全に司馬懿の手中に収まり、曹叡の妻であった郭太后に上奏。

 無理矢理、曹爽の官職の一切を解任させる許しを得た。


 高平陵に居た曹爽も兵は率いていたものの、将兵の妻子は都に在り、更に相手は軍事において比類なき功績を持つ司馬懿である。

 敵うはずがなかった。

 曹爽の心は、この時に完全に折れてしまった。

 夏侯玄がいくら抗戦を進言しても、曹爽は首を横に振る。


「もう、詰んでいる。終わりだ……魏は、滅びたのだ」


 曹芳を守り、曹爽は降伏した。

 降伏すれば官職を解くだけで済むという条件であったが、それが守られることは無かった。

 後日、謀反を企てたとして、曹爽の一族、そしてその側近に至るまで、多くの曹派が処刑された。

 

 これで魏は完全に、司馬氏の独裁体制となったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ