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酒の情景

 夜は小さいながらも、毎晩の様に宴が開かれていた。

 それは、費褘によるものである。


 董允が床に伏し、意識すら混濁している最中、その悲嘆を紛らわせようと、費褘は杯を重ねる。

 二人は年齢こそ大きく違うが、その間柄はさながら親友の様であった。

 費褘が諸葛亮に才を見出され、劉禅の側近として仕えた際、董允と親しく交わったのが最初である。

 年齢も、性格も、大きく異なっているからこそ、互いに心を全て開いていたのだ。


 その気持ちを無碍にするわけでは無いが、それでも陳祇にとって、毎晩というのはきつかった。

 近頃、家に戻る事が出来ていないのも、そのほとんどの原因がこれである。

 よほど気に入られているのか、陳祇だけが、毎晩の様に出席を求められていた。

 それを断る事が出来ない情けなさを、酔いの中でひしひしと感じる。


 今宵も遅くまで飲んだ。

 家に戻ることも出来ず、陳祇は宮廷の中にある居室で、今日もまた体を横にした。

 浅く、まどろむような眠気に襲われる。

 しかしそのまどろみを、衛兵の声が割り入った。


「陳祇様、客人がおいでです」

「……明日にしてくれと、伝えよ」

「それが、その、陳祇様に呼ばれた、愛妾であると、その者が」

「何?」


 あまりにも身に覚えのない話であった。

 まどろみも消え、胸の内に困惑だけが残る。


 女など久しく買っていないし、既に妻も子も居るのだ。その様な不義理を交わすつもりも無い。

 費褘の悪戯かとも考えたが、それにしては悪質である。


「名は、何と言っていた」

「昭徳と、お伝えいただきたいと」


 心臓が跳ね上がる。

 陳祇は慌てて衛兵を呼び、金子を握らせた。


「決して誰にも漏らすな。それと、傍に老人の姿は無かったか」

「い、いえ」

「分かった。呼んでくれ」


 衛兵は怪し気というよりは、少しおびえた様子で部屋を飛び出した。

 清廉で潔白の評判が高い陳祇がこれほど気を使っているのだ。

 もし漏らしでもすれば、と肝を冷やしていた。


 陳祇も居住まいを正して、火を灯す。

 薄暗い朱色の明かりが、ゆらゆらと居室を照らした。

 やがて通されたのは、やはり、簡雍の妻の、あの美人であった。

 暗がりの中だと、その艶やかな美しさが一層に目を惹いてしまう。


「何故、この様なところまで。簡雍殿は今後一切、この国に関わらないと仰っていたではありませんか」

「ですので、今宵は私一人のみです」

「だとしても、愛妾などと……。冗談にしても、質が悪いでしょう」

「私はそのつもりで参りました」

「話が、分かりませんが」


 よく見ると、女の目は濡れていた。


「私は元々、呉において諜報や謀略といった裏の任についていました。汚く醜い仕事です。されど簡雍様はそんな私を引き取って下さいました。陸遜も、簡雍様の動向を探りたく思って、それを快諾したのでしょう。いざという時は、簡雍様を、殺す為に」

「それはまた、見当違いな任務ですね」

「はい。あの御方には、人も国も違いはありません。そんなお人の何を探れば良いのでしょう。偶然にも、英雄の傍らに居ただけなのです。そして先日、簡雍様は劉備様の墓前に参り、酒を酌み交わしておいででした。一言も話さず、穏やかな時間で御座いました」


 何となく、想像が出来た。

 言葉など出さずとも、例え先帝が亡くなっていようと、語り合えるのだ。

 一生のほとんどを、共に過ごして来たのだから。

 女もまた、情景を思い出し、笑みを浮かべていた。


「そして私はその場で、お役御免と、簡雍様に申し付かりました。その翌日、簡雍様はおひとりで何処かへ、消えてしまわれました」

「何故……」


「死ぬおつもりなのでしょう」


 そう言って、女はわっと泣き出した。

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