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戦勝の酔い

 今回の「興勢の役(興勢山の戦い)」は、蜀軍の大勝利で幕を閉じた。


 奪った輜重や武具の数は膨大であり、捕虜は数千にも上る。

 重門の損害こそ大きいが、兵や物資はほとんど無傷と言っても良い。


 対して魏軍は、全軍の三割を失う大損害を被っており、命を落とした兵士のほとんどが雍・涼州兵であった。

 この功績により、費褘は成郷侯に封じられ、王平、馬忠、鄧芝の名声は大いに高まった。

 民の間では「北の王平、東の鄧芝、南の馬忠」とまで呼ばれ、英雄として称えられていた。

 その一方、姜維はと言うと、極秘裏に少数兵を率いて戦を行った為、表に出る形での功績は無かった。


 ただ、その戦勝による国内の熱の高まりは、一つの問題を産んだ。

 この機に乗じ、世論は「北伐」の必要性を訴えだしたのだ。


 今後再び、魏軍が攻めてくる可能性は大いにあり得る。

 更に兵数を多く、優秀な指揮官が、それこそ司馬懿が軍を率いて攻めてくれば、果たして漢中は耐えきれるのだろうかと。


「座して死を待つより、出でて活路を見出さん」


 かつて、北伐の必要性を諸葛亮がこう語った。民や群臣は、この言葉を再び思い出したのだ。

 その流れに最も頭を悩ませていたのは、やはり費褘であった。

 既に国政の方針は固まっており、北伐を許すつもりはない。しかし、世論の動きは思いの外大きかった。


 現在、軍部は二つに割れていた。


 姜維や鄧芝を筆頭とした、今すぐにでも兵を出し、雍州、涼州を制圧するべきだという意見。

 それに対するのは、王平や馬忠を筆頭とした、慎重に時勢を見るべきだという、現在の国策に基づいた意見である。

 どちらの意見も筋は通っているからこそ、費褘も慎重にならざるを得なかった。


 雍州、涼州は土着の兵の大半を先の戦で失い、北部から兵の補充はしているものの、土地は荒れ、民心は非常に不安定である。

 政治的にも司馬氏と曹氏の対立は更に深くなり、曹爽は無理にでも権力を固める為に私的な人事を繰り返し、その派閥争いは不穏を孕んでいた。

 従って、攻めかかるのはこの機をおいて他になく、蜀は先の戦で物資も武具も豊か、今すぐ北伐の兵を挙げるべき。


 という意見。


 確かに魏は大きく国を疲弊させ、兵を失ったものの、その国力は未だ大きく、領土を守るだけの力はまだ有している。

 更に、急な戦で兵を集めてしまった為、蜀軍の調練は未だ行き届いておらず、全軍が仕上がるのに最低でも一年はかかる。

 今は時勢を見る時期であり、呉との同盟関係を堅固にする方が先決で、目先の勢いを背景として無理に戦をするべきではない。


 という意見の二つである。


 劉禅は決定権を大将軍に委ねるという姿勢のまま変わることは無い。

 全てを委ねられた費褘が下した決断は、現在の国策の変更は行わず、北伐は時期をみるという、従来の姿勢を貫いたものであった。

 ただ、世論の声も抑えがたかった。

 その為、費褘は譲歩をする形で、姜維に一つの命令を授けた。


「現在の司馬氏と曹氏の対立は、放っておけば更に深くなる。今攻めれば逆に団結してしまうかもしれない。ならば今は泳がす。どちらかが大きく動いた時、姜将軍は一万の兵で急行し、雍・涼州へ攻め入れ」


 費褘は、劉禅より預けられた剣でもって、姜維にそう命じた。

 この命令は、劉禅の言葉と同じ重みをもつ。

 姜維は不服でありながらもそれを心中に堪え、命を拝した。

 これで、国内における北伐論の熱は一旦区切りがついたのであった。

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