暗殺
脳がずるりと引き抜かれたように、意識が現実に戻る。
夢か現か分からないまま、激しい嘔吐感に襲われた。
「陛下、ここに」
張彩が自らの着物を引き延ばして、劉禅の顔の前へやった。
耐えきれずにそのまま劉禅は吐き、張彩がそれを受け止める。
「……すまない、彩」
「いえいえ、何もお気になさらず。お気分は如何ですか?」
「だいぶ楽になった」
「それは良かった」
零さない様に着物を脱ぎ、それを侍女に渡す。
薄い下着のままで、空の桶を劉禅の傍に置き、水に濡れた布を差し出した。
劉禅は汚れた顔をそれで拭い、そのまま仰向けになる。
「懐かしい夢を見ていた」
「はい。姉上の名を、何度も呟いておられました」
「そうか……お前には、辛い思いばかりをさせる」
「私は嬉しいのです。姉上もきっと喜んでいますよ」
「父帝と、相父もいた」
「はい」
「二人とも、相変わらずな御方であった」
「それは良いことですね」
長い、沈黙。
言葉を交わさずとも、張彩の慈愛は、劉禅の心を癒す。
まだ気分は悪いままだが、劉禅は体を起こした。
「黄皓をここに。すぐにだ」
すると、まるで待っていたかのように、黄皓は部屋へと急ぎ入ってきて、その場にひれ伏した。
「陛下がご無事で、何よりで御座いました」
「朕はどれほど意識を失っていた」
「さほど長き間では御座いません。ほんの、半刻ほど」
「そうか……黄皓」
「はっ」
「費褘は、無事であるか」
押し殺すように、震えた声で、祈りを込めて劉禅は尋ねた。
しかし黄皓は答えず、その場で首を振る。
胸は、張り裂けんばかりであった。本当に切り刻まれているかの様な痛みもあった。
「今は、どうなっている」
「迅速に、姜維様と陳祇様のご両人が事態を収拾しております。各地方にも伝令を飛ばし、警戒を強化させたとのこと。成都周辺の警護は張嶷様が自ら指揮を執っておられます」
「反乱や外国からの攻勢も無いか」
「はい、情報は今のところ規制しております。ただ、それも時間の問題である為、宋預様と閻宇様は急ぎ任地へ戻られました。漢中は代理で張翼様が指揮権を預かると」
「何故だ、何故、費褘が殺されねばならん!?」
周囲の人間が皆、首も竦むような怒号である。
費褘は宴席の最中、自分の側近としていた武官である「郭循」に刺殺された。
元々が魏からの降将で、素性もあまりはっきりとしていなかった。
彼を用いるなと張嶷は散々、費褘に忠告していたものの、結末は最悪を免れ得なかった。
剣の演舞を、郭循が披露していた時の事だ。
流れる様に、あまりにも美しく、誰に違和感を抱かれること無く短刀を放り、費褘の心臓を突き刺した。
その瞬間、張嶷が怒鳴り声をあげると、彼の側近の戦士らが郭循を殺そうと群がったが、郭循の剣術は卓越しており、被害は大きくなるばかり。
たまらず姜維が自ら剣を抜き、戦士らと向かい合う郭循の背を断ち割った。
まだ息はあった。あえて殺さなかった。
しかし郭循はそのまま自決したのだ。その時にはもう、費褘の息は途絶えていた。
劉禅が意識を失うように倒れたのも、その瞬間の事であった。




