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暗雲

 南の方針はこれまで通り、馬忠と張嶷のやり方を、そのまま継続するとのこと。

 各部族に深く介入はせず、兵や租税など、出す物を出していれば、その他の自由を認めるというものだ。

 蜀軍が兵を出すときは、各部族同士の揉め事の仲裁や、反乱を蹴散らす場合のみ。

 これが、独立の気風を重んじる彼らにとって、最も肌に合った統治方法であった。


 そして東方は、兵を割きなるべく呉の緊張感を上げないように努め、その国勢が定まったのを見極めてから、本格的な交渉を行う事となった。

 誰が国の中心に座るのかを見極めてからでないと、無駄に国益を損なう事になりかねないからだ。


「さて、姜維将軍。貴殿はいかがか」

「我ら漢中軍は一旦、出兵を控えます」

「ほう」


 費褘が唸る。

 その答えは、姜維らしからぬ消極的な発言であった。


「されど、それでは鄧艾の防備を完全なものにしてしまうのではないか?」

「ご安心ください陛下。確かに鄧艾は稀代の名将でしょう。されど、完璧では御座いません」


「何か、秘策があるのか?」

「秘策というよりは、鄧艾の役職に隙があります。奴は司馬懿の子飼いの武将であり、郭淮や陳泰と異なり、本来の職務は中央に根強い。現にここ雍州へ赴いているのも、派遣という形です」


「つまり、どういうことなのだ」

「対蜀の国境以外で変事があれば、鄧艾はこの地を離れなくてはいけない。鄧艾さえいなければ、どれほど防備を厚くしたとて、私は国境を突破する自信が御座います。その時にヤツが戻ってきても、もう遅い」


「されどそれは、空論であろう。変事が起きる確証も無ければ、鄧艾が本当に去る確証も無い」

「我らには、夏侯覇将軍がおります」


 魏の軍部において、その血統と勇猛さにより、極めて重きを成していた存在。

 夏侯覇に敬慕を抱いていた軍人もまた、多いのは間違いない。


「内乱を起こすのか」

「涼・雍州の軍人に反乱を呼びかけるのは難しいですが、それ以外でなら、大いに。例えば、北方」

「幽州か」

「調略と言うわけではありませんが、夏侯覇殿の文を、送ることは可能です。それを相手がどう受け取るかまでは、計りかねますが」


「分かった。その件については、陳祇と姜維将軍に任せよう」

「ハッ」




 軍議が終われば、夜は大宴会であった。

 仕事は仕事、遊びは遊び、そう切り替えて意気揚々と宴会の設営を指示する費褘を、陳祇は呆れながらも笑いながら眺めていた。


 これが一国の宰相の姿か。まるで子供の様だ、と。


「陳祇よ、私はこのような場があまり好きではない」

「お前は実質的に、この国の軍部を統べる立場だ、伯約。いつまでも、そんな若武者の様な事は言ってはおれんぞ。付き合いも、仕事のうちだ」


「軍人は常に、戦場に臨むものだ。無駄な事をしたくはないのだがなぁ」

「この愚痴こそ無駄だ。ほら、張嶷殿がお前を呼んでいる。早く行ってこい」

「勘弁してくれ」


 苦笑いを浮かべ、姜維は渋々といった足取りで、仕方なく張嶷の下へと向かって行った。

 もう、若くは無いのだ。当たり前だが、それが驚くべきことの様にも感じる。


 互いに、五十に達していた。夢を語り合ったあの若き日々が、昨日のことの様にも思える。

 未だにあの日の夢は、色褪せていなかった。

 むしろその彩度は克明なものとなり、陳祇の胸を焦がす。姜維も同じ思いだろうと、確信を持てた。


 成果は未だ何一つない。

 しかし、流れはこちらにあった。間違いなく。


 あと一つ、切っ掛けがいる。それを作る事こそが自分の使命だと、そう思った。


「これは、陳祇様。お忙しいようですな」

「黄皓殿ですか。何故、宴席場へ?」


 どこからともなく現れ、陳祇にシワの深い笑顔を向けているのは、後宮の管理人でもある宦官の黄皓であった。


 不思議な男である。

 常に劉禅の影の様に側仕えを続け、老いているはずなのに、一向に歳を取る気配も無い。

 まるで仙人の様だと、不気味さに似た恐ろしさを、陳祇は微かにこの老人から感じていた。


「宦官が来ては、おかしいですかな?」

「いえ、そのような事は……」

「その様な顔をなされないで下さい。冗談ですよ」


 陳祇は劉禅と同じく、別に宦官だからどうだ、という偏見は持たない質ではある。

 ただこの黄皓は、苦手である。何を考えているのかが分からない。

 劉禅にだけしか心を開いていないようにも思えるのだ。


 かつて費褘は、黄皓には注意するべきだと密かに告げてくれたことがある。

 あまり気にはしてなかったが、目を付けられるだけの不気味さは確かに持ち合わせていた。


「黄皓殿は後宮の屋台骨であらせられる。後宮から出ること自体が珍しいと感じたまでです」

「私の役割は、後宮を影から管理する事に非ず。陛下の御身をお守りする事です」

「それは、ここにいる臣下が皆、同じ思いです」

「いえいえ、皆様は陛下よりも『蜀漢』が大事で御座いましょう。陛下とて、そうなのですから」


「何を言いたいのですか?」

「何も言えません、全ては私の憶測故に。陳祇様はもう少し、内に目を向けた方が良いかもしれませんな」

「それはどういう……」

「憶測を口に出せば、それは災いの種となります。天命に従いましょう。私は、陛下をお守りするだけです」


 それが例え、国を亡ぼす事になろうと。

 僅かに、黄皓の口元がそう動いたような気がした。声も聞こえていないのに、はっきりと。

 どういう意味だと問い詰めようとしたが、まるで影の様に、黄皓の姿はいつしか人の群れの中に消えていた。




 文武百官が集まってのこの大宴会が、蜀漢の運命を大きく揺るがす事を、陳祇はまだ知らない。



 ── 大将軍、費褘の暗殺。



 その一報は、中華全土を大きく駆け巡った。

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