若き逸材
そこからの会議は、費褘が取り仕切った。
張嶷も、中央の軍を統括する立場であるので、その点については口を出したが、基本的には無口であった。
直属の部下であった閻宇に肩入れしていると思われるのを防ぐ為だろう。
劉禅が言葉にしづらい意向などは、陳祇が代わりに言葉とした。
やはり、内政向きの適正を、劉禅は持っていた。
徴兵や租税などについてを民に強いる事については、それとなく自らの意志を見せるのだ。
しかし、劉禅の意向という事を分かった上で、閻宇と姜維は、あくまで陳祇に向かい、強く反論を飛ばす。
南蛮地方は張嶷や馬忠が軍から身を引いたことで、首長や豪族が血の気を盛らせているらしい。
これは蜀軍に対しての反意では無いのだが、部族同士の抗争が多くなっているらしく、これを防ぐに兵力の補充は必要であった。
漢中地方は、やはり北伐の為に精鋭が多いに越したことは無い。
涼州の羌族との関係強化の為にも、度々、魏領への侵攻も必要である。
徴兵や租税などは、やはり厳しくせざるを得ないのが現状なのだ。
「宋預将軍は、兵力の増強などは希望為されぬのですか?」
涼しげな顔で各地方の状勢を聞く宋預に、費褘は首を傾げて尋ねた。
白く長いひげを触りながら、長い鼻息を漏らす。
「むしろ、今は少ない方が良いでしょう」
呉は内乱が未だ続いていた。
孫権の死後、魏は大軍でもって呉を攻めたが、呉帝「孫亮」の補佐を務めていた諸葛恪がこれを防ぎ、大いに撃退した。
諸葛恪はこの勢いでもって合肥新城を攻めて包囲。しかし疫病の蔓延から被害を大きくし、大敗して呉へ帰還した。
この頃から、自らの地位を脅かされることを恐れて、諸葛恪は政治を独占し始めた。
それにより群臣の反感を買い、諸葛恪は自らの側近であったはずの「孫峻」に殺され、その一族や一派までもが皆、処刑された。
そうして呉の実質的な頂点に立った孫峻だが、彼もまた政治の独占を行い、国は荒れたままとなっていた。
国内の豪族や異民族も力を持ち始め、反乱も度々起きている状況である。
宋預はそうした情勢を見た上で、下手に呉を刺激しないように傍観する立場を取る方針としたらしい。
孫峻の世が長く続くとも思えない。
なれば今度は誰が呉を主導していくのかが分からず、交渉も難しいらしい。
「兵よりも、人材ですな。外交と統治、そういった面で秀でた人材を儂の後任に付けていただきたい。軍事の適正は要りませぬ。儂も、六十になって軍人となったのですから、それよりも粘り強い性格が、東方では必要になる」
宋預は今まで、軍政官、外交官としての職務に就いていた。
軍人としての官爵が与えられたのも、鄧芝の死によるところが大きいという人事的背景がある。
「ふむ、確かに東方において、宋預殿の後任は急務ですな。そう言えば閻宇殿、確か、優秀な若き副官を二人、連れていませんでしたか?」
「よく働く、才有る者を二人、確かに副官として連れております。羅憲、霍弋、この二人の事を費褘殿は仰られておいででしょうか?」
北方では姜維子飼いの蒋斌、傅僉が若き将軍として有望視されているが、それと同等か、それ以上に、有望な若き将軍が居た。
それが閻宇の副官として兵を率いる、羅憲と霍弋という将であった。
特に、霍弋である。
閻宇の統治の「武」における部分のほとんどを、この若き将軍が担っていた。
幼少の頃からその才智は明晰で、なおかつ勇猛果敢。
蒋斌と傅僉の長所を、一人で備えていると言っても過言ではない。
ただ、より血なまぐさい、命すれすれの戦をしているのは、やはり漢中軍である。
それを考えれば、この若き将軍らに、現時点で優劣を付けるのは無意味なのかもしれない。
そしてもう一人の羅漢は、軍政を補佐していた。
極めて粘り強く、各部族との交渉を行ったり、時には民政にまで手を伸ばし、とかく不屈の若者である。
「羅憲殿を、引き取らせていただいても構いませんか? 諸葛瞻の下に付け、やがて東方を担う将としたいと、考えておりました故」
「確かに、あれはあの若さで信じられない様な気骨と、粘り強さを持っている。特に、軍政向きです。その様な話であれば、やつの為にも喜んで、諸葛瞻殿の下へ送ります」
「閻宇殿や、霍弋将軍の負担がその分増えるでしょうが、よろしいですか?」
「私は心配なさらず。それに、ヤツもこれが成長の糧にもなりましょう。戦だけでは駄目だと、学ぶいい機会です」
「そう言っていただけると、こちらとしても気が楽で御座います」




