蜘蛛の巣
「目星は付いたか」
「はい。李簡という武官が今、揺れております」
雪花の報告に、陳祇は大きく頷いた。
予め、目を付けていた男であった。彼を動かせたのは、大きい成果であった。
狄道という隴西地方と涼州を結ぶ要地で、城の守備を任されている将軍である。
若い頃は夏侯覇の旗下であり、そこから出世した将だった。
「李簡以外はどうだ」
「居る事には居るのですが、若き将兵ばかりで、重職には付いていません。文官には司馬師の手が伸びていますし、官僚らを動かすのは難しいでしょう」
司馬懿は既に、死んでいた。
曹派を落とし、皇室の人間を皆「ギョウ」の城に押し込め、権力を封殺。
全ての地盤を固めた上で、司馬師に後事を託しての死であった。
絶大な基盤を手にした司馬師の謀略の網は広く、特に官僚や文官は皆、司馬師の手の内に入っていた。
雪花であろうと、この網に触れることは、難しかった。
網に触れれば、まるで蜘蛛の巣の様に、獲物として喰われてしまうかもしれないのだ。
情報を集めるだけなら可能だが、謀略を仕掛けるのは無理であった。
「今は、李簡に標的を絞ろう。鄧艾や郭淮からの連絡が度々遅れたり、李簡の軍部での評価が芳しくなかったりと、最初はそれくらいで良い。後は、李簡の側に入り込める者を一人、用意しておくのだ」
「夏侯覇様と関係のあった者の方が、警戒されずに済むでしょう。間者は、用意します」
「頼む」
雪花は柔らかく微笑み、ふわりと、風と共に姿を消した。
彼女自身が敵地に入り込んだり、という事は無かった。あくまで頭領として、間者を使うだけだ。
今の主な仕事は、陳祇の護衛である。
劉禅から大きく信任を得て、費褘に次ぐ内政官としての重責を担う彼には、無数の見えない手が迫っていたりする。
それらを全て断ち切ることが、雪花の生きる意味となっていた。
当の本人である陳祇は、そんな苦労などいざ知らず、膨大な政務に没頭する毎日を送っていた。
それで良いと、雪花は思った。
ひたむきで真っすぐで純粋な、そんな陳祇の生き方に惹かれたのだ。
暗く汚いものは全て、自分が飲み干せばいい。彼が生きてさえいれば、喜んで飲み干せる。
その思いもまた、雪花だけのものである。
陳祇が知る由もない。
「伝令で御座います。姜維将軍、閻宇将軍、宋預将軍の御三方がご到着なされました」
「そうか。費褘様には伝令は入っているか?」
「はい。各将軍方を御出迎えされて御座います」
「分かった。陛下には私からお伝えする。将軍方に休息を取って戴き、それから宮廷へと御案内せよ」
「御意」
伝令は足早に去って行った。
陳祇は正装を整え、劉禅の下へ向かった。




