兄弟
「美味いか?」
ジャバードが腰を屈めながら、黙々と食べているアリソンの顔を覗き込んできた。
「はい」
「そりゃあ、よかった」
口に弧を描くジャバードは、本当に嬉しそうだ。
アリソンも思わず、微笑み返す。
それを見ていた男性たちが、ひゅーっと口笛を吹いた。
「すっかり餌付けちゃって、お頭。側から見りゃ、夫婦のようだよ」
「ば、ばかを言うな!」
「おーおー。お頭が狼狽えてんぞー。ぎゃはは」
男性たちは、おろおろし出したジャバードが珍しいのか、爆笑していた。
アリソンは無理矢理連れてこられたのに、いつの間にか彼らとの時間が心地よいと感じていた。
ジャバードの言う通り、彼らは砂漠の民と異なり、髪をさらけ出していた。
砂漠の掟では、男性も女性も人前では、髪を隠すという決まりがある。
男性は布で、女性は布か布なのが一般的だ。
長衣の布も、男性は白が一般的だが、彼らは黒だ。
髪も布も黒色で、まるでカラスのようだった。
最初はその威圧的な姿に怯えたが、今この時間を過ごしただけで彼らの親切や温かさが伝わってきた。
(何故彼らは、砂漠を旅しているのだろう。それに、ジャバードが言っていた考えに陛下が反対していたって…)
「また辛気くさい顔をしてる」
「…!」
ジャバードが再び、アリソンを覗き込んできた。
「心配すんなって。王宮には連れて帰るからよ」
「え?本当ですか?」
「ああ、俺はうそは言わないよ」
ジャバードは苦笑する。
「まあ、向こうから来るかもしれないけどな」
「…?」
ジャバードは平然と言うが、アリソンにとって意味が分からなかった。
ジャバードは柔らかく微笑みながら、アリソンの頭を撫でる。
それを視界の隅で、こちらを見ていた男性たちがにやにやと笑っていた。
◇◇◇
「さあてと、出発するか」
朝食を食べ終わった後、すぐさまテントを片付け、辺りは何もない状態だ。
男性たちも自分の馬に乗ったり、荷物を馬の背に固定したりしていた。
一方、アリソンはジャバードの馬に乗っていた。
ジャバードが準備が出来るまで、乗ってなとアリソンを乗させてくれたのだ。
だが、出発できる状態になったので、ジャバードはアリソンの背後にひょいと馬にまたがる。
そしてアリソンの両脇から手綱を持ち、支えてくれた。
耳元でジャバードの息遣いを感じたり、背中が密着して上下する胸が当たったりして、アリソンはドキドキした。
男性と一緒の馬に乗るのは初めてなので、アリソンは手持ちぶさただった。
そわそわしているアリソンに、ジャバードはふっと微笑んで、悪戯っぽく耳元で囁いてきた。
「緊張しているのか」
ビクッと身体を震わせたアリソンに、ジャバードは益々笑みを深める。
「男と乗るのは初めてじゃあるまいし。そんなに固くなんなって。落としゃしない」
「……です」
「ん?」
「~っ初めてです!」
「え?」
「男性と馬に乗るのは初めてです!」
何度も聞き返してくるジャバードに、ついにアリソンは羞恥心を捨てて大声で言った。
ジャバードは、珍しく困惑しているようだった。
「…そうか、初めてか…」
「そうです!」
確認してくるジャバードに、アリソンは顔を赤くしながら言う。
ジャバードの顔は見えなかったが、声が少し上ずっていた。
それを代弁するように、一人の男性がジャバードをからかう。
「真っ赤になってんぞー、お頭。王妃様に嬉しいことでも言われたかー?」
「う、うるさいぞ、サントス。黙っとけ」
男性たちが爆笑して、ジャバードが焦って誤魔化していた。
アリソンは、必死に反抗しているジャバードが気になり、背後を振り向こうとしたが、手綱を持ったままの大きな手にがしっと両頬を掴まれた。
「見なくていい」
「…はい」
◇◇◇
太陽が燦々と砂漠を照らしている時刻に、ジャバード一行は馬を走らせていた。
馬は慣れているのか、砂を上手く蹴りながらぐんぐんと前へ進んでいっている。
砂埃が尋常じゃないほど舞い上がっているので、アリソンはジャバードの布にくるまれていた。
浮遊する身体を、何とか押さえながらジャバードの胸に顔を押し付け、ぎゅうっとしがみついていた。
時折、ジャバードの心臓が力強くドクンと高鳴っていたが、アリソンは気にする所ではなかった。
「…ん?」
突然、ジャバードが声を発した。
アリソンが微かに目を開けると、馬がスピードを徐々に落としていく。
やがて、完全に振動がなくなると、アリソンは布から顔を出す。
「どうしたの?ジャバード…」
アリソンがジャバードを見上げると、睨み付けるような表情で前を見据えており、アリソンも前を見る。
すると、前方から砂埃が舞い上がり、数頭の馬に乗っている男性たちがこちらに向かってくるのが見えた。
臨戦態勢にはいる男性たちに、ジャバードは片手を上げて止める。
そのまま、動かないで彼らがやって来るのを見つめていた。
前方から来た男性たちは、陛下と陛下の側近たちだった。
アリソンは久し振りに見る陛下の姿に、苦しいほど心臓が暴れる。
たった一日会わなかっただけで、随分会っていないような錯覚になるが、目だけさらしている陛下と目が合うと自然にそらしてしまった。
やがて、陛下一行がジャバードの前にやって来ると、お互いが睨み付け合っていた。
(…?)
陛下とジャバードの様子に違和感を感じながらも、陛下と共に来た側近や護衛が、「王妃様…」と嬉しそうに目を輝かせていた。
アリソンも皆に会えて飛び込んでいきたいと思ったが、二人の雰囲気から誰も何も言わない。
「久し振りだな、ジャバード」
「元気そうで何よりだ。兄さん」
(え)
陛下とジャバードの会話に、アリソンは驚きを隠せない。
「王妃を返してもらおうか」
「嫌だと言ったら?」
「…強行手段だ」
陛下は布の中にある剣を、すらりと抜く。
アリソンだけではなく、側近たちも「陛下!」と叫び止めようとした。
臨戦態勢に入っている陛下に、ジャバード一行も警戒して布の中から同じく剣を抜く。
「穏やかじゃないな、兄さん。相変わらず血の気が多い」
「黙れ、裏切り者め。王妃を拐った罪は重いぞ」
陛下は言い切ると、一目散に馬を走らせ、ジャバードに向かってくる。
アリソンが止めてと言いそうになった時、ジャバード一行が前へ回ってきた。
「人の話を聞かねえ坊っちゃんだな」
「斬っても文句言わないでくれよ」
お互い剣を持ったまま戦おうとしており、アリソンは「止めて!」と叫んだ。
途端、陛下と男性たちの身体がビクッと震えた。
馬も突然の大きな声に驚いたのか、ヒヒーンと前足を高く上げ止まる。
「や、止めてください…。無意味な争いはしないで」
「アリソン…」
アリソンが震え声で言うと、ジャバードが呼ぶ。
それを聞いていた陛下の顔が、益々険しくなった。
「王妃を名で呼ぶ許可はしていない」
「ふうん、一丁前に独占欲があるのか。…いいよ。ただし、俺たちの望みを叶えてくれるのならばな」
「何…?」
「俺たちと交渉する気があるのなら、アリソンを返してやるよ」
「…いいだろう」
陛下は返答すると、すとんっと馬から降りた。
そのまま、ジャバードの所まで真っ直ぐに来て、アリソンの両脇を持ち上げ抱える。
「あ!」
「……」
両膝の裏に片腕をかけながら、陛下はアリソンを運んだ。
陛下の愛馬の背に横向きで乗せられると、陛下も乗り、アリソンを布でくるんだ。
「わっ…」
「ついてこい」
アリソンの肩を布越しにぐっと抱えながら、陛下はジャバードに言う。
アリソンは温かい陛下の胸板に顔を押し付け、ドッドッと心臓が暴れ始めるのを感じた。
やがて、馬が走り出すと陛下の布を掴み、初めての密着にアリソンの鼻はツンとする。