生き方の違い
結局、絨毯の上でぐっすり寝てしまったアリソンは、朝日が昇ったばかりの時間に起きた。
「ん………朝」
しょぼしょぼしている瞼を擦りながら、身を起こす。
ぼうっと朝日で明るくなったテントの中を見渡していると、はっとする。
(こうしている場合じゃない。逃げないと)
アリソンは慌てて、布を被り直し、テントの外へと出た。
砂漠の朝は肌寒く、布を覆っていても寒気がした。
しかし、温かい朝日が砂漠の地平線から顔を出す光景は、心に染みるようだった。
「きれい…」
思わず、声に出して感嘆の声を上げていた。
だが、こうしちゃおられない。急いで、馬の元へ駆け出したが…。
ビュン…ー
「っう…」
背後からムチが飛んできて、アリソンの片足首に絡まり転倒する。
「俺から逃げられると思ったか?残念だったな」
清々しい朝の風景に似合わない、怒っているような低い声が辺りに響く。
男性はアリソンの側に来て座り込み、顔を覗き込んできた。
男性は顔と黒髪はさらし、長衣の白い布だけを纏っていた。
表情は怒ったように眉をひそめている。
「……また隠しているのか」
「え?」
何のことを言っているのか分からず首を捻るが、男性は説明をする気がないようだった。
転んだ体制のままのアリソンを、男性は起こしてくれムチもほどく。
先程の怒ったような表情から一転して、男性は真っ直ぐな視線をアリソンに注いでいた。
「…何ですか」
「…いや、何でもない」
男性は視線をそらし、アリソンを立たせる。
今度は逃げないように、アリソンの腰に手を添えていた。
決して強引ではないが、逃げる素振りを見せたら、容赦はしないとでも言っているようだった。
「あんたはどう思う?この朝日を」
「…とてもきれいだと思います」
「ああ、確かに美しいな。だが、俺たちはそんな一言で済ませられないんだ。生活の…人生の一部なんだ。俺たちにとって、砂漠はオアシスなんだ」
男性は朝日を真っ直ぐ見つめながら、淡々と呟く。
アリソンは男性の横顔を見て、少年のようだと思った。
砂漠の王妃となって一年となるが、まだまだアリソンは、砂漠のことを知らない。
こうした砂漠と共に生きて、暮らしていく人たちのことをもっともっと理解したいと思った。
「…はい。私もそう思います」
「……」
男性は、驚いたようにアリソンを見た。
アリソンは首を傾げたが、男性は戸惑うような声を出していった。
「今まで俺たちの考えに、共感してくれる者なんていなかった。王でさえだ」
「え?そうなのですか」
「ああ、あんたが初めてだ」
男性は微笑みながら、アリソンを見下ろす。
アリソンはドキッとして、男性を見上げる。
「なあ、あんたの名は?」
「…アリソンです」
「アリソン…。太陽の光か、いい名だ。ちなみに俺は、ジャバードだ。ジャバード・ユーネス。自由という意味だ」
「自由…」
「そうだ、自由。俺は名の通り自由に生きている。砂漠の掟だが何だか知らんが、そんなものに囚われない生き方が好きなんだ」
ジャバードは再び朝日に目を向けて、眩しそうに細めている。
(名前の通りに生きる…。それは何て素晴らしいことなんだろう。自分だけのたった一つの名前を、ジャバードのように誇らしく思っている人は初めてだ。私は太陽の光…か。自分が光だなんて、思ったことがなかった)
「なに辛気くさい顔してんだ?」
ジャバードが、アリソンの顔を覗き込んでくる。
「辛気くさい顔なんてしてません。それに布をしているんだから、分からないでしょう?」
「いや、分かるんだよ。なんなら取ってみな」
「あ…」
ジャバードが、顔を覆っていた部分を剥ぎ取った。
ほらなとでも言うように、いたずらが成功したような表情を向けられ、アリソンは観念する。
「…うらやましく思っただけです。あなたのように名前の通りに生きるなんて、あまりできることじゃないから」
「どうして?」
「どうしてって…」
「俺はあんたのこと、太陽の光みたいだと思った。昨夜、ランプに照らされたあんたはきれいだったよ」
ジャバードの言葉に、アリソンの顔が熱くなった。
顔を隠していないので、ジャバードに赤くなった顔を見られ、慌てて背ける。
「なあ、なんで隠すの?」
「べ、別に!それより、もう逃げないから離してください!」
「……嫌」
アリソンがジャバードの胸を押すが、腰に添えられた手に力を込められ、離れられない。
ジャバードは今、きっと笑っているのだろう。声が楽しそうだ。
アリソンがなんとか抵抗していると、テントの中から昨夜見た小柄な男の子が、眠たそうに顔を出す。
「……し、失礼しました!」
「あ」
男の子はアリソンたちを見て、昨夜と同様に顔を真っ赤にし、テントの中へと身を翻す。
「ちょ…い、いい加減離してください!誤解されるじゃないですか!」
「別に俺はされても構わない」
「いいわけないでしょう!」
べちんという小気味よい音と、「いてっ」という声と、「あ」という声が同時に重なる。
アリソンの片手がいきおいよくジャバードの頬に当たり、ジャバードの頬が徐々に赤くなっていく。
アリソンの片手は、じんじんと痺れてきた。
アリソンが「ご、ごめんなさい」と眉尻を下げながら謝ると、ジャバードはぎろりと睨んできた。
「…女に殴られたの初めてだ。いてえ」
「ごめんなさい…。だ、大丈夫?」
アリソンがジャバードの赤くなった頬に片手を添えると、目を大きく見開かれた。
しかし、すぐに目を細めアリソンを見下ろしながら、されるがままになる。
アリソンが片手を下ろそうとしたら、ジャバードの大きな手が包み込んできた。
「えっ」と言ったと同時に、ジャバードがアリソンの手のひらに唇を押し当ててきた。
アリソンの胸がどきんと高鳴り、今度はアリソンがされるがままになる。
熱に浮かされたように身動きができず、ジャバードの唇の動きだけを目で追っていた。
何度もアリソンの手のひらに唇を押し当てられ、ビクッと身体を震わせた。
そんなアリソンをジャバードは真っ直ぐに見つめながら、同じ行為を繰り返す。
いよいよアリソンの瞳に、じわっと涙を浮かべたのを見て、ジャバードはぱっと手を離した。
「あ、あー…。すまない…。やり過ぎた」
気まずそうに目をそらすジャバードに、アリソンも恥ずかしくなり下を向いた。
その時に、テントの中から「押すなよ」「ばか、それはお前だろ」「静かにしろって」と複数の男性の声が聞こえてきた。
アリソンが不思議そうに、もぞもぞと動くテントを見つめていると、ジャバードがはあっとため息を吐き、テントに向かって歩いていく。
「おまえたち、いい朝だな。おはよう」
にっこりと微笑みながら、テントの垂れ幕を上げたお頭に、積み上げている状態になっていた男性たちは「はい…」と顔を引きつかせていた。
◇◇◇
「へえー。あんた、王妃だったのか」
「見えないねえ」
「異国の王妃とは聞いていたが、砂漠の女とは全然違うなあ」
男性たちはジャバードにこってり叱られた後、癒しを求めにアリソンに次々と話しかけていた。
じろじろとアリソンを見る男性たちの視線に、アリソンは困ったように笑うだけだった。
「しっかし、お頭があんな熱心に見つめるなんてなあ」
「魔法でもかけたのか?豊満な肉体を持つ女に言い寄られても、冷たくあしらうお頭がよー。驚いたぜ」
「お頭の好みは、異国の王妃か」
男性たちが、ジャバードの好みの女性について話している時…。
「おまえたち、無駄話はそこまでにしろ。飯だ」
「うっひょーい!待ってました」
「あんたも食べなって。お頭の飯はすんごい上手いんだぜ」
男性たちは跳び跳ねながら、ジャバードの元へ駆け出す。
ジャバードは布で覆っていた両腕を徐にたくしあげ、逞しい腕を露にして料理をしていた。
あまり、布をまくっている男性を見たことはないが、ジャバードは砂漠の掟に縛られずに生きている。
(ジャバードらしいな)
アリソンはくすっと微笑みながら、男性たちと共にジャバードの元へ行く。
オアシス…砂漠などの乾燥地帯に淡水が存在する場所。
長くなりましたので、一旦切ります。
次話は続きからです。