夜の訪れ
「ねえ、アイシャ。昨夜、陛下が私の部屋に来られたの」
午前中の執務に追われて、一段落した後、アリソンはアイシャの入れてくれたお茶を飲みながら、昨夜のことを伝えた。
「え!そうなのですか。それは…初めてですよね」
「うん」
「そ、それで何を話されたのですか?」
「特に何も。スープを飲んで、帰ってった」
「…それだけですか?」
アイシャは、驚きを隠せないといった感じだ。
「うん」
アリソンもこれ以上、話すことはないと思い、お茶を飲むことに専念する。
今日も何事もなく、普通に公務をして、食事をして、湯あみをして、アリソンは自室でゆっくりと本を読むことを楽しんでいた。
コンコン…ーと扉の音が聞こえなければ。
◇◇◇
「……」
「……」
(この状況は何?)
昨夜と同様に夫が、アリソンの部屋を訪れて、スープを飲んでいた。
アリソンはというと、夫に「俺のことは空気と思っていてくれ」と言われ、窓際にある一人用の椅子で本を読んでいるフリをしていた。
(うっ…視線を感じる…)
アリソンは夫から見て、横顔をさらしているので、嫌でも視線は感じるのだ。
アリソンがちらっと夫の方を見ると、夫もこちらを見ている。
自分の部屋なのに、何故気まずい思いをしなければならないんだろう。
アリソンは、この至福の時間を邪魔されていることに、苛立ちを感じていた。
「……はあ。陛下、今夜は何故私の部屋に?」
アリソンはついに堪えきれなくなり、ため息を吐き、夫と顔を合わせる。しかし、夫は静かにアリソンを見つめているだけだった。
「…陛下?」
昨夜もそうだったが、夫は日中頭に巻いている布を取り、漆黒の長い髪を一つにまとめてさらしていた。
服装も重苦しそうな布ではなく、胸元を大きくはだけた、上下が真っ白な軽装だった。
日中見る夫と異なり、アリソンの胸は密かに高鳴っていたが、今はそれどころじゃない。
二日連続、訪れる理由を聞かなければ気が済まない。
アリソンが眉をひそめても、夫は片手に器を持ったまま、視線はアリソンに注いでいる。
(何で、なにもしゃべらないの?)
静かにアリソンを見つめている視線に堪えきれなくなり、アリソンはふいっと目をそらした。
「王妃の髪は美しいな」
突然、夫が静かにつぶやいた。
アリソンが目を見開いて夫の方に顔を向けると、先程と変わらない黒目と目が合う。
「あ、ありがとうございます…」
「まるで絹のような…滝のような髪だ」
ボンっと頭から湯気が出るほど、アリソンの顔が真っ赤になる。慌てて夫から目をそらしたが、胸の高鳴りは収まらない。
急に告げられた言葉に、アリソンの頭は混乱していた。
夫からしてみれば、女性皆に言っていることに過ぎないと思うが、アリソンにとっては初めて髪のことを誉められたのだ。
アリソンの国では、茶髪なんてたくさんいるものだから見慣れているが、砂漠の民は皆、漆黒の髪だ。
めずらしがることはされたが、言葉にはされなかった。
だが、髪を誉められて真っ赤になるなんて、初めて言われたからなのか、夫だからなのか。
アリソンの心は、嬉しいような複雑な気持ちになった。
「ありがとう、ございます…」
アリソンは、どもりながらも素直にお礼を言う。夫と目を合わせずに。
カチャン…ーと器を置いた音がすると、スッと夫は立ち上がり扉の方へ歩いていく。
アリソンは、慌てて夫を追いかけた。
扉の前へ立つと、夫はいきなり振り向き、アリソンと向かい合わせになる。
背の高い夫に間近で見下ろされ、アリソンは怖じけずき、目をそらした。
「…こういったことを習慣にしないか?」
「は?」
急に告げられた言葉に、アリソンはぽかんとする。
夫は続けて言った。
「今夜のように、明日の夜から毎夜お前の部屋に訪れる。いいな」
有無を言わさない力強い声で、夫はアリソンに命令をする。
王の命令とならば、アリソンは歯向かうことはできない。それが、どんなにムッとくることでも。
「…分かりました。お待ちしております」
思ってもいないことを言い、頭を下げる。
夫はそんなアリソンを見つめた後、静かに踵を返し、パタンと扉を閉める。
アリソンはバッと勢いよく頭を上げ、続き間になっている寝室の扉を開け、ベッドに飛び込む。
(なによ!偉そうに!あいつなんか、益々嫌われちゃえばいいんだ!)
枕をボスボス叩きながら、先程の夫の言い方に怒りを覚え、枕に発散した。
なんで、いきなり夜に来るか理由も言わないし、じっと人のこと見つめてくるし…。何がしたいのかよく分からない。
アリソンはパフっと枕に顔を預け、うつ伏せになった。
(せっかく髪を誉められて嬉しかったのにな…。あの時の感動を返してよ…)
何故かアリソンの涙があふれ、枕を濡らす。