突然の訪問
王と王妃が並んで広間に出ると、密かに周囲が浮きだった。
あまり、国王夫妻が揃って行動はしないためで、珍しさにざわっとする。
しかし、二人の距離は決して夫婦としてではなく、王と三歩後ろに歩く慎ましやかな王妃という感じで、義務的な雰囲気が漂う。
王は颯爽と用意していた愛馬に乗り、アリソンを待っている。しかし、アリソンは馬には乗れるが、上り下りができなかった。
もちろん、そんなことを知らない夫は、早く乗れとでもいうように、鋭い眼差しを向けてくる。
アリソンがどうしたものかと思案していると、一人の騎士が、アリソンに手を差し伸べる。
彼は、王の護衛騎士で王妃との関係もよく知り、王妃が馬に乗れないことも知っていた。
だから、親切で手を差し伸べてくれたのだろう。
アリソンは迷わずに、微笑んで騎士の手を取ろうとした時…ー
「触れるな」
威厳に満ちた低い声が、アリソンの動きを制止させる。
すると、王が馬から下りこちらへと向かってきた。
(なに)
アリソンが密かに眉をひそめると、王はアリソンの腰を両手で掴み、ひょいと馬上に乗せる。
アリソンは驚き、夫の顔を見詰めるが、夫は無表情に見上げていた。
そして、何事もなかったように腰を離し、愛馬に乗ると、行くぞと一声を掛ける。
アリソンは戸惑いながらも、馬を歩かせ、夫の後をつけていく。
◇◇◇
民のいる城下町へと下りていくと、民たちは国王夫妻を見て驚いていたが、すぐに快く受け入れてくれた。
いつもはアリソンだけだが、王も共に来たので民たちは大喜びだった。
夫は馬から下りて、民たちの様子や話を聞いていた。
アリソンは馬から下りることができず、周りをキョロキョロ見渡すが、先程、王の言葉のためか誰も手を貸してくれない。
アリソンは仕方なく、馬上から夫と民の様子を見やる。
すると、夫が馬上から下りることができない王妃に一瞥をし、はあっとため息を吐きながら、両手を差しのべてくる。
アリソンは一瞬戸惑うが、夫の両肩に手を添え、下ろしてもらった。
それを見ていた民たちが、歓声をあげた。
「王様!やっと王妃様と仲良くなられたんだね」
「王様、素敵…」
「これで、やっと国の安泰が見られる。早く、王子の顔を見せてください!」
など、民たちがアリソンと王を囲いながら、矢継ぎ早に言う。
夫の両手はまだ、アリソンの腰に添えられており、慌てて距離を取る。
すると、気のせいか夫の眉が不機嫌そうにひそめられた気がして、アリソンは目をそらした。
「そのうちな」
王は、距離を取る王妃に目もくれず、すぐに民へと視線を向ける。
そのまま、昼過ぎまで民との交流を持ち、昼下がりに王宮へと帰ってきた。
◇◇◇
すぐに夕食をとり、湯あみをした後、アリソンはゆっくりと自室で本を読んでいた。
もう出掛けたりすることはないので、ゆったりとした白い寝巻きに着替え、髪も布で覆わずに下ろしていた。
腰まである流れるような、明るい茶髪がアリソンの顔を覆う。
誰にも気を使わなくていいこの時間が、アリソンの至福の時だった。
一人用の椅子に腰かけて気分よく、本を読んでいると…ー
コンコン…ー
扉を叩く音がした。アリソンは、この時間を大切にしているので、絶対に邪魔はしないでほしいとアイシャには言っておいたはずだ。
では、彼女ではないとすれば…。
「はい」
「…入るぞ」
アリソンが返事をすれば、掠れた低い声と同時に扉が開けられた。
「……陛下」
扉の前には、王が立っていた。アリソンは呆然としたまま、夫を見詰めていたが、鋭い視線を注がられ、はっとして慌てて羽織を着て王の側に行く。
「な、何用でしょうか」
「……用はない」
「え?で、では何かございましたか?」
「何もない」
夫は無愛想に呟き、アリソンの横を通り、部屋の中心にある長椅子にドサリと座った。
アリソンが訳も分からないまま、扉の前で立ちすくしていると、夫は目を細めながら、こちらを見る。
「何かもてなしをせよ」
「…え」
夫はそれきり無言になり、窓の向こうにある夜空へと視線を向けた。
アリソンは、何故こんな時間に夫が来たのかまったく理解できなかった。それに、アリソンの部屋でくつろいでいる姿は、初めてで戸惑いを隠せない。
しかし、王の命令に背くわけにはいかず、アリソンは何とかもてなしを考える。
といっても、夫の好みや好物なんて知らなかった。唯一知っているのは、女…。
(いや、それはないな。そんな雰囲気ではない。ああ、もう!考えろ、アリソン!)
うーんうーんと思案していると、唯一得意なものがあったことを思い浮かべる。
さっそく実行してみようと思い、部屋の隅にある台所へと向かう。
アイシャの話によると、歴代の王妃の部屋には台所なんてものはないと言い聞かされたが、アリソンは異国の者だ。
それに、部屋の構造は好きにしていいと言われていたので、アリソンの思うままの部屋となっていた。
突然、料理を始めた王妃に、王は訝しげにしながらも好きにさせていた。
背中に視線をビシビシと感じるが、アリソンはお構いなしに手際よく進めていく。
「お待たせいたしました」
夫の目の前に置いたのは、湯気がたつまろやかな黄色いスープだった。
アリソンにとって、見目も味も自信のあるスープだったが、夫はスープを見詰めたまま眉をひそめている。
「どうかしましたか?」
ピクリとも動かない夫に、不安が募り、アリソンはおずおずと尋ねる。すると、返ってきた言葉はアリソンを傷つけるものだった。
「毒は入っていないだろうな」
夫の無感情な声質と、冷たい視線にアリソンの鼻奥がツンとした。無意識に小さく唇を噛み、瞬きで涙を抑える。
「疑うのでしたら、お飲みにならなくて結構です」
アリソンは机に置いた器に手を伸ばすが、夫の行動の方が早かった。
「そんなことは言ってないだろう」
夫は片手でアリソンの手首を掴み、もう片方の手でスープの入った器を持ち上げた。
温かく大きな手がアリソンを捕らえ、アリソンの顔に熱が上がる。思わず、ビクッと身体が跳ね、無意識に逃れようと手を引っ張ると、すぐに離してくれた。
掴まれた片手をもう片手で覆うようにして、胸元に持っていき擦る。
夫は、ちらっとアリソンを見上げた後、静かにスープを飲み始める。
一口飲んだ後、無言で再び飲み始める夫に、アリソンはよく分からない感情が込み上げてきた。
(嬉しいのか、悲しいのか分からない…)
飲み終えた夫は無言で器を置き、すくっと立ち上がると扉の方へと歩いていく。
アリソンは慌てて夫の背中を追いかけるが、扉の前で夫が立ち止まった。
アリソンは何も言葉を発しない夫に、どうすれば良いのか分からず、夫の広いたくましい背中を見上げる。
「……とても美味しかった」
「…え?」
夫が前を向いたまま、ぼそりと呟いた言葉にアリソンは信じられないとばかりに目を見開く。
それだけ言うと、夫は扉を開け、パタンと閉め出ていった。
(何なの…)
夫の不可解な行動が、言葉が理解できず、この日の夜のアリソンは眠ることができなかった。