亀裂
陛下にキスをされてから一週間、変化したことがある。
それは、陛下との公務が今までよりも多くなった。
今まで王妃だけでも良かった公務に、陛下も一緒にと報告され行っている。
今日はジャバードが話したいことがあるらしく、アリシアを連れて、アリソンは夫の執務室をノックする。
「入れ」
「失礼致します」
執務室には、夫とジャバード、側近のニケがいた。
ジャバードが自分の座っている隣を指差し、おいでと手招きをする。
アリソンは迷うが、すかさず夫が立ち上がり、目の前にやって来るとアリソンの手首を掴み、引っ張られる。
ぐいっと引っ張られ、前のめりになりながらも夫と並んで座った。
(強引すぎます。陛下)
ニケが目を細めて、陛下に訴える。
陛下はわざと知らんぷりをした。
「兄さん。そんなガチコチに守らなくったって、アリソンを奪いやしないよ。……まあ、分かんないけど」
「……」
「ジャ、ジャバード」
ジャバードの挑発に、夫は睨み付け本気なのか冗談なのか分からず、アリソンはなだめるしかなかった。
「では、始めましょうか。殿下の望みはなんですか?」
ニケの声で話し合いが始まる。
「ああ。俺は王室を捨てたはぐれもんだからな、兄さんに頼み事をするのは正直申し訳ないんだが、まず、オアシスを壊す計画をなしにしてくれ」
ジャバードは真剣に話し始める。
先程のにやにやと笑っていたのが、嘘のようだ。
「…何故?」
「砂漠をこれ以上なくさないでくれ。俺たちは砂漠を旅することが、何よりも生きがいなんだ。これ以上、町を建てたら砂漠がなくなる」
「砂漠は広い。それに近年は観光客や移住民が多くなってきている。彼らに住み心地のよい環境を与えるのは、王として当然のことだ」
「俺たちのことも考えてくれ。俺にも仲間がいる。あいつらを路頭に迷わせたくないんだ」
「俺には何百万人もの人々の生活がかかっている。少人数の方を優先することはできないんだ」
「人の命の重さはみんな一緒だろ?多勢のほうだけ考えるなんて、そんなのおかしい」
兄弟が口論をし始め、アリソンはおろおろする。
ニケは、平然と二人の言っていることをメモしているし、アリシアは苦笑いだ。
アリソンがどうしようと思っていると、ジャバードがガタンと音をたてて立ち上がった。
眉間には深いシワが寄せられている。
「…ようく分かった。あんたは民のことはよく考えているが、身内には冷たいんだな。まあ、昔からそうだったよ、あんたは」
吐き捨てるように、ジャバードは言いドスドスと足音をたてながら出ていこうとする。
「あ…。ま、待ってください!」
アリソンが慌てて引き止めると、ジャバードは一瞬ピタッと止まったが、振りきるように大股で出ていった。
パタンと閉まった扉に、アリソンは居てもたってもいられず立ち上がろうとしたが、腕を掴まれる。
「どこへ行く。あいつを追いかけるのか?」
「そうです」
「放っておけばいい。頭を冷やしてからまた来るだろう」
「また同じように口論になるのが目に見えています。陛下の言うことも最もですが、ジャバードの言うことも考えてあげてください」
「無駄だ。あいつの言っていることは自己満足に過ぎない」
「そんなことありません。オアシスは誰が見ても素晴らしいと言うはずです」
「それに何の利益がある?あいつの自己満足で国を潰すわけにはいかないんだ」
「利益があるとかの問題ではありません!」
アリソンが思わず、語尾を強めると夫は驚いたが、すぐに無表情になった。
「もういい。あいつのとこでもどこでも行け。勝手にしろ」
夫は疲れたかのようにはあっとため息をはくと、腕を離され、顔を背けられた。
アリソンの胸がつきんと痛むが、下唇を噛みながら失礼致しますと言い、退出する。
アリシアも慌てて、ペコリと頭を下げてから退出していった。
◇◇◇
「まあた、やってしまいましたね。どうして、あなた様はそんなに不器用なんでしょうか?」
「……五月蝿い」
「あーあ、こんな不器用な主を持って、私は苦労もんですよ」
「五月蝿いと言っているだろう」
「はいはい。ところで、追わなくていいので?殿下だけではなく、王妃様にも逃げられますよ?」
「……」
「あなた様も頭を冷やしたほうが良さそうですね。お飲み物をお持ち致します」
五月蝿いニケが退出すると、ラビはソファに深く身を沈ませた。
(疲れた…)
片手で目元を覆い、しばし暗闇に落ち着かせた。
何故、こうなる――?
俺が間違っているのか――。
自己嫌悪に陥っていって、ラビはふと癒されたいと思った。
こんな時、結婚前は女性のところへ行き、慰めてもらったが結婚してからはない。
もう他の女性の顔が浮かばない。
たった一人しか――――――――
(馬鹿か。俺は。その一人に求めても拒絶されるだけだ。もう嫌がられるのはごめんだな)
どうしようもなく発散できない欲望と戦っている主に、ニケはこっそりと扉の隙間から見て、ふむと頭を捻るのだった。