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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集 【青林檎】

捜査線上の赤ずきん

作者: 西原ミナミ

 「突入――――!」

 機動隊が建物に侵入する。

 チェーンソーで扉は破られ、ガタガタと足音を立てながら奥へと進んで行くと、少女はそこにいた。足枷のような物がはめられているが、部屋の中では自由に動き回れる様になっているようだ。食事を乗せたトレイ、排泄物を入れるためのオマル、人形が点在し、ティーン向けの雑誌が散らばっている。

 少女は怯えきった瞳で隊員たちを見詰めている。部隊の一人が足枷を解こうと近寄るが少女は嫌がりなかなか上手くいかない。長い時間拘束されていたせいで精神状態に異常あり。とにかく無事に保護。

 更に奥の部屋の押入れの中に、犯人は身体を小さく丸めたまま潜んでいて、機動隊により取り押さえられた。無精髭を生やした、痩せ型で長身、面長で切れ長の目をしている、まるで狼のような雰囲気の男だった。

 あらゆる場所から、隠していたナイフや拳銃などの武器が見つかる。残念ながら、死者一名。祖母だ。悔しいが、何とか少女の命だけは救うことが出来た。

 小山内警部は、ほっと胸を撫で下ろした。



「おい小林、まだ何も情報は上がっていないのか」

 小山内は部下の刑事を怒鳴りつけた。

 捜査は完全に煮詰まっている。

 現在捜査課には特別対策本部が置かれているにも関わらず、まだ一握りの目撃情報すら発見されていないことに、小山内は苛立っていた。

「情報と言えば、最近頻発している不審火についてぐらいですね……」

 小林が小さくなりながら発言した。

「介護に疲れた娘が、憂さ晴らしに放火した線が色濃くなっています」

 小山内は頭を掻きながらため息を吐くと、とにかく早く現場へ聞き込みにいくように、目で合図した。

 

 捜索願が出たのは三日前。まず、旧姓なので書面では気がつかなかったが、母親が中学の同級生、多田美和子だったことに驚いた。娘の由利恵が行方不明だという。



 日曜日、小学校二年生の由利恵に、隣の地区に住む実家の母の元へ届け物をさせた。午前十時に家を出た。実家は自転車で十分も走れば着く距離にある。いつもなら着いてすぐに母親から電話で連絡があるが、その日は三時間ほど経っても連絡が無いため、慌てて電話で確認したが、留守電になっていて連絡がつかない。

 不審に思った美和子は実家に出向く。何度呼び鈴を押しても反応がなく、合鍵でドアを開けて中へ入るが、誰もいない。

 一緒にどこかへ出かけたのかも知れないと思い、夕方まで自宅で待つが一向に帰ってくる気配はなく、もう一度実家を訪ねたが、やはり誰もいない。

 そこで慌てて警察へ駆け込んだと言う事だった。

 小山内は泣きじゃくる美和子の隣で頭を抱える。現場、そしてその周辺に、痕跡が一つも残っていないのだ。目撃情報も一切ない。いったい、どこへ消えてしまったんだ――。


 



「いってきます」

「絶対に寄り道しちゃだめだからね」

 美和子が念を押す。

「分かってるって」

 由利恵は適当な返事をして、前カゴに荷物を入れ、自転車を漕ぎ出した。

 空は真っ青に晴れ、とてもいい天気だ。おばあちゃんの家は、すぐそこにある。どうせなら、途中にある公園でシロツメクサの花冠を作って届けてあげようと思いついた。



「いっぱい咲いてるんだよね。おばあちゃん好きだから」

 自転車を止めて、シロツメクサを摘み取る。日曜日なのに、寂れた公園には人がおらず、少し寂しげだ。だからこそ、由利恵たち小学生には穴場なのだ。



 いつもより三十分ほど遅れて到着すると、祖母がいない。何度呼び鈴を押しても、声が返ってこない。ドアノブに手を伸ばし、捻ってみると、何故か鍵が掛かっていない。

「おばあちゃん?」

 中に入ると、電気が消えて真っ暗だ。シンとしている。

 いつも祖母が眠っている寝室に行ってみる。もしかしたら、具合が悪いのかもしれない。

 襖をそっと開けてみる。布団がふっくらと盛り上がっている。なんだ、やっぱり寝てたんだ。

「おばあちゃん、お母さんに頼まれて、お届け物持って来たよ」

 紙袋を枕元へ置く。カサッ、と音が鳴る。

「それと、ほら。かんむり作ったの。すごいでしょ」

 

 その瞬間、由利恵はピシッと身体が凍りつくような感覚を覚えた。よく見た事のある顔をした男が、布団の中から出てきたのだ。

「あれ? お、おばあちゃんは?」

 男は優しく笑うと由利恵の口を塞いだ。嫌がって暴れるが、大人の男に叶うはずも無い。あばれる少女を羽交い絞めにすると身体を縛り上げ、大きなスポーツバッグに入れた。動作は酷く慌てたものだった。



 美和子は、憔悴しきっている。

 学生時代、明るく快活でバレーボール部のエースだった彼女に、小山内は心惹かれていた。結婚し幸せな家庭を築いていると噂で聞いていたが、そんな彼女がこれほどまでに苦しんでいる姿は見るに耐えない。かつての面影は悲痛に歪み、目の下の隈は日々濃くなっていき、少し痩せたのではないかと思う。刑事としても、個人としても、彼女にはどうにか救われて欲しい。


「何! 目撃情報が寄せられたか?」

 小山内はそれに飛びついた。

 何でも、祖母の家の近くで、不審な白い軽自動車が目撃されていたらしい。しかしナンバーまでは控えられていなかったようだ。捜査線が一気に浮かび上がっていく。

「よし、怪しい車種を虱潰しに探せ! 車なら長距離で移動してる可能性あり。時間が無い! 急げよ!

どんな小さな情報でも集めるんだ!」



「大丈夫。怖いことはしないから」

 男はいつも近所のスーパーで見かける顔だった。時々お菓子を買ってくれたりしていて、小学校では有名人だった。年は、四十歳ぐらいに見える。狼に似ていたので、みんな“おおかみ男”と陰で呼んでいた。

 見たことも無い部屋だ。辺りは静かで、鳥のさえずりが聞こえる。去年遠足でやって来た、お山のようだなと思う。……そういえば、祖母はどこへ行ったのだろう。

 縛られた手足を動かしてみながら、由利恵はおおかみ男に訊ねた。

「ねえ、おばあちゃんは?」

 男は一瞬動きを止めた。そして能面のような顔をして言った。

「おばあちゃんはね、狼に食べられてしまったんだよ」

 そしてまたすぐに作業を始める。

 由利恵はギャーと大泣きした。するとすぐさま男は殴りかかってきた。平手打ちされ、由利恵はごろんとひっくり返る。畳に擦れて膝が擦り剥けた。恐怖と痛みのせいで嗚咽が止まらない。

 男は由利恵の胸倉を掴んで持ち上げ、小さな壁に押し付けた。

「ゆりえちゃん! だめだよ! 泣いたら! せっかく楽しく二人で暮らすんだから! 大きい声だしたらばれちゃうじゃないか!」

 声を押し殺して叫ぶ。

 泣き叫びじたばたと抵抗する由利恵に、何度も平手打ちをする。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 痛くて、訳も分からず謝ると男は急に大人しくなり、ぴたりと手を止めた。

「悪い子には、お仕置きするからね。わかった?」

と、邪悪な顔で言う。

 怯えきった由利恵はガクガクと震えながら、何度も頷くしかなかった。



 新たな目撃情報が上がった。

 この周辺で不審人物が目撃されていたらしい。

 たまたま聞き込みに出ていた小林が情報を手に入れて帰ってきた時には、彼を抱きしめてしまいそうになった。慌てて冷静になり、褒めちぎっておいた。


『痩せ型で長身、面長で四十代~五十代くらいの男』

 一部の小学生は“おおかみ男”と呼んでいたらしいが、由利恵と関わりがあったかは分からない。だが怪しいことに違いは無い。一刻も早く犯人に辿り着かなければ。――頼む。生きていてくれ。

 


「ゆりえちゃん、もう泣いたりしないよね」

 男は縛られた由利恵に向かって語りかけている。由利恵は頷く。

「いいかい? ボクとキミは二人で仲良く幸せに暮らすんだよ。好きなものは何でも買ってあげるよ。」

 由利恵は男が気持ち悪くて恐ろしくて、どうしても逃げ出したかった。

「晩ごはん、何にしようか? ゆりえちゃんは何が食べたい?」

 再び嗚咽が込み上げてくる。怒りと憎しみと、それよりもどうしようもなく母親に会いたい思いが募る。お母さん、早く助けに来て。

「おか……おかあさんに、あいたい」

 由利恵が呟くと忽ち男は豹変し、由利恵を殴りつけた。何度も平手打ちした後、床に転がして馬乗りになり、ニヤニヤ笑いながら首を絞めるまねをした。そして丸一日食事を与えず、排泄を禁じた。


 男は、そういった行為を繰り返した。帰りたいと言っては殴り、食事を与えない。従えばすこぶる機嫌が良く、人形や雑誌を与え好きなものを食べさせる。そして由利恵が一言も抵抗しなくなった頃、ロープを解き、変わりに鎖の長い足枷をはめ、柱に繋げた。部屋の中だと移動は自由に出来る。排泄物は男が掃除して交換した。

 由利恵は、逆らわなければ自由になれるということに気が付き、考えるのをやめた。

 もう殴られたくない。痛いのは嫌だ。



「突入――――!」

 機動隊が建物に侵入する。

 山の中腹にポツンと立っていた緑の木々に囲まれ、人目に付かない小屋には三部屋あり簡易トイレが備え付けされていた。

 一番手前の部屋を大きな音を立てて数人が蹴破る。

「警察だ! おとなしくしろ!」

 小山内の怒号が響いた。

 一刻も早く見つけなければ。時間は刻々と押し迫る。

 ドカッと施錠された扉が倒れると、カーテンが締め切られた薄暗い部屋の奥に少女が佇んでいた。

「被害者確保!」

 扉の開放と同時に部屋に侵入して行った小林の、トーンの高い声が伝える。

 小山内が近寄ると、少女は酷く強張った笑みを見せた。全身が硬直したようにその場から動かない少女にゆっくりと一歩ずつ近付く。

「怖かったね。安心して、お母さんのところに帰ろう」

 その途端少女は恐怖の表情に一変した。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ぶたないで!」

 小山内は扉の外に向かって

「田村! 来てくれ!」

と、女性警官の名を呼んだ。



 軽自動車の目撃情報を皮切りに、捜査は進展を見せ、犯人逮捕、被害者の救出に繋がった。小林の活躍のお陰だ。新人も時には手柄を立てる。 

 犯人は由利恵を狙い、祖母の家宅に侵入し、祖母を殺害。その遺体と共に由利恵を拉致し、山奥の空き屋に潜んでいた。祖母の遺体は切断され、茂みに分散して捨てられていた。

 美和子は由利恵の救出を泣いて喜んだ。しかし、母親を殺され、娘を拉致されたぶつけようのない怒りを抱いている。

 救出後も、由利恵はPTSDに悩まされていた。無気力で、死んだ魚のような目をしているかと思えば、ロープやバッグ、ナイフに異常な反応を示す。白い車も駄目だ。大好きだったシロツメクサも、もう手に取ることは無い。男性にも酷く怯える為、周囲の事は女性のみが行っている現状だ。今はまだまともに他人と会話することもままならない。対人関係に今後大きな支障が出るだろう。この子はこの先どんな人生を歩むことになるだろう。周りの支援、そして理解がどれだけ必要な事か。事件に巻き込まれるとは、そういうことだ。

 祖母の自宅に放置されていた紙袋の中身。母が娘に託した届け物は、真っ赤な毛糸だった。編まれるはずだったのはマフラーか、帽子か、手袋か……。皮肉なことに、その赤い毛糸はこの事件を『赤ずきん』と名付けてしまった。

 犯人は、幼い頃両親に捨てられ、祖父母に育てられていたそうだ。どこかで精神が歪んでしまった結果、このような事件を引き起こした。可哀相ではあるが、自分でしでかしたことは自分で責任を取らなければならない。どんなに反省しても、命は戻ってこないのだ。


 小山内は、煙草に火を点ける。煙が胸の内のやるせなさを描きながら、天上へ昇っていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 作品を読ませていただきました 赤ずきんちゃんがまさか 現代版しかも、刑事ドラマっぽく 仕上がってしまうとは思いもしませんでした とても、素晴らしかったです その様子が 頭の中で想像出来まし…
[一言] 読ませて頂きました。 ひどく、ひどく残酷な話です。こういうのは小説の中だけで有ればいいと強く願うばかりですが……。 犯人の台詞、挙動が痛ましい。 彼の生い立ちも同情できない訳では有りませ…
[良い点] これこそが現代の赤ずきんだと思いました。 童話からこれだけの恐怖を読み取れる感性に感嘆しました。
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