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家畜の思想

 「大当たりだね、チビるかと思ったけど」

ペンはハンカチで額を拭いながら俊郎の去ったドアを笑顔で見ている。

「……実力は認めます、敵に回るケースは想定したくありません」

表面上は冷静さを取り戻したハギが言う。

「逆に、始末が付けられるうちに付けた方が良いのでは?」

感情の篭らない声で言う。

「いやいや、彼は彼自身の意思で裏切る事はないよ」

「……と、言いますと」

「意思がないもの、彼には」

人の良さそうな笑顔を絶やすことなくペンは言う。

「それは彼の性格とか性質とかの問題じゃなくて、そうなるように育てられているからさ」

「養護施設の出身でしたか」

「うん、つまり彼は純粋培養の労働層ってことだ」

備え付けの冷蔵庫に近付くと中から冷えたコーヒー缶を取り出してプルタブをプシュッと開ける。

「人間、将来に希望を見い出せない状況に置かれ続けると……まして生まれた時からそうなら目先の快楽に滅法弱くなるもんだ、彼は典型で……っと」

缶から僅かにコーヒーが指にこぼれる。

それを舐め取りながらペンは語る、人の良さそうな笑みはずっと張り付いている。

「食欲というシンプルな欲望でいとも容易く釣られた、とりあえず報酬をケチらなければ彼は深く考える事なく道具として役に立ってくれるさ」

「道具ですか」

「そう、戦士には成りえない、道具だ、だから彼は理想的なんだ、銃に求められるのは銃口の先に立ってるやつを殺す事であってそこに銃の意思が介入してはいけない」

「……」

グビッと喉を鳴らしてペンはコーヒーを流し込む。

「性能いいよ、彼は、ハハハ」





 「トシロー?」

「え?」

ドアを出た俊郎を黒い塊のような男が出迎えた。

潜水艦の中に相応しくないシャツにジーンズというラフな格好。

その半袖から覗く肩や腕は細身ながら針金のように引き締まっているのが伺える。

肌は黒い。

少なくとも俊郎の住んでいた地域では見かけない類の黒さだ。

「あなたトシロー?」

特徴的に大きな目をぎょろつかせながらその男は問う。妙なイントネーションだ。

「あ……はい……」

たどたどしく答えるとその黒い顔に真っ白な歯が映えた。すごい笑顔だ。

「わたし、名前、ソムジャイ、ヨロシクー」

「あ……俊郎、です……どうも……い、いだだ、だ」

差し出された手を握り返すと物凄い握力が返ってきた。

俊郎は顔を歪めるが、ニコニコしているソムジャイにするとさほども力を入れているつもりはないらしい。

「アー……わたし、センパイ、あなたの、教える、いろいろ、見る、メンドー、いろいろ」

「ああ、はい……」

片言というレベルではない言語力だが言わんとする事は辛うじてわかる。

「こっち、きてください」

狭い潜水艦内の通路を身を屈めて進みながらソムジャイの後に付いていくと一つのドアの前に到着した。

ソムジャイがそのドアを開くと中はベッドと小さなテーブルと椅子が一つずつあるだけの個室になっていた。

大人二人も入ると身動きがとれなくなりそうな狭い場所。だがちゃんと通路との間にドアのあるプライベートな空間だ。

「ここ、待機するの場所……休んでください、オツカレサマデシター」

「あ、はい、あの……食事……は……」

催促するような事を言うのは憚られたが腹は待ってくれない、このまま朝まで何もなしというのは厳しい。

「だいじょうぶです、期待すること、して下さい、今回働いたことの、報酬ですカラー」

ニカッとまたあのすごい笑みを浮かべて出て行ってしまった。

俊郎はソムジャイが出て行ったドアを暫く見つめた後、傍のベッドに腰を下ろした。

敷かれているシーツは薄く、固めの感触が返ってきた。

だが家のベッドも似たようなものなので眠るのに不自由はしないだろうと感じた。

ベッドの感触を確かめているところでコンコン、とドアを叩く音がした。

「失礼」

間を置かずドアが開かれ、ハギが部屋に入ってきた。

片手に盆を持っている。

同時に俊郎の鼻腔が今まで嗅いだことのない芳香を感じた。

何にも例えられなかった、それと似た匂いを俊郎は知らなかった。

その匂いを放つ盆がテーブルに置かれた。

「これは……食べ物、ですか?」

そう予測はできた、正体はわからないが空腹に痛烈に訴えてくる匂いであるのは間違いないからだ。

「見たのは初めてですか?」

「はい」

皿の上には一見すると昆虫に似た形状をした真っ赤な生き物複数が鎮座しており、その横に黄色い液体の入った小さなカップが添えられている。

多分、調理された生き物なのだろうが、奇妙な生き物だ。

「シュリンプ、知りませんか」

「……あ……これが……?」

知っている、名前は。

とは言え、俊郎の知識にあるのはデフォルメ化された絵でしか知らない。

実物は写真でも見たことがなかったのだ。

「食べ……食べて、いいんですか……?」

「食べていいから持ってきました」

「……」

「食べ終えた皿はまた回収に来ます、それでは」

「……」

言い終えて去ろうとしたハギが足を止める。

「……」

俊郎は奇妙な動きをしていた。

皿の上でふらふらと手を揺らしている、奇妙な踊りのようなその動きを暫く繰り返した後、思わず助けを求めるような視線をハギに向けた。

「あの……どうやって……食べれば……」

「……貸して下さい」

無表情だったその顔に一瞬だけ「やれやれ」という表情を浮かべた後、ハギは俊郎の前の皿に手を伸ばした。

手際よくばりばりと甲羅が剥がされ、中から白い部分が露出した。

「これを、こうします」

その白い部分をハギは隣のカップの黄色い液体に浸す。

それが溶かしバターだという事は後で聞いた話だ。

無言で、そのバターにひたされて黄色くなった部分を口元に持って来た。

「え?あ、いえ……」

「……」

戸惑ったが、ハギは無表情にエビの身を突きつけたまま動かない。

仕方なく、手ずから食べさせてもらった。

「んむ」

風味。

という概念を俊郎は言葉でしか知らなかった。

それを思い知った気分だった。

しょっぱさと、エビの味と、あと、甘味に似た不思議な味。

それらが口から鼻に抜けるように感じた。

歯触り。

弾力があり、筋肉の繊維を感じる。

初めてリンゴを食べた時に感じたのと同じ感慨。

果実とは全く違うが、合成食品では決してありえない生き物を食べているという感触。

「おいしい……」

口から自然に漏れた。

「……大丈夫ですか」

何が?と問おうとして俊郎は自分が泣いている事を自覚した。

こみ上げる、という段階を飛ばしたかのように唐突に瞳からはらはらと熱い水滴がこぼれ落ちた。

「……すいません……すいません……おいしいです……本当に……本当に……」

目元を押さえて懸命に嗚咽を堪えながら、俊郎は言い続けた。

シュリンプの味に感動した、というのも勿論あった。

しかし俊郎の胸の中には何故か死んだモーリスの顔が浮かんでいた。

ペンに告げられた自分の境遇が浮かんだ。

何かを殺して機械のように生きて来た今までの自分の暮らしが浮かんだ。

皿を前にして俊郎は体を折り曲げ、すいませんすいませんと謝り続けた。

「……食べ方はわかりましたね?それでは」

そう言ってハギは踵を返す。

俊郎は気付かなかったが、その語尾がほんの微かに震えていた。





 ハギが出て行った後俊郎は泣きながらシュリンプを残さず胃に収め、ベッドに入った。

幸せだ。

自分は幸せだ。

胎児のように体を丸めながら俊郎は思う。

腹は満ちていて、ベッドで眠ることが出来る。

これ以上を望むのは分不相応だ。

わかっている、いい食事が出されたのは自分を利用するため。

自分を都合よく従わせるための餌だ。

この先はやがてあのペンという男に利用され、使い捨てられる運命なのだろう。

今までと何も変わりはしない。

別にいい、世界はそういう風に出来ていて自分は抗いようもなくそういう運命にある。

だから見ない。自分の歩く道の先を顔を上げて見ようとは思わない。

歩みを止める事も引き返す事もできないその道の先にただ真っ暗な崖が口を開けて待っているのが見えるだけだからだ。

だから下を向いて歩く。

一歩一歩踏み出すごとにああよかった、落ちるのは今日ではなかった、とりあえず、この一歩を無事に進む事が出来た。

それを喜ぶ、それを糧にして歩いていく。

崖から落ちるその日まで。

自分は幸せだ。

俊郎は目を閉じた。

いい夢が見れたらいいな……。





 カリカリカリカリ……

別の一室、灯りの付けられていない暗い部屋でハギは自身のメンテナンスを行っていた。

ベッドに座るハギの右手首からはコードが伸びており、隣に置かれたノート型パソコンに接続されている。

小指から始まって薬指、中指、人差し指、親指まで順に折り曲げ、その都度パソコンに表示されるグラフを観察し、右手とは対照的な人間らしい左手でカタカタとデータを入力し、微調整を行う。

「……」

が、その手は止まりがちであり、モニターの明かりに照らされるグリーンの瞳は時折モニターから外れて宙を見つめる。

ハギはため息をついて首を振るとパソコンを閉じ、腕からコードを引き抜いた。

モニターの明かりが無くなり、光源の無くなった部屋は闇に閉ざされる。

ハギは暗闇の中でベッドに座ったまま俯いて動かなくなる。

そうしていると泣きながらシュリンプを食べていたトシロウという男の顔が闇に浮かび上がってきた。

顔に付いた傷跡に機械の右手で触れる。

冷たい。

「……徹しろ……徹するんだ……」

誰も見ていない場所で少女は泣きそうな声を上げた。

それを聞く者はおらず、年相応の泣き顔も誰に見られる事もなかった。


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