特等席
ギシッ
俊郎はモーリスの前の椅子に腰を下ろした。
モーリスはいつもの笑顔を浮かべながら俊郎を見ている。
「チャンプ、どうしてここに来たんだい?」
倉庫内の静寂を崩さないよう気を遣うようにモーリスは小声で喋った。
「……」
「うまかったかい?リンゴは」
「……酸っぱかったよ」
「ハハハッ」
「でも……何か、初めて「食事」をした気がした」
「わかるよ、俺達がいつも食ってるものは「餌」だからな」
俊郎は食事に対して特に拘りがある訳ではない。拘れるような生活をしていない。
リンゴの味は酸っぱく、想像していた程うまい訳ではなかった。
だが、それは「食事」だった。
歯に感じる密集した繊維はそれが食べられるための加工を成されていない生き物である事を伝えてくる。
他の生き物を食べて生物は生きる。
その当然の摂理を感じた。
それ以来、俊郎は「餌」を食べるたびに悲しい思いを抱くようになってしまった。
リンゴ味もブドウ味もピーチ味も、何もかもが紛い物である事がわかってしまう。
食事に救いを見出す事ができないというのは、想像していたよりもずっと辛い事だった。
結局、ハギの言う「報酬」への誘惑を断ち切る事ができずに危険を犯してまでここに来る事になってしまった。
「モーリス……君は……」
「言いたい事が山ほどあるのはわかるぜ、ま、俺は色々とツテがあってな……」
「あの女の子も、か」
「知り合いさ、キュートだろう?彼女」
「おっかない」
「ハッハッハ……」
暗い倉庫の中、二人は頼りないランタンの灯りの中でひそひそと話し合う。
「モーリス……目的は……何なんだ?俺に何を求めてるんだ……?」
「先日だ」
「うん?」
「黒肺病が発覚してな」
「……」
モーリスはいつもの笑顔で言った、俊郎は押し黙った。
労働区で暮らす以上いつかは訪れる事だ。遅い早いだけの問題でいずれは俊郎の身にも降りかかる。
「もう、三ヶ月くらいが限界だそうだ」
「……モーリス……」
モーリスは黙ってテーブルに手を伸ばし、銃を手に取った。
それに釣られるように俊郎も目の前で鈍い輝きを放つ凶器に手を触れた。
見慣れた形状だ。
ゲーム内では「ヒッチャー」という名称で呼ばれるハンドガン。
尖ったところのない素直な性能で初心者からベテランまで幅広く愛用されている。
「ダッチ」もよく使う。
手に持って驚いた。
その重量も感触もまるでゲーム内と変わらない、しっくりと手に馴染む。
「本物、なんだよな」
「本物さ、正真正銘にな」
「これっ……」
俊郎は何かを言いかけて絶句した。
何気なく引き出したマガジンには鈍い光沢を放つ弾丸がフルに装填されていた。
「……」
視線だけを上げてモーリスを見る、目が合った。
モーリスは笑っている、いつもの子供のような無邪気な笑顔とは違う印象の顔だった。
そうしてみると以外に端正な顔立ちをしている事に気付く。
そして、その手には銃がある。
ただの直感だが自分の手の銃と同じく弾がフルに装填された……。
「こ、これも、その、ツテで手に入れたのか?すごいな」
俊郎は銃をテーブルに置いた。
言外にモーリスにもそうして欲しいというメッセージを込めたつもりだった。
まさか撃ち合いになるとは思わないが弾の込められた銃を持って向かい合うという状況はプレイヤーとしての本能が嫌う。
「ああ……」
モーリスは銃を手放さない。
手の中の銃の感触を確かめるように銃身を撫でている。
「……」
(頼む、それをテーブルに置いてくれ、頼む……)
急激に上昇する心拍数を感じながら俊郎は祈るように思う。
「チャンプ」
「……」
「キルログは見るかい」
「え?」
「見ないよな……人数は数えても、相手の名前なんか普通は一々気にしない」
俊郎は戸惑う、話の意図がわからない。
「でも一番上のログってのは特別だ……」
モーリスは笑顔を崩さない。
「二人目からはもう、ただの記録だ、ただ積み重ねられていく記録」
「モーリス、話が見えない」
「キルログの一番上は特等席って話さ」
「だ……だから……何の……」
「チャンプ」
「モーリス、銃を置いてくれ」
「俺は光栄に思うよ」
「モーリス」
「チャンプの」
「モーリス」
「特等席に」
「モーリスやめろ」
「俺は座る」
・
・
・
モーリスには時間が引き伸ばされたように感じられた。
テーブルの下に保持していた銃を振り上げ、前に座る俊郎の眉間に照準を定めるまでのコンマ数秒。
その僅かな時間の中でモーリスは見た。
俊郎の顔の変化を。
怯えを孕んでいた青年の顔から抜け落ちるように表情が消える。
その下からは何も浮かんでこない。
何も表情がない。
全く何もない。
ただ目と鼻と口が顔の上に配置されている、それ以外に何も伝わらない顔。
モーリスにはわかった。
それは「ダッチ」の顔だった。
そのダッチの顔に照準を向ける直前、モーリスの胸を衝撃が襲った。
・
・
・
ドンッ
パンッ
二つの音が響いた。
最初の音は俊郎が両手でテーブルを突き飛ばし。向かいのモーリスの胸にテーブルをめり込ませた音。
もう一つはつんのめってテーブルの上に上体を投げ出したモーリスの握る銃から弾が放たれる音。
目標を失った弾丸は倉庫の地面にめり込み、コンクリート片を飛び散らせる。
俊郎は淀みない動作でテーブルの上の銃を取り、目の前で体制を崩しているモーリスの頭に向けて引き金を引いた。
バスンッ
モーリスの体がビクンと跳ね、テーブル上にぱっと血の飛沫が散った。
「……」
俊郎は銃口を向けたままモーリスを観察する、本当に死んだかどうかを確認する。
「……」
じわり、と俊郎の顔が変わった。
ダッチの表情が崩れ、気の弱そうな青年の顔が現れる。
「……モーリス?」
当然の事ながら返事は無い。
モーリスの頭部からじわじわとテーブルの上に血だまりが広がり始める。
「モーリス?」
返事は無い。
濃密な血の臭いが鼻を突き始める。
ゲームとは違う、ゲームならばモーリスの死体は青い光に包まれて消滅し、リスポーン地点に戻される。
ゲームではないのでモーリスはリスポーンする事はできない、ゲームではないのでコンティニューはできない。
「……」
テーブルの上のランタンは俊郎がテーブルを突き飛ばした際に倒れていた。
その倒れたランタンから放たれる弱々しい光はテーブルの上の黒い血だまりと、それを見ながら立ち尽くす俊郎をぼんやりと照らし出していた。