不穏
海岸沿いの工業地帯には霧雨が降っていた。
常時スモッグが立ち込める一帯は霧が掛かることにより視界の悪さに拍車がかかっている。
その霧の中、常夜燈のオレンジ色の灯りに照らされながら俊郎は海沿いを歩いていた。
俊郎の虚ろな視線は海に向けられている。
霧は海面上にも立ち込め、真っ暗な海は得体の知れない奈落のように見える。
俊郎はいつか写真で見た南国の海を思い出す。真っ青な空からさんさんと照りつける太陽に、空と同じくらい蒼い海がキラキラと光っている写真。
目の前のこの黒い海もあの写真の海と繋がっているのだろうか。
想像できない。
そもそも蒼い海や空というのは本当にこの世に実在するのだろうか?
少なくとも俊郎が見る海はいつも黒く、空はいつも灰色をしている。
「……」
とめどない思考を振り払って視線を前に戻すと見えてきた。
霧ともやの中に真っ黒にそびえ立つ建物。壁面に大きく印されているのは「7」の数字。
第七倉庫、あの夜に指定された場所だ。
俊郎は腕の簡素な腕時計に視線を落とす。
19:50
普段ならまだ仕事の最中だが今日、俊郎は生まれて初めて無断で仕事を休んで来たのだ。
例え40°の高熱を出そうと休む事が許されないのだ。休暇の申請をしたところで通らない事は分かりきっている。
ならばいっそ無断欠勤してしまおうと考えた。
後でどんなペナルティを課されるか分からない。よくて仕事場のランクダウン、より重く、より危険でより賃金の安い場所への移転。
最悪「労働基準法」に触れて罪に問われるかも知れない。
しかし俊郎はリスクをおかしてでもここに来たかった。行かない訳にはいかなかった。
ところがいざ指定された時間に第七倉庫に到着して俊郎は困っていた。
(何処に行けばいいんだろう?)
巨大な倉庫の巨大なシャッターの前で俊郎は暫くうろうろと歩き回り、何か待ち合わせの目印になるようなものは無いかと探し回ったがそれらしき物は見当たらない。
と、シャッター脇にあるドアが目に留まった。
近付いて見てみるとノブのサイドに暗証番号を入力するためのパネルが設置されている。
ダメ元でノブを回してみる。
カチャン
……予想を裏切り、ノブは容易く回転した。
俊郎の腕に鳥肌が立った。
入って来い、と言うことか。
同時に数日前のあの出来事が現実であったことにようやく確証が持てた。
灰色の日常の中に現れた義肢の少女、その少女から送られたあり得ない贈り物。
手元に自分が食べたリンゴの芯が残っていなければ夢だったかと疑う出来事だった。
ノブを回した状態で俊郎は暫く硬直していたが、やがて意を決したようにノブを押して倉庫の中に入り込んだ。
・
・
・
倉庫の中は暗かった。
しばらく立ち止まって闇に目を慣らすと目についたのは大型のフォークリフトと規則正しく積み上げられるコンテナの群れ。
特に目を引く物は見当たらない。
しかし俊郎は倉庫内に光源がある事に気付いた。
コンテナに遮られて見えないその光源に向けて俊郎は恐る恐る歩を進める。
「……っ」
それを目にして俊郎は息を呑んだ。
テーブルがある。事務室に置かれるようななんのへんてつもないスチール製のテーブルと向かい合わせに配置されたパイプ椅子が二脚。
そのテーブルの中央に置いてあるランタンの頼りない灯りが光源だった。
それらがフォークリフトの通り道の真ん中に置かれている。
明らかに俊郎のために「セッティング」された物だ。
その二つの椅子のうち、俊郎から見てテーブルを挟んだ向こう側の椅子に一人の男が座っていた。
薄暗くてよく見えなくとも男だと判断できたのはその人物の顎に髭が確認できたからだ。
だが顔全体は暗くて見えない。
「たっ……」
俊郎は言葉を発しようとして一旦詰まり、もう一度発声した。喉が緊張でカラカラだ。
「田辺、俊郎……です」
たたどたどしく名乗った俊郎に対して相手の男はニカッと歯を見せて笑った。
白い歯がランタンの灯りに照らされて光る。
(あ、れ……?)
見覚えのある笑顔だった。
男はテーブルに手をついてぐい、と前のめりになった。ランタンの灯りが近付き、顔全体が見える。
「よう、チャンプ」
「……モーリス?」
俊郎に違法筐体を貸し、「ブレット」に繋ぐ技術者、モーリス・ミシガンの顔がそこにあった。
「なんっ……何で?どうしてここに……」
唖然とする俊郎を見てモーリスは声を殺して笑う。
「へへへへ……まあ、座りなよチャンプ」
そう言ってモーリスは向かいの椅子を指し示す。
「……」
俊郎は混乱しながらもその椅子に近付く。
理解出来ない事態だったがそれでも見知った顔を見た事で俊郎は僅かに落ち着きを取り戻し始めていた。
しかし椅子に近付くにつれその顔は再び緊張に包まれていった。
最初に見た時から分かっていたが、テーブルの上にあるのはランタンだけではない。
何か黒いものが二つ、それぞれの椅子の前に置かれているのだ。
遠目では何なのかわからなかったそれの正体が近付いて分かった。
ゲーム内では見慣れた物でありながら現実では初めて目にする物。
銃だった。