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下級労働層のFPSプレイヤー

 一日十二時間労働、場合によっては残業で伸びて十三時間~十五時間、この労働時間が長いのか短いのかは田辺俊郎《たなべとしろう》にはよくわからない。

ネットなどの情報ではもっと長く働かされる職業もあるらしいし、現に同じ職場では泊まり込みで夜を徹して働いている同僚もいる。

しかし他はともかく、本人としては自分の仕事時間はうんざりする程長いと感じている、コンベアに乗って流れてくるよくわからない機械に手元のねじや部品をひたすらに組み込み続ける作業は頭を使うことがなく、単調なだけに余計だ。

かといって手を抜くとすぐに不良品として先の検査で引っ掛かり、どこでミスが起きたかが判定されて上司が飛んで来る。

その上司にどやされている間、俊郎ははい、はい、すいません、などと適当に謝りながらその上司の靴のつま先を凝視してやり過ごす。

そんな苦痛に満ちた時間の終了を知らせるベルが響くと俊郎は周囲の居残り組に失礼します、とぼそぼそと声をかけて機械音と油の臭いに満ちた仕事場から離れ、更衣室で油まみれの作業着を着替える。

工場から出ると既に日は落ちて暗くなっており、街には目に眩しいネオンサインが灯っている。

風俗店の呼び込みの声、けたたましい店内音楽、バイクや自動車の唸り声が響く中俊郎は背を丸めて歩き、いきつけの食料品店に入った。

店内に入ると迷わず「カロリーブロック」の販売スペースに直行した。

お目当ての「グレープフルーツ味」が売り切れているのを見て溜息をつき、しばらく棚を眺め回した後「アップル味」を掴んだ。甘ったるくて好きではないが他の薬品臭い「イチゴ味」や味のしない「ココア味」よりは幾分かマシだ。

次に飲料スペースに移動し、またしばらく物色した後「蒸留コーヒー」のパックを掴み、レジに持って行く。

「アリガトウゴザイマシタ」

販売ロボットの無機質な音声を背に食料品店を後にすると俊郎は近くの公園のベンチに腰を下ろした。

公園と言ってもホームレスのねぐらと化しているような場所だがチンピラ共がたむろする路上よりはずっと安全だ。何よりここは周囲に高い場所がなく、人が隠れられる場所が無いのがいい。

俊郎はカロリーブロックの包装を破るとその棒状の物体を齧った。

ねっちりと上顎に張り付くような甘さに眉をひそめるが、それでも仕事で疲れ切った体に糖分が沁み渡る。

その甘さをやたら苦い蒸留コーヒーで流し込みながら俊郎は徐々に自分の中のモードを切り替えていく。

「仕事モード」から「戦闘モード」に。

食事を終えた俊郎は包装紙をゴミ箱に捨て、繁華街に向けて歩き出した。背筋は伸びていた。



 繁華街の中でも最も猥雑な通りにその店舗はあった。両隣を大きな携帯量販店と風俗店に挟まれたその店は両側から圧迫されて押し潰されそうに見える。

一応すすけてヒビの入った看板には「家電」と書いてあるがどう見ても販売意欲に溢れているようには見えない。

怪しげなのれんをくぐって薄暗い店に入っても出迎える店員がいるでもなく、陳列棚にはスクラップのような家電製品が並ぶばかりだ。

俊郎は廃墟のような店の奥にある階段を下りて行った。

階段の突き当たりには店の雰囲気からそぐわない分厚く、丈夫そうなドアがあった。暗証入力式のキーまで付いている。

コン コン

その扉をノックすると扉に設置されている覗き穴に似たカメラが機械音を立てて俊郎の方を見た。

しばらくの間そのカメラとにらめっこをしているとぷしゅっ、と気圧の抜ける音を立ててドアが開いた。

開いた隙間から縮れた金髪の白人男性が顔を覗かせる。

男は俊郎と目が合うとにやっと笑った。

「ワウワウ!我らがチャンプのお出ましだ!」

陽気な声と共に扉が開かれ、中の様子が露になる。

狭苦しい地下室の中にあったのはデスクと椅子とその上に設置されたパソコン、その傍らにある人一人が収まるサイズの大きな黒い球状の機械だった。

デスクの上にあるパソコンはメイン画面の他に六つも大きなモニターがあり、それが椅子に覆い被さるように天井から吊り下げて配置されている。

その馬鹿でかいパソコンとモニターの背後から伸びる無数のケーブルが部屋中に蜘蛛の巣のように張り巡らされており、足の踏み場もないくらいだ。

部屋に照明の類いは無く、モニターの明かりにぼんやり照らされる室内は奇怪な生き物の巣のようだ。

「ヤりに来たのかい?」

その巣の主、モーリス・ミシガンは異様に目をぎらつかせながら言った。

「ああ、頼めるかい?」

俊郎がそう答えるとモーリスはぱちんと手を鳴らして甲高い笑い声を上げた。

「だと思った!だと思ったんだ!目が違うからな!殺し屋の目をしてる!いや、狩人の目だ!獲物を求めてギラギラしてる!」

そう言って俊郎の背後の扉を閉めて鍵を掛け、ひょいひょいとケーブルの束を跨いでパソコンに飛び付いた。

「あんたがいない間は退屈でしょうがなかったよ!のさばってるのはくそったれなクラン連中と上級者気取りのnoob共ばっかだ!ちょっと待ってな、すぐ立ち上げてやる!」

せわしなくキーボードを叩きながらモーリスは早口にまくし立てる。

やがてカタカタというキーボードの音にぶんぶんと大きな機械音が混じり始める。

デスクの隣にある黒い球状の機械から聞こえる音だ。

「オープンセサミ!」

モーリスの声と共に球体の一部がぱっくりと開き、中にあるシートが露になった。

俊郎は機体に付属されているバイザーとヘルメットを身に付け、シートに身を横たえた。

「いってらっしゃい、だ!またスカッと決めてくれよ!」

モーリスの言葉と共に球体が閉じ、俊郎の姿は見えなくなる。

球体の発する機械音とキーボードを叩く音だけが響く室内でモーリスは呟いた。「さあ、恐れおののけnoob共」




 「ブレット」は対戦型のシューティングゲームだ。

コントローラーを介してモニターの中を操作するのではなく、ネット上のバーチャルな空間に人間の意識を接続し、実際にその場で戦っているかのような体験ができる新世代のゲームだ。

従来のゲームの概念をひっくり返すそのシステムはしかしその危険性も指摘され続けて来た。

実際、仮想現実で受ける余りにリアルなその体験は体にフィードバックを起こし、障害が残るケースも稀にあった。

しかしその鮮烈な体験は多数の熱狂的な中毒者を生み出し、合法と非合法の間を揺れながらも「ブレット」の生み出した市場は規模を大きくし続けた。

それが一つのプロスポーツとして認定される頃には障害に関する問題も「体に負担がかかるリスクはプロスポーツにおいて避けられない」という強引な理論で封じられる事になった。




 「そっちだ!そっちに逃げたぞ!もうじき角を曲がって来る」

「オーライオーライ」

屋根の上に陣取ったコバック・マーリントンはスコープを覗きながら通信に応えた。

「ブレット」に固定のマップは存在せず、毎回ランダムで生成される、よって重要になるのはラウンドが開始されてからいかに素早く地形の全容を把握できるかだ。

今回の試合は明らかにコバックのチームがこの市街地を模した入り組んだ地形のマッピングを先に済ませていた。

相手チームは自陣に追い込まれ、コバックチームの思惑通りの動きを強要されている。

コバックのサイト内に相手、「ブルーチーム」の青いヘルメットが映り込んだ、想像した通りのタイミングだ。

コバックが想像通りのタイミングで引き金を絞ると心地よい反動が肩にかかり、スナイパーライフルから放たれた弾丸は想像通りに相手のヘルメットに穴を開けた。

青い兵士は糸の切れた人形のように力を失い、走っていた勢いのまま壁にぶつかって崩れ落ちた。

コバックの背筋に快感が走り、脳内にどっとアドレナリンが溢れる。

(ああ、これだから止めらんねえ)

どうやら相手は初心者の集まり、このマッチはがっぽりスコアが稼げそうだ、コバックはほくそ笑んだ。

「もう一人行ったぞ!飛び入り参加のカモネギちゃんだ!」

「OK」

コバックは銃身に頬を当ててしっかり固定した。

スコープの視界内で角から青い影が走り出る。

(初心者だな)

コバックは断定した。

飛び入りで地形が把握できていないにしろ、今しがた味方が狙撃された事から敵に張り込まれている事は予測がつくはずだ。

だと言うのに無防備に角から走り出て来た。

おまけに長物を背に背負ってピストルを持っている。

素早く移動するには適しているが遠距離の敵を全く警戒していない証拠だ、こんなに開けた場所で。

レティクルの中央に青いヘルメットを捉える。

スコープの中で青い影はこちらに気付いたのかピストルを振り上げる、当たる訳もないのに。

ばきん

と、スコープが急に見えなくなり、当てていた右目が真っ暗になった。

ばきん、ばきん

事態が把握できないコバックの頭部を立て続けに二度の衝撃が襲う。

「えっ?」

何度も経験した世界が遠くなる感覚、気付けばコバックはリスポーン地点に立っていた。

何が起こったのか理解出来なかったが。直後に目の前に表示されたキルログを見て目を疑った。

ヒットゾーンは三か所、一発目がスコープを覗いていた右目、二発目が右頬、三発目は下顎付近。

三発全弾ヘッドショットだ、使用武器は「ピストル」

スナイパーライフルで狙う距離だったはずだ、偶然ピストルが遠距離の敵に当たる事はないでもない。

だが、三発のヘッドショットは絶対偶然ではあり得ない、しかしそんな事が人間に可能なのだろうか。

「……あっ!」

その疑問も殺した相手のハンドルネームを見て解けた。

<duch/wife>

ダッチ・ワイフ、このふざけた名前は何度も噂に聞いてきた。

ワールドランキング実質世界一位。

(実質)と言うのは、ランキングを閲覧して見てもそんな名前は無いからだ。

どうやら違法な筺体からのアクセスらしく、運営側は認知していないプレイヤーらしい。

通常そんなプレイヤーは弾かれるのだが、よっぽど腕の立つ技師でもついているのかアクセスが拒否できないのだという。

コバックは通信に叫んだ。

「ダッチだ!ダッチが出たぞ!」

「冗談だろ?」

「マジか!?」

「本当に本物か!?」

次々と仲間から驚きの返信が帰ってくる。

「どこにいた!?」

「仕留めるぞ!」

同時に仲間たちはにわかに殺気立ち始めた。

それというのも「ブレット」のシステム上ランキング上位のプレイヤー程倒した時のスコアは高くなる。

多少キルレートを犠牲にしても実質世界一位のプレイヤーをキルできたなら膨大なスコアを得る事が出来る。

その上自分のキルログに<duch/wife>の名を刻む事が出来るのだ。

「A-3地区だ!今頃は多分4ぐらいに移動してる!そこに集合だ!」

チーム・コバックの総勢6名は一斉に「ダッチ」がいると思われる地点を目指した。

二人一組の三チームに分かれ、包囲網を敷く。

コバックがキルされた地点と時間から割り出すと「ダッチ」が身を潜められる場所は限られてくる。

具体的に言うとA-4に配置されている二階建てのコンクリートの廃墟以外はあり得ない。

メンバーがコバックをキルした直後の「ダッチ」がその建物に入った所を見ており。

建物の窓や出入り口を監視していたメンバーはそこから誰かが出るのを見ていない。

爆発物で壁を粉砕して道を作ったなら脱出した可能性もあるが、そんな爆発音は誰も聞いていない。

八割方、「ダッチ」はその廃墟に潜んでいるはずなのだ。




 コバックはチームメンバーのハイビンと合流して廃墟の廊下を進んだ。

互いの死角をカバーしあいながら極力足音を立てないように進む、入口と反対側の入り口、そして二階から侵入した三組で包囲の輪を縮めていく。

心臓が大きく鳴り響いている、今まで長い事「ブレット」をプレイしてきたがこれほど緊張したのは初プレイ以来かもしれない。

コバックはハイビンに廊下の曲がり角の先をチェックするよう顎で指して指示した。ハイビンは頷くと角からさっと一瞬だけ顔を出して確認する。

つもりだった。

ぱかん

といっそ間抜けにも聞こえる音が響き、一瞬顔を出したハイビンはそのまま角の先に倒れこんだ。

「一人やられた!スタンを投擲する!」

信じられない思いを抱きながらもコバックは通信に呼びかけ、閃光弾のピンを抜いて角の先に投げ込む。

衝撃に備えて角に伏せる。

カランカラン

そのコバックの目の前に閃光弾が転がった。

(敵も投げたのか!?)

コバックは慌てて目と耳を塞ぐ。

天地を揺るがすような炸裂音が響いた。




 その廊下の反対側から詰めていたモルガンニとトムは炸裂音を合図に廊下の角の先に飛び出した。

目に映ったのは落ち着いた様子でこちらにアサルトライフルの銃口を向ける青い兵士、おそらくダッチの姿。

どうして閃光弾が効いていないのか?

疑問に思った瞬間には前衛のモルガンニの左目の下に弾丸がめり込んでいた。

めり込んだ弾はそのまま頭部を貫通し、後頭部から角度を変えて飛び出すと後ろのトムの左脇腹に打ち込まれた。

よろめきながらトムは引き金を引く、アサルトライフルの銃口から天井へと弾が発射される。

ダッチは天井から振ってくるコンクリート片にも微動だにせずしっかりとした射撃体勢を崩さないまま一度だけ引き金を引いた。

弾は正確にトムの額に吸い込まれていった。

二発の弾丸で二人を始末したダッチは行動不能に陥っているコバックに止めを刺すために廊下の角に向かった。

と、角を曲がった瞬間にコバックがダッチの腰にしがみ付いた。とっさに目と耳を庇ったお陰で予想よりも回復が早かったのだ。

さしものダッチも予想外だったらしく、たたらを踏んでよろめく。

「今だやれやれやれ!」

コバックが叫ぶと同時に二階から降りて来た二人のメンバー、ハットとミンチが廊下の角から姿を現した。

絶好のチャンスだった。

しかし姿を現した次の瞬間にはミンチの頭が吹っ飛んでいた。

コバックに組み付かれた不安定な体勢にも関わらず現れた敵に一瞬で正確に反応したらしい。

(こいつはCPUじゃないのか!?)

しがみつくコバックの脳裏にそんな考えがよぎる。

方割れを瞬時に倒されたハットはすぐさま廊下の角に身を隠した。先程までハットがいた空間を弾丸が通過する。

影に隠れたハットは冷静だった。手榴弾のピンを抜いて一瞬間を置き、体を遮蔽物から出さないままコバックに動きを封じられているダッチに向けて投げた。

ゲーム内だからこそできる味方を犠牲にした戦法だ。

(よし!)

勝利を確信したコバックは見た。

ダッチが銃を持ち替え、飛んでくるグレネードを銃底でコン、と打ち返すのを。

グレネードは投げられた軌道と同じ軌道でハットの元に戻っていき、爆発した。

確認するまでもなく即死圏内だ。

(そうか)

コバックは理解した、さっきの閃光弾、あれは敵が投げたものではなく打ち返された自分の閃光弾だったのだ。

「……お前CPUか?」

ピストルを抜いて額に突き付けるダッチにコバックは思わず聞いた。

「人間だよ」

意外な事に返事があった、くぐもっていて不明瞭だが、確かに人間の声だった。

コバックは頭を撃ち抜かれた。



 リスポーン地点で六人は顔を見合わせた、ゲームの事を考えるならリスポーン地点に棒立ちするのは良くないのだが……。

「……抜けるか」

コバックが言った。

「そうしよう」

「ああ」

青い顔をしたメンバー達からも声が上がり、コバック達はゲームを抜けた。

試合放棄で初心者チームの勝利となった。




 ぷしゅう、という音と共に黒い球体が開き、俊郎は二時間ぶりに外の空気を吸った。

シートから起き上がってバイザーとメットを外すとぱちぱちと拍手の音が聞こえた。

「ブラボー、ブラボーだ、堪能させてもらったよ、いやあ、今回もいい画が録れた」

モーリスは上機嫌に言った、彼はどうやら毎回俊郎の試合を録画して動画サイトに投稿しているらしい。

らしい、というのは俊郎自身はその動画を見たこともないし興味もないからだ。

俊郎は自分がランキングで実質一位であるとか他人からどう呼ばれているかとか、そういった事には興味が無い。

ただ、自分の放った弾丸で相手の頭が吹き飛ぶ瞬間、崩れ落ちる瞬間、その時の快感がプレイする理由の全てだ。

「……悪いね、いつも」

「んん?」

呟くような俊郎の言葉にモーリスは聞き返す。

「タダでプレイさせてもらってさ……」

そう、本来「ブレット」は上流階級の市民にのみ許された金食い虫なゲームだ、ユーザー登録でもプレイでも金がかかる。

この「筺体」にしても本来は「ブレット」専用の施設に設置されているか、あるいは金持ちの自宅にあるかだ。

この一台はモーリスがどこからか手に入れた横流し品をプレイできるように違法に調整された物だ。

無論、ただの遊びの域を超えて競技の一種にまでなっている「ブレット」でのこういった行為は犯罪に当たる。

しかしこのモーリスは事コンピューターにかけては右に出る者がいないらしく、厳重なはずのゲームに易々アクセスしたり、筺体の居どころを隠ぺいしたりしている。

彼がいなければそもそも俊郎の下級労働層の市民権ではユーザー登録も出来なかった所なのだ。

モーリスは妙に甲高い笑い声を上げると俊郎の肩をばしばしと叩いた。

「トシロウは本当にゲームの中と外で性格が変わるなぁ!気にするなって!こっちも楽しませてもらってるんだ、それに忘れないでくれよ、俺は君の一ファンなんだからな!」

そう言ってまたモーリスは笑い声を上げた。




 モーリスの店を後にした俊郎は背を丸めて暗い路地を歩いていた。

この路地の先にある薄汚れたアパートの一室に帰って寝る、次の日の朝、疲労の残る体に鞭打って起き出して辛い労働に従事して、残業がなければ「ブレット」に接続して憂さ晴らしをする。

それが俊郎の毎日だった。

多分、いつの日か下級労働層の住民の89%が三十代後半になると発症する「黒肺病」を患い、仕事に出れなくなってアパートで寝たきりになり、誰にも看取られる事もなく死ぬ。

それが不幸な事だとは思わない、いや、自分だけが特別不幸だとは思わない。この階級に生まれた人間は皆等しくそういう境遇に置かれるのだ。

自分が例え華々しく稼いでいるブレットプレイヤーを上回る腕前を持っていても、この階級の生まれである以上、大会に出て賞金を稼ぐ権利もスポンサーを得る権利も無いのだ。

ゲームでハイになっていた気分が思い出された重い現実に押されて沈み、俊郎の伸びていた背筋も猫背に戻っていくのだった。

「……?」

と、俊郎は路地を照らす頼りない街灯の明かりの下に一人の人影を見付けた。

この遅い時間帯にこの路地に人がいるのも珍しい事だが、その人物の容姿が輪をかけて奇異だった。

全身を覆う分厚いコートを着込んでおり、身長以外の体型がまるでわからない。

顔はというとフードを被り、ガスマスクらしきものを付けているので人相もこれまたわからない。

手には手袋をしていて肌の露出が一切無い。

(……何だあれ?ヤバい奴でなけりゃいいんだが)

俊郎の住む貧民街は治安がいい訳ではない、ただ俊郎は襲った所で何も持ってません、というなりをしているのでその対象になった事は無い。

しかしそのコートの人物はどうも俊郎の方をじっと見ている様子なのだ。

俊郎は極力そちらを見ないようにしながらそれの前を通り過ぎようとする。

が、望ましく無い事にそいつは街灯の明かりの下から歩み出てきて俊郎の前に立った。

「……何か、用ですか」

その奇妙な人物が話の通じる相手である事を祈りながら俊郎は震える声で言った。

「……こんな顔してたんだ」

ガスマスクを介してくぐもった声でそいつは言った。何のことかわからない。

「……用がないんならどいてくれませんか」

緊張しながら俊郎は言う。しかしコートの相手は道を開けようとはせず、俊郎の顔をしげしげと見ている様子だった。

「……田辺俊郎」

俊郎はぞっとした、その相手の口から自分の名前が出たからだ、そして次の言葉で本当に恐怖した。

「ハンドルネーム<duch/wife>」

背筋と脇に大量に冷や汗をかきながら俊郎はとうとうこの日が来たか、と思った。

突き止められたのだ、だとすると目の前の人物は警察関係者か、なんとかモーリスに知らせなくは……。

顔を青くする俊郎の前でそいつはマスクに手をかけて外した。

俊郎はその瞬間、危機的状況も何もかも忘れて唖然とした。

女だった、整いすぎるほど整った顔立ち、人形のように長い睫毛、ライトグリーンの瞳、色素が無いかのような白い肌、その白い肌に映える桜色の唇。

唯一その造形を壊しているのが女の左目だった、目じりからこめかみにかけてひきつれたような傷跡があり、左目の瞳孔が斜め上を向いている。

続いて被っていたフードをおろすと豊かな銀髪がこぼれた、いや、よく見てみると色素の薄い金髪だ。

「少しお話を伺えますか「ダッチ」さん」

女は鈴の鳴るような、しかし抑揚のない声で俊郎に言った。


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