第6駅 龍谷列車の運転士 前編
扉を破ると、薄暗い広間に男が二人。
一人は腕を組んで仁王立ち、まるで俺たちを待ち構えていたかのよう。
そしてもう一人は手に宝石箱らしきものを持ち、広間奥にある紫色の結界内の銀色球体に向かって、何か大仰な魔術を施していた。
どちらの服装も制服である。
黒色と金色で色こそ違うが、どことなくロロークさんと似た格好だった。
黒い方、仁王立ちの男が宙を仰いで首をポキポキと鳴らした。
「なんだ、なんだ~? さっきの魔術師といい、こんな辺境の地下空間にお客さんたあ。ハハハ、珍しいこともあるもんだ」
ハンッと笑い飛ばし、男は白い手袋をはめた手で、白髪をかき上げた。
オールバックの髪型だから、結構いかつい印象を受ける。
自信たっぷりな笑みから、強烈な牙が覗く。
瞳孔は縦に割れ、生命力溢れる目つき。
制服がはち切れそうなほど、体格もいい。
気圧されたのか、フィフィ坊がきゅっと裾を引っ張ってきた。
まばたきすら忘れ、表情が強張っている。
「あの人だよ。あのおじさんがダンジョンの入り口で僕を捕まえたんだ」
指差され、白髪のオールバックが首を傾げる。
おや? と怪訝な表情を浮かべた。
「んん、さっきのガキじゃねえか。暴れるから丸一日は起きないよう気絶させたのに。こりゃあ驚いた」
オールバックの後ろで、とんがり耳で細身の男が舌打ち。
刃物のように鋭い目つきが恐ろしかった。
「ちっ、殺してなかったのか? 〝天龍〟さっさと子供を黙らせろ。これじゃ気が散って、マナ様を……回収できない」
金ぴか制服男はいらだちを隠す様子もなく、オールバック男に命令を下した。
その細い男は神経質な表情のまま、頬に汗を流し銀色球体相手に奮闘を続けた。
多分、結界から球体を吸い出そうとしてるんだ。
そして銀色球体の悲鳴は真奈のもの。
それを横目に、天龍と呼ばれた男が目を細めた。
お互い仲間だろうに、二人の間にはどこかピリピリとした空気が流れていた。
「その調子だとかなり辛そうだ?」
「黙れ、こっちも余裕がない……!」
《あぁ……あ……苦しい……助け……て。いやぁ……いやあ!》
真奈とおぼしき銀色球体は、魔法陣に張られた結界の中で暴れている。
まるで幽霊だけど、まさかあれが真奈なのか?
信じられないが、声は確かに銀色球体から発せられていた。
結界の中から、細身の男が持つ宝石箱へと銀色の光がどんどん吸われていく。
細身の男がだらだらと汗を流し、呻いた。
「はあ、はあ……さすがはマナ様、なんて魔力量。……さあ、早くしろ天龍、子供を仕留めるんだ。ちょこまかされては目障りだ」
「はっはっは。さて、雇い主も悲鳴を上げ始めたところだ。じゃあガキども、悪いがちょっとオネンネしてもらうぜ」
天龍は手首をぶらぶらと運動させながら、俺とフィフィ坊に向き直った。
彼は上の制服を脱ぎ捨てると、下着一枚となる。
え……う、うわ、なんだ、ありゃあ?
露わとなったたくましい腕は、龍の鱗でびっしり覆われていたのだ!
こ、この世界の人間は何でもありってわけか。
息を呑み、ゾッとした。
すぐにフィフィ坊と自分の身を守るよう、鋼鉄の鎧で体を覆う。
プログラムがまだ洗練されていないせいで、できた鎧はかなり重く動きにくい。
鎧というよりも鉄の箱に隠れている、そんな感じだろうか。
それでも十分な強度を持たせ、全身を守るとなれば、魔脈のほとんどを使ってしまった。
その上、フィフィ坊の分ともなると、魔力を馬鹿食いする。
正直かなりきつい……。
「……フィフィ、じゃあ」
「うん、任せてっ」
今、俺たちは手を握っている。
俺が黒魔術で鎧を生成。
そこにフィフィ坊が魔力を流し込んで鎧を強化。
いつかの野菜ソードと同じ要領である。
天龍は豪胆な態度で笑い、手袋を脱ぎ捨てた。
すると赤黒い爪が伸び、背後の銀色の光を反射してギラリ。
「面白え。特に赤茶髪の坊主。二人分、それも全身に金属の鎧たあ、贅沢な脈の使い方しやがる。しかし、ガキのうちからそんな燃費の悪い術を教えられるとは、師匠に恵まれなかったな」
「知るか、俺は我流だ。そ、そこをどけ……! 真奈を返してもらう」
「さあ、どうしようかねえ。男なら、力ずくでやってみな! ほら、来いよォッ!」
「トッくん!」
男の雄叫びに、フィフィ坊が手を強く握ってきた。
なんというか、すげえなこいつ、あの龍鱗のおっさん相手に震えていない。
うん、俺もビビっているわけにはいかない。
意識を集中させ、右手を構えた。
「食らえ!」
人差し指から、鉄の弾を発射。
もちろん狙いは天龍ではなく、細身の男!
あいつは今、真奈の相手をしていて動けないみたいだから。
弾は男の腕に直撃。
じわあ、と金色の袖に血が滲む。
いや、あの程度のダメージでは駄目、威力が全然足りてない。
細身の男はいらだちがピークに達したのか、天龍へと怒鳴った。
「くそ! 腕が。おい、天龍! 何を遊んでいる。さっさと始末しろ!」
「悪い。まさかこの俺を無視して、そっちを狙うとは思わなかったんだ。まったく聡いガキだ。わっはっは!」
天龍は一通り笑いあげると、気を取り直し爪をペロリ。
「……じゃあ、こっちから行くぜ。鎧の強度、ちゃんと上げとけよ。間違って殺しかねんからなぁっ!」
天龍はググッと腰を落としたかと思うと、その場から消えた。
さっきまであそこにいたのに、石畳には足の型がくっきりと残されるのみ。
ど、どこに行った?
するとフィフィ坊が叫んだ。
「トッくん、後ろ!」
「遅ぉーいィイッ!」
振り返ろうとしたら、赤い爪がすでに薙ぎ払われた後だった。
背中に強い衝撃。
鎧が砕かれ――
思考の外で、体が吹っ飛んだ。
水切り石のように地面を跳ねて転がる。
壁に激突し、石の壁は脆くも崩壊。
壁の中から鉄パイプが剥きだしとなり、白い蒸気をプシューと吐き出した。
ごほっ……げほっ。
口から血が……。
何本か骨がいかれちまったのか?
はあ……はあ……。
こりゃ、フィフィ坊に鎧を強化してもらってなかったら、体が真っ二つに切り裂かれていたな。
……意識が飛びそうだけど、詠唱式で体を治癒。
ガコッと瓦礫の山をどけ、何とか立ち上がる。
天龍は自分の爪を忌々しそうに見つめ、落ち込んだ様子だったけど、すぐこちらへ向いた。
立ち上がった俺に目を剥き、嬉しそうに笑うんだ。
尖った歯が、ずらりと目に飛び込んだ。
「お? お……お、おぉ、おお! たまげたぜ、ガキ。あまりに鎧が硬いから、力加減を間違えたんだが……まさか立ち上がるとは! てっきり殺しちまったかとヒヤヒヤしたぜ」
「はあ……はぁ……化け物、め」
「化け物だって? 酷い言いようだ。これでも俺は運天士なんだぜ? ちょっとくらいは憧れても罰は当たらないってもんよ」
は、こいつが運天士だって?
嘘を吐くな。
なんでそんな人間が真奈をこんな風に苦しめて……。
「運天士? そんなわけ……」
「馬鹿言え、俺は俺様が認める正直者よ。一番線参号国……龍谷列車の運天士〝天龍バークアライド〟と言えば俺のことよ! ハーハッハッハ!」
「う、嘘だ。運天士は正義の味方なんだ……っ」
だって、俺が憧れた運天士は、みんなの命を乗せて走る列車の運転手だったんだ。
ロロークさんの後姿、すげえかっこよかった。
なのに、くそ、無性に涙が……。
涙でぼやける視界の中、天龍バークアライドは何度か首を振った。
「まあ、平和ボケした二番線のガキには分からないか。龍谷列車は国土のほとんどが断崖で貧しい。楽園がある終点まで物資はとても持たない。だからこうして零号国のやつに恩を売る必要も出てくる。なに、大人の事情ってやつだ!」
駄目だ、これは話にならない。
「くそ……夢が壊れるようだ。フィフィー!」
「う、うん!」
一緒にブッ飛ばされていたフィフィ坊の手を握る。
ショックだけど、諦めるわけにはいかない。
何としても、真奈を助ける。
対して天龍バークアライドは爪をさらに鋭く伸ばした。
「まだやる気か? 確かに、二人で協力して俺の一撃を耐えたのは見事だった。だが、もうやめろ。お前たちも気付いたはずだ、俺と戦うには三十年は早いってな」
……バークアライドの言うとおりだ。
見抜かれている。
ダンジョンに来てから魔力を使い過ぎた。
頑張れば、鎧はまだ作れるだろう。
だけど、さっきほどの鎧を作れるだけの魔力は残っていない。
どうする、これ以上は無理なのか?
いや駄目だ、何とかしないと。
フィフィだっているんだ、最後の最後まで、魔脈から魔力の一滴がなくなるまで、足掻け。
そう、たったの一撃でいいんだ。
一撃で。
全身の魔脈を組み換えて、腕に集めればあるいは……。
魔脈構造とか、魔術プログラムとかは関係ない。
ありったけの魔脈を集めて集めて、集めて、寄り合わせて、組み換える!
腕を大砲に見立て、魔脈を集めようとする。
が、脚とか心臓の脈を無理やり腕に引っ張ってきたら、魔脈がボロボロになって崩れていく。
拒絶反応ってやつかもしれない。
くそ、やっぱり無理なのか。
いや、諦めるな、今はフィフィがいる。
こいつとなら無理なことなんてないはずだ。
「フィフィ。俺を野菜だと思って、魔力を流し込んでくれ……っ。強化魔術だ」
「え、野菜? うん、任せて!」
「ん、お前ら、何をするつもりだ? だが、そんなちっぽけな体で何をしようと同じことだぜ!」
うるさい野郎だ。
六歳児だと思って舐めやがって。
確かに戦闘経験は皆無だろう。
武術の武の字も知らないだろうよ。
だからこの際、バークアライドは放っておけ。
そうだ、おかしな魔術で真奈を吸い取ろうとしている細身の男をブッ飛ばせればそれでいい。
そしたら母さんが後は何とかしてくれるはず。
フィフィの強化魔術のおかげでボロボロになった魔脈がきちんと集まっていく。
力が湧いてくる。
魔力が腕に収束していく。
今、俺の腕は全身全霊の魔術大砲となった。
いける。
これならいける!
「天龍バークアライド。これで終わりだ」
「はっはっは、何を言って……ん? な、なんだその腕の輝きは……!?」
「いけえっ!」
「チィッ。伏せろ、ジスター!」
叫び、バークアライドが俺を仕留めようと踏み込むが、もう遅い。
細身の男に向かって、全力の爆熱烈風金属弾を射出した。
射出された魔弾はバスケットボール大の大きさで、目にも止まらない速さで進んだ。
空気を裂き、突き進む。
細身の男――ジスターを守ろうと、バークアライドが間に割って入る。
が、俺とフィフィの魔弾はバークアライドごと吹っ飛ばし、ジスターに直撃した。
二人の男は成す術もなく壁に激突。
ものすごい衝撃だったのだろう、壁一面に亀裂が入り、まるで土砂崩れのように崩壊した。
ははっ、壁にでかい風穴が空きやがった。
すると勝利を確信したのか、フィフィが抱きついてきた。
あ、おいやめろって……。
もう、魔力も空っぽでヘトヘトなんだよ。
だけどフィフィはむにむにしたほっぺをすり付けてくる。
まったく元気なやつ、しかしもち肌だなあ。
「すごい! すごい! すごいよ! トッくん! あの強いおじさんを倒しちゃうなんて!」
そ、そうか、勝ったんだな。
あの、七天士に。
世界で七人しかいない英雄に。
だけど、なぜかあんまり嬉しくなかった。
「はあ……はあ……っ。うっ、吐きそう……」
「トッくん、やったね!」
「う、うん。まあ、俺とフィフィに掛かれば、こんなの朝飯前……うっぷ」
くっ、もう駄目。
立ってられない。
魔脈もズタボロで、ぐちゃぐちゃ。
こりゃ、元に戻すのに時間がかかりそうだなあ。
膝を突くと、千切れそうな体の痛みに思わず涙目となった。
でも、まだやることはある。
「はあ、はあ……っ。ま、真奈を助けないと……」
結界の中から出してやらないと。
そう思って、フィフィに肩を貸してもらおうとした時――
ガラガラッと、瓦礫の山が崩れ、中から男が二人立ち上がった。
出てきたのは、乱れたオールバックヘアーを整えるバークアライドと、ギリリと唇を噛みしめる細身の男ジスター。
なんてこと、二人とも健在である。
困惑の表情のバークアライドは、削げ落ちた腕の龍麟に目をやり、
「くっ、油断した。……いや、油断じゃないな。そもそも、あり得ないんだ。どうなってるんだあのガキ。普通じゃねえ」
赤らんだ龍麟がパラパラと落ちていく。
「手加減していたとはいえ、ドラゴンネイルを防ぐ鎧に、ドラゴンスケイルを落とす魔弾たあ……。片方でも相当だってのに、二つを両立するとは! その魔術レベル! どう考えてもガキのそれじゃねえ」
「う、嘘だろ……立ち上がった? 俺の全力だったのに、まるで効いてない……」
鱗こそ落としたが、血すら出ていない。
これはヤバい、こっちにはもう手が……。
焦っていると、バークアライドは腑に落ちないのか顎をしゃくった。
「おいガキ。お前、何をしたんだ? 今までいろんな相手と戦ってきたが、お前みたいな常識から外れた魔術を使うやつは初めてだ。その年齢でどうやってその魔術レベルに至った?」
「ど、どうって……普通に魔脈を組み換えれば……色々できるんだよ……」
バークアライドがピクリと反応した。
「魔脈を組み換える? 何を言ってるんだ、そんなこと一朝一夕でできるわけが……」
バークアライドは髪が乱れたまま腕を組み、難しい顔で悩み出した。
なんだ、今まで普通にやってきたことは、そんなにあり得ないことなのか?
するとジスターが「どけ!」とバークアライドを肩で突き飛ばし、前に出てくる。
手に持ったヒビだらけの宝石箱を恨めしそうに見つめ、頬を引きつらせた。
血走った目を剥き、怒りの形相が浮き彫りである。
地団太を踏めば、瓦礫が乱雑に転がり落ちていった。
「天龍。お前と子供のせいでマナ様の回収に失敗した! こうなったら、俺が直接手を下す……!」
「おい待て。あんた、ヤバい顔になってるが、まさか殺すつもりじゃねえだろうな」
「黙れ、知ったことか。そもそもこんな場所まで来たんだ、子供とはいえ覚悟はできているだろう」
ジスターは吊り上った目を細め、裂けるような口をひくつかせる。
多分、こいつ、かなり攻撃的な性格してる。
金色の派手な制服が、妙に悪趣味っぽく映るのも気のせいじゃないよ。
ジスターは瓦礫の山をゆっくりゆっくりと下りてくる。
ガラ、ガラ、と乾いた音を立て、もう動けない俺に近づいてくる。
刺さるようなとても鋭い目つき、そして腰の細い剣へ手を掛けて、
「おかしな魔術を使うといっても、しょせんは子供。何を手間取る必要がある。生意気にも俺の邪魔をしてくれたのだ、まずはダルマにしてやろう。そして治癒魔術で殺さないよう、じわじわとなぶってやる!」
せ、性格の悪そうな台詞……。
きっとこいつ、暗黒体質なんだろうな。
しかし、もう駄目っぽいな、これ。
そう思い、フィフィだけでも逃げるように言おうとした。
なぶり殺される姿なんて、こいつに見られたくない。
ちくしょう、変な笑いが出る。
すると、背後で声がした。
「火炎連結――爆炎の太刀ッ!!」