第22駅 美人冒険家と不良整備士 後編
ギギ、ギギギィ……と、真奈は重い黒鉄の扉を開けた。
ロロークさんの死体を見るのが嫌で、収容車両に入ったのは一週間ぶりくらいか。
真奈の背中から薄闇に目を凝らすと、おや、もぬけの殻となったいくつかの牢が見えた。
錆びた鉄片を落としながら、ぎぎ、ぎ、と格子が車両の揺れに開いたりしまったりしていた。
配管に足を引っかけないよう注意しつつ車両の奥まで行くと、コークス氏を見つけた。
げっそりとした面持ちで、冷たそうな壁に力なくもたれてる……。
人族より体力がある魔族といっても、ぼんやりと宙を仰いで死んでるみたい。
それでも文句を垂れる元気があって、ちょっと信じられなかった。
「この流刑列車はなっちゃいねえ。罪人への食事がロクにないんだ……。ま、死体の管理が雑なところを見る限り、罪人が死のうが生きようが知ったことじゃねえんだろうなあ……ははは」
コークス氏の視線がロロークさんの死体を示したのが分かり、振り返る。
不思議なことに亡骸は一週間前と変わりなかった。
いや、馬鹿か俺は、今はそんなことよりだ。
さっさと用を済まそうと真奈から降りる。
牢に向かってバーナー魔術を施し、鉄格子の切断を試みた。
しかし、やはりというか、何らかの魔術が施されていて、火が通らない。
コークス氏は、自棄になっているのか、クックックと笑っていた。
「コークスさん、死ぬにはまだ早いですよ。約束してたでしょ」
励ましてみたところ、ゴロンと寝返りを打ったコークス氏。
ふいに、彼は鉄の床にカリカリと爪を立てた。
乾いた笑いを上げ、
「……魔導機関の魔力供給弁と減速機がいかれてるな。それと、排ガスの巡りも悪い……出力が規定値を超えて、列車が悲鳴を上げてやがる。バカをやってるもんだ」
「わ、分かるんですね。さすがは整備士だ」
「列車は女と一緒だ。ちょっとしたことで機嫌を損ねて俺たち整備士を振り回す……」
コークス氏は舌打ちし、俺の指先から飛び散る火の子をぼんやりと眺め始めた。
列車はどんどん速度を上げているというのに、彼の時間だけはゆっくりと流れているみたい。
悠長なもんだな、と思っていたら、はたと口を開いた。
「まあ、なんだ。俺を連れてく気になったみたいで、何よりだ……。ふん、嬉しいじゃねえか、この野郎」
「でも、その前にあなたの力を貸してください。今度はこっちから交渉です」
と、強気に出てみるけど、作業は難航していた。
揺れる車内、震える手、あっという間に指先は煤まみれになって真っ黒け。
イテテ、火傷で皮がめくれてしまった。
歯を食いしばっていると、コークスさんがおもむろに鉄格子の真ん中あたりを指差した。
「……坊主、力押しじゃあ駄目だ。ほれ、格子に鍵穴があるだろ。そいつを中心に魔術で施錠されている。脈延長10000メトロの複雑な施錠魔術、対処するならそっちだな」
コークス氏の枯れ枝のような指先、鉄格子の一部にある鍵穴に目をやる。
あれか、なるほど怪しげな魔法陣が描かれているぞ。
俺が魔術で火を浴びせるたび、陣が豆電球のように光ってる。
これが、脈延長10000メトロの魔術プログラム、およそ特級魔術ってところか。
鍵穴を覆うように手を当てて、鉄格子に張り巡らせた魔術のプログラムを感知。
こういうタイプの対処方法は母さんに習っていた、確か……。
「施錠用の魔脈をなぞるようにこっちも脈を這わせて仕込む。えと、鍵穴を埋める感じで、そして魔力を流し込む……!」
手ごたえは、あり!
すると、ガチャリと音を立てて、あれだけ強固だった牢は開いた。
「お、開いた」
「ふん、運天士の嬢ちゃんが言っていたことは本当だったな。……トレイン、お前は一流の黒魔術師だ。空賊どもの仕込み開錠より、鮮やかな手際だったぞ」
「ってことは、やっぱりあの牢屋は……」
奥の方へ視線を向ける。
ギイギイ、と半開きの鉄格子が音を立てているあれ、空賊たちがやったのか。
魔宝財団……銀色の魔術師は空賊と手なんか組んで何を企んでいるんだろう。
銀色の魔術師に対する不信感を強めていると、コークス氏が真奈に背負われた。
彼は息をつくと、ロロークさんがいる牢をだるそうに指差した。
「嬢ちゃんの牢を開錠しろ」
亡骸を目にすると、手の震えが強くなった。
くそ、ロロークさんとバラバラになって死んだ自分を重ねてしまう。
それとも憧れの人を助けられなかったことを悔いているのか。
なじるようなコークス氏の口ぶりに、俺は背を丸めていた。
「おい、責任でも感じているのか? やめろ、あれは助からなかった。例えば、お前が鍵を開けて、嬢ちゃんを牢から出したとする。それで結果は変わったか、んん? 意味のない仮定なんかクソだ」
「コークスさん、酷いですっ。あの人はトレインさんの……」
真奈のアイカメラは無機質な輝きだったが、コークス氏は構わない。
「トレイン、これまでを悔いるな、これからを嬢ちゃんに示せ。ロローク・レイルロードの甥っ子だろ、そんなとこで縮こまるな」
レイルロード家の男子、その矜持……。
ううん、俺は転生者。
抱き続けた夢はなんだったか、そういうこと。
少し身震い、背筋を伸ばした。
これからを見ていてください、と牢に歩み、開錠。
「ったく、手間のかかるガキだ。時間はねえ、失礼するぞ」
コークス氏は毒づいたかと思うと、ロロークさんの亡骸へと這い寄り、死体漁りを始めた。
弱った獣が餌にありついているみたいで、それは見ていたい光景じゃない。
目をしかめて、一歩、コークス氏から距離を置いた。
「な、何を……?」
「黙って見てろ。嬢ちゃんは、きっと持っている」
弱っているコークス氏だったが、四肢のない女の死体を転がすくらいはできるようで、乱暴な扱いだった。
ロロークさんの頭が鉄の床にぶつかって、ゴン、と鈍い音を立てた時、
「あった、王国列車のキングライセンスだ。さすがは運天士といったところだな」
「ロロークさんの……ライセンス」
「運天士のライセンスだから、特別な権限があるはず。きっと役に立つ、行くぞ」
運天士のライセンスは、思ったほど綺麗な色ではなかった。
けど、くすんだレンガ色には確かな風格があった。
◆ ◆ ◆
黒鉄の機関室にて。
「お~や~、坊やたちじゃないか。なんだい、あたしたちを笑いに来たのかい?」
「いえいえ、そんなことは」
「ふん、してやられたよ。笑いたければ笑え、あたしは酒を浴びる!」
氷漬けで気絶している空賊たちに腰掛けて、アルジェリカさんは酒をラッパ飲みしていた。
彼女の肉厚そうな尻の下、ボコボコにされた空賊たちが、ううぅ、と呻いて、悪夢の形相。
犯人たちを気の毒に思っていると、機関室の後方でルフェール君と運転士の男性が、操縦席を相手に奮闘しているのが見えた。
「こりゃあ、もう駄目かもしれないね」
アルジェリカさんはぼりぼり頭をかきながら、よく分からないパイプに頬杖をついて、知らんぷりを決め込んでいる。
フィフィもできることがなく右往左往。
……状況を見る限り、ここから先は魔導機関を熟知していないとどうしようもないみたい。
線路の先を見れば、小さな星明かりみたいなトンネルの出口がどんどん迫っていた。
時間は、それほど残ってない。
「どけ、酔いどれ女」
狭い機関室を氷塊で占領しているアルジェリカさんを、コークス氏が蹴り飛ばした。
真奈の背中越しなのに、長い脚だな、と感心していると、アルジェリカさんがジト目でこちらを睨む。
「なんだいなんだい、オータマタにおんぶされたおっさんのくせに偉そうだね」
「腹が減ってね、足腰立たないんだよ。……そんなことより、状況を教えろ酔いどれ。列車を駅ホームにぴったりとめてやる」
「……? 魔族の不良オヤジのくせに言うじゃない」
喧嘩が始まりそうだったので、仲裁仲裁。
険悪な視線が交差する間に、姿勢を低くしながら割って入った。
「えっと、美人なお姉さま。こちらの方は鉄道局の整備士さんです。色々あって、罪人として捕まっていましたが、悪い人じゃありません……多分」
ごしごしと鼻の下の泡を拭い、アルジェリカさんは腰を上げた。
そして、空賊のおっさんたちを蹴って、舌打ち。
欠けた氷塊の一部を、ジャリジャリと踏みしだく。
「連中が好き勝手やってくれたんだ。空賊に財団の技術者が混じっていてね、魔導機関がいじられて止まりやしない……ま、素人がグダグダいうより? 整備士とやらに見てもらおうじゃないかっ」
「ハッ、もっともだな。ようし、オートマタ、俺を操縦席までおぶるんだ」
さっきまで俺がいた場所はもう、すっかりコークス氏が占領している。
長い脚で、真奈の脇腹を蹴っていて、ガコガコとうるさかった。
「いたい。蹴らないで下さい」
「痛い? 喋る上におかしな人形だ」
「やっぱり私。この人、嫌いです!」
「まあ、落ち着け。真奈」
仲が悪いこっちも仲裁しつつ、なんとか操縦席までたどり着く。
あわわ、と、ルフェール君がこちらを向いた。
けど、俺だと分かるとプイッとそっぽを向く。
可愛くない。
けど、あちらも大変だったみたい。
鉄と石の操縦装置に、汗の染みがポタポタといくつもできていた。
機関室は魔力が熱に変わるので、特にルフェール君なんか、汗に濡れた黒髪がまるでワカメ。
「ト、トレイン・レイルロード! あいにくだけどね、このルフェールさんでも列車は止められないみたいだ。君の出る幕はないよ!」
「確かに、装置がごちゃごちゃしていて、今の俺には分からない。……コークスさん、どうです?」
ルフェール君の強がりを相手にしていても仕方ない。
頼りのコークス氏を振り向いた。
「少し待ってろ」
コークス氏は真奈の背中から降りると、魔術で鉄の工具を作り上げた。
今までの緩慢とした動作とは一転、見違える手際で、操縦席はもとより機関室の装置を見て回る。
……が、しばらくもしないうちに首を振った。
「こいつは駄目だ」
と唇を噛んで、長い耳に指を突っ込み、ふんっと鼻を鳴らす。
何やってんだ? と眉をひそめていたところ、ふいに視界が明るくなった。
うっ、眩しい、山脈トンネルを抜けたのか。
トンネルで反響して耳障りだった走行音は和らいで。
真っ暗だった窓には、老婆のように背の曲がった枯れ木の森が。
地平線にて、朽ちた海賊船のような魔界列車が見えた。
細長くくねった煙突塔から紫色の雲が上っていく。
紫色の空に目を細め、コークス氏はもう片方の耳に指を突っ込んで、ふんっともう一息。
「ちっ、いけないな。機関部の外部損傷もそうだが……どうも内部の制御機関、魔術線路がいかれてやがる。後付けの魔術が暴走の原因みたいだ」
指先にフッと息を吹きかけると、ボロボロの制服からロロークさんのライセンスカードを取り出した。
「運天士のライセンス権限で列車を緊急停止させるしかない。列車と線路が傷むが、仕方ねえ」
鉄と石の壁を伝って操縦席へ取りつくと、石造りの埃っぽい挿入口にカードを入れた。
しかし、反応は……ない。
「んん? なんでだ、認証がされない」
額の汗を拭って、俺は窓の外を見た。
流れていく景色はまるで引きちぎれるような、そんな速度に達していた。
「コークスさん、もう時間が。なんとかならないんですか?」
「体調が万全ならまだしも、今は立つのもやっとだ。魔界列車へ突っ込むまでに機関部を蝕む魔術を解除できるかと言われれば……こいつは難しい」
「ロロークさんの権限は使えないんですか?」
言葉が出ないのかぎざぎざの歯を噛みしめ、コークス氏は運転士の男性を横目に見た。
すると運転士の彼は、小さく唸った。
「罪人は知らないだろうが……他人のライセンスは使えないよう、本局から規定が通達された。ライセンス狩りが横行している昨今、本局が取った処置だ」
それだけ伝えると、彼は汗でべちょべちょになった白い手袋で、石のレバーを握り込んだ。
機関部がやられているのか、黒煙が鉄と石の継ぎ目から上っていく。
運転士の彼は黒い制帽を目深に被り直し、前方を見つめたまま、胸元から懐中時計を取り出した。
「ダイヤが大幅に乱れている。しかし、我々は乗客を無事にお送りすることが勤め……協力しろ、コークス」
「チッ、調子のいい元同僚だ。だが、やるしかねえ。トレイン、手を貸せっ」
コークス氏は、もういらねっ、とロロークさんのライセンスをこちらに投げつけた。
そして、機関室の黒いタンクにもたれ、やがてひざを折った。
長い脚を抱くように腕を回し、異様に目力のある視線をこちらに飛ばす。
「俺はもうロクに魔力が残ってねえ。だが、指示は出してやる。トレイン、速やかに機関部の魔術線路を修復しろ」
「……っ、わ、分かった」
上手くできるか不安に思っていると、俺と運転士の間にルフェール君が割って入った。
何とも負けず嫌いというか。
「トレイン・レイルロード! 僕もやるぞ。魔導機関の外部損傷は僕が対処してやる。内部の魔術線路はそっちが組み換えるんだ」
「こうなったらやるしかないね。ありがと、ルフェール君」
「か、勘違いするなよ。僕はただ……」
「ふふ、有望な運転士候補が二人もか。列車の操縦は私に任せて……コークス、指示を誤るんじゃないぞ?」
「誰に向かって言ってやがる。鉄道に関わる知識は全部、頭に入ってる!」
コークス氏はコンコンと頭を小突き、そして本当に全てを把握しているかのようにゆっくりと目を閉じた。
「坊主どもっ、俺の指示にしっかりついてこいよ」
「トッくん、頑張れ~っ」
「トレインさん、信じてますよ!」
「まったく、ヒヤヒヤしちゃうねえ」
後ろから声援。
失敗は許されない。
大丈夫、今度こそ成功させる。
ロロークさんの形見を胸に、俺は過去に味わった死の恐怖と向かい合った。
すぐにコークス氏の指示が次々と飛んできた。
「トレイン、加速装置の暴走を止めろ。その脈は起点から入って、二番目の右だ」
個人識別装置の透明球に手を当て、操縦席から伸びる魔脈を感じ取る。
……これは、長い。
魔導機関に張り巡らされた、魔術プログラムは延長10000メトロ……ううん、50000メトロか?
いや、とにかく今は指示通りに余計な魔術プログラムを解除していこう。
それと並行して、必要な機能を実現するため脈を組み換えていって……だ。
「機関の内部構造は複雑だが、魔脈の配線を線路に見たてろ……。お前ならわかるはずだ。次、複々線になる十二番分岐にとりかかれ」
「……了解っ」
コークス氏、いや、コークスさんの指示は的確で、息を呑む。
「次、左! 複雑な切り替えに惑わされるな。主要経路は火脈だ」
指示のもと、次々とプログラムを組み替えて、列車の制御機能を回復させていった。
合わせてルフェール君が、壊された外部装置を修復してくれて、作業はスムーズだった。
そしてしばらくも経たないうちに、
「おお、こちらの操作を受け付けるようになった。やるな、少年たち」
運転士の歓喜の声がすぐ隣で上がった。
終点の駅舎が地平に見え始めて、ようやく列車の加速が止まってくれた。
残すところは減速機の修復だけ。
「まったく末恐ろしいガキだ……。よし、トレイン! 機関の魔術線路、第百十二番分岐、左の四、分断されている火脈を繋げろ! そいつが減速機構を司っている!」
「はい!」
制御装置から熱が上ってきて、汗が頬を伝い滑っているのが分かる。
喉の奥から上ってくる、息も熱を孕んでいる。
極度の集中で、脳が沸騰してとろけそう。
けれどどうしてか、手から伝わる線路のような魔術プログラムを進んでいくのが、何より心地よかった!
複雑な線路だけど、攻略していくのが楽しくて仕方ない。
上手く魔力を流さないと、魔脈をきれいに連絡させられないから注意して……と。
昔、ド田舎から首都圏へ当てもなく鈍行で目指した思い出がよみがえる。
地図を広げてさ、どこをどう乗り換えていけば、最短経路で目的地にたどり着けるんだろうとか、こっちの路線よりもあっちの路線のが運賃が安いとか、そうやって試行錯誤するのが癖になったもの。
「――やりやがったな、トレイン!」
ふいを突くコークスさんの大声に、ハッと我に返った。
どうやらいつの間にか、ブレーキの魔術プログラムを復旧させていたみたい。
機関部の奥深く、太く寄り集まった火脈の連絡が取れているのが、目を閉じていても分かった。
結果として、車軸に備えられた三日月型の金属プレートが熱の連絡によって起動、車輪に制動をかけた。
運転士の彼と頷きあう。
彼は小さく敬礼し、石のレバーを慎重に倒していった。
ガクンと強い制動に、俺とルフェール君は石の装置に突っ伏した。
ザラザラとした石の上に顎を乗せたまま、恐る恐る顔を上げてみる。
まずい、終点駅はもうすぐそこまで。
駅のホームがどんどん近づき、黒い鳥の群れが驚いたようにどこかへ飛んで行った。
ホームの入り口辺りで、灯台のような細長い信号塔は赤のまま灯っている。
ギャギャ、ギャリギャリと、車輪の悲鳴が耳に痛い。
乗降用の扉から、火花が激しく散っているのが見えて息を呑む。
気が付いたら、俺とルフェール君は手を取り合い、列車に止まれ! 止まれ! と、ありもしない念力を送っていた。
終点駅のホームと幽霊船のような魔界列車が迫り、自然、手に力がこもった。
「トレイン・レイルロード! あ、あとは、み、見守るだ、だけ、だ」
「声が震えているぞ、ルフェール君。だ、大丈夫、列車はきっと止まる」
とは言ったものの、なんだかまずそうな感じ。
よく考えたら列車は、細い鉄製の線路と車輪で走っているその性質上、摩擦抵抗の関係で制動力は弱い。
そう、列車は急には止まれないのだ。
「く、うう……」
決して力任せにブレーキを掛けない、運転士のブレーキング技術は相当なもの。
この人は、残り距離と現在速度、レバーから伝わってくる感触だけで、最適なブレーキ量を見極めている。
が、列車は急には止まれないわけで。
このままじゃ、ホームの向かい側の三番線で停車している魔界列車に突っ込む。
ヒヤヒヤしていると、とうとう運転士が操作を誤った。
制動力を超えたブレーキ量に車輪がロック、列車は線路の上を滑り始めた。
「し、しまった、線路の状態を読み違えた。制御が……っ」
「あわわ、大変だぞ。どうしよう、トレイン・レイルロード!」
「どうするって言ったって……。いっそのこと線路を破壊して列車を脱線させるしか……」
と、馬鹿げた考えしか思い浮かばないでいると、
「ったく、しょーがないね。最後は、このあたしが手を貸してあげないと駄目みたい」
焦っていたところに、アルジェリカさんだった。
酒瓶を投げると、狼狽する俺たちをどかして、彼女は残り少なくなった線路を見つめた。
「ふふん、この速度なら脱線させずにいけそうだ。よくやった、ルフェール、トレイン。上出来だよ」
アルジェリカさんはニッと笑うと、両腕を前方に構え、線路に狙いを定めた。
冷気が彼女を包み、ピアスが涼しい音を立て、マントがバサバサと舞う。
「ちょっと揺れるよ……! そらっ」
アルジェリカさんは詠唱もせずに、線路に凸凹とした白い粗目状の氷をいくつも発生させたのだ。
瞬く間に車輪がぎざぎざの氷を削り飛ばし、飛び散る氷の破片が視界を覆った。
車内が小刻みに揺れ、徐々に速度が落ちていく。
おお、なるほど、線路と車輪の間に発生する摩擦抵抗を増加させたのか。
脱線させないギリギリのさじ加減、これはかなり精度の高い魔術だと分かった。
「ほら運転士、これで操作に遊びができた。列車を止めな」
制御を取り戻した列車内、次第に駆動音が穏やかなものへと落ち着いていく。
キ、キ……ィ。
やがてホームの基準線ぴったりのところに列車は停車した。
それを運転席の窓から身を乗り出して確認したところで、ようやく一息つけた。
「停車確認、よし! 位置ぴったりだよ、ルフェール君!」
「は、はは……はあ、死ぬかと思った~」
勢いよく背中を叩いてやったら、ルフェール君はぐったりとその場にしりもちを突いてしまった。
はは、緊張の糸が切れたのか。
……ふう、生前のリベンジは果たしたってところかな、これで魔界列車へ乗り換えることができそうだ。
◆ ◆ ◆
列車を降りて、駅構内でのこと。
運転士と車掌が俺たちを見送ってくれていた。
「我々は、何も見なかったことにしよう。同僚と協力して、乗客の安全を守った、それだけだ」
「……いいのか? 本局の連中に知られたら、タダじゃすまないぞ」
「罪人コークスは空賊に襲われ死亡した……と、そのように上へ報告しておく。しかし今日の活躍は見事だった。乗客の命を守ってくれたことに感謝する」
運転士と車掌の二人は、ビシッとこちらに敬礼をした。
続けて制帽を整えたところ、申し訳なさそうに改まった。
「すまないな、鉄道事故を起こした重罪人としてお前を追放することになってしまって。しかし今日のお前を見て、確信した。コークスは犯人ではなかった」
「よせ、魔族の鉄道員なんて風当たりが強いのは分かっていた。別に俺は名誉が傷つけられたことは気にしていない。ただ、しいて言うならだ……」
「お嬢さんのことは残念だった」
駅名すら読めないほど錆びた看板が、冷たい風に揺れ始めた。
コークスさんは小さく震えると、もう終わったことだ、と肩をすくめた。
「いんや、悔やんでも娘は帰ってこねえ。過去は過去、俺はこれからこいつらと外の世界を見てくる。ヘッ、魔界列車だとさ、俺には居心地がよさそうでいい」
真奈の背中で、コークスさんは長い脚で俺の尻を蹴り飛ばし、ぎざぎざの歯を覗かせ笑っていた。
どうやら、コークスさんは人の親だったみたいだけど、昔のことなどどこ吹く風だった。
彼の瞳は後悔も憎悪も宿ってなくて、線路の果てを夢見る少年のそれだったもの。
鉄道員と別れ、場所を移した。
キングライセンスを胸ポッケにしまって、新たな世界の気配に武者震い。
さて、列車の暴走もあって、予定より早く乗り換え駅に着いてしまった。
これからどうしよう。
と、腕を組んで氷の張った石畳に目を落としていると、構内奥から女性の声が。
振り返ると、空族の犯人グループを搬送している青髪お姉さんが手を振っていた。
なるほど氷の荷車か、彼女も魔術が細かい。
ゴロゴロゴロ~、とやってきて、
「お~、トレインたちと整備士の不良親父じゃない! さっそく魔界列車に乗り込むつもりだね」
「まあ、そんな感じになりそうです」
「支局と本局で管理路線が違うから注意しなよ? そうだねえ、三番線ホームにはここから階段を登ってってだ、いったん東改札を抜けないと」
「ありがとうございます、アルジェリカさん。……で、その人たちはどうするんですか?」
「そうさね。まず、こいつらをスラムの収容施設にぶち込まないと。そしたら、あたしらも列車に乗り込むかねえ」
アルジェリカさんは、俺の頭をゴシゴシ撫でると、ブーツで氷塊を蹴りあげた。
氷の破片が飛び散ると、犯人たちは血の混じった鼻水を垂らし、涙目となった。
機関室が暑かったから忘れていたけど、外はかなり寒い。
毛皮に丸まって身震いしたところ、アルジェリカさん。
「三番線の気候は極端だからね、風邪をひかないようにしな。おまけに魔界列車はあんな感じだよ。……見てみな、遠目にもボロボロだってわかる」
親指で後方を指差した先を見る。
あれが魔界列車。
濃霧の向こうで見える巨大構造物はおどろおどろしかった。
「木造? 列車というよりも、幽霊船が編成しているみたい……」
「長い運行の中で車両が朽ちちまってんだ。魔族に鉄道関係者は少ないから、満足に補修できてないんだろう。どこからか馬鹿でかいゴーストシップを調達して無理やり編成してるんだろうね」
「……なんだか、不安だな」
と、少しの期待を込めてアルジェリカさんの方を見つめてみる。
最初こそ実力を疑っていたが、Aランク冒険者相当の空賊五人を倒す力に、脱線させずに列車を止めた繊細な氷魔術には目を見張る。
きっと、かなりのやり手だ。
帝国列車で五本の指に入る冒険家というのは、あながち嘘ではないと思う。
一緒に来てくれたら心強いだろうなあ、というそんな視線を送ってる。
すると、アルジェリカさんは悪戯っぽく笑って、ふふんと顎を上げた。
そしてシャラシャラとピアスを鳴らしながら、首を振った。
「ふふ~ん? なあに、その物欲しそうな目はさぁ? 頼ってくれるのは嬉しいけれど、あたしたちは帝国の依頼を受けている最中なのさ。だから、あんたらのパパ探しには協力できないよ」
「そ、そうですか……残念」
色々あって忘れていたけど、アルジェリカさんは魔宝財団のメンバーを追ってたんだっけな。
一緒に来てくれたら心強いけども、あっちも仕事がある以上は仕方ない。
俺の頭をポンポンと叩くと、アルジェリカさんはガラガラと氷車を押し始めた。
「ま、保護者ができたみたいでよかったよ。それで、あたしは安心さ。頑張ってパパさんを探すんだね! じゃあね」
「またどこかで」
と、手を振ったところ、アルジェリカさんは思い出したように踵を返し、
「おっと、いけね。忘れるところだったよ。ええっとコークスさん、だっけ? ねえ、この男に見覚えはない? つっても、顔は分からないんだけど……。でもかなり目立つ格好してるだろ?」
アルジェリカさんは俺たちの元に歩み寄ると、一枚の人相書きをコークスさんに渡した。
コークスさんは、怪訝そうに唸った。
「なんだあ、こいつは?」
「元鉄道員のあんたなら、もしかしたら見たことあると思ったんだけどさ。知らないの?」
「知らん。目立つ野郎だから、見てたら覚えているはずだが……。記憶にねえ」
「……さすがに超特級魔術師との呼び声高いだけあって、足取りを捉えるのは骨だねえ」
「そいつはすげえな。なんていうんだ?」
「う……ん、本名は不明ね。分かっているのは、亡霊みたく神出鬼没に反鉄活動を行ってるってことくらい。噂では、車霊体狩りまでしているとかで、かなりの危ない野郎」
「亡霊、ねえ。記憶の片隅には置いとくか」
「こいつの特徴は、改札もライセンスも用いない単独転移。それこそが超特級魔術師と呼ばれる所以ね。……ま、知らないんならいいんだけど。じゃあね、坊やたち」
アルジェリカさんはひらひらと手を振り、犯人たちを連行していった。
「さて、俺たちも行くとするか? いんや、その前に腹ごしらえだな。腹が減ってちゃいけねえ」
コークスさんはアルジェリカさんから受け取った人相書きを興味なしと言いたげに投げ捨てた。
ひらひらとそれは真奈の足元に落ちて、
「んもう、コークスさんったら。構内でポイ捨てなんて、元は鉄道員だったとは思えませんね!」
「おお、便利な全自動掃除機だね。ちょっと口うるさいのが玉にキズだが……」
真奈は呆れた様子で人相書きを拾い上げた。
「まったく、口が減らな――あれ?」
おや、動きがとまった。
故障かな?
「どうした真奈」
「あ……ト、トレインさん。アルジェリカさんが追っているという方って、これ……」
「どうしたんだよ、まさか怖そうな男の人でも描かれてた、か……って、あぁ?」
「あ~、トッくん、この人って!」
真奈が差しだした紙に描かれていたのは……数年前ダンジョンで出会った銀色の魔術師その人。
顔こそ見えなかったが、あの肌を隠す独特の銀装束と、ちらりと見えた口元から察するに、気のせいってことはない。
それに超特級と称されていた単独転移魔術も特徴と一致してるし、真奈を手中に収めようとしていたしで、間違いなかった。
薄汚れた紙には、黒炭で描かれた人相書きの下に、やつの手配名が記されていた。
「四番線の……亡霊……」
四番線の亡霊――フォウ・ドゥ、それがあいつの通り名だった。
胸騒ぎを覚えつつも、俺たちはボロ船編成の魔界列車へと歩き出した。




