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第2駅 バーニングガール ◆挿絵あり

 まどろみの中、ある日の思い出を夢に見た。

 それは真奈が歩けなくなった日のこと。

 あの時、あいつと交わした約束が胸に残っていた。


『あのね私、テッちゃんに電車の運転手になって欲しいんだ』

『え? どうしてまた』

『歩けない私の代わりに、どこか遠くへ連れていってほしいの、テッちゃんの運転する電車でさ。えへへ、それが私の夢なんだ』

『分かった、任せろ。運転士になるよ俺。約束だ』


  ◆ ◆ ◆


 うう……ん、夢か……ぽかぽか陽気に目が覚めた。


 瞼を開けると、知らない女の子が目の前に。

 俺と同い年か、それより下だろうか。

 なんだかすごく嬉しそうに、口元を綻ばせながら俺の顔を覗き込んでいる。

 ウェーブした赤茶色のロングヘアー、それと活発そうな赤い瞳が印象的。

 通った鼻筋は外国人のそれ。

 なんだろうね、こんな顔立ちのいい外人さん、知り合いにはいないけど。


 目が合うと、少女はニコッと笑ってくれた。

 こちょこちょと彼女の髪が頬をくすぐる。

 あんまりにも顔が近いんで、手で押し返そうとした。

 するとびっくり!

 あらまあ、俺の手、ぷっくぷくで小さいじゃないか。

 なんだ、これ?


 対して少女は俺の小さな手をちょんちょんつついて楽しそうだった。


「~っ? ……――っ!」


 聞いたこともない言語で話しかけられて、頬をぷにぷにされる。

 頬ずりまでしてきて、正直、すべすべで温かい肌は心地よかった。

 ……って、いかんいかん、明らかに舐められてるのだからガツンと言ってやらないと。


「あーあぅ! あ~?」


 え、あれ……?

 おかしい、まともに発音ができていない。

 凄んだつもりなのに、とってもラブリー。


 一体、俺はどうなってしまったんだ。

 確か暴走列車を止めようとしたら轢かれて……。


 そもそもここはどこ?

 真奈は一体どうなった?

 困った、謎だらけだ。


 窓で揺れるカーテンの外、雲の流れがとても速かった。

 シュッシュッポッポー! ああ、どこか遠くで蒸気機関の音がする。


  ◆ ◆ ◆


 一ヶ月くらい経ったと思う。

 どうやら俺は真奈とはぐれてしまったらしい。

 そもそもこの世界にあいつがいるのかすら分からない。

 知らない世界で赤ん坊、これではどうしようもなかった。


 一方、少女は俺を抱っこしながら、楽しそうにくるくる回っていた。

 欧州の貴婦人が着るような、長くゆったりしたスカートの衣装がふわふわ舞う。

 胸元の開いた服だから、形のよい胸が愉快に揺れる。

 綺麗な赤茶の髪もふんわり踊り、眩しい笑顔が注がれる。

 なんだろ、陽気な人だな。


 ……まあ、この少女が俺の母さんなわけだけど。

 高い高~いをされたり、母乳を飲まされたりしたんだから間違いなかった。

 しかし外国人の子として生まれ変わるとはな。

 言葉は英語じゃないみたいだけど、一体どこの国だろう?


 それにしても孤児だった俺に、母親ができるとは。

 母さん、か……。


  ◆ ◆ ◆


 さらに数ヶ月が経った。

 首がすわったため、お外へ出ることになった俺。

 母さんに抱っこされ、振り返れば我が家が見える。

 時代がかった大きな洋館、つるの絡んだ白い壁にチョコレートみたいな黒い屋根。

 庭には池もあり、向こうで森が広がっていて自然は豊か。

 さらに奥では煙突が白煙を上らせていた。


 もしかしたら母さんはお金持ちなのかな?

 疑問に思い、彼女の髪の毛を引っ張ってみる。

 けれど、コラッと頬を突っつかれるだけ。

 そして母さんはスキップを踏みながらルンルン気分で、村の方へ繰り出した。


 村は黄金の稲穂が波打つ、のんびりとした景観に包まれていた。

 畑とか、田んぼとか、水車とか、生前ではまず見られない景色の数々。

 そして何より特徴的なのが、地面から生えた機関車みたいな煙突。

 それらがシュッシュッポッポと、綿菓子のような煙をあちこちで吐いていた。

 そんな村を散歩し、母さんは村人へあいさつ回りをしていった。


 ほら、この子がうちの子よ! 可愛いでしょ~? とそんな調子で練り歩く。

 そんな母さんを、みんなが祝福してくれる。

 どうやら母さんは村の人と仲良しみたい。

 こうして笑いが絶えないまま、初めての外出が終わった。


 家路の途中、自分の置かれた状況を整理する。

 まず、ここは農村だと思う。

 そして文化水準は俺の知ってるものより低い。

 トラクターも使わず、牛に車を引かせて畑を耕しているんだもの。

 そういえば、家の明かりもランプだったから、電気すら通っていないってことになる。

 なんだか百年以上昔の欧州にでも迷い込んだ気分だ。

 真奈、元気にやってるといいけど。


 何となく空を見上げれば、どこかに雲が流れていく。

 そして綺麗な夕日。

 視界の端で、ゆっくりゆっくり回る水車が眠気を誘った。

 ふあ、とあくび。


 いい香りのする背中に顔を埋め、うとうとし始めれば。

 あっ! と、ふいに母さんが声を上げて立ち止まった。


 なにが起きた? と肩から前方の様子を見る。


 んん、村道の外れの地下階段の鉄格子が外れていて……。

 うわっ、なんだあれ、そこから変な生き物が。

 数は一匹。

 黒い犬で、目が赤く光って気味が悪い。

 よだれを垂れ流し、狂気じみた目を剥いて、こっちへにじり寄ってくる。

 化け犬の影が夕日にグニャアと伸びて迫り、おどろおどろしかった。

 じゃり……じゃり……と、足音が不気味なんだ。


 これは狂犬病に侵されたドーベルマン?

 ううん、牙なんかナイフくらいあるし、もっと恐ろしい何かだろう。

 なんにせよピンチである。

 とっとと逃げようと、母さんの髪を引っ張った。


 だけど母さんは何を思ったのか、近くの木に向かってジャンプ。

 えいやっ、と一本の枝を折って握った。

 なんだあ、即席の木刀ってわけか?

 いやいや、さすがにそれでは心もとない。


 泣きそうになりながら、逃げよう、と髪を引っ張る。

 けど、母さんはやる気まんまん。

 ヒヤヒヤしていると、彼女は呪文のような言葉を短く唱えた。

 すると次の瞬間、なんと握っていた木の枝は炎に包まれ、轟々と燃える剣となったのだ。

 そして目にも留まらない速さで犬に接近し、叩き切ってしまった。


 犬は、キャン! と鳴き声を上げ、地面に転がって死亡。


 母さんはふうと一息ついて、木の枝をポイ。

 何事もなかったように、俺の背中をトントンと叩いた。


「あーっ! あっ、あう!」


 驚きを隠せず、さっきの必殺魔法を尋ねようと声を上げた。

 だけど、あうーあうー言っても伝わるわけがなく、よーしよーしと背中を撫でられるのみ。

 煙突が伸びる夕焼け空を見上げ、ただただ不思議に思う。

 もしかしたらここは、剣と魔法と蒸気機関の世界なのかもしれないなあ、と。


 シュッシュッポッポと羊雲の群れがどこかへ流れていった。


  ◆ ◆ ◆


 半年以上が経った。

 一年近くも経てば、この世界の言葉もとりあえず分かるように。

 母親の愛情ってのは偉大で、たくさん構ってくれたからね。

 特に絵本を読み聞かせてくれたのが大きいと思う。

 話す方はまだ単語単位でしか無理だが、おかげで聞く分にはほぼ困らない。


 なので自分の名前が分かった。

 俺の名前はトレイン・レイルロード。

 鉄オタ孤児から、魔法のある異世界に転生してしまった赤ん坊。

 魔物がいる世界だからまだ動けないけど、もう少し成長したら真奈を探しに行くつもりだ。


 そして母さんの名前はリリーザ・レイルロード。

 レイルロード卿と呼ばれ、村人に親しまれている十七歳の女の子だ。

 どうやら地方貴族というやつで、フレア村という小さな領地を所持している。


 さて、美しい青空、天気のよい今日このごろ。

 俺の一歳の誕生日がそろそろやってこようとしていた。


「あー、忙しい忙しい!」


 広間を走り回る母さんと、その健康的な脚線美。

 あっちへ行ったりこっちへ来たり。

 跳んだり転んだりで、てんやわんやの母さん。

 洋室の中を忙しそうに行き来する女の子は、貴族ながらメイドみたいだった。


「あーっ、あっ!」

「あ、こら、トレイン! まーた、あなたはベッドから抜け出して! もう、大人しくしててよね」

「列車! 列車!」


 村人に貰った列車の木製玩具を転がして遊ぶ俺。

 母さんはそれを見て、白い歯を覗かせて笑った。


「あっはっは! 本当、列車が好きな子っ。だけど危ないことしちゃ駄目よう? おかーさんとのお約束だ!」


 ひょいっと俺を持ち上げてベッドに戻すと、母さんはせっせと屋敷の飾りつけを再開。

 草とか花とかを壁に掛けたり、テーブルを並べたりと大変そう。

 都市の方から伯爵が視察に来るそうで、気合が入っているんだ。


 そんな彼女から視線を外し、再び列車のおもちゃに夢中となる。

 木を削って作った簡素な作りだったけど、それでも俺は嬉しかった。

 だってこういうものがあるってことは、この世界にも列車があるってことだから。

 なるほど、最高だね。


 ベッドから抜け出して、村の風景が一望できるベランダまでハイハイ。

 うーん、風が心地よい。

 ここからじゃ見えないけど、きっとどこかに鉄道があるはずだ。

 歩けるようになったら駅を探そう、と次々流れていく雲を見つめ、俺は決意した。


「こーら、トレイン! ベランダに出たら危ないでしょ!」

「あーうー」


 ……だけど、もうしばらくはベッドの上が俺の居場所になりそう。

 真奈を探しに行ける日が来るのはいつになることやら。


  ◆ ◆ ◆


 数日後の誕生日。

 屋敷で一番大きな広間では人がごった返していた。

 村のみんなが屋敷に来て、盛り上がっているのだ。

 若い女の子やお兄さん、ふくよかなおばさんから、筋肉質な男まで、母さんはお友達がいっぱいだった。

 酒や料理を飲み食いして、とても愉快な雰囲気だった。

 孤児院では見たこともないような、豪華な食事が並ぶ。

 もっとも赤ん坊の俺は、まだまだ離乳食なんだな。


 はーい、あ~んと、スプーンでおかゆみたいな飯が運ばれる。

 そうやって抱っこされながら、もにゅもにゅと歯ごたえのない飯を食っていると、


「これはこれは、レイルロード卿。今日もお美しい」

「ごきげんよう、シュバルツ伯。あら嫌ですわ、美しいなんてそんなこと」

「はっはっは、とても一児の母とは思えませんな」

「まあ、お上手」


 知らないおっさんが近づいてきた。

 燕尾服みたいな服装で身なりが整ったナイスガイ。

 白いものが混じった髭がよく似合う。

 腰に差した細身の剣なんかも高そうで、これぞ貴族って感じの男だね。


 適当に挨拶を済ませたところ、シュバルツさんは俺の顔をずいっと覗き込む。

 尖った鼻が目に突き刺さりそうだ。


「ほほお、男の子ではありませんか。そして聡明そうだ。これは王都の方でも後継ぎとして喜ばれますぞ。さっそくですが、私のところで英才教育をですな……」

「あー、シュバルツ伯。残念ですが、私もこの子もフレア領でのんびりやる予定ですの。なので結構ですわ。おほほほ」


 おほほほ、だって、変な笑い方するよな。

 母さんは、貴族といっても世俗的である。

 言葉遣いも十代の少女が無理してるって感じ。

 ほら、ほっぺにソースがついたままだし。

 まったく駄目だなあ、母さんは。


 と、おかしく思って笑っていると、おや、シュバルツさんが肩を怒らせた。

 赤い酒の入ったグラスをくいっと傾け、鋭い眼光を飛ばす。

 俺はびくっとしたが、母さんは物怖じしない。

 妙な緊張感の後、


挿絵(By みてみん)


「レディ、お顔が汚れている」


 とシュバルツさんは微笑み、ハンカチを渡して踵を返した。

 毅然とした足取りで、控えていた付き人の騎士の元へ帰っていく。

 そして彼はロクに飯も食わず、足早に立ち去ってしまった。

 それを見送ると、母さんは胸を撫で下ろした。


「ほっ……、行ったか。私も舐められたものだわね。あの人、出世したいってのがバレバレよう」

「ひげ!」

「あはは、そう、髭オヤジ。こちとら王国の端っこで気ままに生きてるんだから、もう放っておいてほしいよ。ねえ、トレイン?」

「うん!」

「わあ! もうお返事ができるのね。賢い子だ! すごいぞ~!」


 大したことでもないのに喜んでくれたみたいで、よしよしと頭を撫でてくれた。


 母さんと伯爵の関係は知らない。

 けれど見たところ母さんは若くしてシングルマザーっぽいし、色々と訳ありなんだろう。


 しかしさっきのシュバルツさんの表情……尋常じゃなかったな。

 まるで物取りみたいな目をしてた。


 こうして俺の誕生日パーティーと伯爵との顔合わせは終わった。


  ◆ ◆ ◆


 夜。

 村のみんなも帰った、静かな寝室でのこと。


「むかーし、むかし。古代の偉い人たちは旧大陸から三つの線路を走らせました。そして楽園があるとされる新大陸を目指しました~」

「鉄道!」

「そうそう、線路がずっとずーっと続いてるの。そして古代の人は~、たくさんの巨大列車を走らせて、その上に国家を作りましたとさ~。うーん、昔の人はすごいっ」

「運転手!」

「あら、あなたは列車の運転手になりたいのかなあ? ふふ、トレインの将来はお国を運転するエリートだね」


 天蓋付きのベッドにて、母さんは俺に絵本を読み聞かせてくれていた。

 〝アールド鉄道の英雄〟っていう本だ。

 英雄である七人の運転士が、線路を進んで世界の果てまで行くっていう冒険物語である。

 ロマンに溢れ、胸が躍るよう。

 毎晩毎晩、この話を読んでもらっている。

 しかし国が列車かあ、作り話としては夢がいっぱいで面白い。

 そうだな、俺もそんな列車の国の運転士になりたいもんだ。

 続きが気になるところだけど……むにゃ、そろそろ眠い。

 瞼が重くなって、き、た。

 ぐう……すー、ぴー、かー。


 ……んあ、寝ちゃっていたみたい。

 眠気まなこを擦りながら時計を見ると、深夜の三時。

 うっ、ちょっと尿意が。

 トイレに連れていってもらおうと、母さんの赤茶の髪を引っ張る。

 だけど、「うへへ、トレイ~ン……お母さんだよ~」などと寝言が出るだけで起きやしない。

 仕方ない、よだれを垂らして気持ちよさそうに寝ているから、邪魔しちゃ悪い。


 さて、ここはひとつ、掴まり立ちにでも挑戦してみますか。

 よっこらせっとベッドから降り、よろよろと立ち上がる。

 ぐ、う、う……ふう、上手くいった。

 よっちよっちと壁を伝い、薄暗い廊下奥にあるトイレへ向かった。


 ぺたぺたぺた。

 赤い絨毯の上を歩く。

 体がちびっこいので、結構距離を感じる。

 ぺた、ぺた、ぺた。

 ふう、ようやくトイレが見えてきた。


 すると、ふいに後ろの方で窓が開く音がした。

 ひんやりとした外の空気が首筋にかかる。

 そして振り返る間もなく、


「……それ!」

「はわ?」


 何者かに後ろから抱き上げられた。

 後頭部に柔らかい感触を感じるから、女の人だと思う。

 でも母さんではない。

 声も違うし、胸は母さんの方がずっと大きい。

 なんとか振り返ると、パーティーで見たシュバルツさんの付き人の騎士の顔が見えた。

 一際大きい月のような星を背に、彼女の薄い紫色の短髪が透き通る。

 そして使命感を帯びた眼差しで、じいっと俺を見据えていた。


「ごめんね、坊や。一緒に来てもらうよ……。シュバルツ様の命令だから」

「やー! や、やめ!」

「おっと大声を出さないで。リリーザ様が起きちゃうもの」

「モゴ。んー……! んんー」

「ごめんね、ごめんね」


 騎士さんは申し訳なさそうに何度も詫びると、俺を抱いたまま白いカーテンが揺れる窓から飛び降りた。


 なんてこった、俺は誘拐されてしまった。


  ◆ ◆ ◆


 闇夜の中、騎士のお姉さんは駆けた。

 鎧の立てる音を殺しながら、まるでアサシンみたいに。


 そして村で一番大きな煙突の下、休憩場所のような東屋に入っていく。

 東屋の中には、石の改札機らしきものが一つ置かれていた。

 ついたて状のそれは、秘密の匂いに満ちていて古代の遺産を思わせる。

 母さんに読んでもらった絵本、それに出てくる装置と雰囲気が似ていた。


「えっと、ここの改札転移装置は動くかな……?」


 暗闇の中、騎士さんは奇妙な改札に被った砂埃をパッパッと掃った。

 ザラザラ、と狭い東屋に手甲の擦れる音が響く。

 すると普通の改札機でいうとこのICリーダ部分にて、小さな魔法陣があらわに。

 うん、と頷き、騎士さんは鎧の中をごそごそとまさぐり始めた。


「大丈夫そうだね。えっと、伯爵領行きの区間定期は、えーっと……あっ、あった」


 騎士さんは腰のあたりから、一枚の鉄板を取り出した。

 星明りにそれが、鈍く照っている。

 区間定期と呼ばれたものの用途、きっとそれは……。


 すぐに手足をばたつかせ、彼女の腕から脱出しようと試みた。

 が、抵抗虚しく、騎士さんは区間定期の鉄板をICリーダもとい魔法陣にあてがってしまう。

 改札の表面と鉄板が擦れたのか、ザリッと砂利っぽい音。

 数秒の静寂、そして、


「あれ、反応しない。古いから接触が悪いのかな?」


 首を傾げ、ふたたび同じ動作を始める騎士さん。

 首の皮一枚つながった。

 が、これは不味い。

 俺はこの行動の意味を知っている。

 これはそう、定期が上手く反応しなくて、改札で引っかかって困ってる通勤リーマンそのもの。


 改札転移装置といったか、名前からして転移装置に違いない。

 反応が悪くてまごついてるが、このままじゃどこかに飛ばされる。

 おそらく、俺は伯爵様のおもちゃになってしまうだろう。

 それは嫌だ。

 とっても嫌。

 優しくて美少女な母さんの方がずっとずっといい。


 騎士さんがガチャガチャと奮闘を続ける。

 やめて。

 勘弁して下さい。


 お願い、誰か助けて!

 ――と、強い危機感を覚えたその時、急に体が熱くなり……。

 血管のように体に張り巡らされた、俺の中の何かが脈打った気がした。

 バチュッ! と、金色の光が俺から放たれて、騎士さんの苦痛に表情を歪ませた。

 彼女はよろっと体勢を崩す。

 装置に鎧をぶつけ、ガシャンと乾いた音が鳴った。

 石の装置がパラパラと欠けて、砂埃が星明かりにきらめいた。


「あいたた。えっと、さっきの、なに……?」


 騎士さんは一瞬俺を手放しそうになるが、再び腕に抱え直す。

 怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。


「さっきの金色の魔力……まさかこの子が? ウソ、金ってそんなの聞いたことも……やっぱりこの子は天賦の才を……」

「あーう?」


 そんなに見つめられても困る……出した本人にだって分からないんだもの。


 しかし困った、いよいよどうしようもないぞ、これ。

 さすがに赤ん坊の俺にできることはもうなさそう。

 そうやって諦めをつけかけたところ、背後から大声が。


「こらーっ、ちょっと待ったあ! トレインを返しなさい!」


 騎士さんはハッと村道の方へ振り返った。

 星空の下、彼女は腰の剣に手を伸ばし、険しい面持ちで東屋から飛び出す。


 声がした方に目を凝らす。

 夜の暗がりの中、白い寝巻のまま母さんが走ってきているのが見えた。

 長い裾の部分を捲し上げて、すごい速さだ。


「むっ、もう追ってきた。さすがはリリーザ様……」


 感心してるとこ悪いけど、強めに髪を引っ張ったから起きただけだと思う。


 ただ、騎士さんはそんなの知るわけがないので、しゃらあと剣を抜いて緊張した様子だった。

 向かってくる母さんも剣を抜いている。

 二つの剣が、星明かりに鈍く照っている。


 走りながら、母さんの口元が小さく動いた。

 すると赤々と燃える炎が剣を覆い、闇を激しく照らした。

 騎士さんはゴクリと喉を鳴らし、こちらは白っぽい光を体に纏う。


 勝負は一瞬だった。

 騎士さんの突き出した剣を、母さんが屈んで回避。

 しかし俺の目で理解できたのはここまで。

 気がついたら、騎士さんは剣を弾かれ、鎧の隙間という隙間から血を流していた。


 恐ろしい早業である。

 その上で、騎士さんの腕から俺を奪い返してみせたのだから、母さんには舌を巻く。


 弾かれた銀色の剣が夜空にくるくると舞い、ザクッと地面に突き刺さると同時に、騎士さんはガシャンと音を立て崩れ落ちた。


 母さんは俺をギュッと抱きかかえると、


「よーしよし、怖かったねえ。ごめんね、もう大丈夫だよ」


 と、あやして騎士さんに向き直る。


「で、あなた、確かシュバルツ伯の使いだったかな?」

「……いかにも。か、完敗です……さすがは王国屈指の特級剣士〝陽炎のリリーザ〟ですね」

「それは昔の話。今はただの冒険者よ。はーあ、それにしても困ったものだわ!」


 母さんは溜め息を吐くと、騎士さんの元に歩み寄った。

 そしてしゃがみ、彼女の傷に手を当てて、


「傷ついた汝に癒しの加護を、ヒール」

「な、情けを……かたじけない」

「ふん、いいのよ」


 な、なんだか知らないけど騎士さんの傷がみるみるうちに塞がったぞ。

 炎の剣といい、やっぱり母さんって魔法使いなのか?

 本当信じられない……。


 すると母さんは騎士さんの手を取って立ち上がらせた。

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、


「さてっ! シュバルツ伯をとっ捕まえに伯爵領へ行きましょうか。で、王都で異端審問ね!」


 騎士さんはがっくりと肩を落とし、観念したようにうなだれた。

 どうやら一件落着みたいだ。


  ◆ ◆ ◆


 母さんに読み聞かせてもらった絵本がある。

 アールド鉄道の英雄という物語だ。

 どうやらあの本、あながち作り話というわけではなかったらしい。


 この世界には本に出てきたような古代人の遺産がある。

 さっき騎士さんも使おうとしていたが、改札転移装置はそんな文明遺産の一つ。

 だからそいつを使えば、地方貴族領から伯爵領、そして王都に移動するのもすぐだった。


 わっはっはーと、シュバルツさんを捕まえて王都に連行した母さん。

 シュバルツさんはお風呂上がりの、鼻歌交じりのところを襲われたのだった。

 私は無実だ~! とシュバルツさんはわめいていたが、母さんは問答無用だった。


 シュバルツさんを連れ、母さんが王城へと異端審問に行ってしばらく。

 母さんが留守の間、俺は王都の親戚の所に一時預けられることになった。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 とある室内で、耳慣れた音が一定のリズムで鳴り響いていた。


 預けられた場所は、古めかしくも複雑な機械がたくさんの場所だった。

 絵本で見た覚えがある光景。

 男たちがカクカクした椅子に座って、機械らしきものをガチャガチャいじっている。

 白い手袋をはめ、軍服らしき制服姿の人たち。

 これも絵本で見たような……。


 やがて俺は興奮していき、我が目を疑った。

 だってここ、列車の操縦室みたいな場所なんだもの。

 すると、俺を抱っこしてくれているお姉さんが話しかけてきた。


「どう、トレイン君。楽しい?」

「わっ、わっ! 列車! 速い!」

「ふふっ、リリィの言っていた通り。君は列車が好きな男の子なんだね」


 ショートヘアーで母さんによく似た顔のお姉さんは、操縦室の中を案内してくれた。

 彼女の名前はロローク・レイルロード。

 母さんのお姉さんだから、俺の伯母さんに当たる人物である。

 深緑の軍服みたいな格好をしていてさ、肩章をジャラジャラさせてかっこいいんだ。

 胸元の金色のバッジが凛々しく輝けば、はあ……と息を飲んでしまう。


 すべすべした白い手袋で頭を撫でられて、少しくすぐったかった。


「運転業務中だから、あまり相手をしてあげられないかもだけど、リリィが戻ってくるまでゆっくりしていって。あ、でも制御装置には触っちゃ駄目よ」


 これまた母さんとよく似た笑顔だったけど、こっちは働く女性って感じでかっこいい。

 すると奥の方から、助手っぽい男の声が、


「ロロークさ~ん、赤ちゃんに構ってないで早く戻ってきてくださいよ~」

「こら、運天士がいないと王国列車は回らんぞ」

「わっと、大変。今行きます」


 ロロークさんはふかふかのソファに俺を寝かすと、空いている真ん中の運転席に座った。


 しかし、驚いたなあ。

 この世界、走っている。

 すごい、母さんが読んでくれた絵本は本当の話だったんだ!


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 これは線路を走る列車の音で間違いない。


 ごちゃごちゃした操縦席で、ロロークさんたち三人の職員が働いている。

 アクセル、マスコンみたいなレバー式の機械が見える。

 空中には半透明の文字盤がたくさん浮いていて、ワクワクする。

 モニターもたくさん浮かび、あらゆる角度から王国列車周辺の様子を映し出していた。


 そして運転士たちの前の一際大きなモニターには、どこまでも続く線路が映っていた。

 青っぽく輝く空の線路の上、雲を切り裂きながら運行していく。

 下の方は真っ暗闇で、まるで空を飛んでいるかのよう。


 煙突が多く、雲が速いと思っていたけど、なるほどこの国は丸ごと空飛ぶ巨大列車だったんだ。

 しかし王国列車か……とんでもないスケールとロマンに、俺はすっかり心を奪われた。


 ずっとずっと、ロロークさんたちの仕事を眺めて、胸を高鳴らせていた。

 いつか俺も、こんな場所で働きたい。

 この列車ならずっと遠くまで行けて、きっと真奈を探せるはず。

 俺は王国列車の運転士になる! そんな決意が胸に宿った。

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