始発駅 次は~異世界~ ◆挿絵あり
あの夏、俺たちは異世界への片道切符を手に入れた。
足が不自由な幼馴染の女の子と一緒に、田園風景の中でたたずむ小さな駅へ俺はやってきていた。
夏の日差しが強い中、山にある孤児院から車いすを押してきたおかげで、もうクタクタ。
息を整えながら額の汗を拭っていると、銀髪が特徴的な真奈は俺の袖をちょいちょいと引っ張ってきた。
待ちきれないのか、秘密の冒険に出かける前の子供みたいにウズウズしてる。
「ねえねえテッちゃん、私をどこへ連れてってくれるのかな? えへへ、楽しみっ」
「それは着いてからのお楽しみ。鉄道のプロがとっておきの場所に連れてってやるよ。だから期待してて」
そうさ、病室ではないどこか楽しいところへ連れて行ってやる。
俺と真奈は、高校まで孤児院で一緒に過ごした仲だった。
そのせいで、石化するこいつの奇病が治るものではないと俺は知っていた。
◆ ◆ ◆
舎内で切符を買って、俺たちはホームから列車を待つことに。
時代に取り残されたような田舎の駅だから、駅員なんていやしない。
白線はところどころ剥げ、線路にはバッタの親子がとまってる。
客もまばら。
工事用ヘルメットにヒヨコを乗せたおっさん、ぬいぐるみを抱いた迷子らしき幼女、そして銀色のローブを纏った魔術師風の男。
なにかイベントでもあったのかな? 今日はおかしな面子だった。
で、俺はというと額に冷却シート、三つ足の脚立に白レンズのカメラを乗せて列車が来るのを待っていた。
俺も含めて、変人集合中って感じだった。
レンズ越し、線路にまで及んだ草の葉がさわさわと揺れている。
ジーワジーワ、セミの鳴き声と頬を伝う汗。
真奈がグーにした両手で口元を隠し、木の実を頬張る子リスみたいにくすくすと笑っていた。
「あのーテッちゃん、殺気立ってますよー? まったく電車が好きなんだから」
「いや真奈、ここのは正確には汽動車、いわゆるディーゼル車ってやつだ。あれは何度見てもいいものだ」
「わーわー、分かんないよう」
「島式ホームに田んぼの向こうから威風堂々と迫ってくる雄姿……あのロマンが分からないとは」
「そんなロマン、分からないってばっ。ふん、この電車ば~かぁ~!」
と、言い合っていると、線路の彼方から警笛が。
ボーッ! ボーッ! と雄々しい音が迫ってくる。
いい音だ、電車のモーター音じゃ出せないね。
錆びでところどころ剥げあがった朱色の車両に向かって、急いでシャッターを切った。
ううむ、この経年劣化した車体が辛抱堪らん!
と、興奮のまま写真を撮り続け、車両がホームに停車したところ。
おや? おかしいな、車両の停止位置が普段より五十センチも手前である。
この時間の運転手はベテランで、機械のごとく精密な停車テクが売りなのに……。
空も曇ってきて、なにか不穏な気配を感じた。
太陽が隠れて薄暗くなり、じめっとした風が絡みついてきた。
列車に対して違和感を覚えていると、真奈が不満げに頬を膨らませた。
シャツの裾をぐいぐい引っ張ってきて、
「ほーら、テッちゃん。早く乗らないと電車行っちゃうよ~。ほらほら、早く!」
「……そ、そうだな」
「あれれ、なんだか元気ないね?」
「いや、なんでもない。大丈夫だって」
気にしすぎか?
他の客は何食わぬ顔で乗車していった。
真奈も早く早くと急かす。
そ、そうだよな、たかが数十センチ停車位置がずれただけ。
はあ、鉄オタってのも考えものか。
こうして俺は列車に乗ってしまった。
◆ ◆ ◆
車内、俺と真奈はボックス席に座っていた。
列車はトンネルに入っており、窓には真っ黒な闇が広がっていた。
気圧の変化に耳が詰まった感じだ。
ゴーウゴーウと獣の息遣いみたいなのが車内で響くし、景色も見えないしで、トンネルは昔から好きじゃない。
真っ暗な窓にはウキウキ気分ではしゃぐ真奈と、物憂げな面持ちの俺が映っていた。
「見てみて、テッちゃん。今日ね、お弁当を作ってみたんだよ。いっぱい作ってきたのっ」
「へえ、そいつはすごい」
「テッちゃん、タコさんウインナー好きだったよね?」
「……へえ」
真奈があれやこれやと話しかけてくれるが、やっぱりこの車両、おかしいぞ。
内装こそ普通っぽいが、まずつり革の数が普段より多い。
車内アナウンスだって俺の知らない車掌のものだし。
これは変だな、と眉間にしわを寄せる。
すると真奈が機嫌を損ねたらしい。
話聞いている~? と、青い瞳をジトッと向けた。
「ねえ、テッちゃん。コラッ、ねえったら!」
ふが、鼻をつままれた。
「さっきからボケっとしちゃってさ。テッちゃんが遊びに連れてってくれるっていうから楽しみにしてたのに! こんなじゃつまんないよ」
「怒るなよ。だってお前、この列車いつもと違うんだ。これは変だぞ」
「もう、なに言ってんの変なの。……あのさ、私たちが一緒に居られるのだって、もう最後かもしれないんだよ? だから、もっと構ってよ」
「それは、そうだけど……」
「べーっだ。このアホたれ!」
ふん、とそっぽを向いて、リスのように頬を膨らませた真奈。
お昼抜きだからね! と膝の上のバスケットを抱きかかえ、すっかり拗ねてしまった。
だけどな、それでも俺はこの車両が不安で堪らない。
速度だってじょじょに速くなっているし、普通じゃない。
すると、車内アナウンスが流れた。
《え~、本日は当列車にご乗車いただき、まことにありがとうございました》
「あっ。ほら、全然普通じゃない。大体テッちゃんはいつもだねえ――」
口をとんがらせ、ほれ見たことか、と真奈が説教を始めかけたところ。
続けて車掌のアナウンスが割って入り、その内容に俺たちは戦慄した。
《本日、当列車は女神を迎えに異世界からやって参りました。他のお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、異世界への旅をどうぞお楽しみください》
え、異世界?
車掌は何を言っているのだろうか。
真奈もぽかんとした様子で口を開け放っていた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
しばしの沈黙。
唖然としていると、奥の席でヘルメットのおっさんが声を上げた。
ちょうどトンネルを抜けた窓の外を指差して、
「お、おい、みんな! 外を見ろ!」
おっさんの声はその屈強な体に似合わず裏返っていた。
見たくない気持ちも強かったが、恐る恐る視線を外に向けると……。
うわ、なんだこれは?
に、虹色の異空間がグニャグニャと波打っている。
海? いや、ヘビあるいはイモムシの蠕動みたいに、その異様な光景はうごめいていた。
ガタンッ! と列車が揺れると、俺は腰を抜かした。
そんな姿をあざ笑うかのように、普段は整然としたつり革の群れが愉快に踊る。
「どうなってんだ、外の景色が……」
唖然としていると真奈がヒシッとしがみついてきた。
震えながら、プニプニした頬が潰れるほど身を寄せて、
「て、テッちゃん怖い」
「こ、怖くない怖くない」
励まそうと頭を撫でてやるが、俺もガタガタと震えていた。
くそ、情けない。
すると真奈がぽつり。
「……テッちゃん。あのね、ごめんね。ごめんなさい」
「いきなり、どうしたんだよ」
「だって! 私が外に出たいって言ったから、こんなことに……。それにだって私の病気って普通じゃないし……異世界から死神が私を迎えに来たんだよぅ……う、うぅ」
「! 馬鹿、死神ってお前。んなことあるわけ……」
そんな冗談、笑えない。
た、確かに、体が石みたいになる病気は普通じゃないだろうさ。
ああ、悪趣味な神様の存在を恨んだとも。
だけども! 病気に負けないよう明るく努めるこいつを俺は知ってる。
そんな妹のような存在を応援してた。
だから! 俺は! 涙するこいつを見て、いてもたってもいられなくなった。
立ち上がった。
鉄オタの俺なら、きっと列車を止められる。
太い雄叫びを上げるエンジンの音だって聞きなれたものだから。
毎日毎日、飽きもせず運転席を眺めてきた。
将来の夢は列車の運転士、操作方法なら熟知している。
《次は~異世界~異世界~》
「何が異世界だ!」
車掌のアナウンスと同時にボックス席から飛び出した。
「テッちゃん!」
真奈が席から身を乗り出して、俺を呼び止めた。
勢い余って、彼女の手元からバスケットが転がる。
せっかく作ったお弁当が床に散らばった。
タコさんウインナーだ……なるほど真奈、お前最高だよ。
「駄目だよ! どこ行くの!?」
「この暴走列車を止めてくる」
「あ、危ないよ! だって君、運転手じゃないもの! 嫌だよ、嫌、一人にしないで!」
「バッカ野郎! ……俺の夢、知ってるだろ? 大丈夫、お前を守る。待ってろ」
真奈はそれでも止めるけど、構わず運転席に向かって走った。
するとホームで見かけた魔術師風の男がどこからともなくやってきて、
「この世界の列車に詳しそうだな少年。よし、私に協力したまえ」
と言って、前を走り出した。
◆ ◆ ◆
先頭車両。
魔術師っぽい男はローブから古木の杖を取り出し、なんと炎を出した。
気泡を立て、運転席の窓がドロドロに溶けていく。
種も仕掛けもないし、これは悪い夢?
いや、今はそれどころじゃない。
異次元世界で列車のスピードがさらに上がり、車内が激しく揺れる。
「こちらの機械はひどく複雑そうだ。それ、腕の見せ所だぞ少年」
「わ、分かってる。鉄オタなめんな!」
強がりを勇気に、覚悟を決め運転席へ侵入、そして運転手に掴みかかった。
「おい、この野郎! 列車を止めるからどけ!」
しかし運転手は構う様子を見せない。
視線は常に前方へ。
「イセカイ第三閉塞ヨシ」と、指差しでの信号確認を怠らない。
運転手の鑑のような野郎だった。
これは話にならない、そう思って運転手を席から引っぺがそうと試みる。
グッと力を込めたその時。
うわっ!
運転手は前を見つめたままで、腕だけ別の生き物のように伸ばし、俺の胸倉を掴んだ。
く、首が……締まる。
とても人間の腕力とは思えず、体が軽々持ち上げられていた。
足をバタつかせたが、地上数十センチをかくばかり。
結局そのまま、タバコの吸殻のように俺は車窓から捨てられた。
しばしの浮遊感、そしてグニャリとした衝撃。
異空間の波に弾かれ、体が車両と線路の隙間に転がって。
あ、巻き込まれる――次の瞬間、けたたましい音が鼓膜を震わせた。
人身事故の時、何度か聞いたことがある不協和音。
操り人形みたいに、あらぬ方へ四肢がひん曲がる。
まるで奇怪な踊り。
グモッチュィイーーン!!
車輪が空転する甲高い音色を聴きながら、俺の意識は途絶えた。