第三話「入学」
入学式は少しの例外を除き、滞りなく進んだ。例外と言うのは新入生代表がとても代表には見えないーー何というかやる気がなさそうな男子生徒だった事で会場が少しざわついたのだ。
周りの生徒が噂しているのが聞こえてきたが、どうやら彼は中学時代から恐ろしく優秀な事で有名な生徒らしい。本当なら外国の有名大学に飛び級できるくらいだとか。当の本人は自分の席で大口開けて欠伸をしていて、とてもそんな風には見えなかった。
入学式も終わり、ロビーに張り出されていたクラス表通りの教室に入ると、既に着席している生徒達で溢れていた。談笑している者、緊張した顔で先生が来るのを待っている者、携帯を弄っている者、様々だ。
僕は自分のであろう席に座ると鞄から読みかけの本を取り出した。周りから視線を感じる。おそらく僕だけスーツを着ているのが不思議なのだろう。
一応、家には注文しておいた男子用の制服があったが、流石にそれで登校する気にはならなかった。一度試しに着てみたら袖からは指がちょこっとしか出ず全体的にダホダボだった。
男だった時の身長は170cm程だったが、今は縮んで160cmに満たないくらいだろうか。正確には測ってみないとわからないが、男だった時より目線が低いのでとても変な感じがする。
変な感じといえば声だ。見た目なんかは鏡で見てみないと実感出来ないが、声は喋る時に嫌でも聞こえてくる。女の子にしてはほんの少し低めかもしれないが、男のころから比べると十分高い。この声に慣れるには中々時間がかかりそうだった。
しかし、体が女の子になったと言うことは、いずれ女子用の制服を着て登校しなければいけないのか。そんな罰ゲームみたいな事をしなければならないなんて。ほぼ確実に来るであろう悲惨な未来に頭を抱えていると、教師がやってきた。その教師は、どうやらまだ若そうで20代後半くらいだろうか。少しだけ垂れた目尻に親しみ安さを感じる。
「みなさん、ご入学おめでとうございます! このクラスを担任する事になりました、秋月知佳と言います。担当の教科は英語です。担任を受け持つのは初めてですので、至らない所もあると思いますが、これからよろしくお願いしますね♪」
秋月先生の優しそうな雰囲気に、緊張していた教室の空気が和らいだのがわかった。先生は学校生活の注意点や、明日からの日程などを話し終えると、「皆さんも自己紹介をしましょうか」と言った。
廊下側の前の席の生徒から順番に自己紹介が始まり、何を言おうか考えているとすぐ僕の番になった。少し緊張しながらも立ち上がる。あまり目立ちたくなかったので、簡単に名前と読書が好きだと言う事を喋って着席した。
クラスメイト達は少しの間こちらを見て固まった後、周りと会話し始める。教室がざわめいた。ちょっと内容が短過ぎただろうか。でも、みんなこれくらいだったけど。
「神屋さんの制服は手違いでまだ届いてないらしいの。早く届くといいわね、神屋さん」
そういえばスーツを着ていたんだった。先生がフォローを入れてくれると少し雰囲気が和んだようだ。先生にまで話しが通っている事に驚きつつ、根回ししてくれたであろう父に感謝する。普段は冗談ばかり言う父だがやるときはやるんだな、と思っていると、周りの喧騒に紛れて後ろからヒソヒソ声が聞こえてきた。
「あの娘、大人っぽい! スーツかっこいー! 髪きれーい!」
「そうね、モデルさんみたいだと思ってた」
「はいはい! じゃ、自己紹介の続きね! 次は、遠野さん」
先生はざわついたクラスを静めると次を促した。
「はーい、どもっ! 遠野美鈴です! 出身中学は東野中で部活は陸上で短距離をしてました! 趣味は食べる事! いじょーでっす! 」
元気よく立ち上がり自己紹介したのは、さっきのヒソヒソ話しをしていた二人のうちの片方だった。軽く癖のある栗色の髪を耳の上辺りで二つにまとめた女の子だ。大きな瞳はくりっとしていて猫のようで可愛らしい。
「はい、とっても元気があっていいですね。次は、櫻井さん」
「はい、櫻井琴音と申します。東野中出身です。未熟者ではありますが、どうか皆様よろしくお願い申し上げます」
次の少女も先程の声の主の1人だった。腰まである長い黒髪を後ろに流し、前髪は涼やかな目の上辺りで綺麗に切り揃えられている。椅子を引いて立ち上がり、また座り直すだけの動作なのにどこか品の良さを感じた。
残りの生徒の自己紹介も終わり、この日は放課となった。この後は父と街で食事をする事になっていた。僕の入学祝いらしい。僕はいつも通り家で料理をつくるといったが、父曰く、お前の料理は確かに美味いが主賓に料理させるわけにはいかんだろ、とのことらしい。だったら、父さんが自分で作ればいいじゃないか、と言いかけたが、母が亡くなってから父の作った初めての料理を食べて二人して寝込んだ日の事を思い出して喉元まで出かけていた言葉を飲み込んだ。
あれは料理と言うよりアートに近い物だったと思う。芸術の事はよくわからないが、あの味はあまり大衆的ではないかな、うん。
その事があってから、料理をはじめ、大体の家事は僕の仕事になった。特に料理は得意になり、大体のものなら作れる。
父は校長先生と少し話しがあるらしいので、僕は一人で街をぶらぶらして時間を潰そうと思って駅前まで来ていた。今日は複数の学校で入学式があったらしく色々な制服の学生が歩いている。
さて何をしようか。顔馴染みの古本屋にでも行こうかな。掘り出し物があればいいけど。そんな事を考えていると、前から見覚えのある制服の二人組が歩いてくる。
「うおーい! 神屋さぁーん!」ツインテールの少女が駆け寄って来た。「偶然だねー! 今一人なの?」
「あ、はい……えっと、遠野、さん?」
「うわっ! 覚えててくれたんだ~! 嬉しいなぁ!」
「美鈴、急に走り出すから神屋さんがびっくりしているじゃない」
遠野美鈴の後ろから黒髪の少女も歩いてくる。
「あ、ごめーん」
「こんにちは。櫻井さん」
「あ、琴ちゃんのことも覚えてる!もしかして、もうクラス全員の名前覚えちゃったとか?」
「いえ、たまたまお二人の事が気になって覚えていただけですよ。席も近かったですし」
「あ、じゃあ、私達と一緒だね! さっき琴ちゃんと神屋さんとお友達になりたいねって話してたんだよ!」
「ふふっ、美鈴ったら、あんなすごい美人初めて見た! ってはしゃいでいたんですよ。この娘、可愛い娘大好きだから」
「だってさー、こんな上玉急いで唾つけとかないと誰かに盗られーーげふんげふん! な、なんでもないよー、あはは! 」
二人ともとんでもない事を言っていた気がするが気にしない事にする。
「神屋さんはお買い物ですか?」
「ええ、ちょっとこの近くの古本屋に行こうかと思ってたんです」
そこまで言った所で美鈴が手を上げて言った。
「はいはい!!みんな同級生だから敬語はおかしいと思いまーす!!」
「そうね、神屋さんはいいかしら」
「あ、うん。僕もその方が気が楽だし」
僕は咄嗟に頷いた。
「僕!?琴ちゃん、ボクっ娘だよ!!私、初めて見た!!」
しまった。つい癖で素の自分が出てしまった。見た目が女の子だし、これからは一人称は私に改めた方がいいかもしれない。
「神屋さんは落ち着いているし、とても似合ってると思うわ」
「見た目はお姫様、中身はクール系ボクっ娘……いい!!」
美鈴が親指をグッと立ててくる。
よかった。不審には思われなかったみたいだ。元男なんて知られたら色々と不味いだろうし。これからは注意しないと。
「それより古本屋に行くの?私達もご一緒していいかしら?この辺はあまり来た事がないから美鈴と見て回っていたところなの」
「本屋かー……本屋もいいけど私喉乾いたー。キャラメルモカのーみーたーいー」
「うん、大丈夫だよ。その前にどこか入ろっか。遠野さんもこう言ってるし」
「やった!」
僕達は近くの喫茶店に歩き出したのだった。