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第一話「ウサギの穴へ落ちて」

「はぁっ……はぁ、はぁっ……っ……!!」


 背中にシャツがべったり張り付いて気持ちが悪い。

 背中だけではない。

 身体中から嫌な汗が噴き出ている。

 男にしては長いであろう、僕の髪の毛は、全力疾走によってみっともなく乱れていた。

 足を止めて、髪を整え、一息つきたい所だが、絶対に"奴"はそんな時間を与えてはくれないだろう。

 今も一心不乱に動かし続けているこの足を止めたが最後、恐ろしい事になるのは目に見えていた。


(なんで! なんで僕がこんな目に!)

 

 明日は入学式だと言うのに、眠れないからと少し離れた所にあるコンビニに行ったのがいけなかったのか。

 帰りは近道しようと、人通りも少なく灯りも少ない公園に入ったのがいけなかったのか。

 僕は、暗がりで一人の男に声をかけられた。

 またナンパか、と思った。

 僕は髪も長いし、身長だって高くない。

 小学生の頃、和人に、男にしとくにゃもったいねえ、とよくからかわれたりもした。

 僕は、ナンパ男に向かって自分は男だと丁重にお断りしようとしたのだが、そこで異変が起きた。

 突然、男の目が赤く輝き出したのだ。

 最初は見間違いかと思った。が、違う。

 暗い夜道でも、その色がはっきりと見て取れるほどに、赤く輝いている。

 眼球をルビーに入れ替えたのではないかと思う程だった。

 気味が悪くなり、一歩後ずさると、男の口が微かに動いている事に気付いた。


 ――何? この男は今、何と言った?


(い……た、だき………ま……す…?)


 そう言ったように思えた。

 いただく? いったい何を?

 ……僕?

 男の口が、がぱっと開いた。

 目に付くのは異常に発達した犬歯。

 僕を射抜く赤い目が三日月状に細められる。


「いただきます」


 今度ははっきりそう聞こえた。

 気付けば僕は男に背を向け、全力で駆け出していた。

 それから、どれくらいの時間走り続けただろう。

 心臓が、脚が、全身が、悲鳴を上げていた。

 体の限界は既に超えている。

 だというのに、赤目の男は軽くついてきているようだった。


(もう、だめ……追いつかれる)


 とうとう上がらなくなった脚がもつれ、僕の体は地面に投げ出された。


「はぁっ、はぁ……げほっ……」


「おや? 鬼ごっこはもう終わりかい?」


 甲高い耳障りな声が響く。

 顔をあげると、息も絶え絶えな僕を、男が醜悪な笑みで見下ろしていた。


「あなたは、いったい何者……なんですか……?」


 僕は震える唇を必死に動かして言った。

 深紅に輝く瞳。獣のような一対の牙。

 とても人間の物とは思えなかった。


「ボクかい? ボクはただのボランティアさ。こんな時間に出歩いてる悪い子にお仕置きをする、ね」


 男は狂った笑みを浮かべる。

 ぞっと、背筋に冷たいものが走る。


「久々のご馳走だ。たっぷり楽しませてもらうよ。」


 男が近づいて来る。

 しかし、僕は金縛りにあったかのように体を動かす事ができない。

 男は僕に馬乗りになり、異常な力で両手を押さえつける。

 そして、首筋に顔を近づけ、言った。


「いただきます」


 首筋に鋭い痛み。

 異物が侵入してくる感覚。

 ジュルジュルと血を吸い出す音が聞こえる。


「うあ……あぁ……」


 体に力が入らない。

 されるがままになっていると、首筋に感じた痛みは段々と温かさに変わり、それは全身へ広がっていった。


(なんだ、これ……?)


 心臓の鼓動が激しくなる。

 首の痛みはもうほとんどない。


(なん、で……?……ちょっと気持ちいい……?)


「気分はどうだい?」


 男は、両手の拘束を解いて、僕を見下ろしながら言った。

 口からは僕の物であろう血液が滴っている。

 あぁ、僕の血ってあんな色なんだ。


「はぁっ、はっ……ん……」


 何これ?

 聞こうとするも、口から漏れるのは自分のものとは思えない嬌声。


「喋れないだろうねえ。体が麻痺っちゃってるだろうし。"僕達"の食事は君達にとっては快感らしいから」


 そう言って男は僕の首筋をちろり、と舐めた。

 反応して背中がビクンと跳ねる。


「いい気分だろ? 気持ちいいまま死ねるなんて最高だよねえ」


 死ぬ?

 このままここで?

 母の死からようやく立ち直り始めたのに、ここで僕まで死んだら……。

 残された父は、どうなる?

 僕を失ったことでどういう行動に出る?

 想像もしたくない。

 無理矢理与えられた快楽で朦朧としていた意識は、今まで感じたことの無い様な怒りで一気に覚醒し始める。

 プチッと、僕の中で何かが切れる音がした。

 拳を握りしめる。


「まあ、簡単に殺しはしないよ。君は綺麗な顔をしてるし、持って帰ってもっと楽しませ――」


 言葉の途中であっけなく吹き飛んでいった男を確認すると、振り切った右拳を戻し、立ち上がった。

 何故か、体の痺れも恐怖心もぽっかり抜け落ちている。

 視界もクリアだ。

 心が、急速に冷えていく。

 男が飛んでいった雑木林に顔を向けると、顔を憎しみで溢れさせながら、立ち上がる男の姿が見えた。


「え、エサの分際でえぇえええ!!」


 爆発的に地面を蹴り、こちらへ突っ込んでくる。


 ――壊せ。


 頭のどこかで、誰かの声が響いた。

 そうだ、僕達家族の幸せを壊す奴は、壊れてしまえばいい。


「ぐるるあああ!!」


 目の前まで迫っていた男の動きはとても緩慢に見えた。

 大口を開け、犬歯を剥き出しにしている。

 まだ噛みつく気か。汚い。

 僕は、無造作に男の下顎に手を掛けて軽く引っ張る。

 簡単に、顎が外れた。


 ――これでもう噛みつけない。


 そして、男に苦悶の表情を浮かべる間も与えず、前に出ていた右膝を踏み割った。


「……がぁっ!?」


 男は驚愕に目を見開いていた。

 単なるエサだと思っていた奴にここまでされて、どんな気分だろうか。

 自然と笑みが零れる。楽しくてたまらない。

 僕は、右脚をゆっくりと上げ、尻餅をついていた男の無事な方の膝を踏みつける。

 見事命中。

 ぱきゃっと間抜けな音が響いた。


 ――これでもう歩けない。


 男は完全に戦意を喪失して、痛みに耐えながら必死に僕から距離を取ろうとしている。

 滑稽だった。愉快だった。


「さて」


 僕は一息ついて言った。


「どうして、両手を残してあげてると思います?」


「た、助けてくれるのか!?」


 男の顔色が、ぱあっと明るくなる。


「残念!不正解!」


 一転、男の顔に深い絶望の色が浮かんだ。


「祈っていいんですよ、その両手で」


 ――神に。


 僕は満面の笑みで男の頭を踏み潰した。

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