プロローグ
僕は、雨が好きだった。
両親に貰った名前のせいもあるかもしれない。
シトシトと降る雨音しかしない部屋。
そんな空間で、本を読むのが好きだった。
その日も、僕はいつものように中学校の図書室で本を読んでいた。
そろそろ帰ろうかと思い、本を閉じた瞬間、扉が大きな音をたてて開いた。
「神屋君っ!すぐに職員室に来なさい!」
息を切らしながら、教師は言った。
僕は驚いた。
教師に呼び出されるような、いけない事でもしただろうか。
特に心当たりはない。
逡巡していると、教師は続けた。
「お母様が……、君のお母様が倒れて病院に運ばれたそうだ……」
窓の外で強烈な光。
一瞬遅れて、耳を劈く轟音。
窓ガラスを雨粒が叩いて跳ねる。
僕は耳を疑った。
「今、病院から電話がかかってきてる!急いで!」
だんだん遠くに聞こえる教師の声と激しい雨音。
僕は、雨が好きだった。
そう、あの日までは。
――――――
相変わらず僕は本の虫だった。
いや、あの雨の日。
母が、死んだ日。
あの日から僕の読書趣味は度を越すようになったと思う。
残り少なかった中学生活のほとんどを読書に費やした。
遊びに行く親しい友人などもいなかったし、高校も推薦が決まっていたから、時間には困らなかった。
学校が終わってから、図書室で閉館まで本を読み、家に帰って2人分の夕食を作り、本を片手に父の帰りを待つ。
父が帰宅したら、一緒に食事をする。
そんな毎日。
父も最初は塞ぎ込んでいたが、今では以前の賑やかな父に戻っている。
そんな父とのひと時に、いつしか僕の沈んでいた心も平常に戻っていた。
午後7時過ぎ。
机で頬杖をつき、今日借りてきた本を流し読みしていると、父が帰ってきた。
「ただいまー!」
「おかえり、父さん。ご飯出来てるよ」
「おっ、いつも悪いなー!お前の料理が美味いから仕事も頑張れるってもんだ!」
父は朗らかに笑う。
「いつもお疲れ様。冷めちゃうから早く手洗ってきてね」
「なんか新婚の頃を思い出すなー、はっはっ……はい、行ってきます」
僕が軽く睨んでいるのに気付いた父はそそくさと洗面所に向かって行った。
お互いに元気になってよかったな、と思う。
本当に。
――――――
「なあ、優雨」
僕が食器の後片付けをしていると、父が話しかけてくる。
「ん、何?父さん?」
「母さんのな、最後の言葉覚えてるか?」
「うん、覚えてる」
あの日の事は忘れようと思っても絶対に忘れられない。
母は最後の最後まで僕を心配していた。
胸の奥がチクリと痛んだ。
「優雨も、明日から高校生なんだから、しっかりしないとな!和人君も引っ越しちゃっていないんだし」
和人は小学校の頃仲良しだった友達で、中学に上がる前に遠くへ引っ越してしまった。
引っ込み思案な僕を引っ張ってくれた気のいい奴だ。
「もう!わかってるよ!男らしくしないと、母さんが心配するって言うんでしょ?僕だって頑張ってるんだから!」
「頑張ってるって、筋トレの事か?腕立てたったの10回しかできないのに、どの口が言ってんだ。はっはっは!」
「む、今に見てろよー。絶対肉体改造するんだから」
そうは言うけど、体質のせいか全然筋肉がつかない。日焼けもあまりしないから、同級生の女の子に羨ましがられた事がある。
うーん、複雑だ。
「無理無理!ひっひっひ、あー、腹いてー!それにしても、お前ますます母さんの若い頃に似てきたなぁ……。男らしくなる前に、男に言い寄られるんじゃないか?ひゃっひゃっひゃ!」
「もう寝る!おやすみ!」
腹が立つ笑い声を聞きながらも片付けを終えた僕は、明日の事を考える。
高校の入学式。
新しい環境。
見知らぬ同級生。
上手くやっていけるといいけど。