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溶解

作者: 虧盈 陣

『溶解』


鈴木健斗




第壱話



**1


 この話を私が語って良いものなのか私には分からない。何故ならそれは、語らずとも語られる話であるからだ。

 人から人へ、親から子へと口で語られて後世へと残ってゆく話であるが故に、わざわざそれについて多くを語ろうとする者は少ない。勿論、今後も語られてゆくのだろうと"語られる側"である私は信じているが、その存在感は薄まる一方であるということも否定できない。またそのような現実が訪れるであろうと予測していた私でさえも、やはり物惜しく、名残惜しく、悲しくなるのだった。今まで伝えられ続けた物語に終着点を作りたくないというのが、私の最終的な結論である。

 私は私自身がこの世の中から忘れ去られた存在になるという状況を想像できない。それはその状況に遭遇したことがないから分からないというわけなのだが、だからといってその状況に遭遇したいかと問われると、決してそういうわけではないと思うのも、私の勝手な願望だ。

 そういう勝手な私は時代を超えて人々の恐怖の対象となり、子供の躾役ともなる。時に味方となり、時に敵となる私はやはり身勝手であろう。

 身勝手である。

 しかし、私は身勝手だから他人の身勝手を咎めたりはしない。

 あなたたちは身勝手でも良い。

 あなたたちは好き勝手にして良い。

 だから。

 だから、私を忘れないでほしい。

 私を独りにしないでほしい。

 冷たい雪の中で、私は私自身が忘れられないように、世界を見守り続ける。


 そんな私は、雪娘だ。


**2


 雪が降る。

 雪が積もる。

 降り始めた雪はいずれ層となり、地面となり、壁となり、空となる。つまり、私が見ている地面も空もその全てが雪である。この町を覆う雪はその下に春を待つ生命を隠し、それらを白く塗りつぶす。

 雪が退ければ春が来る。

 雪が退けなければ春が来ない。

 しかし、雪がなければ春は来ない。

 雪があるから春が来る。

 そう信じている私は前述した通り、雪娘だ。

 名前があるわけではない。私は雪娘として生きてきたのだから、きっと名前も雪娘なのだろうが、私自身を指し示す名前と言うものは持っていない。

 持つ必要がない、と言ったところだろうか。誰かが私を呼びたいということでもなかろう。皆が夜に飛ぶ虫にそれ自身を指し示す名ではなく蛾と呼ぶように、私は雪娘と呼ばれるのであろう。

 私はそれでいい。

 私を見て雪娘だと分かってもらえるのがとても嬉しい。私がここに存在している証として、雪娘と分かってもらうのである。だが、この山に人が来る気配は全くない。少し前ー五百年くらい前だろうーの話であるが、雪が積もる時期になると必ずこの山の中腹にある小屋へと食べ物を運ぶ集団がいた。私は彼らを見つける度に色々な悪戯をした。しかし、何かをきっかけに彼らはこの山には登らなくなり、それ以来定期的にここに来る者はいなくなった。

 私はこの山に生まれ、この山に生きる雪娘である。

 私は雪娘であり、妖怪だった。

 妖怪は妖怪でなければならない。

 私はこの山に出没する雪娘でなければならないのだ。

 これまでも。

 これからも。

 雪の積もったこの山を訪れた人々に対して、妖怪らしい行動をして、妖怪らしい伝承を残してゆかなければならない、私はそういう者だ。私は妖怪らしく、人が訪れるのを待つほかにない。

 とは言っても、今年の雪の季節もあと1ヶ月ほどで終わりだ。今年の冬も誰とも会わずに春が訪れそうな気がしてきた。これでは妖怪としての役割を果たすことなく生きているようなものだ。

 人と会わなければ妖怪らしさも何もない。

 人と会わなければ伝承も何もない。

 妖怪としての私が、または語り継がれてゆく説話としての私が、世の中の闇へと消されたくなかった。そう願う私は、雪に涙を降らせた。

「こんなところでどうしたんだい、お嬢さん」

 私はぱっと振り返った。そこには少し若めの男が立っていて、そう私に話しかけた。

 人間だ。

 さり気なく涙を拭い、私は雪娘になった。

「道に迷ってしまい、行く宛もないんです」

 雪娘のあるべき姿である。

「行く宛がないのに迷子になれるのか?」

 重大な欠陥だった。行先が無いのに迷子になれるはずがない。

 ここ数百年の中で一番の驚きだった。

「まぁ迷子にも色々ありますから」

「そうですか。まあもうじき日も沈みますし、うちへいらっしゃいませんか?」

時代に合わせて妖怪も変化していく。私もそうなのだろう。でも私は私であり続ける。いつの日も変わらない私は、雪娘として男の家へと向かった。

「外は寒いからね。ゆっくり休んでいって良いよ」

 男はそう言うと部屋の奥へと消えた。私は取り敢えずリビングの椅子に腰掛けた。久々に人の家へとやってきたが、やはり家も時代と共に変遷しているようだ。こんなに狭い土地に何重もの床を作り、更に細分化した部屋を作り、それぞれに役割を持たせて自分の住まいとする。山自体が住まいである私とは大違いである。

「お風呂を沸かしておいてたから、先に入って良いよ」

 男は戻ってきてそう言った。

「私、お風呂に入りたくないんです」

「寒いから入った方が良いって」

 男は幾分不思議だというような表情をしたが、私が遠慮しているのだろうと思ったらしく、背を押すような形で私を風呂場まで連れてきた。

「ここの隣の部屋を空けといてあげるから、そこも使って良いよ」

 男は風呂場を出て行き、彼の部屋へと消えた。

 私はこのままお風呂に入り、雪娘として去って行くのが普通である。雪娘として雪娘らしく行動するのみだ。そうやって私は私として後世に伝えられていくのであり、私が存在し続けていくのである。久々に人の家へときたが、早速この場を去らなくてはいけないようだ。

 仕方ない。

 それでこそ私が私であり続けられるのだから。

 私は櫛を付けたまま服を脱ごうとした。

「少し良いか?」

「は、はい何でしょう」

 ちょうどその時に、ドアの向こうで男が私に話しかけた。

「君、名前は何て言うの?」

 悩んだ。

 困った。

 私は、雪娘だ。

 そうは言えなかった。

 そうは言えるはずがなかった。

 私は雪娘であり、伝承であり、説話であり、名前だった。そんな私は、雪娘がいるかもしれないと言う話以外にこの世界に残せるものはない。存在しているのだが存在していないものとして生きていくのが妖怪である。だから私は具体的な姿を持たないそれらとして残っていくのだ。

 かつて私がまだ生まれて間もなかった頃に、近くの山にいた友人ー勿論彼女も伝承であり、説話であり、名前なのだがーは、彼女自身を千代常磐と名付けてこの地に生きていた。永久という意味を持つその名前を持つ彼女は次第に世間から忘れられて、消えていった。

 彼女は自然に消えていった。

 永久の闇へと消えていった。

 私は世間から忘れられたことがないから忘れられるという状況を理解できないと言ったが、もしかすると理解したくないだけなのかもしれない。その友人のように永久の闇に消えるのが恐ろしくて、怖くて、辛くて、考えたくもないのかもしれない。

 人間を怖がらせなくてはいけない立場の私が現実逃避しているのはあまりにも滑稽で情けない姿だが、私にはどうしようもない。せめてもの救いとして、私は彼女とは違う意味合いの名前を考えた。

「私は、椎原久連子です」

 そしてそれは、私そのものを指し示す名前となった。

「俺は八千代大樹だ。普通に呼び捨てで構わないから」

 彼は私の千倍も栄えるのであろうか。いやそもそも名前だけで運命が変わるとは思わないが、やはり縁起というものは大切であろう。

 妖怪が存在しているのだから、縁起があってもいいのだと思う。

「椎原さん」

「はい、何でしょう」

「あの、別にお風呂に入らなくても良いからね。無理強いしてまで入らせようとは思わないし、むしろ悪いことしちゃったなって」

「・・・そうですか」

 雪娘としての私は無理強いされて風呂に入れられ、雪のように溶けてなくなるのだが、それは逆に強制されないと風呂に入れないということでもある。私は脱ぎかけた服を着直して、ドアを開けた。

「君の部屋はこっちだよ」

 八千代に案内され、私は布団の敷かれたその部屋の中に入った。

「俺は見ての通り一人暮らしなんだけど、いつか両親をここに住まわせたりするだろうから空き部屋をいくつか残してあるんだ。今は使ってないから自由にくつろいでいて良いよ」

「ありがとう・・・」

「飲み物とかも冷蔵庫から出して自由に飲んで良いからね」

 八千代はそう言うと、この部屋から出ていった。

 私はその場に一人立ち尽くした。ここにいるのが気恥ずかしくなった。私は何をやっているのだろうと。

 とにかく、雪の降る季節が終わる前に私は雪娘としての行動をしなければならない。でないと、雪娘としての話を後世に残すことが出来ない。私がすべきことは、出来るだけ早く、八千代が私を風呂に入れさせようと無理強いするように誘導するのみだ。

 八千代の性格を掴むためにリビングへと戻った。彼はソファーに座り、テレビを見ていた。昔とはかなり違う光景が広がっているが、それもまた時代の変化であろう。

「あれ?何か食べる?」

 私が戻ってきたのに気が付いて、色々思案してくれているらしい。

「お構いなく」

「そうですか」

 八千代は思案顔のまま続けた。

「椎原さん」

「はい」

「何で風呂に入りたくないか、教えてもらえたりする?」

「あまり話したくないことなんです」

「そうか」

 八千代は大して気にする様子もなく、またテレビへと視線を移した。単純な疑問から訊いたらしい。

「昔俺がまだガキだった頃に祖父から聞いた話なんだけど、この町には雪娘がいるって」

 私は目を丸くした。

「詳しくは思い出せないんだけど、とある大雪の降る日に少女が一人ぽつんと現れて、かわいそうに思ってその子を家にあがらせてあげるんだけれども、その子は何故かお風呂に入りたがらなかった。それで無理強いをして彼女を風呂に入れさせてしばらくしてから様子を見に行ったら、湯船にその子の付けていた櫛だけが浮いていた、という話なんだけど」

 八千代は私の瞳を見据えた。

「もしかして君だったりするの」

 沈黙。

 私自身である。

 八千代の言う話は、私自身である。

 私は私自身を目の前にしたとき、困惑する。それは誰だって同じだろう。それはきちんと私が私として人々の中に残っているという確かな証拠でもあったが、これでは私は雪娘ではなくなってしまう。

 私は妖怪なのだ。

 妖怪は妖怪らしく振る舞い、雪娘は雪娘らしく振る舞い、私は私らしく振るまうべきなのだ。

 それならば、私は雪娘として、この八千代という男を食い殺してもいいのだが、それは出来なかった。

 彼の中には、私自身が宿っていた。

 私には、私自身を殺すことが出来なかった。

 それは能力の問題ではない。意識の問題だ。

 これまで自分自身を後世に残そうと必死だった私が、人々の中に根付かせた私というものを自分の手で息の根を止めることなど出来るはずがなかった。

 何のために今まで雪娘として生きてきたのか。

 何のために今まで妖怪として振る舞ってきたのか。

 何のために今まで私を世の中に根付かせてきたのか。

 それは、忘れられたくないからだ。

 それは、独りにされたくなかったからだ。

 それは、永久の闇に消えていきたくなかったからだ

 結局、私は身勝手だった。

 生まれたときから変わらない、私自身がここにはいた。

「そうだったら何だというの」

 私はぶっきらぼうに言った。

 八千代の私を見据えていた目がふっと優しくなった。

「どうもしないよ。さっきも言った通り、好きにしてくれて良いよ」

 八千代はそう言うとテレビに視線を戻した。

 私はその場から動けなかった。彼の中に、私は受け入れられたのであった。

「あ、でもさ」

 八千代は思いだしたかのようにまた私の方を向いた。

「ここを去るときには声かけてね。折角出会えたんだしさ」

 それはいつか私がこの場所を去ると分かっていて言っているようであった。いや、きっと分かっていて言っているのだろうが。

「はい」

 私は八千代と雪娘らしくない約束をした。

 約束をしたはいいものの、私はやはりどうすればいいのか分からなかった。その後私は部屋に戻り布団に潜ったわけなのだが、今後の行く末が決まらない。

 私は誰かに別れを告げたことがなかった。別れを告げたことがないのだから別れを告げる状況というものが分からない。勿論、雪娘として去っていくのが定石なのかもしれないが、約束を破りたくないと言うのも私の願望だった。

 私はそっと布団から出て窓の外を見た。暗闇の中にも白い雪が輝いていた。振り返るとそこには私の潜っていた布団があった。

 私は一体、どちらにいるべきなのか。

 カーテンを閉めて、また布団の中へと戻った。雪娘がぬくぬくと布団で暖まっている姿は何処となく不自然だが、別に雪娘が布団で寝てはいけないと言う約束はないだろう。

 どうしようかとかなりの時間悩んだ末、私は結論を出せぬままでいたが、布団から出て暗いリビングを通って八千代の部屋のドアを開けた。

「やあ椎原さん」

 私がドアを開けた時には、既に八千代は私の方を向いて座っていた。私と八千代は少しの間見つめあったが、八千代が先に口を開いた。

「君に渡したいものがあるんだ」

 八千代はそう言うと彼の後ろに隠していた一つの小さな箱を取り出した。それを私の前に出して蓋を外した。

 その箱の中には、櫛が入っていた。

 それはかつて私が使っていた櫛だった。

 私が八千代の方を見ると、彼は話を続けた。

「俺が祖父から雪娘の話を聞いたときにこれを貰ったんだ。いつかまた会える日が来るかもしれないからって」

 つまり私は、彼の祖父にも同じようなことをしたのであろう。大雪の中一人突っ立っていた私を哀れんで家に招き、無理強いして風呂に入れた後に私が消え去ったのに気付き、私の残したものを大事にとっておいたのだろう。

 私は八千代が差し出した櫛の入った箱を受け取った。紛れもなくそれは、私がかつてここに存在していた証拠だった。

 私が私である証明だった。

 そうやって私は人々の中に根付いてきたんじゃないか。

 そうやって妖怪らしく、雪娘らしく、私らしく生きてきたんじゃないか。

 そうやって私はこの世界に残っていくんじゃないか。

 私はいよいよ決心が付いた。それを悟ったのか、八千代が優しく話しかけた。

「お風呂、沸かしてあげようか」

 私は表情をきっと堅くして、ふっと息を吐いた。

 私は、雪娘になった。

「お風呂入りたくないんです」

「入りなさい」

 それは、とても優しい強制だった。


**3


 上を見上げると真っ青な空が、眼下には新緑と桜に染まった町が広がっていて、心地よい風が私の黒く長い髪を愛でている。普段は櫛を使って長い髪をまとめているのだが、今はそれを付けていない。今年の冬まで使っていた櫛は、私が私であるための行動のために使ってしまった。

 何故私が雪娘という妖怪としてこの世界に存在しているのか疑問に思うかもしれないが、これにはきちんとした理由がある。

 私はかつてこの山の神だった。

 春には植物の芽を出し、秋にはそれらが実を結んで人々の糧となり、彼らを養う。それが私の元々のこの地に生まれた意味であり、役割であった。私はこの山にある神社に祀られていたわけなのだが、いつの日にかそこを訪れる人々はいなくなり、神社は廃れ、私は信仰の対象ではなくなった。

 私は悲しかった。

 信仰されなければ神ではない。

 信仰されなくては神である意味がない。

 世間から忘れられたのだ。

 私はそのことから立ち直る為に、神という立場を捨て、妖怪になり下がった。

 昔の私にはきちんとした名前もあったが、今はもう忘れた。今の私、椎原久連子には必要のないものだった。

 私が神であった頃の信仰はなくなったものの、私はこの山に住み着く妖怪としてまた人々に知られるようになった。私は私だと気付いてもらいたいがために、今こうして妖怪であるのだ。

 結局私は身勝手であった。

 人々から忘れられたくないという理由で妖怪であるのだ。

 でも、だからこそ私は今ここにいるわけで。

 人々に思われたくて人々を思っている私がいて。

 だから、人々が私を思い続ける限り、私は人々を思い続ける。


 そんな私は、雪娘だ。




【あとがき】


いかがでしたか?

雪娘はいわゆる雪女のことですが、雪娘に纏わる伝承というのは各地にあります。

今回の話はそのひとつということですが、


『雪娘を風呂に入れてしばらく経ってから見に行くと彼女の付けていた櫛だけが浮かんでいた』


この話を知ったとき、雪娘の悪戯の中に紛れた愉快な姿に惚れ惚れし、この作品を書くのに至った次第です。


日本の昔話は面白いものが多いですから、是非一度で良いので図書館などで漁ってみて頂けると、この物語が一段と深まって読めるかと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!!


4/1 虧盈 陣


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