スキルで左遷された社畜。ただの水が「神話級エリクサー(度数9%)」になるので、ストロングなポーション屋を始めます。
「タイチ、君には今日付けで辺境支部への異動を命じる。事実上のクビ、というやつだ。荷物をまとめてすぐに出て行きたまえ」
王都最大のポーション開発ギルド『銀のフラスコ』。
そのギルドマスターである恰幅の良い男は、鼻で笑うようにして俺に宣告した。
冷徹な声が、薬品の匂いが染み付いた研究室に響き渡る。
「……異動、ですか。俺はこれまでギルドの生産ノルマを一人で三割は負担してきたはずですが」
「あぁ、君の『労働量』だけは評価しているさ。だがね、君の持つユニークスキル【神の泥酔】……あれは我々のような由緒正しきポーションギルドには相応しくない。薬効を引き上げる代わりに、液体を『強烈な酒』に変異させてしまうなど、医療の観点から見て言語道断だ! 先日も、君の作ったポーションを飲んだ新人冒険者が、治癒した直後に酔っ払ってギルドハウスの壁を破壊したというクレームが入ったのだぞ!」
ギルドマスターの言う通りだった。
俺、タイチ・カミシロ(25歳・万年平社員)の持つ特殊スキル【神の泥酔】は、あらゆる液体に強力な回復効果とバフを付与する代わりに、その液体を「アルコール度数9%の謎の果実酒」に変えてしまうというピーキー極まりないものだった。
飲めば傷は塞がり、力は湧き上がるが、強烈なアルコール感と謎の炭酸、そして人工的なレモンのような風味が喉を襲う。
お上品な王都の騎士や高位冒険者たちからは「薬効は凄まじいが、品がない」「飲んだ後、気が大きくなって上官に暴言を吐いてしまった」とすこぶる評判が悪かったのだ。
「そんなわけで、君には辺境の街ガルガンに行ってもらう。あそこにあるボロボロの空き店舗をギルドの支部としてくれてやるから、勝手に独立するなり野垂れ死ぬなり好きにしたまえ。君の代わりは、今年入った優秀な錬金術師の卵が務めるから心配無用だ」
完全に厄介払いである。
連日連夜、睡眠時間を削ってブラックギルドの納期を守り続けてきた俺に対し、この仕打ち。
だが、俺の心は不思議と晴れやかだった。
(……これで、徹夜でポーションを煮詰める社畜生活から解放される!)
過労で倒れる寸前だった俺にとって、辺境への左遷はむしろご褒美に近い。
「わかりました。今までお世話になりました」
俺は深々と一礼し、最低限の私物だけを魔法の鞄に詰め込んで、その日のうちに王都を出発した。
こうして、俺の王都での社畜生活は終わりを告げたのである。
*****
王都から馬車に揺られること二週間。
魔物の脅威と常に隣り合わせの辺境都市・ガルガン。
ギルドマスターから押し付けられた「支部」とやらは、街の路地裏にある、今にも倒壊しそうな木造のあばら屋だった。
「ひどい埃だ……。まあ、家賃タダのマイホームと思えば悪くないか」
俺はさっそく袖を捲り、掃除を始めた。
数時間の格闘の末、どうにか人が住める、そして商売ができそうな程度の空間を確保する。
一息ついたところで、猛烈な喉の渇きと、長旅による疲労が全身を襲ってきた。
「何か飲むものは……水しかないか」
裏庭の井戸から汲み上げてきた、樽一杯の生水。
辺境の井戸水は少し泥臭く、そのまま飲むのは躊躇われた。
そこで俺は、久しぶりに自身のスキルを発動することにした。
「スキル発動、【神の泥酔】」
俺が右手を樽にかざすと、淡い光が井戸水を包み込んだ。
シュワシュワシュワッ!
という、炭酸が弾けるような軽快な音が鳴り響く。
同時に、辺りにはツンと鼻を突くアルコールの匂いと、爽やかなレモンのような香りが漂い始めた。
備え付けの木のジョッキで、その澄み切った液体を掬い上げる。
一口、飲んでみた。
「……ッッ!! くぁああああっ! 効くぅぅううッ!!」
喉を焼くような強烈な炭酸。
後味に広がる、安っぽいけど癖になる柑橘系の風味。
そして何より、食道から胃袋へと落ちていく、ガツンとしたアルコールの暴力的なまでの重み!
間違いない、前世の記憶にある「度数9%のストロングなチューハイ」の味だ。
しかし、この液体の真価はそこではない。
「ふう……っ!? なんだこれ、体が軽い!?」
ジョッキを飲み干した瞬間、長旅で溜まっていた肩や腰の痛みが嘘のように消し飛び、全身の筋肉から無限の活力が湧き上がってきたのだ。
慌てて自身のステータスボードを確認する。
【状態異常:極度の泥酔】
【バフ効果:筋力+500%、敏捷+500%、全属性耐性、超回復、痛覚鈍麻】
「……ステータスが、5倍に跳ね上がってる……?」
王都でポーションを作っていた時は、少しの水を大量の薬草液に混ぜていたため、ここまで露骨な効果は出なかった。
しかし今、純度100%の水に直接スキルを掛けたことで、その効果は規格外のレベルに達していた。
鑑定スキルを持つ俺の目に、手元の液体はこう表示されている。
【アイテム名:神話級エリクサー(ストロング・レモン風味)】
【レアリティ:神話級】
【詳細:あらゆる傷を瞬時に癒し、対象の潜在能力を限界突破させる神の雫。ただし、アルコール度数が9%あるため、飲酒後は強烈な酩酊状態に陥り、性格が著しく強気になる。】
「ただの井戸水が、神話級のエリクサーに……? しかも、度数9%のまま?」
俺は震える手でジョッキを置いた。
王都では「品がない」とバカにされたこのスキル。
だが、明日の命も知れないこの辺境の街なら、どうだろうか?
多少酔っ払ってでも、生き残るために確実な回復と圧倒的なパワーを求める冒険者は腐るほどいるはずだ。
「……決めた。俺はここで、こいつを売って生きていく!」
俺はその日、店の前に一枚の看板を立てた。
『ストロング・ポーション屋 〜即効回復&超絶バフ(※度数9%。未成年の服用禁止)〜』
社畜から一転、一国一城の主となった瞬間だった。
*****
店を開いてから三日が経過した。
結論から言うと、客はゼロだった。
「まあ、そうだよな。怪しすぎるもんな……」
無色透明で、シュワシュワと泡立っており、酒の匂いがするポーション。
辺境の荒くれ者たちでさえ、「毒薬じゃないのか」「ふざけてるのか」と訝しみ、誰も買おうとしなかった。
暇を持て余した俺は、売れ残りのストロング・ポーションをちびちびと飲みながら(おかげで体調はすこぶる良く、常にほろ酔いで気分が良い)、店番をしていた。
その時だった。
――ガシャァァァンッ!!
店の木製のドアが、乱暴に蹴り破られるようにして開いた。
「はぁっ……はぁっ……! 誰か、誰かいないか……ッ!」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
美しい銀色の髪は泥と血に塗れ、身に纏った白銀の聖騎士の鎧は、巨大な爪で引き裂かれたように無惨に砕けている。
彼女の脇腹からは、止めどなく赤い血が流れ落ちていた。
重傷だ。素人目に見ても、命に関わるレベルの。
「おい、大丈夫か!? すぐに横に……」
「触るなッ! ……あいつが、来る。ポーションを……一番効果の高い治癒薬を、出せ。金なら……いくらでも払うッ!」
少女は俺を突き飛ばすようにしてカウンターに寄りかかり、血に染まった革袋をドンッと置いた。
その瞳には、死への恐怖をねじ伏せるような、強烈な使命感と戦意が宿っている。
彼女が時折振り返る視線の先、店の外の通りから、ズシン、ズシンと、地響きのような重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
恐らく、彼女をここまで追い詰めた強大な魔物が迫っているのだろう。
「一番効果の高いやつ……だな。分かった、少し待ってろ」
俺はカウンターの下から、よく冷やしておいた樽を引っ張り出し、大きめのジョッキにストロング・ポーションをなみなみと注いだ。
シュワァァァ……と、爽やかな炭酸の音が響く。
「なんだ、それは……? 酒の匂いが……」
「俺の店で一番効くポーションだ。あらゆる傷が治り、力も数倍に跳ね上がる。――ただし、かなり『キツい』から、一気に飲み干せ。いいな?」
少女は一瞬だけ躊躇うような表情を見せたが、すぐ近くまで迫った魔物の咆哮を聞き、覚悟を決めたようにジョッキを引ったくった。
「ぐっ……神に祈る時間は、もうないようだな……ッ! いただく!」
彼女はジョッキを両手で持ち、一気に喉へと流し込んだ。
ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ……!
「……っ!? かはっ……!? な、なんだこれ、喉が焼けるように……それに、鼻に抜けるこの奇妙な果実の香りは……ッ!?」
少女はむせ返りながらも、最後の一滴まで飲み干した。
その瞬間。
彼女の体を、眩いほどの光が包み込んだ。
脇腹の深い裂傷が、まるで映像を逆再生するかのように一瞬で塞がり、砕け散っていた鎧の隙間から見える肌が、元の白さを取り戻していく。
「傷が……治った? それどころか、体の底から魔力が爆発的に溢れて……!」
少女は自身の両手を見つめ、驚愕に目を見開いた。
だが、変化はそれだけではなかった。
みるみるうちに、彼女の白い頬が、茹でダコのように真っ赤に染まっていく。
焦点が少しトロンとし始め、彼女の口元が、だらしない笑みの形に歪んだ。
「あはっ……あははははっ! なんか……なんかアタシ、すっごくイケる気がするぅーっ!」
先程までの悲壮感漂う聖騎士の面影は、どこにもなかった。
彼女は手元にあった自身の巨大な大剣を、まるで木の枝でも扱うかのように軽々と片手で持ち上げると、店の外で立ち止まっていた全長5メートルはあろうかという巨大な地竜に向かって、フラフラとした足取りで歩き出した。
「おっらぁぁぁ! デカトカゲぇ! アタシの鎧壊しやがって、弁償しろやぁぁぁ!!」
「グオォォォ……!?」
地竜が困惑したような声を上げた瞬間。
少女は、常人には目で追えないほどの爆発的なスピード――敏捷+500%の力――で踏み込み、その大剣で、分厚い竜の鱗ごと、地竜の脳天をカチ割った。
ズゴォォォォォンッ!!!
一撃。
たった一撃で、辺境の街を滅ぼしかねない脅威が、地面に沈んだ。
「ひっく……。へへっ、よっわ。なーにが地竜だ、バァーカ! ……あ、マスター! さっきのしゅわしゅわした美味しい水、もう一杯おかわりぃ!」
大剣を肩に担ぎ、満面の笑みでこちらに手を振る、完全に出来上がったポンコツ聖騎士。
俺のストロング・ポーション屋の、記念すべき一人目の常連客が誕生した瞬間だった。
*****
「……おかわりって、お前な」
俺は呆れ返りながら、真っ赤な顔をして空のジョッキを突き出している聖騎士の少女を見つめた。
地竜を一刀両断した直後だというのに、彼女の足元はおぼつかない。右へフラフラ、左へフラフラと揺れながら、へらへらと笑っている。
「マスターぁ〜。あれ、すっごくシュワシュワしてて美味しかったぁ。あと、なんか体がポカポカするっていうかぁ……もう、無敵? アタシ、今なら魔王でもワンパンできる気がする!」
「はいはい。お前、自分が何やったか分かってるか? 街の防壁をぶち抜いて侵入してきた地竜を、お前一人で倒したんだぞ」
「ちりゅー? ああ、あのデカトカゲ! 弱かったねー! アタシの剣の前にひれ伏すがいいわー! あっはははは!」
ドンッ!
少女は力強く自分の胸を叩いた直後、白目を剥いてその場にバタンと倒れ込んだ。
「……おい!」
「むにゃ……もう、飲めない……しゅわしゅわ……」
完全に酔い潰れている。
【神の泥酔】が付与されたポーションの薬効は凄まじいが、その代償としてのアルコール成分(度数9%)は、激しい運動と血流の増加によって一気に全身へ回る。ましてや彼女は、致死量の出血から超回復したばかりだ。体がアルコールを急速に吸収してしまったのだろう。
「やれやれ……。とりあえず、風邪ひくぞ」
俺は少女を抱き起こし、店内の粗末なソファに寝かせ、毛布を掛けた。
ふと外を見ると、路地のど真ん中に巨大な地竜の死骸が鎮座している。先程の騒ぎを聞きつけたのか、遠巻きに街の住人や冒険者たちが様子を窺い始めていた。
「これ……解体したら相当な金になるよな。初日からとんでもないチップをもらっちまった」
俺は地竜の死骸を眺めながら、ストロング・ポーションの恐るべき効力を再認識していた。
王都では「品がない」と切り捨てられた俺のスキル。しかし、力こそがすべての辺境において、この『即効性の超回復+圧倒的な身体能力バフ+恐怖心の消失(泥酔による)』は、文字通り神話級の価値がある。
「さて、忙しくなりそうだ」
俺は自身の店――『ストロング・ポーション屋』の看板の埃を払い、明日の営業に向けて新たな水を汲みに裏庭へ向かった。
*****
翌朝。
窓から差し込む朝日が、ソファで丸くなっていた少女の顔を照らした。
「う……ん……」
少女は微かに呻き声を上げ、ゆっくりと目を開ける。
そして、数秒の沈黙の後。
「……っっっっ!? い、痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!」
店内に、悲痛な叫び声が響き渡った。
俺はカウンターで朝食のパンを齧りながら、溜息をつく。
「頭が割れるように痛いか? それが二日酔いだ。ほら、冷たい水だ。飲め。これはスキルを掛けてないただの井戸水だから安心しろ」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて! 痛い! 頭蓋骨の中で小鬼が暴れ回っているような痛みが……! ぐすっ、私、何か毒でも盛られたんでしょうか……!?」
涙目で水を一気に飲み干した少女は、両手で頭を抱えてうずくまった。
昨日の「アタシ、無敵!」と高笑いしていたポンコツぶりはどこへやら。今は礼儀正しくも、ひどく狼狽している生真面目な騎士に戻っているようだ。
「毒じゃない。俺の特製ポーションの副作用だ。一晩寝れば薬効もバフも切れるが、強烈な二日酔いが残る。まあ、命が助かった代償と思えば安いもんだろ」
「ポーションの、副作用……?」
少女は痛む頭を押さえながら、ゆっくりと昨日の出来事を思い出し始めたらしい。
地竜に追い詰められ、命からがらこの店に飛び込んだこと。
奇妙な匂いのする、泡立つ液体を飲んだこと。
傷が一瞬で治り、信じられないほどの力が湧き上がったこと。
そして――。
「……ッ!? !!?? !!!」
彼女の顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まった。
両手で顔を覆い、ソファの上でジタバタと身悶えを始める。
「わ、私……! なんて破廉恥な……! 『デカトカゲ』とか『ワンパンできる』とか……! あああああ! 騎士としての誇りが、品位がぁぁぁ!!」
「思い出したか。見事な酔っ払いぶりだったぞ。俺のことは『マスター』って呼んでたしな」
「やめてください! 忘れてください! お願いします、記憶を消去する魔法薬はありませんか!?」
「そんな都合のいいもんはない。まあ、気にするな。ここは辺境だ、王都みたいにお上品に振る舞う必要はないさ」
俺がそう慰めると、少女は深呼吸をして、どうにか落ち着きを取り戻そうと努めた。
彼女は居住まいを正し、俺に向かって深く頭を下げる。
「……取り乱してしまい、申し訳ありません。私は、王都・白銀騎士団所属、セレスティア・ヴァンガードと申します。昨日は、私の命を救っていただき、本当にありがとうございました」
「タイチだ。ここでポーション屋を始めたばかりの、ただの元社畜さ」
セレスティアは不思議そうに小首を傾げた。
「タイチ殿……。あの、一つお伺いしてもよろしいでしょうか? 昨日のあの魔法薬……いえ、あの『神の雫』は、一体何なのですか? 王都の最高級エリクサーでさえ、あのような即効性と、爆発的な力の増幅はありません。それに、あの独特の香りと、喉を刺すような刺激……。私の知る限り、あのような錬金術は存在しないはずですが」
彼女の目は、純粋な探求心と驚嘆に満ちていた。
王都のエリート騎士である彼女だからこそ、俺のストロング・ポーションの異常性がよく理解できているのだろう。
「あれは俺の固有スキル【神の泥酔】で作ったものだ。ただの水を、あの『度数9%のレモン風味の何か』に変えることができる。薬効は異常に高いが、見ての通り、飲むと理性が飛んでアル中の一歩手前みたいになる欠陥品だ」
「け、欠陥品などと! とんでもない!」
セレスティアは身を乗り出し、バンッとカウンターを叩いた。二日酔いの頭に響いたのか、すぐに「痛っ……」と顔をしかめたが、その目は真剣そのものだった。
「副作用の酩酊状態や翌日の頭痛など、死に直面する前線においては些末な問題です! 圧倒的な回復力、恐怖心の麻痺、そして地竜の鱗を紙のように斬り裂けるほどの筋力強化……! これが量産できるのであれば、戦局を一変させるほどの戦略物資になります!」
「……お前、意外と商売っ気があるんだな」
「私は辺境の魔物討伐部隊の隊長としてここに赴任してきたのです。しかし、部隊の装備も回復薬も慢性的に不足しており、昨日も調査中に地竜と遭遇し、部下を逃がすために私一人で囮になった次第でして……」
なるほど、それで一人であんなボロボロになっていたのか。
真面目で責任感の強い騎士様らしいエピソードだ。
「タイチ殿! お願いがあります! その『ストロング・ポーション』……我々、辺境討伐部隊と専属契約を結んでいただけないでしょうか!? 予算は決して多くありませんが、昨日の地竜の素材を売却した資金を前金として全額お支払いします!」
「専属契約ねぇ……」
俺は顎を撫でた。
王都のギルドでは無能扱いされ、追放された俺。
しかし、ここではエリート騎士から頭を下げられ、契約を懇願されている。
悪くない気分だ。いや、最高に痛快だ。
「……いいだろう。ただし、俺は大量生産で徹夜するのはもうこりごりなんだ。一日の生産本数は10本まで。それ以上は作らん。ホワイトな労働環境を守るのが、俺の今の絶対条件だからな」
「10本……! 十分です! あの奇跡の薬が1日10本も手に入るなど、夢のようです!」
セレスティアは花が咲いたような笑顔を見せた。
こうして、俺の『ストロング・ポーション屋』は、辺境の騎士団という強力な顧客を獲得することになった。
だが、俺も彼女も、この時はまだ予想していなかったのだ。
度数9%の神話級エリクサーを飲んだ騎士たちが、どのような変貌を遂げるのかを。
*****
数日後。
辺境都市ガルガンの近郊にある、魔物の巣窟『嘆きの谷』。
そこには、異常な光景が広がっていた。
「うぇーい! オークの群れだぁぁぁ! ヒャッハー!!」
「おいおいおい! 俺の獲物取んなよォ! 剣なんていらねぇ、素手で十分だろぉがぁぁぁ!!」
「あはははは! 見て見て隊長! アタシ、魔法の詠唱なしで火の玉が出せるようになったよぉ〜! ぽいっ、どっかーん!」
ドガァァァァァンッ!!
ズゴォォォォンッ!!
谷に響き渡るのは、魔物の断末魔ではない。
真っ赤な顔をして、明らかに足元がフラフラしている白銀の騎士たちの、下品な歓声と爆音だった。
彼らは皆、腰に共通のアイテムをぶら下げている。
『ストロング・ポーション(レモン味)』の空き瓶である。
「おらぁぁぁ! 次ぃ! 次はどこだァ! 魔物ども、俺たちの飲み会(討伐)のつまみになれやぁぁぁ!!」
本来、隊列を組み、盾で防御を固め、慎重に前進するはずの由緒正しき騎士団。
しかし今の彼らは、恐怖心を完全に失い(というより酔い飛ばし)、筋力と敏捷性が5倍に跳ね上がった狂戦士の集団と化していた。
重い鎧を着たまま信じられないスピードで跳躍し、オークの頭を素手でかち割り、被弾しても瞬時に傷が塞がるため、防御すら捨てて特攻を繰り返している。
「……あの、皆さん? 少しは陣形を……いえ、せめて連携を……」
最後尾で、隊長であるセレスティアが青ざめた顔で指示を出そうとしていたが、完全に出来上がっている部下たちの耳には届いていない。
「隊長ぉ! 隊長も飲みましょうよォ! これ、マジで最高っすよ! ほら、ぐいっと!」
「ひゃああっ!? や、やめなさい、任務中に私にそれを飲ませ……んぐっ、ごきゅっ……ぷはぁっ!」
「おおーっ! 隊長がいったァー!」
無理やりストロング・ポーションを飲まされたセレスティアの顔が、一瞬にして茹でダコのように赤くなる。
トロンとした目で谷の奥を見据えた彼女は、ゆっくりと自身の愛剣を抜き放った。
「……あー、もう。お前ら、うるさい。アタシが一番強いんだから、アタシの獲物を横取りするんじゃねぇぇぇぇぇ!!!」
「「「うおおおおお!! 隊長についていけぇぇぇぇ!!」」」
その日、難攻不落と言われた『嘆きの谷』の魔物は、文字通り一匹残らず「物理的に」蹂躙され、壊滅した。
そして夕方。
街の路地裏にある俺の店に、ボロボロの(しかし傷は一つもない)騎士たちが、肩を組みながら大声で歌いながら帰還してきた。
「まーすたぁー! 討伐、終わったよぉ〜! しゅわしゅわのお水、追加でおねがいぃ〜!」
俺はカウンター越しに、全員が完全に酔い潰れている騎士団を見下ろし、深く溜息をついた。
「お前らな……。ここはポーション屋であって、居酒屋じゃないんだぞ」
文句を言いながらも、俺はよく冷えたストロング・ポーションの樽を準備し始める。
どうやら、俺のスローライフな辺境生活は、毎日ポンコツ騎士たちの酔っぱらいの介抱をする羽目になりそうだ。
だが、王都のブラックギルドで徹夜をさせられていた日々に比べれば。
「……悪くない毎日だ」
俺はジョッキにたっぷりと注いだ度数9%のポーションを、彼らに振る舞った。
店の中は、レモンの爽やかな香りと、下品な笑い声で満たされていた。
*****
それから一ヶ月。
俺の辺境でのスローライフは、かつてのブラックギルド時代とは打って変わって、極めてホワイトかつ快適なものとなっていた。
「はい、今日の分のストロング・ポーション10本。毎度あり」
「マスター、いつもすまないな! さぁお前ら、今日の『飲み会』の会場は西の迷宮だ! 二日酔いになる前に、ミノタウロスどもを全滅させるぞォ!」
「「「うおおおおおッ! 乾杯(突撃)ぇぇぇぇッ!!」」」
朝の九時。
開店と同時にやってきた白銀騎士団の面々は、代金の入ったずっしりと重い皮袋をカウンターに叩きつけると、俺のポーションをひったくるようにして迷宮へと走っていく。
彼らの出立を見送った後、俺のその日の「仕事」は終わりだ。
実働時間、わずか十分。
井戸水を汲んでスキルを掛けるだけなのだから、当然といえば当然である。
「さて、今日もいい天気だし、昼から温泉にでも行くか」
俺は伸びをしながら、売上の金貨を金庫に放り込んだ。
この一ヶ月で、辺境都市ガルガンの状況は劇的に変化していた。
常時ステータスが5倍になり、痛覚と恐怖心を失った『泥酔状態』の狂戦士(騎士)たちが、毎日のように周辺の脅威を物理的に粉砕して回った結果である。
近隣の魔物は文字通り狩り尽くされ、街の倉庫には高ランク魔物の素材が入り切らないほど山積みにされた。
街の防衛力は跳ね上がり、経済はかつてないほどの潤いを見せている。
そして何より、隊長であるセレスティアの異名は、いつしか『白銀の聖騎士』から『酔いどれ銀鬼』へと変わっていた。
「マスター! 聞いてよぉ!」
その日も夕方になると、真っ赤な顔をしたセレスティアが、巨大なキマイラの首を片手で引きずりながら店にやってきた。
すでに一本キメているらしく、足元はおぼつかず、呂律も怪しい。
「今日はねぇ、西の迷宮の奥で、すっごいデカいヤツが出たの! でもね、アタシがこう、剣をブンッてやったら、ドカーンってなって! もう一撃よ、一撃! あはははは!」
「はいはい、凄い凄い。ほら、冷たい水でも飲んで少し落ち着け。お前、完全にアルハラ上司のテンションになってるぞ」
「アルハラ……? よくわかんないけど、アタシはマスターが作ってくれるこの『しゅわしゅわ』がないと、もう戦えない体になっちゃったかもぉ……へへっ」
だらしなく笑うセレスティアに冷水を渡しつつ、俺は苦笑した。
彼女たちは強い。だが、俺のストロング・ポーションへの依存度は日増しに高まっている。
とはいえ、1日10本の限定生産というルールは絶対に崩さない。俺が過労で倒れては元も子もないからだ。
順風満帆。
誰にも縛られない、最高のセカンドライフ。
――しかし、そんな平穏な日々は、唐突に終わりを告げようとしていた。
*****
同時刻。王都、ポーション開発ギルド『銀のフラスコ』本部。
「どういうことだッ!? 今月の納品数が、先月の半分以下だと!?」
ギルドマスターであるゲルマンは、執務室の机を思い切り叩き、激怒していた。
彼の目の前には、今年入ったばかりの期待の新人錬金術師が、青ざめた顔で震えている。
「も、申し訳ありません……っ! ですが、タイチ先輩が残していった調合マニュアルが難解すぎて、私にはとても……それに、先輩が担当していたノルマは、本来5人で回すほどの量でして……!」
「言い訳をするな! あんな『液体を酒に変えるだけ』の欠陥スキル持ちにできて、エリートであるお前にできないはずがないだろう!」
ゲルマンの怒声が響くが、事態は彼が思っている以上に深刻だった。
タイチという男は、確かにスキルのせいでポーションを『酒』にしてしまう欠点があった。だが、彼の真の価値は、その異常なまでの「作業効率」と「体力」にあったのだ。
彼を追い出して数週間。ギルドの生産ラインは完全に崩壊し、有力な貴族や冒険者クランからのクレームが殺到していた。
「ええい、役立たずめ! 下がれ!」
新人を追い出したゲルマンは、頭を抱えて椅子に崩れ落ちた。
このままではギルドの信用は地に落ち、最悪の場合、王家からの指定ギルド認可を取り消されてしまう。
「……ん? なんだ、この報告書は」
机の上に散らばった書類の中に、辺境の支部から送られてきた一枚の羊皮紙が紛れ込んでいた。
そこには、信じられない情報が記載されていた。
『辺境都市ガルガンにて、前代未聞の効能を持つ魔法薬が流通しているとの噂あり。
製造者は不明だが、透明で泡立つその液体を飲んだ騎士団が、単独で地竜やキマイラを討伐するほどの力を得ているとのこと。
当該ポーションは【神の雫】と呼ばれ、辺境の魔物素材の輸出量がここ一ヶ月で十倍に跳ね上がっている――』
「な、なんだと……!? なんだそのふざけた効果のポーションは!」
ゲルマンは目を剥いた。
もし、そんな奇跡のようなポーションの製法を手に入れることができれば。いや、その製造者をギルドに引き抜く(あるいは奴隷のように囲い込む)ことができれば、今の苦境など一瞬で覆せる。
「ガルガン……ガルガンと言えば、あの無能なタイチを左遷した街か。チッ、あいつはもう野垂れ死んでいる頃だろうが、ちょうどいい。私が自ら赴き、その『神の雫』の製造者を直々にスカウトしてやろう」
ゲルマンは不敵な笑みを浮かべ、すぐに馬車の馬立てを命じた。
自分のギルドを救うため、そして、莫大な富と名声を手に入れるために。
まさか、その『神の雫』の製造者こそが、自分が無能と見下して追放したタイチ本人であるなどとは、夢にも思わずに。
*****
数日後。
俺が昼下がりの店内で、のんびりと新作のおつまみ(魔物肉のジャーキー)を試作していた時のことだ。
カランコロン、とドアのベルが鳴った。
「いらっしゃい。悪いが、今日のポーションはもう完売――」
言葉を区切った俺の目に飛び込んできたのは、見覚えのある恰幅の良い男だった。
豪華なシルクの服に身を包み、辺境の埃っぽい空気を嫌悪するようにハンカチで鼻を覆っている。
「……タイチ。貴様、まだこんな薄汚い店で生き延びていたのか」
「ゲルマン、マスター……? どうして、辺境に」
俺は驚きを隠せなかった。
王都のギルドマスターが、わざわざこんな最果ての街までやってくる理由がない。
ゲルマンは俺を見るなり、鼻でフンと笑い、店の中を値踏みするように見回した。
「相変わらず貧乏くさい男だ。だが、ちょうどいい。お前に最後のチャンスを与えてやろう」
「チャンス?」
「あぁ。実は今、我がギルドは事業拡大の最中でな。少し人手が足りないのだ。お前のような無能でも、下働きくらいには使ってやる。王都に戻り、私の靴を舐めて忠誠を誓うなら、再雇用してやらないこともないぞ?」
……どうやら、俺が抜けた穴を埋めきれず、生産ラインが崩壊しているらしい。
その事実を隠しつつ、あくまで上から目線で俺を呼び戻そうとしているのが見え見えだった。
「お断りします。俺は今の生活に満足していますし、ブラックな労働環境に戻るつもりはありませんから」
「な、なんだと!? この私からの恩情を無にする気か! この恩知らずめ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすゲルマン。
だが、彼はすぐに咳払いをし、本題に切り込んできた。
「……ふん、まあいい。お前のような下っ端はどうでもいいのだ。私がここに来た真の目的は別にある。この街で出回っているという『神の雫』……奇跡のポーションの製作者を探しに来たのだ!」
「神の雫……?」
「そうだ! 飲めばどんな傷も癒え、竜をも単独で屠る力を得るという伝説の薬だ! タイチ、貴様はこの街にいるのだから、その製作者の居場所を知っているだろう!? さっさと案内しろ!」
ゲルマンの言葉に、俺は呆然とした。
神の雫。竜を屠る力。
……間違いなく、俺の作った『ストロング・ポーション』のことだ。
「えっと……それは、たぶん俺のことですが」
「はっ! つまらん冗談を言うな! お前のような『液体を酒にするだけ』のゴミスキル持ちに、そんな高等な錬金術が使えるわけがないだろう! 嘘をつくならもっとマシな――」
その時だった。
「あーあ! もう、飲み足りないわねぇー!」
「マスターぁ! 今日の分、もう売り切れちゃったのぉ!? 裏メニューとかないのぉ!?」
バンッ! と勢いよく店のドアが開き、土足でなだれ込んできたのは、白銀騎士団の面々だった。
先頭にいるのは、当然のごとく隊長のセレスティアである。
彼らは昼間の討伐を終え、すでに本日の割り当て(10本)を飲み干し、絶賛『泥酔状態(ステータス5倍)』の真っ最中だった。
「ひっく……ん? 誰、このぽっちゃりしたおじさん。マスターのお友達?」
顔を真っ赤にし、瞳をトロンとさせたセレスティアが、フラフラとした足取りでゲルマンに近づく。
その異様な気迫と、明らかに常軌を逸した魔力圧(バフ効果)に、ゲルマンは顔を引きつらせた。
「な、なんだ君たちは! 酔っ払いめ、私を誰だと……!」
「な、なんだ君たちは! 酔っ払いめ、私を誰だと……!」
「誰かって聞いてんのよ、ぽっちゃりさん」
ゲルマンが言い終わるよりも早く、セレスティアがヌルリとした尋常ではない動きでその懐に潜り込んでいた。
【神の泥酔】によって敏捷性が5倍に跳ね上がっている彼女の動きは、ただの文官上がりのゲルマンに捉えられるはずもない。
「ひぃっ!?」
顔の数センチ先まで迫ったセレスティアの真っ赤な顔と、酒臭い息。そして何より、彼女から発せられる『本物の強者』特有の圧倒的な殺気に、ゲルマンは腰を抜かして床に尻餅をついた。
「アタシはねぇ、今最高に気分がいいの。マスターの作ったしゅわしゅわを飲んで、魔物をボコボコにしてきた帰りだからねぇ。なのに、アンタみたいなおじさんが大声出してたら、気分が台無しになっちゃうでしょぉ?」
「ひ、ひぃぃ……! き、貴様ら、白銀騎士団だな!? 私は王都の指定ギルド『銀のフラスコ』のマスターだぞ! 貴様らのような下級の辺境騎士など、私の一声で首を飛ばせるんだからな!」
恐怖を誤魔化すように、ゲルマンは自身の権力を振りかざして怒鳴り散らした。
普段の真面目なセレスティアであれば、その言葉に萎縮していただろう。王都の有力ギルドマスターは、それほどまでに絶対的な権力を持っている。
――しかし、今の彼女は『度数9%』の魔法薬を全身に巡らせた、ただの最強の酔っ払いである。
「『銀のフラスコ』ぉ? あー、なんか聞いたことあるかもぉ。……ねえみんな、それってアレじゃない?」
「へいへい隊長ぉ。それ、マスターをこき使って追い出したっていう、あのクソブラックギルドの事じゃないっすか?」
後ろに控えていた屈強な騎士の一人が、ゲラゲラと笑いながら答えた。
その言葉を聞いた瞬間、セレスティアのトロンとしていた瞳の奥に、スッと冷たい光が宿った。
「……あー、なるほど。アンタが、うちのマスターをいじめてた元上司ってわけね」
ゴクリ、とゲルマンが唾を飲み込む。
気がつけば、十人の泥酔した狂戦士(騎士)たちが、ゲルマンをぐるりと取り囲んでいた。
全員が全員、凄まじい筋力バフの影響で、腕の筋肉が鎧を内側から弾け飛ばさんばかりに膨張している。
「ま、待て……! 誤解だ! 私はこいつを迎えに来てやったのだ! そうだタイチ! 貴様からもこいつらに言ってやれ! 私がお前の雇い主だと!」
「元、雇い主ですよ」
俺はカウンターから身を乗り出し、冷ややかに告げた。
「それに、俺はさっき言いましたよね。あんたの下に戻る気はないって」
「なっ……! き、貴様、この私に逆らう気か!? あの伝説の『神の雫』の製作者を大人しく教えれば、罪は問わないと言っているのに……!」
「だから」
俺はため息をつき、セレスティアたちに視線を送った。
「その『神の雫』を作ってるのは俺だと言ってるんです。あんたが『酒にするだけのゴミスキル』と呼んだ【神の泥酔】でね。ほら、セレスティア。さっきからあんたたちが飲んでるそれ、何て名前だ?」
俺の問いかけに、セレスティアは空になったジョッキを掲げて満面の笑みで答えた。
「『ストロング・ポーション』! アルコール度数9%の、最高のお水!」
「なっ……ば、馬鹿な……!」
ゲルマンの顔から、一気に血の気が引いていく。
王都のギルドを救う唯一の希望。莫大な富を生み出すはずだった伝説のポーション。
その正体が、自分が無能だと切り捨て、辺境へ追放したタイチの『ゴミスキル』による産物だった。
その事実が、ゲルマンの頭をハンマーで殴られたかのように揺さぶった。
「う、嘘だ……! そんなはずがない! あのスキルは、ただの水を安酒に変えるだけの……!」
「王都の『上品な方々』には、確かに安酒だったんでしょうね。でも、ここでは違う。明日の命も知れないこの辺境において、痛覚を麻痺させ、リミッターを外す『泥酔』状態は、最高のバフだったってことです」
俺がそう告げると、セレスティアが「うんうん」と大げさに頷いた。
「そゆこと! マスターのポーションがないと、アタシたちもう生きていけない体になっちゃったもん! だからね、おじさん」
セレスティアは、ゲルマンの胸ぐらを片手で軽々と掴み上げ、床から完全に足を浮かび上がらせた。
筋力+500%の力だ。大の大人一人など、羽毛のように軽いだろう。
「ひぎぃっ!?」
「マスターは、アタシたちの専属なの。それを王都に連れ戻すなんて、絶対に許さない。もしこれ以上マスターにつきまとうなら……」
セレスティアは、空いているもう片方の手で自身の愛剣を引き抜き、その分厚い鋼の刀身を、素手でボキリとへし折ってみせた。
異常な握力によるデモンストレーション。
ゲルマンの顔が、恐怖で青から白へと変わっていく。
「次はおじさんの骨が、こうなるからね? わかったら、二度とガルガンに顔を出さないこと。いいね?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!! わ、わかった! わかったから命だけはぁぁぁ!」
「よろしい。じゃあ、お気をつけてお帰りくださぁーい!」
セレスティアがポーンと軽く放り投げると、ゲルマンの巨体は店のドアを突き破り、路地の泥水の中へとダイブした。
彼は立ち上がるなり、服の汚れを払う余裕すらなく、泣き喚きながら乗ってきた馬車へと逃げ帰っていった。
「……やりすぎだろ、ドアが壊れたじゃないか」
「あはは、ごっめーん! 弁償するから許してぇ、マスター! それより、お水のおかわり!」
「今日はもう売り切れだって言ってるだろ」
騒がしい日常が戻ってくる。
逃げていくゲルマンの背中を見送りながら、俺の胸の内にあった「過去への未練」のようなものは、綺麗さっぱりと消え去っていた。
*****
それから一週間後。
王都からガルガンの街へ、一つのニュースが飛び込んできた。
王都最大のポーション開発ギルド『銀のフラスコ』が、倒産したというのだ。
原因は、深刻な人員不足による納品遅延と、それに伴う巨額の違約金。
さらに、焦ったギルドマスターのゲルマンが、粗悪な素材でポーションを水増しして販売していたことが発覚し、詐欺と横領の罪で王国騎士団に逮捕されたとのことだった。
「……自業自得だな」
俺は届いた新聞の片隅にある小さな記事を読みながら、コーヒー(今日は酒ではない)を啜った。
俺という一人の社畜にすべての負担を押し付け、搾取し続けていたブラック組織の末路としては、あまりにも呆気ないものだった。
これで完全に、俺の過去との因縁は切れた。
「マスター! 新聞読んでるの? 難しい顔してないで、早くお店開けてよぉ!」
「お前な、まだ朝の八時だぞ。どんだけ飲みたいんだよ」
店の外から聞こえてくるセレスティアの声に、俺は苦笑しながら立ち上がった。
平和だ。
かつては魔物の脅威に怯えていた辺境都市ガルガンは、今や『酔いどれ騎士団』の活躍により、王国で最も安全で豊かな街へと変貌を遂げていた。
俺の『ストロング・ポーション屋』も大繁盛……といきたいところだが、相変わらず1日10本限定のホワイト営業を貫いているため、莫大な富を得るには至っていない。
だが、それでいい。
これこそが、俺が望んでいたスローライフなのだから。
……そう、思っていた。
この平和な日常が、永遠に続くのだと信じて疑わなかった。
あの日、王国の観測史上最大規模の『厄災』が、この街に迫ってくるまでは。
*****
けたたましい鐘の音が、ガルガンの街に鳴り響いた。
それは、通常の魔物襲撃を知らせる鐘ではない。
街の存亡の危機を知らせる、緊急避難の警鐘『黒の鐘』だった。
「なんだ……!? 何事だ!」
俺が店の外に飛び出すと、街の人々がパニックに陥り、我先にと逃げ惑っていた。
その群衆の向こう側。
ガルガンの街を囲む巨大な防壁のさらに奥、地平線の彼方から、土煙を上げて『それ』はやってきた。
空を覆い尽くすほどの、巨大な黒い雲。
いや、違う。雲ではない。
それは、無数の魔物の群れ(スタンピード)だった。
「おいおい……冗談だろ。あんな数、見たことないぞ……」
数千、いや数万はいるだろうか。
オーク、ゴブリン、オーガといった通常種だけでなく、地竜やキマイラといった高ランクの魔物までが、何かに追われるように狂乱状態となって街へ向かって突進してきているのだ。
「マスター!」
俺の背中に、切羽詰まった声がかけられた。
振り返ると、そこにはセレスティアと、白銀騎士団の面々が立っていた。
いつもの酔っぱらっただらしない顔ではない。血の気を失い、しかし確かな覚悟を決めた、本物の『騎士』の顔だった。
「セレスティア……あの群れは、一体」
「スタンピードです。原因はわかりません。ですが、あの数が街に到達すれば、防壁など数分で崩壊し、ガルガンは跡形もなく消え去るでしょう」
彼女の言葉に、絶望的な響きが含まれていた。
無理もない。
いくら彼女たちがストロング・ポーションで強化されているとはいえ、たった十人で数万の群れを相手にするなど、物理的に不可能だ。疲労で倒れる前に、数の暴力に押しつぶされてしまう。
「住民の避難誘導はすでに手配しました。我々白銀騎士団は、これより防壁の外へ討って出ます。少しでも時間を稼ぎ、一人でも多くの民を逃がすために」
セレスティアはそう言って、俺に向かって深く頭を下げた。
「マスター。今まで、本当にお世話になりました。あなたの作ってくれた『お水』、すごく美味しかったです」
それは、明確な死の覚悟だった。
彼女たちは、この街を守るための捨て駒になるつもりなのだ。
「待てよ! お前らだけでどうにかなる数じゃない! 一緒に逃げ――」
「逃げません。それが、我々騎士の誇りですから」
セレスティアは顔を上げ、かつて俺に見せたことのない、美しくも悲壮な微笑みを浮かべた。
そして彼女たちは、俺に背を向け、絶望的な数の群れが迫る防壁の門へと歩き出した。
俺は、その背中を見送りながら、強く拳を握りしめた。
騎士の誇り?
そんなもののために、この平和な日常を、俺の常連客たちを死なせてたまるか。
俺は店の中に戻り、裏庭の井戸へ走った。
そして、今まで一度も使ったことのない、特大の樽をいくつも引きずり出した。
「1日10本限定……ホワイト営業……上等だ。今日だけは、昔の『社畜』に戻ってやるよ」
俺は樽の中に限界まで水を張り、両手をかざした。
脳裏に浮かべるのは、かつて王都で徹夜を繰り返していた頃の、あの狂ったような作業効率。
そして、この世界で出会った、ちょっと厄介だけど憎めない、最高の酔っ払い(騎士)たちの顔だ。
「俺のスキルは、ただ水を酒にするだけじゃない……対象の液体に、俺の魔力を込めて『変異』させるスキルだ」
今まで、ストロング・ポーションの度数は9%で固定だと思っていた。
だが、それは俺が無意識のうちに魔力の出力を抑えていただけだったのだ。
もし、俺の全魔力を、命を削るほどの極限まで絞り出し、この水に注ぎ込んだとしたら……一体、何が生まれる?
「――喰らえ」
俺は自身のステータス画面を開き、HPとMPの限界突破を許可した。
全身の血管が焼き切れるような激痛が走る。
だが、かつてのブラックギルドで味わった精神的苦痛に比べれば、こんなものは屁でもない。
「スキル発動……! 【神の泥酔・極】!!!」
ゴオォォォォォォォォォォッ!!!
樽の中の水が、強烈な光を放ちながら沸騰し始めた。
いや、水ではない。それはもはや、純粋なエネルギーの塊だった。
シュワシュワという可愛らしい炭酸の音ではない。
ドクン、ドクンと、まるで液体そのものが脈動しているかのような、不気味で暴力的な音が響き渡る。
店中に充満するのは、レモンの香りなどという生易しいものではない。
嗅いだだけで意識が飛びそうになるほどの、強烈なアルコールの揮発臭。
ステータスボードに、生成されたアイテムの詳細が表示される。
【アイテム名:神話級エリクサー・零】
【レアリティ:規格外】
【詳細:神すらも狂わせる禁断の霊薬。アルコール度数12%。服用者の全ステータスを一時的に『50倍』に引き上げる。ただし、強烈なアルコールにより、服用者は一切の記憶と理性を失い、目の前の敵が全滅するまで止まらない破壊の化身と化す。】
「……度数12%、ステータス50倍。上等じゃないか」
俺は完成した赤黒く泡立つ液体を、大型の革袋に次々と詰め込んだ。
ふらつく足に鞭を打ち、重い袋を担いで、俺は防壁の門へと向かって走り出した。
*****
ガルガン防壁、正門前。
セレスティア率いる十人の白銀騎士団は、横一列に並び、迫りくる数万の魔物の群れを見据えていた。
地鳴りが響き、土煙が太陽を隠す。
圧倒的な死の軍勢を前に、それでも彼女たちの手は震えていなかった。
「総員、抜刀!」
セレスティアの号令と共に、十振りの剣が煌めく。
もはや、遺言を口にする時間すらない。
彼女が前進の号令をかけようと、息を吸い込んだその時だった。
「おらぁぁぁ! 待ちやがれぇぇぇ!!」
背後から、聞き慣れた、しかし普段からは想像もつかないほど必死な声が響いた。
振り返ると、そこには大量の革袋を抱え、息を切らして走ってくる『ポーション屋のマスター』の姿があった。
「マスター!? な、なぜここに! 早く逃げて――」
「バカ野郎! 常連客が死に急いでるのに、黙って見過ごせるか!」
俺はセレスティアたちの足元に、持ってきた革袋を次々と投げ捨てた。
ドサッ、という重い音と共に、中から赤黒い液体が漏れ出し、強烈なアルコールの匂いが周囲に立ち込めた。
「こ、これは……いつものお水と、匂いが……?」
「新作だ! 名付けて『ストロング・ポーション・ゼロ』! アルコール度数12%の特別製だ!」
俺は息を整えながら、叫んだ。
「効果はいつもの10倍だ。ただし、理性が完全に飛ぶ! 自分が誰だかさえ分からなくなるぞ! ……それでも、この街を守る覚悟があるなら、飲め!!」
セレスティアは、足元の革袋と、俺の顔を交互に見つめた。
そして、フッと、いつものような無邪気な笑みを浮かべた。
「マスターが作ってくれたお水なら、毒でも飲むに決まってるじゃない」
彼女は躊躇うことなく革袋を拾い上げ、栓を抜いた。
他の騎士たちも、それに続く。
「我ら白銀騎士団! マスターの奢りに、乾杯!!」
十人の騎士たちが、赤黒い液体を同時に喉へと流し込んだ。
ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ……。
赤黒く泡立つ液体が、十人の騎士たちの喉を鳴らして胃の腑へと落ちていく。
その直後だった。
ドクンッ!!
世界そのものの心臓が脈打ったかのような、強烈な重低音が響き渡った。
「……っ!?」
俺は思わず耳を塞ぎ、地面に膝をついた。
凄まじい魔力圧だ。防壁の石畳が、彼女たちの足元から蜘蛛の巣状にひび割れ、陥没していく。
十人の騎士たちの体から、噴火山のように赤黒いオーラが立ち昇っていた。
それはもはや、人間の発する魔力ではない。神話に語られる魔神や、あるいは暴走した厄災そのものの気配だった。
「ぁ……ぁぁ……」
一番最初に変化を見せたのは、やはり隊長であるセレスティアだった。
彼女が顔を上げる。
その瞳孔は極限まで開ききり、白目の部分までが血走って真っ赤に染まっていた。
理性の光は、微塵も残っていない。
口の端から垂れた涎を拭うこともせず、彼女は首をゴキリ、ゴキリと不気味な角度に傾げた。
「……あ? なんだぁ……? うるっせぇなぁ……」
その声は、鼓膜を直接殴りつけてくるような、恐るべき重みを持っていた。
彼女が前方に広がる数万の魔物の群れを、ただ「睨んだ」だけで。
最前列を走っていた数百匹のオークたちが、目に見えない巨大な壁に激突したかのように、風船のように弾け飛んだ。
「え……?」
俺は自分の目を疑った。
剣など振っていない。魔法すら詠唱していない。
ただの、殺気。
ステータス50倍という暴力的な数値が、ただの『視線』を物理的な破壊力にまで昇華させていたのだ。
「あー……わかった。お前らぁ、アタシの『飲み』の邪魔、しにきたんだな……?」
セレスティアの唇が、三日月のように吊り上がった。
次の瞬間。
ドンッ!! という空気を切り裂く爆音とともに、彼女の姿がその場から消失した。
「グガァァァッ!?」
地平線の彼方、群れの中央を陣取っていた超巨大な地竜の頭が、唐突に真上から飛来した『何か』によって、豆腐のように粉砕された。
遅れて発生した衝撃波が、周囲数キロにわたる魔物たちを一瞬でミンチに変える。
土煙の中から立ち上がったのは、返り血を浴びて全身を真っ赤に染め上げたセレスティアだった。
「ヒャァァァハハハハハハハッ!! つまみだぁぁぁ! 全部アタシの酒のつまみだぁぁぁぁッ!!」
完全にぶっ壊れていた。
かつての「酔いどれ銀鬼」などという生易しいものではない。今の彼女は、文字通り理性を失った破壊の化身だった。
そして、狂乱しているのは彼女だけではない。
「うおおおおおおおおっ! 暑い! 暑いぃぃぃ! 鎧なんていらねぇぇぇ!!」
「ヒャッハァ! 素手でドラゴンが引き裂けるぜぇぇぇ!!」
残りの九人の騎士たちも、完全に『仕上がって』いた。
何人かは熱さと高揚感から重装鎧を脱ぎ捨て、半裸の状態で魔物の群れへとダイブしていく。
彼らが腕を一振りすれば突風が巻き起こり、地面を蹴ればクレーターが生まれる。
もはや、どちらがスタンピードか分からなかった。
数万の魔物の群れは、たった十人の『極度の酔っ払い』たちによって、物理的に蹂躙され、すり潰され、空の彼方へと蹴り飛ばされていく。
「グギャァァァァ!」
「ガ、ガァァ……」
魔物たちが、恐怖に顔を引きつらせて逃げ出そうとしていた。
本能だけで生きる彼らでさえ、今の白銀騎士団が『絶対に触れてはいけない最悪のバグ』であることを理解したのだ。
だが、遅い。
度数12%の神話級エリクサーをキメた彼らは、目の前の動くものが完全にゼロになるまで止まらない。
「逃がすかぁぁぁ! 二次会はこれからだろうがぁぁぁぁッ!!」
「もっとだ! もっと斬らせろぉぉぉ! ひっく!」
悲鳴。爆音。そして、下品極まりない笑い声。
俺は防壁の上から、ただ呆然とその『地獄の飲み会』を眺めることしかできなかった。
圧倒的すぎる。
王国の軍隊が総力を結集しても数日はかかるであろう絶望的な大群が、開始からわずか数十分で、すでに半数以下にまで減らされていた。
俺の全魔力を込めて作った【神話級エリクサー・零】。
その代償として、俺の体内からはすっからかんに魔力が抜け落ち、立っているのもやっとの状態だった。
だが、胸の奥には奇妙な達成感と、安堵感が広がっていた。
「……やりすぎだろ、バカどもが」
俺は防壁の縁に座り込み、力なく笑った。
かつては社畜として、他人のために命をすり減らしていた。
でも今は、自分の意思で、自分の大切な居場所と、イカれた常連客たちを守るために力を使い果たしたのだ。
全く後悔はなかった。
やがて、遠くで暴れ回っていた爆音が、少しずつ収まり始めた。
*****
数時間後。
太陽が西の空に傾きかけた頃、ガルガン防壁の外に広がっていた平原は、完全に別の地形へと変貌していた。
見渡す限りのクレーター。抉れた大地。
そして、山のように積み上げられた、数万匹の魔物の死骸。
奇跡的に防壁と街には一切の被害が出ていなかったが、外の惨状はもはや天変地異の跡地のようだった。
「……終わった、のか?」
俺がフラフラとした足取りで門の外へと出ると、魔物の死骸の山の頂上に、十人の姿があった。
「すぅ……すぅ……」
「むにゃ……もう、飲めない……ぞぉ……」
全員、泥のように眠っていた。
半裸の者、愛剣を抱き枕のようにしている者、大の字になって涎を垂らしている者。
誰一人として欠けることなく、無傷のまま。
12%のストロング・ポーションの薬効が切れ、限界突破による反動と、致死量のアルコールによる強制睡眠モードに入ったのだろう。
「お前ら……本当に、やりやがったな」
俺は魔物の死骸の山をよじ登り、一番高い場所で丸くなって寝ているセレスティアの元へたどり着いた。
彼女の顔は、平時の白く美しい肌に戻っていた。
激しい戦闘(という名の蹂躙)の跡で、制服はボロボロになり、あちこちが破けている。
「……まったく、誰がこの後始末をすると思ってんだ」
俺は自身の外套を脱ぎ、寝息を立てるセレスティアの体にそっと掛けた。
遠くから、避難していた街の住民たちや、警備隊の面々が、恐る恐る様子を見に戻ってくる足音が聞こえる。
彼らも、この信じられない光景を目の当たりにして、言葉を失うことだろう。
ガルガンの街は、守られたのだ。
たった十人の、最強の酔っ払いと、一人のポーション屋によって。
*****
それから、三日後。
「う、うぅぅ……あ、頭が……頭が割れるぅぅぅぅ……」
「吐き気が……マスター、バケツ……バケツを……おえぇぇ……」
俺の『ストロング・ポーション屋』の店内は、野戦病院さながらの地獄絵図と化していた。
床に転がり、ソファに突っ伏し、カウンターにしがみついている白銀騎士団の面々。
【神話級エリクサー・零】の副作用――つまり『人生で最悪の三日酔い』が、彼らを絶賛襲撃中であった。
「ほら、ただの冷たい水だ。飲んで吐け」
俺はため息をつきながら、彼らに次々と水の入った木桶を配って歩いた。
街は今、かつてない規模の『大討伐』を成し遂げた英雄たちを称えるお祭り騒ぎの真っ最中だ。
討伐された数万の魔物素材は、街の経済を数十年は潤すほどの莫大な富をもたらし、王都からも多額の報奨金と、セレスティアたちへの勲章が届く手はずとなっている。
だが、当の英雄たちはこの有様である。
「うぅ……マスター、ごめんなさい……私、あの日、何を……?」
ソファの上で毛布にくるまりながら、セレスティアが涙目で俺を見上げた。
彼女の記憶は、俺が革袋を投げ渡したあの瞬間で完全に途切れているらしい。
「何も覚えてないのか? お前、一人で素手で地竜の頭をカチ割った後、『つまみだぁぁぁ!』って叫びながら魔物の群れにダイブしていったんだぞ」
「…………ッッッ!?」
セレスティアの顔が、瞬時にゆでダコのように真っ赤に染まった。
両手で顔を覆い、毛布の中でジタバタと悶え始める。
「あああああ! 嘘です! そんなの私じゃありません! 記憶を……! 私の、そしてこの場にいる全員の記憶を消す魔法を……!」
「だからそんな都合のいい魔法はないって言ってるだろ。諦めろ、街の連中も防壁の上からお前らの『飲み会』をバッチリ見てたからな」
「うわぁぁぁぁん! 騎士としての尊厳がぁぁぁ!!」
泣き叫ぶセレスティアの背中をポンポンと叩きながら、俺はフッと笑みをこぼした。
結局のところ。
俺の『1日10本限定のホワイト営業』という目標は、あの一件以来、なし崩し的に崩壊しつつあった。
魔物の素材の処理や、王都からの視察団への対応、そして何より、「あの奇跡のポーションを売ってくれ!」と殺到する他所の冒険者たちの相手。
毎日が目の回るような忙しさで、スローライフとは程遠い日々が戻ってきてしまった。
「マスター……」
不意に、毛布の中からセレスティアが顔を出した。
目はまだ真っ赤で、二日酔いの頭痛に顔をしかめながらも、彼女はその真剣な瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
「あの時は……街を、そして私たちを救ってくれて、本当にありがとうございました。マスターが無理をしてあの『お水』を作ってくれなかったら、私たちはどうなっていたか……」
「よせよ。俺はただ、常連客に死なれると、商売あがったりになるから助けただけだ」
「ふふっ……マスターらしいですね」
セレスティアは柔らかく微笑み、俺の手を両手でギュッと握りしめた。
「これからも……私たちのお世話、よろしくお願いしますね? 私たちの『帰る場所』は、もうこのお店しかありませんから」
「……善処するよ。だが、ストロング・ポーション・ゼロは二度と作らんからな。俺の命が持たない」
「えーっ!? あんなに気持ちよかったのに!」
「バカ言え。お前らの記憶がぶっ飛ぶようなもん、常用されてたまるか」
俺たちのやり取りを聞いていた他の騎士たちも、頭を抱えながらゲラゲラと笑い声を上げた。
王都のブラックギルドを左遷され、辺境に追放されたあの日。
まさか俺が、こんなイカれた、しかし最高に気のいい連中と一緒に、一国の運命を救うことになるなんて、思いもしなかった。
【神の泥酔】。
ただの水を、度数9%の『ストロング・ポーション』に変えるだけの、ふざけたスキル。
だが、この辺境の街で、俺はこのスキルと共に生きていく。
「さあ、いつまでも寝てないで起きろお前ら! 今日の夕方から、街を挙げての『大宴会』だそうだぞ! もちろん、主役はお前らだ!」
俺がそう宣言すると、十人の騎士たちは青ざめた顔で一斉に首を横に振った。
「「「もうお酒はこりごりですぅぅぅぅ!!」」」
辺境の路地裏にある、小さな木造の店舗。
『ストロング・ポーション屋』。
今日の営業も、どうやら平和で騒がしい一日になりそうだ。




