018:成人のウタゲ・4
初めて訪れた料亭での食事は、シエルにとっては驚きの連続だった。山中での修行生活では目にすることのなかった海の生き物を加工した料理や、美しく装飾された野菜など、一つ一つに興味を示す。
「シエルはやっぱり、まだまだ子供だな、」
6歳年上のカロルはシエルの様子を見て呟く。素直で、傷つきやすい優しい弟。3年間共に生活をしていて、彼の怒りの感情を見たことがない。辛い幼少時代をすごしてきているはずなのに、人を疑う事もしない。ただ、愛されることにも、愛することにも慣れていない。そんな弟がカロルには心配で仕方がないのだ。
「シエル、カロル、フラム、今日はお前達に話がある、」
十分に食事を楽しんだ後、レイが改めて声をあげた。
改まった師の言葉に、3人は姿勢を正す。
「今日は祝うべきシエルの成人の日。これで私の弟子は皆成人した。」
言葉を区切り、シエルに微笑みかける。
「皆も知っているように、成人すれば、どのような行動も許される。だが、それは全て己の意思で、己の責任で生きていかねばならぬと言うことでもある。」
「生きていくために必要な事柄についてはみな今日までに教えてきたつもりだ。だが、まだ成されていない事があることもまた事実。」
レイの視線はシエルの上に定まる。
「シエル、あの石を持ってきているね?」
レイの言葉に、シエルは懐からちょうど片手の手のひらにのる大きさの石を取り出した。その意思は魅惑的な色で見るものを惑わせる。一見すると引き込まれそうな黒だが、輝きを放っているようにも見え、時折紅や銀色が姿を現して消える。それはまるで生きているように揺らめき、見る者を魅了する。
「この石は・・・?」
魅了され、魅入りそうになったフラムがかすれた声で尋ねる。
「この石は、シエルが名を頂いた時に名を与える者から与えられたものだ、」
レイの言葉に、二人の兄弟子はハッとなる。
名を与える者から名ではないものを与えられた者。
一人、話の行方が解らず腑に落ちない表情のシエルに、フラムが震える声で告げる。
「名を与える者は名を与えることでその命をつないでいる。《名》ではないものを与えられる、その事が意味するところはただ一つ。」
「そうだ。私も俄かには信じ難かった。だが事実、その石はここにある。」
シエルの手の中で魅惑的に揺らめき、輝く石。他の者に触れられるのを拒んでいるようにも見え、誘っているようにも見える、不思議な石。
《その強大なる力形となりて世に現れ、守護者により聖なる頂へと誘われる》
「伝承にある一説だよ、シエル。この世を覆うほどの力を持つ者が現れると、名を与える者はその力の半分を形に変えてその者に与える、と言われている。」
レイは続ける。
「シエル自身にどれほどの力があるのか、またその石の持つ力はいかなるものなのか、私には計りかねるが・・・名を与える者がその力を見誤ることは決してないのだよ。」
レイはシエルに微笑みかける。少し寂しげにも見えるその微笑に、シエルは戸惑った。
「シエル、私がお前に出会った日の事を覚えているかね、あの日、私がお前に私の名を告げた事を?」
シエルに向けられたレイの言葉に、二人の兄弟子は驚きの声をあげる。この世界において、己の名を他人に明かすことはありえない。なぜならそれは、己の手の内を全て曝け出す事に等しいからだ。それと同じく、身体に刻まれた印を人目に触れぬよう隠す者も多い。戦いのないシルヴァラ国内においても、己の名を会ったばかりの他人に明かすなど狂気の沙汰だ。戦いの耐えない他国では印を隠し、本当の名を伏せて暮らす事が生き抜くための楚とされている。
二人の兄弟子を目で制し、レイは続けた。
「今のお前なら理解できるだろう、シエル。この世界を生き抜くために、与えられた名と、その身体に印された印はその者自身。それらを他人に見せることはタブーなのだよ。だが私はお前に名を告げた。それは故意ではなく、何故か告げねばならぬ思いに駆られたからだ。」
「なぜそう思ったのか、あの時は分からなかったが今ははっきりと理解しているつもりだ。」
そう言って、レイは己の中で言葉を選ぶように少し間を起き、再び3人の弟子達の瞳を順番に見た。
「シエル、お前も覚えているだろう。名を頂いた時に与えられた言霊を。私達は名を与える者から名を頂くと同時に、運命とも言える未来への言霊を囁かれるのだ。カロル、フラム、お前達も覚えているね?」
レイの言葉に、二人の兄弟子は頷いた。
レイは二人に頷き返し、シエルの瞳を見る。銀色の切れ長の瞳。瞳の奥に不安げな影が宿っているのが手に取るように分かる。
「『二つの力に選ばれし剣士、王の牙となり、王を守れ』これが、私に与えられた運命なのだ。私はシエルがその石を頂いて神殿から出て来た時に確信した。我王はシエルだと。」