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灰焔の残響の中で (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1巻 ― 再生の残り火
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第6章:第三の円環

ネリアはアリニャとテリシアの後を追っていた。

二人は足早に進んでいた。

だが、住居の方角ではないことに、ネリアは気づいた。

彼女たちは街の外れへと向かっていた。


「ママがいい……タタイシア、ネリア、おうちにかえりたい……」


ネリアは怯えた声で、たどたどしく言った。


二人の女は立ち止まった。

テリシアは腰を落とし、目線を合わせる。


「分かってるわ、大丈夫よ。

でもね、ママのところには連れていってあげられない。

きっともう、みんなのところに合流してる。

だから、私たちと一緒にいましょう。

ね?

大丈夫、全部うまくいくわ。約束する」


テリシアはそう言って、ネリアを抱き上げた。

少し驚きながらも、ネリアは細い腕を彼女の首に回した。

そして再び歩き出す。

いくつもの門と階段を抜け、やがて村を囲む城壁へと辿り着いた。


緊張すべき場面だというのに、ネリアは目の前の光景に息を呑んだ。

広大な空き地が、視界の果てまで広がっている。

その奥には、種類も形も異なる巨大な樹々が林立していた。

さらに遠く、木々の向こうには、重く連なる山脈が、すべてを囲うように横たわっていた。


「まったく、あの魔術師ども、また余計な真似をしなきゃいいけど……。

前に二重警報が鳴った時なんて、自分たちで兵を殺しかけたのよ、あの馬鹿ども」


アリニャは苛立ちを押し殺した声で言った。


「ええ。

でも今回は、さすがに大人しくしてくれると信じたいわ。

前は第四円環の術を撃とうとした、所谓の“天才”がいたもの。

あの時の衛兵と魔術教官たちの怒りを思えば、もう誰も同じことはしないでしょう」


テリシアがそう返す。


その言葉を聞いて、ネリアは首を傾げた。


何の話をしてるの。

円環って、なに。

でも、ママはよく魔法を使ってるのに……。

わからない。


ネリアは虚空を見つめたまま、そう考えていた。


その時、耳を裂くような轟音とともに、再び角笛が鳴り響いた。

続いて、金属が軋む重い音。

衛兵たちが巨大な門を開き、村の軍勢を通したのだ。

兵士たちが、途切れることなく溢れ出てくる。

ネリアは目を見開き、それが永遠に続くように感じていた。


整列した部隊の前に陣取っていたエルドランが、馬を止め、兵へと向き直る。


「斥候が、オークマウの一団がこちらへ向かっているのを確認した。

あの怪物どもを甘く見るな、いいな。

騎兵は正面から突撃する。誰も退くな。

魔術師は村と民を守れ。誰も退くな」


全員に届くよう、彼は声を張り上げた。


「命を賭して守ると誓ったはずだ。

一歩。

一声。

一つの終わりだ」


兵たちは一斉に、その言葉を繰り返した。


ネリアは、その光景を、畏敬と不安の入り混じった目で見つめていた。

この世界の怪物を、まだ一度も見たことのない彼女は、否応なく現実に引き戻されていた。

テリシアの上衣の布を、ぎゅっと強く握りしめる。

これから何が起きるのか、それをただ待っていた。


だが、すべてが、死そのものに命じられたかのような重苦しい沈黙に包まれた、その瞬間。

森の奥から、鈍く重い破裂音が響いた。

木々が次々となぎ倒され、その轟音が、明確な脅威となってこちらへ迫ってくる。


そして、ネリアはついに目にした。

森の奥から現れた、あのオークマウたちを。

巨大な獣。

ネリアの知る限りでは、猪に似ている。

だが、その大きさは異常だった。

コディアック熊ほどもある。

黒ずんだ分厚い皮膚は、緑がかった苔に覆われている。

重い蹄が地を踏みしめるたび、大地が震えた。


三十体ほどの怪物が、衛兵たちの手前で足を止め、待機する。

エルドランは、動くなと命じた。

その時、ネリアの頭上を影が横切り、彼女は思わず空を仰いだ。


空を裂くように、一羽の漆黒の鳥が舞っていた。

雷光のような筋を走らせた羽毛。

赤い瞳が、奇妙なほど強い視線で、地上を見下ろしている。

敵意は感じられない。

ただ、どこか、哀しげだった。


ネリアはテリシアとアリニャに視線を向けた。

だが、二人とも、その存在に気づいた様子はなかった。


本当に、妙だ……。

ここが地球とは違うってことは分かってる。

でも、これは……不可能の領域だ。


ネリアは困惑したまま、そう思った。


緊張が高まる中、城壁の近くにいた一人が前へと進み出た。

誰かが腕を掴み、止めようとしていたが、それでも歩みは止まらない。

彼は顔を覆っていたフードを外した。


若い男だった。

ネリアの目には、ここに立つにはあまりにも若すぎるように映った。


「俺にやらせろ。

本気で言ってるのか?

くそったれの騎士どもが、魔術師に勝てるとでも思ってるのか。

剣遊びでもしてろ。

本当の救い手に、仕事をさせろ」


その声には、露骨な侮蔑が滲んでいた。


人々はあちこちで叫び、彼を引き戻そうとした。

中には実際に駆け寄ろうとする者もいたが、エルドランが手を上げた。

強く、迷いのない動き。

それだけで、すべてが止まった。

それは単なる「動くな」ではなかった。

エルドランのそれは、絶対だった。


「隊長、止めるべきです。

彼一人で、あれに立ち向かえるはずがありません」


近くにいた女が言った。


「放っておけ。命令だ。

価値を証明したいというなら、好きにさせろ。

成功すれば、前線に立たせてやる。

だが失敗したなら……。

失敗したなら、自分の傲慢の代償を、理解していることを祈るだけだ」


エルドランは硬い声でそう返した。


男はオークマウの目前まで進むと、両手を天へと掲げ、集中し始めた。

その身体から、歪んだ輪郭のようなものが立ち上る。

ぼやけた何かが、彼を包み込んでいく。

だが、周囲の視線を見て、ネリアは悟った。

これは、正しいものではない。


「ヴェルス・アルマ……

カエル・セリム・スラナク」


若い魔術師は、確信に満ちた声で詠唱した。


空が応えた。

重く、濁った灰色の雲が渦を巻き、急速に集まっていく。

乾いた破裂音が鳴り、雲が若者のマナを吸い上げた。

雲の影は膨張し、その色は次第に青みを帯びていく。


やがて、内部で雷光が暴れ始めた。

雲はさらに膨れ上がり、今にも破裂しそうだった。


「哀れな愚か者だ……。

限界も知らずに、神の真似事とはな」


エルドランが低く吐き捨てた。


次の瞬間だった。

雲が内側から崩壊した。

眩い光が、周囲一帯を飲み込む。

そして一本の雷が生まれた。

あまりにも濃密で、あまりにも純粋な破壊。

それは逸れることなく、まっすぐ若者へと落ちた。


白い閃光。

それに続く、耳を潰す轟音。


そして――完全な静寂。


誰も動かなかった。

誰一人、言葉を発しなかった。

雷は外れることなく直撃し、そこに残ったのは、炭と化した身体だけだった。

骸は地面に落ち、既に燃え尽きた足首が重みに耐えきれず砕けた。

衝撃とともに、すべてが崩れ落ちる。

残されたのは、赤黒い灰の山だけだった。


ネリアは、その光景に凍りついた。

涙が勝手に溢れ、テリシアの首に回した腕に、さらに力がこもる。


違う……。

そんなはずない。

こんなの……ありえない。

たくさん物語を読んできたのに……。

魔法って、こんなふうに壊れるものだった?

ここは、どんな世界なの。

魔法を制御できなければ……死ぬの?


ネリアは、完全に打ちのめされていた。


テリシアは、その震えを抱きしめる腕越しに感じ取り、そっとネリアの頭に手を置いた。

優しく髪を撫でる。

だが彼女自身も、起きたことに言葉を失っていた。

アリニャは、無意識のうちに指を絡め、ほどき、また絡めていた。


だが、泣いている暇はなかった。

エルドランは剣を掲げ、硬直したままの兵たちを睨みつける。


「弔いは後だ。

今は、もっと厄介なものがある。

それとも、他にも腕前を見せたい者がいるか?」


乾いた声が、空気を切った。


返事はなかった。

沈黙を破ったのは、剣が鞘から抜かれる、金属音だけだった。


その時、怪物の群れから、腹の底を震わせる咆哮が上がった。

オークマウたちは一斉に突進する。

その蹄が、先ほどの遺骸の残骸を踏み砕き、灰は風に散った。


「ソルヴァエルの名の下に!

家族のために!

突撃せよ!!!」


エルドランの叫びとともに、彼の馬が高く嘶いた。


だが、騎兵たちが動き出した、その瞬間。

彼らとオークマウの間で、爆発が起きた。

凄まじい衝撃音とともに、巨大な砂塵の雲が立ち上る。

耳を裂く轟音の中、怪物も兵も、その場で凍りついた。

ネリアは状況を理解しようとしたが、この不透明な霧の向こうは、何も見えなかった。


やがて、粉塵がゆっくりと晴れていく。

そこに、一つの人影が浮かび上がった。


「ゼフィラ?

何をしている。

お前は村人を守る役目のはずだろう」


エルドランが問いかけた。


「力はあっても、考える力はネリア以下ね。

本当に、記憶力が悪いわね、あなた。

あの生き物たちは、魔法で守られている。

強化した剣でも、皮膚は貫けないわ」


苛立ちを隠そうともせず、彼女は言った。


「下がりなさい。

私がやる。

頭を殺せば、残りは逃げるわ」


エルドランの命令で、兵たちは後退した。

ネリアはその様子を見つめていた。

胸に湧き上がるのは、畏怖と、母に何か起きるのではないかという恐怖。


ゼフィラは右手を天へ掲げ、目を閉じた。

集中する。

失敗は許されない。


「ヴァレス・エンソ・カルムル――

ティル・エリム・ヴァエン」


確かな声で、彼女は呟いた。


彼女の周囲で、空気が変質し始める。

長い髪と衣が、舞うように揺れた。

風の流れが、目に見える形となり、すべてが掲げられた手へと収束していく。

マナが身体から溢れ、風の流れと混じり合う。

波打つ力が生まれ、景色そのものを、わずかに歪めていた。


「フラグラ・オルビス……第三円環の術……

形成せよ」


静かな声だった。


透き通る水の膜が、彼女の手を包み込んだ。

その内部で、力が目覚め、激しく渦を巻く。

そして、点火。

炎の球が生まれ、膨張していく。

遠くにいても、ネリアにははっきりと見えた。

赤みを帯びた筋が走る。

まるで脈打つマグマの血管のように。


「ママ、ひ……

ママ、ひ……

タタイシア、あつい……あつい……」


涙を浮かべながら、ネリアはテリシアを見て、繰り返した。


「大丈夫。

何も起こらないわ。

私を信じて」


テリシアは、口元にわずかな笑みを浮かべて答えた。


次の瞬間、ゼフィラの手から衝撃波が解き放たれた。

景色が、硝子越しのように鮮明になる。

そして、爆音。

あまりの痛みに、ネリアは耳を塞いだ。

続いて、連射。

球体の塊から、次々と分離した火の球が、オークマウへと飛んでいく。


轟音は数秒間続いた。

やがて、最後の一撃を放ち、球体は消え失せた。


ネリアは息を止めていた。

粉塵と熱が混ざり、視界は最悪だった。

先ほどの若い男の光景が、脳裏から離れない。

母の姿が見えないことが、何よりも恐ろしかった。


お願い……ママ……。

お願いだから、合図して……。

一人にしないで……。


ネリアは、心の中で必死に祈った。


煙が、少しずつ薄れていく。

蹄の音が聞こえた。

だが、それは遠ざかっていく。

次第に、聞き取れなくなった。


ゼフィラは、そこに立っていた。

彼女は兵たちの方へ振り返り、親指で背後を指し示す。

そこには、一体のオークマウが残っていた。

動かない。

身体は、無数の穴から煙を上げていた。

火球が貫いた痕だった。


「もう……大丈夫……。

動かないわ……」


息を切らしながら、彼女は言った。


そして、そのまま崩れ落ちた。

エルドランは馬から飛び降り、彼女のもとへ駆け寄った。

腕に抱き上げ、頭を支える。

身体は力を失っていたが、呼吸はある。

生きていた。


「まったく……愚かな女だ……。

この魔法が、全てを削ると分かっているだろう」


彼は、神経質な笑いを漏らした。


「ありがとう。

君なしで、どうすればいいんだ……愛しい人よ」


そう言って立ち上がり、彼女を抱いたまま、街へと戻っていった。


数人の衛兵が残り、本当に脅威が去ったかを確認する。

他の者たちは、安堵の息をつきながら、住居へと戻っていった。


すべてが終わった後。

ネリアは、初めて理解した。

この世界は、準備を怠れば、決して慈悲を与えてはくれない。

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