第5章:苛烈な訓練
数分歩いた後、エルドランは身をかがめ、ネリアを地面に下ろした。
彼は外套の留め具を外し、それを脱がせる。
ネリアは父の目をまっすぐ見上げた。
「遠くへ行きすぎるな。
いいな、ネリア。」
落ち着いた声だった。
ネリアはうなずき、エルドランは立ち上がる。
彼は小さな木の扉へ向かい、勢いよく押し開いた。
ネリアは中へ入り、目の前に広がる石造りの大広間に息をのんだ。
太い柱が天井まで伸び、それぞれに据えられた松明が室内を照らしている。
一定の間隔で並べられた長机には、鎧姿の人々が腰掛け、食事をしながら談笑していた。
「パパ、ここ、どこ?」
ネリアは困惑したように尋ねた。
「ここは食堂だ。
訓練の前に食事を取れない者のために、こうして場を用意している。」
エルドランはそう説明し、続けた。
「倒れないためには、しっかり食わないとな。」
彼は机の間を進み、ネリアがその後をついていく。
行き交う者たちに挨拶を交わしながら、二人はさらに奥の扉を抜けた。
そこは、かなり広い中庭だった。
ネリアは、ここで自分がひどく小さく感じられた。
ここが、パパの居場所。
実際に見ると、すごい。
こんなに人数がいて、こんなに整ってるなんて……。
戸惑いが胸に広がる。
中庭は石畳の通路を挟み、二つに分かれていた。
訓練場の周囲には回廊が巡らされ、縁には武器棚が並んでいる。
剣、槍、弓。
金属のものもあれば、木製のものもあった。
「エゼキエル、角笛を鳴らせ。
そろそろ、あの怠け者どもを叩き起こす時間だ!」
エルドランが、高所にいる男へ向けて叫んだ。
若い男は即座に従い、腰に下げた角笛を取り、力強く吹き鳴らす。
あまりの音量に、ネリアは思わず耳を塞いだ。
やがて音は弱まり、ほどなくして、騒がしい足音とともに二十人ほどが姿を現した。
「私語はやめろ。
直ちに整列。
ここがどこか、忘れたか?」
エルドランの声は鋭かった。
集まった者たちは素早く列を作る。
一斉に右足を地面へ打ちつけ、膝を折って片膝をつき、頭を垂れる。
そして、腿を打つ音とともに立ち上がる。
まるで、最初からそう決められていたかのような動きだった。
ネリアは、その所作の意味を知りたかった。
だが、今ではない。
それは、直感で分かっていた。
ここで問いを投げれば、自分が理解しすぎていることを悟られてしまう。
「テリシア、アリニャ、ヴェルノル。
前へ出ろ。」
エルドランが命じた。
若い女性二人と青年一人が列を離れ、エルドランの前へ進み、同じ姿勢を取る。
「ご命令を、隊長。」
三人の声が重なった。
「よし。
お前たちは訓練を続けろ。
ネリアを連れて、基礎を教えろ。」
エルドランの視線は厳しかった。
三人の視線が、ネリアに向けられる。
その瞬間、彼女の胸がきゅっと縮んだ。
自分が、ここでは邪魔者でしかないように感じられた。
ネリアは父の脚の後ろに隠れ、恐怖から強くしがみついた。
「隊長。
ただの子供です。
ここにいるべきではありません。
それに、俺たちは子守役じゃない。」
青年が低く、そう漏らした。
その言葉を受けた瞬間、エルドランの目が一気に曇った。
空気が、はっきりと変わる。
ネリアの心臓は激しく打ち、逃げ場を探すかのように暴れた。
顔がこわばり、息が浅くなる。
「子供一人に教える価値もないとでも思っているのか。
自分の剣に、マナすら纏わせられないお前が?」
エルドランの声は、冷たく突き刺さった。
その言葉に、ヴェルノルは明らかに動揺した。
返す言葉が、見つからない。
「だが、いい。
お前の実力を見せてもらおう。」
エルドランは続けた。
「俺に一太刀でも当てられたら、娘を押しつけるのはやめてやる。
場所を空けろ。
広く取れ。」
人々は一斉に下がり、訓練場の中央には、エルドランとヴェルノルだけが残った。
ネリアもまた、他の者たちと同じ場所へ移動し、誰かの手がそっと彼女の肩に置かれる。
「私のそばにいなさい。
すぐ終わるから、心配しなくていいわ。」
若い女性が、そう言って微笑んだ。
エルドランは片手を上げ、もう一方で剣を抜いた。
ヴェルノルも武器を構える。
どちらも木剣だったが、構えも、重心も、二人の間にははっきりとした差があった。
エルドランが手を下ろした瞬間、ヴェルノルは一気に間合いを詰めた。
勝てると確信した、その時。
エルドランの姿が、唐突に視界から消えた。
影が消えるように。
そこに残ったのは、舞い上がる砂埃だけだった。
観ている者たちは息を潜めていた。
だがネリアだけは、目を疑っていた。
こんな光景を見るのは、初めてだった。
次の瞬間、エルドランはヴェルノルの背後に現れていた。
剣を高く振り上げた、その刹那。
ネリアは、奇妙なものを見た。
木の剣が、かすかな金色の光を脈打たせたのだ。
そして、それは迷いなく振り下ろされ、ヴェルノルの右脚を打ち据えた。
衝撃に耐えきれず、彼は体勢を崩し、地面を滑るように倒れ込んだ。
エルドランは、ゆっくりと歩み寄る。
「次に命令に口答えしたら、骨を折る。
理解したな?」
低く、重い声だった。
ヴェルノルは痛みに涙を浮かべながら体を起こし、何も言わずにうなずいた。
エルドランが手で合図を送ると、白い外套を纏った二人の男が彼を支え、連れていった。
「テリシア、アリニャ。
何か言うことはあるか?
それとも、訓練を始めるか。」
二人の若い女性は答えなかった。
ネリアの肩に手を置いていた方が、彼女に手を差し出す。
「来なさい。
始めるわよ。
お父さんを敵に回すと、どうなるか見たでしょ。」
そう言って、彼女は笑った。
「私はテリシア。
こっちはアリニャよ。」
ネリアは差し出された手を取り、二人の後についていった。
振り返ると、父が口元に小さな笑みを浮かべ、ウィンクを向けてくる。
ネリアも思わず笑みを返した。
驚きと、そして学べることへの高揚が、胸に広がっていた。
すごい……。
本当に強い。
だから、みんなが道で挨拶してたんだ。
私も、ああなりたい。
今なら、はっきり分かる。
私が、なりたいもの。
その決意は、静かに固まっていた。
テリシアは武器棚へ向かい、木剣を二本取った。
一本をアリニャに渡し、それから机の方へ行って、小さな短剣を手に取る。
それを、ネリアに差し出した。
「本当は理想的じゃないけど、この年齢ならこれしかないわ。
私についてきて。
難しくないから。
私たちの真似をすればいい。
でも、無理はしないで。
自分のペースでね。」
声は、とても穏やかだった。
ネリアはうなずき、二人の間に立つ。
三人は構えを取った。
脚を揃え、軽く膝を曲げ、剣を頭上へ。
ネリアも、一つ一つの動きを見ながら、同じように真似をする。
次の瞬間、刃が振り下ろされ、空気を裂く乾いた音が響いた。
ネリアも、目立たないように同じ動きをした。
だが――。
短剣が、手から滑り落ちた。
力を込めていたつもりでも、小さな指では、まだしっかりと握れなかったのだ。
「いいわ、ネリア。
でも、振り下ろすときは、もっと強く握って。」
アリニャはそう言いながら短剣を拾い上げ、続けた。
「それから、体を切り替える時に、左脚を一歩前へ。
分かった?」
「アリニャ、まだ子供よ。
そんな言い方をしたら、理解できるはずがないわ。」
テリシアは小声でそう言った。
ネリアは、動き自体はすでに理解していた。
それでも、二人が与えてくれる指示を、きちんと耳を澄ませて聞いていた。
小さな失敗は何度かあったが、同じ動作を繰り返し続けるうちに――。
彼女は、心の底から楽しんでいた。
その訓練は、一時間ほど続いた。
ネリアは疲れから、何度か短い休憩を挟んだ。
やがて、アリニャとテリシアは剣を武器棚へ戻す。
「ネリア、短剣を置きに来て。
この後もやるけど、その前に水分を取らないとね。
体を動かすには、大事よ。」
アリニャはそう説明した。
三人は、大きな樽の前へ向かった。
ネリアの背丈では、中は見えないほどだ。
テリシアは三つの杯を取り、柄杓で水をすくって注ぐ。
その一つを、ネリアに差し出した。
ネリアはそれを受け取り、一気に飲み干した。
飲むのが早すぎて、思わず咳き込む。
「ありがとう、タタイッシア。」
そう言って、しゃっくり混じりに口元を拭った。
その呼び方に、二人は思わず笑った。
テリシアは自分の杯を取り、もう一度水を注いで、ネリアに渡す。
「テ・リ・シ・ア、よ。
でも、タタって呼びたいなら、それでもいいわ。
気にしないで。」
ウィンクを添えて、そう言った。
ネリアは笑みを返し、冷たい水を飲む。
「随分とのんびりしてるじゃないか。
これは、少し気合を入れ直さないといけないな。」
低く、かすれた声が響いた。
その声に、二人の女性は一瞬で体を強張らせた。
ネリアは驚いて杯を落とし、そのまま泣き出してしまう。
ただ驚いただけだったが、まだ体が思うように制御できなかった。
「おっと、すまない、ネリア。
怖がらせるつもりじゃなかった。」
エルドランはすぐにそう言い、続けた。
「おいで。
パパのところに来なさい。
冗談のつもりだったんだ。
本当に、すまない。」
テリシアとアリニャが振り返ると、エルドランがネリアを抱き上げていた。
その光景に、二人は小さく微笑む。
ネリアは次第に落ち着き、涙もゆっくり止まっていった。
エルドランは彼女を下ろし、立ち上がる。
「ぱ……ぱぱ、ごめん。」
ネリアは、途切れ途切れの声でそう言った。
「謝らなくていい。
悪かったのは俺だ。
ネリアは、何も悪くない。
いいな。
ほら、その小さな涙を拭いて。」
エルドランは優しくそう返した。
だが、束の間の休息を裂くように、角笛が鳴り響いた。
それに続いて、止まることなく打ち鳴らされる鐘の音。
一瞬で、全員の動きが止まった。
ネリアだけが、その意味を理解できずにいた。
落ち着いて。
でも、なに、これ。
おかしい……。
みんなの目が、一瞬で変わった。
次の瞬間、場は一気に騒然となった。
訓練していた衛兵たちは木剣を放り出し、扉へと駆け出していく。
「動け!
もっと急げ!」
エルドランの声が響く。
「テリシア、アリニャ。
お前たちは来られない。
だが、頼みがある。」
「分かっています。
心配しないでください。」
アリニャはそう言い、ネリアの肩に手を置いた。
「ネリアは、私たちが妹みたいに面倒を見ます。
行ってください、隊長。」
エルドランは走り出し、慌ただしく動く人々の中へ消えていった。
アリニャはネリアの手をしっかりと握り、安心させるように微笑む。
そして、歩き出した。
何が起きているのか。
どこへ行くのか。
ネリアには分からない。
それでも、彼女は黙ってついていった。
この異様な騒ぎが、良い知らせであるはずがないことだけは、分かっていた。
今、彼女にできることは一つだけ。
待つこと。
そして――。
この先も、すべてが無事であることを、願うことだけだった。




